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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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そんな昔のことは忘れたね / 著者:ちくわ - ch3

こんにちは、ちくわです。「もういちいち名前書かなくていいよ、タイトルにもあるんだからさぁ!」ひぃぃ、申し訳ない、そうだよね、でも今回ばかりはそうもいかないのだ。何しろ今回の「きあずま」は「アカウント名の由来と自分について語る」というものだからである。というわけで、ちくわが、私のハンドル。ちくわんとか、ちーくんとか、ちくたんとか、いろいろな派生したニックネームがあって、そのどれもなかなか気に入っている。さて、ちくわにまつわる話は、大きく分けて二つの時代に分かれることになると思う。同時に「私についても語る」ことになる関係上、あまり愉快な話にはならないだろうけれど、お暇な方は、おつきあいくださいませ。


「何で名前がちくわなの?」という質問は、それなりによく訊ねられる問いだったりする。少なくとも、好きな数学の公理を訊かれる頻度よりは高いだろう(ちなみにぼくの好きな公理は「空集合は存在する」である)。ところがこの”Why are you Chikuwa?”に対して、相手が期待しているような答えを返すことがぼくはできない。できないのだ。引っ張る話でもないので結論をいうと、要するに、なぜちくわという名を思いついたのかぼくも覚えていないのである。

SAPARi(さぱり)というアバターチャットをご存じの方がいるだろうか。いたら今ごろ画面のむこうでニヤニヤしておられるんじゃないかと思う。ソニーが運営していたもので、確か当時のVAIOには、そのチャットに参加できるブラウザがあらかじめインストールされていたのじゃなかったかと思う。今では似たようなサービスがたくさん存在しているのでどんなものか想像がつくと思うけれど、人間や動物なんかのキャラクターを操作して、仮想空間を動き回ったり、ほかの利用者とチャットで会話したりできるというもので、ともかく、小学生のぼくはその空間がとても好きだった。世はまさにブロバン黎明期、ウェブなどをぼくがようやく動き回り始めた頃ともほぼ同時期だったはずなので、まだ新鮮な「インターネットとの出会い」という部分でも鮮烈だったのかもしれない。とはいえ、そんなにずっとそればかりやっていた記憶もないので、「ハマっていた」のはそれほど長い期間ではなかったのだろうと思う。そのときぼくは「ちくわ」ではなく別のハンドルを使っていたように思うけれど、なんにせよチャット好きなマセた小学生だった。しかし、楽しい時間は長くは続かないもので、大人の事情でサービスが終了してしまい、涙することになる。

初めて「ちくわ」が使われたのは、それからしばらく経って、ドラえもんのファンサイトのチャットに入り浸るようになったときだった。どうしてドラえもんのファンサイトに入り浸っていたのかは今となっては定かではないけれど、あの頃はドラえもんファンサイトというのがちょっとしたクラスタをつくっていたのだ。ドラえもん一味。ちょっと違う。ともかくそこで、どこかのタイミングで、ぼくは「ちくわ」を名乗るようになった。どんなきっかけだったのかが、残念ながら思い出せない。ただ、いつも「こんちくわ~」とか挨拶していた(そういえば、定番の挨拶で「こん」とかあったけど、今でもどこかで使われているのだろうか・・・)との証言があるので、そのあたりが由来なのかもね。子供の考えることはよーわからん。ともかく、干支がひと回りしてしまうほど昔の話である。

その頃からずっと「ちくわ」を使い続けているのかと言えば、そんなこともない。しばらくは、ドラえもん以外にもコナンのファンサイトなどでまれに使っていた記憶がある(ウェブリンクだの、キリ番おめ!だの、バナーは直リン禁止!だのあった時代)けれど、ランドセルも窮屈になり始めたころ、あるときからぱったりとコテハン(固定ハンドル)を使わなくなった。めっきり、ぱったり。その頃はマジックとミステリィにはまっていて、奇術関係、推理小説関係のサイトを巡っていたように思う。

中学に入り、ネットは少しずつ学校の友達とのコミュニケーションにも使われるようになる。携帯は持っていなかったので、パソコンで、誰かが用意したチャットルームを使ってくだらないことをしゃべっていたり、今となっては黒歴史なのか何なのかもよくわからない学校裏サイトと呼ばれたようなあれ(裏という表現は完全に一方向から見た言い分でしかなくぼくたちにとってはあれが表だったわけなのだけれど)を覗いたり。そこでは本名あるいは本名をもじったようなハンドルを使っていたので、ちくわが出てくることはなかった。それ以外では、せいぜい掲示板に匿名の投稿をするくらいで、狭義のネット社会で自分を表現するということはしばらくなかった。あ、いやそんなこともないか、あれがあったな、完全に黒歴史だけれど、キャスフィとかいう学生ポータルサイトで、恋愛相談してたりした(大爆笑)。どんなハンドルつかってたか忘れたけど、ちくわではなかった。あとはあれか、相手自由のドリーム小説を探して相手のところに自分の名前を入れt・・・もうやめよう、これはぼくの黒歴史を出し尽くすための記事じゃない、やめよう、やめよう。はい。ぼくは、すごく普通の中学生だった。はい。ほかはニコニコ見てたりとか。うーん、すごく普通の中学生である。あ、でも、ニコニコ γ 世代なんだぜ(ときどきしたくなる自慢)。中高一貫の学校に通っていたので、どこから高校だったかよく思い出せないけれど、まぁともかく、高校に入ってもしばらくは、変わらないネット生活を送っていた。「ちくわ」再登場には、あと数年お待ちいただくことになる。


ぼくのネット生活の転機となったのは、高校三年生の五月頃である。その頃のことを思い出そうとすると、どうにも複雑な気持ちになる。というのも、その直接の出来事が、それほど明るい話題ではないからだ。2010年の春から夏にかけて、南九州の某県で流行した口蹄疫という伝染病のことを、覚えているだろうか。伝染病といっても、人間のものではない。牛、豚、水牛などの、家畜の伝染病である。防疫措置として多くの家畜が殺処分され、7月の終息確認時点で、その数は29万頭近くにおよんだ。ぼくと同世代か、あるいはそれ以上の年齢の方であれば、九州から離れた土地の方もテレビの報道などで記憶に残っているのではないだろうか。

ぼくはあの口蹄疫流行当時、まさにその南九州の某県 ― 宮崎県にいたのである。といっても、ぼくが住んでいたのは宮崎市内の、市街地の近くであったので、直接家畜の様子を見たわけでもなければ、家庭の生活の深い部分が直接の影響を受けたというようなこともなかった。けれど、あれはぼくにとっては単なる新聞記事上の出来事ではなかった。

ともかく、まずは話が逸れすぎる前に、当時のぼくのネットへの関わりについて淡々と記しておこう。ぼくが口蹄疫についてきちんと知ったのは ― なんて、本当に馬鹿げた表現である、「きちんと知る」なんてことが有り得ないと身に染みてわかったのが、あの出来事だったのだから ― ぼくが口蹄疫について「世間に流れている程度の事情を把握」したのは、ゴールデンウィークが終わるか終わらないかのころ。どうやら、宮崎が大変なことになっているらしい、ということ。そして、県外のマスコミはそれを大きく報道していない、という噂もネット上でまことしやかに流れていた。今にして思えば、それが正しかったのかどうか、もう確かめる気力もないけれど、そのときのぼくはとにかく情報が集めたかった。そして、得た情報を一個人として伝える術が欲しかった。そこで始めたのがTwitterだった……と、簡単にまとめるとこういうことである。当時はちょうどTwitterが世間に知られ始めた時期で、個人が発信する「リアルタイムに近い情報」を載せる場所としてそれなりに使われ始めていたのである。口蹄疫のことを調べ出してから、一週間後か、十日後か、そのあたりだったように思う。そこでハンドルとして選んだのが、「ちくわ」であった。7年だか8年だかの時を経て再びこの名前を使おうと思ったのは、少しでも情報を拡散したいがためであった。上にも書いたように、ぼくは小学生のころに「ちくわ」というハンドルでドラえもんのファンサイトなどで他人と交流しており、この名前で活動していれば当時の知り合いと再び交流できるかもしれないと思ったのである。そうすれば、「世間の人が知らない口蹄疫の情報」を伝える場所がひとつでも増える、と。Twitterのアイコンがブタである理由もときどき訊かれるが、これも同様である。このときに次々に殺処分されていった、あの豚なのだ。

総じて、苦い記憶である。口蹄疫そのものも痛ましい出来事であるけれど、さらにそれを取り巻いていた状況は今となっても、今になればこそなおさら、曖昧なままである。結局、何が正しかったのか、誰が悪かったのか、いや、そのような白黒思考の悪者探しこそが問題であったのか。ぼくはその年に受験を控えていて、終息後はどうしてもこの話題を常に調べ続けるということができなかったということもあり、今もぼくの頭の中には整理されないまま情報が散乱している。こんなに後味の悪い話は無い。

しかし、もっとも苦々しく感じているのは、そういったことよりもむしろ、自分自身の行動そのものである。18歳というのは、言い訳に使えるほど幼い年齢でもないだろう。そんな18歳のぼくのとった行動のひとつひとつが、とても苦々しく思い出されるのである。ネットの情報に踊らされ、毎日「情報収集」「情報拡散」と称して正しいのかどうかも分からないデータをバケツリレーする。学校に行けば自分の「情報」を他人と共有し、昼休みに弁当を食べながら熱心に「議論」する。政府からの援助が足りないと思い込めば、支援を求める署名を集める。作業場でバスタオルが足りなくなり、全国中から集められたバスタオルを整理する仕事が必要だと聞けば、友達を引き連れてその整理のためのボランティアに向かう。まったく、本当に……ばかみたいだった。

あれだけやっていれば、いくつかは、正しい行動だって含まれていたかもしれないけれど、しかし、それでも、本当に何もかもが幼かった。あんな大惨事が起きていながら、ぼくはどこか得意になっていた。自分は世間の知らない正しい情報を得ていて、それを使って行動ができるんだと信じていた。ネットがついに世界を変えると思った。自分が何かを変えられると思っていた。本当は何が起こっているのかなんて、きっと見ていなかった。今にして思えば、どうだったのかわからないことだらけだ。何が正しかったのかなんて、わからない。ぼくは当時の知事のやっていることを疑っていなかったけれど、振り返ってみれば問題のある行動だってあったように思う。ネットの情報は感情論に流れるきらいがあっただろうし、政治的に見れば明らかに右に傾いてた(さらにいえば、事実として、宮崎県は保守的な県であった)。そもそも、何かを白か黒かで割り切ることなどできないし、世の中の床屋政談は子供が思っているほど聡明なものではなかった。そしてきっと、現実に農家の人々が直面していたものは、ぼくの思い描いていたような世界ではなかったはずだった(ぼくと同世代でも、ぼくよりもそこに近い位置にいた人たちとその後会うことがあり、ようやくぼくはそんな単純なことに気付かされ、ようやく足場を崩した)。

ぼくが未だに政治的な ― 時事的な話題から距離をおいているのはそのためもある。もともと時事問題に対する心理的抵抗というのは中学生くらいからあったように思うけれど、あの出来事は直接のダメージであった。自分で何が正しいのかを見極めるなんてことが、果たして自分に可能なのか、また何かに踊らされるだけじゃないのか、そんな諦めというか、逃げがある。2010年の口蹄疫流行は、関係者にとっては直接のさまざまな傷を残す”事件”だっただけに、外野とも内野ともつかない位置で自分が浅はかな行動をしていたという事実が、どうしようもなくぼくを自己嫌悪に陥らせるのである。


ともあれ、そのときからちくわをずっと使い続けていることになる。Twitterを今のように、他人とのコミュニケーションの1ツールとして使うようになるとは(そしてこんな共同ブログまでその名義で立ち上げることになるとは)、当時は考えてもみなかったけれど、連続的にそのような使い方に変わっていったために、ちくわというありふれたハンドルも使い続けることになった。事実として、ちくわという名前でTwitterを始めたことによって、本当に様々な人と出会うことになった。災い転じて福となしたわけでもなく、不幸中のなんたらでもジンカンバンジなんとやらでもないし、こんなことを最後に書くのは(そのきっかけを考えてみれば)どこか冒涜的であるとは思っているのだけれど、書かないわけにもいかないのでこれは書いておくことにする。とにもかくにも、「ちくわ」が存在しなかった場合の今の生活というものが、想像がつかない。きっとそのあたりの話はいずれ書くことがあるだろうから、今回は何も具体的には書かないが、その意味でも「ちくわ」の再登場は大きな、あまりにも大きな転換点であった。


今回も長くなってしまったけれど、そういうわけで、ぼくがなぜちくわという名前を思いついたのかは、思い出せない。そして、ぼくが何故ちくわという名前をいま使っているのか ― なぜ再び使い始めたのか ― に関しては、思い出して楽しい記憶ではない。とはいえ、いつまでも目を逸らし続けていていい記憶でもないだろう。何度も思い出して、いつかそのブロックを壊せる日が来ると良い。様々な事情によってこの名前を使い続けることになったけれど、案外、この記憶をときどき思い返せるようにと世界の意志がそうしたのかもしれない、いやそんなことはないと思うけれど、ともかく、心に留めておくようにしたい。「そんな昔のことは忘れたね」では済まないのである。

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chiasma 09:「誰かからのオススメを、受ける理由/断る理由」

chiasma 09:「誰かからのオススメを、受ける理由/断る理由」
・「シンプルの裏にひそむ複雑さ」(ドーナツ)
・「わくわくをつくろう。」(開発室Graph)





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雨が好きな理由 / 著者:あめ子 - ch3

私が「あめこ」という音の響きに自分を繋げたのが何時なのか忘れました。たぶん3・4年前ぐらいのことです。それまで私は「渚」とか「汀」を名乗っていたのですが、今までの私を全部消すように「雨子」や「飴子」を名乗るようになりました。「雨子」は日常の些細なことを垂れ流す場所。「飴子」は創作活動をする場所。
ツイッター、その他SNSのアカウント名(@~)は全て雨具に関するものに変更。
とくに大した理由もなく、ただ雨が好きで、○○子という名前に少し憧れがあったので、くっつけてみました。
(あめこ、うんうん、丸っこくて可愛いがね)とそんな感じです。
これだけで終わるのも味気ないので、自分語りを交えつつ、についてお話したいと思います。


私は梅雨の時期に産まれました。ちょうど本日が誕生日です。
ですので雨に親しみに似た何かをもとから抱いていた気がします。
私の本名が水に関わるものでしたので、それも関係あるのかもしれません。
実家で過ごしていた頃は、雨が草木を打ち、川の流れが聞こえてきてきました。
それが何よりも愛しかったように思います。
今は雨がコンクリートを打つ音に耳を傾けています。それもまた一興です。
.
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる / 正岡子規
いつの日か教科書で見たこの和歌が私の頭の中にずっと残っています。
平仮名の丸み、「の」で言葉がつながっていき想起される春雨のやわらかさ、夏に入る前の瑞々しい景色が鮮やかに描き出されます。
くれなゐを包むやはらかく優しい春雨が、「雨は優しく包むものであるという印象が私へ滲んで染み込んだのでしょう。


そして中学生の頃聞いていたこの曲。
雨音、ある種の暗さ、ネガティブなイメージ。
言葉がぽつりぽつりと降ってきて流れて消えていく。
雨に対する陰鬱さやもどかしさが、雨の日のアスファルトの匂いのように立ち込めます。

また、涙の雨という表現があります。涙と雨は重ねられることが多く、涙の比喩として雨が使われることもあります。
漫画で登場人物が雨に打たれてるシーンを何度か目にしました。
泣いていても雨をに打たれていたら分からないですしね。
私も真似したことがあります。葬りたい過去です。


最後に雨の持つ「」としての性質。
いつの日だったか次のようなことを「飴子」で呟きました。
雨がふればいい。君と僕との間に出来てしまった氷塊を溶かしてくれるいうな、温かい雨がふればいい。
— 飴 (@am_gappa) 2012, 8月 7
ここでは温かい雨に限定していますが、雨は洗って落とす、洗い流す性質があると考えます。
(誤字はそっとしておいて下さい。大事なところで噛む人間なのです。)
水もそうですね。洗濯とか食器洗いとか。
シャワーを雨に重ねているといえば分かりやすいでしょうか。
纏わりついた土ぼこりや汗を洗い落とす、洗い流す。
自己嫌悪も浅ましい考えも怒りも嫉妬もマイナスな感情を水に流す。
汚れを浮かしたり溶かすには洗剤や石鹸の存在は無視できませんが、雨にはそのような一種の洗浄作用があるように感じます。
綺麗さっぱり洗ってしまって、ありのままの私でいること。
化粧や見栄でゴテゴテに装飾した私をつるっと引っぺがしてほしいという期待の表れかもしれません。


すっかり長くなってしまいました。
以上のような感じで私は「」が好きですし、だからこそ適当につけた「雨子」が私に馴染んでいるのかも知れません。

ここまで目を通してくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。



おわり。
.

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ギャルが苦手 / 著者:めがね - ch7

こんばんわ。めがねです。前稿だったか前々稿だったか忘れてしまいましたが『人は自分に無いものは語れない』と確か私はは申しておりました。逆説的に言えば『自分にないものは語るべきでは無い。』と思っておりますので自分の中にあるものを引き出しから引っ張り出してきて語らせて下さい。さて今回は『思い出のメンタルブロック』という御題なのでぴったりなものがございましたので、お付き合いいただきたいと思います。
私は『ギャルが苦手』なのでその背景と共に懐かしくも狂おしいほど真っ直ぐだった思春期を思い出しながら執筆していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

・性欲が理性に勝っていた頃のお話
お話していく上で今より少し前に遡らなければなりません。今が26歳なので丁度10年前くらいでしょうか。私は高校1年生で16になった頃です。中学を卒業して高校に入学して半年あまりくらいだったでしょうか、高校に入った事で大人の仲間入りをしたという謎の全能感の絶頂感が真っ盛りの時。
携帯電話という画期的なツールが主流になってきた事で、中学の頃は『何時に電話をかけるから電話の前で待ってて』というたわいなくも甘酸っぱい約束を取り付けなくて良くなりました。
『いつでも自由に想い人に連絡をとれる』という願ったり叶ったりという時代が訪れた訳です。
中学とは違い、高校は自分の内なるの思想に向けバラバラの学校へ分かれていきます。これにより恋愛対象も中学の時とは違い、○年○組の誰々くん(さん)という『閉塞したコミュニティ間の恋愛』ではなく○○校の○○部○年○組の誰々くん(さん)のような『一学校という垣根を越えたもの同士の恋愛』に発展していく訳です。
前置きが長くなりましたが『可愛い女の子紹介してや』と言う高校生にありがちな一言で始まり今後、僕のギャルが苦手というメンタルブロックと女性不信の根幹と言っても過言ではない重要な人物と出会いました。
とある女子高の同学年で後に親しかった友人Tくんの彼女になる人物『Nちゃん』です。
Nちゃんは容姿も整っており、性格もノリが良く話も上手でした。
そうですね。改造後の板野友美さんが女子高生だったら。みたいな容姿を想像しておいて下さい。
この頃の私はDTを卒業し、彼女とも別れていたので謎の全能感に更に拍車がかかっていた事もあり、今では考えられないようなガンガン行こうぜスタイルのアプローチの仕方をしていました。
その成果もあり、実際に会ってお話出来る所までこぎつけ、遊びに行ったり更には両親が自宅にいない時にNちゃんを呼ぶ事にまで至りました。これが私の悲劇の始まりです。
自室でゲームやDVD鑑賞も一頻り終わり、いよいよやる事がなくなって来てさぁ駅まで送って帰ろうかぐらいの勢いの時です。雨が降り出しました。結構な勢いです。
田舎なのでこの時間を過ぎると電車も少なくなりますしバスもなくなります。
無理にでも送って帰れば良かったのですが、若気の至りか『泊まってく?』と下心丸出しのアホ発言をしたのです。
昔の偉人も言っていました。『認めたくないものだな…自分自身の…若さ故の過ちというものを… 
ええ、やりましたとも。深夜のプロレスごっこ。3発分くらい。若さって怖い。
『そんなつもり無かったの』とか言われましてもな。覚えたての言葉ってやたら連呼したくなるじゃないですか。あの感覚ですよね。覚えた事って試したくなるじゃないですか。
翌日早朝駅まで送って帰りました。
後日、SEXしたのに付き合って無いのはこれ如何に、と意を決して告白をしました。
返答は『付き合うのは無理だから二番目で良い?』轟沈です。
まぁそれでも良いかと思っておりました。何回か会ってお話しました。SEXも何回かしました。
夏が終わり、秋の季節になりました。粛々と季節が流れていくある一日の中での話です。
唐突に友人Tくん『俺、彼女できたは。』私、友人Sくん『へー誰々?見して見して。』
Tくん『お前ら知っとるで。お前(私)は振られとるしのwほれ。』
Nちゃんでした。そう数日前会ってお話して最終的にセクロスをしたNちゃんではありませんか。
激しく動揺しました。が、悟らせてはいけません。次に私はこう切り出しました。
『あぁ、俺振られたしなwなるほどね。で何時から付きあっとん?』
Tくん『一週間前w』『!?!?』・・・あれ一週間前って俺、その後会ってセクロスしたよな・・・。
Tくん『よろしくな兄弟wwwあ、後お前無理矢理ヤられたってアイツの学校で噂にされとるで終わったなwww』『!?!?!?マジで!?』
確かに。最初の一回はそうでしたが、後は全て合意の上の行為だった訳ですがなるほど、彼女の中ではそういう清算の仕方だった訳ですね。うん。なるほど。

『最初は勢いやったんです。好かれるための…嫌よ嫌よも好きのうち言うて家に来とる時点でなるようになる。まさか手玉に取られるつもりはなかった。それがまんまと手玉にとられてしもた。何重にもトラップを張り巡らせた計算をもった相手やった。』
『ビッチやった。』
『そしてビッチに引っ掛かった俺は蔑まれた。ビッチに引っ掛かったから』
『皆の中で正当化された…マジョリティには事実より優先されるものはないからです。』
『その日から俺に変なアダ名がついた。北野さんも聞いたことあるかもしれませんね…』
『レイパーめがね…』

・その後から現在に至るまで
その後は、しばらく女性不信というか人間不信に苛まされることになりました。
人を好きになってもどう思われてるんだろう、どういう風に悪口を言われてるんだろう。コイツは友達面してるけど何時裏切るんだろう。とかそんな感じです。
人間不信だったし、人がなにより嫌いだったし自分に不利益な煩わしい人間は全部死ねばいいのにと思っていました。イジメも重なり更にそれが加速していきました。
それによって随分と、まぁひねくれた人間性が形成されていきました。
20代前半までそんな感じでした。
それにも関わらず、変わらず接してくれた数人の友人。専門学校でであった友人。東京に出てきて色々な人と出会ってお話して、遊んで、一緒に作業して、現場にいって、デザインイベントに連れて行ってもらったり、パーティーに出席させてもらって、少しづつでしたが人間らしい感情を取り戻せたように感じます。
色々な人のパターンを読み込む事によって、なんとなく人となりがわかってきたような気もします。それによってあぁ、こういう人にはこういう話し方をすればいいのかなというのが少しづつですが出来るようになってきました。
が、自業自得ですが上で述べたような経験でギャルっぽい服装や喋り方の人のイメージはなかなか払拭できません。大勢の時は大丈夫なのですが、女性と二人きりで話す時も影でこんな事言われてんのかな。と少し勘ぐってしまってなかなか上手に喋る事が難しいです。
手を出してもいいのよ。みたいなサインがあったとしても、やはり色々勘ぐってしまって素人の女性とそういう行為をするのにも抵抗があります。
風俗を利用する理由も根幹はそこにあったりします。
こんな事言ったら怒る方もいるかもしれませんが、自分を商品として切り売りしているから素人さんほどメンタルに気を使わなくて済むからです。

長くなりましたが私がギャルが苦手な理由はこんな感じです。皆が皆そんな事はないとはわかってはいるのですが、自分が認識している事実をひっくり返すのは相当な衝撃がないと不可能な気がしているのでやはりしばらくはこのままだろうと思います。
いずれ、僕の固定概念を覆してくれる。ピュアっピュアのギャルが現れる事を切に願います。

お疲れ様でした。

じゃあのん





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自分とは何か、ドーナツとは何か / 著者:ドーナツ - ch3

奇しくもこれを書いている今日、21歳の誕生日を迎えた。
誕生日に自分について書いてみるのは悪くない。
それがこのブログに残るだなんて、とても名誉なことだ。

私は「無選別ドーナツ」「ドーナツ」のみネット上でスクリーンネームとして使っている。
他はもう本名でいいや、というスタンスだ。
そもそも大学の活動でかなり本名を出してしまったので、今更本名バレしたところで痛くも痒くもない。
Twitterの「無選別ドーナツ」も、本名出してやっているのと大差ない状態だ。

「なら、本名でTwitterやればいいじゃん」という話だが、それはやめておきたいというのが本音である。
本名が出れば現在の所属も出てしまい、私の現在の所属というのがどうもめんどくさい人が引っかかりやすいようで、そういうのはご免なので本名は出さないということだ。

「無選別ドーナツ」は特に深い由来があるわけではない。
大学に入ってすぐ、高校の友達とノンアル宅飲みをしていたとき、「そろそろTwitterのアカウント作りなよ」ということになり、友達のパソコンを借りてTwitterのアカウントを作った。
アカウント名を決める際、その宅飲み用に買ったお菓子の中に「無選別ドーナツ」があったので、そのままアカウント名にしてしまったというだけの話である。

その後、大学で『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』とかいう本を作ったので、「ドーナツの本と無選別ドーナツさんは関係あるんですか?」という問い合わせをたくさんいただいたが、まぁあるけどないってかんじだよね。というかんじだ。
とにかく、スタートの部分では一切関係ない。



ここまで書いてドーナツの話に飽きてしまったので、「ドーナツって何者なの?」ということを書いておこう。
私が何者か分かった方が、ブログも読みやすかろう。

私は関西の田舎でアラビア語をしている大学生である。
よく「男性かと思いました……!」と言われるが、中高と女子校に通っていた、正真正銘の女性だ。
履歴書には趣味は音楽で特技はチェロ演奏とか書いている。

一番の問題意識は、一応のところ中東問題、すなわちイスラエル・パレスチナにあるわけだが、他にはバヌアツ・在日コリアン・最近のウクライナ情勢・ユダヤ人などが気になっているので、まぁそんなかんじで勉強していけたらな〜と思っている。
だから、「アラビア語・ビスラマ語・ウクライナ語」を軸にしていけたらいいなと思っている。
ビスラマ語が何か分からない方は、「ビスラマ語」とか英語のお出来になる方は「Bislama」などのワードでググってみればいいと思うよ。
取るに足らない学生だが、たまにブログを読んでいただけたら嬉しい。

とりあえず基本状況など
これからも、無選別ドーナツという意識ない系学生をどうぞよろしくお願いいたします。

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chiasma 08:「私の深刻がっていること、深刻ぶっていること」

chiasma 08:「私の深刻がっていること、深刻ぶっていること」
・「上手に笑えない」(めがね)
・「問題意識の行方」(ドーナツ)
・「考えすぎるということとわたしの救い」(草薙菫)


*「1日に2本以上が届き、毎日欠かさず更新される」という事態は想定しておりませんでした…!みなさんの熱意に私の胸にも、リビドーというべきかパトスというべきか、熱い情念が沸々と煮立ってきている次第です。本当にありがとうございます。執筆のペースやタイミングは、本当に完全にお任せしておりますので、せめて御題が絶えないよう(つまりこのブログが死なないよう)私も頑張らせていただきますね。執筆者様、御題提供者様、もちろん愛読者様、大募集中であります☆★


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約束をしよう。/ 著者:こはく - ch5

こんにちは、こはくです。

今回のお題chiasma5は『ひとり暮らしにおいて肝心だと思うこと』。
思うに、お題投稿者様及びひとり暮らしをしている皆さん、加えてこれからひとり暮らしをしようと考えている方へのアドバイスになるであろうものを求められているようです。
となると、僕個人の個別的ななお話をするのは適当ではありませんね。
(僕自身はまだ一人暮らしをしたことはありません。
会社の社員寮に半年ほど暮らしていたことはあるのですが、掃除や食事といったひとり暮らし的な家事はおばちゃんたちがやってくれていたのでこれをひとり暮らしということはできませんよね。
ですので僕はひとり暮らしをしたことはない、ということになります。
今年中に上京して一人暮らしを始めたいと思っているのですが、それはまた別の話。)
少なくとも僕だけでなく、みんなに共通するような事柄を語ることがこのテーマの答えとしてふさわしいようです。
具体的なことは個別的になってしまうからダメ。
となるとその反対のこと、すなわち抽象的なことをお話すべきであるという結論に達します。

抽象的なお話といっても別に哲学的な難解な話をするつもりはないし、ひとり暮らしという主題からかけ離れたことをお話するわけでもありません。
僕がお話しようと思っているのはいたって簡単で、素朴で、単純なお話です。
僕が考える『ひとり暮らしにおいて肝心だと思うこと』。それは、
秩序です。
秩序のある暮らしが大事ですよー、ということを僕は主張したい。
ほらほら、とってもシンプルでしょ?

で、大事になってくるのはどうやってこの秩序を実生活に当てはめていくか、ということ。
『秩序のある暮らし』というのはすごーく漠然としていて、実生活で使えるようなものではありませんよね。
そこで。
今度はこの抽象的な行動規範を具体性のある事柄に当てはめて考えていく、という作業が必要になります。
で、この具体化は人それぞれがすべき部分です。
僕が今まで生活してきた、生きてきた中で導き出した肝心だと思うこと―秩序のことを言っています―を、この記事を読んでいるひとりひとりが自分の生活に当てはめて考える。
そうすれば僕の考えを押しつけることなく、かつ僕なりの今回のテーマの答えをひとりひとりの生活の中に取り込んでもらえるのかな、と思うのです。

ここから先はひとつの具体例を示してみたいと思います。
ひとり暮らしにおける、秩序ある生活を具体例を。
ところで。
人は何かと何かを比較することで、そのもの理解することができます。
生まれてこのかた軽自動車しか乗ったことのない人は、乗用車ましてや高級スポーツカーの良さを理解することはなかなかできませんね。
そのため秩序の良い部分・利点・メリットを理解するには秩序的ではないもの、すなわち無秩序を理解することが必要だと僕は考えます。
ですからまずは、無秩序について考えていきましょう。

ひとり暮らしにおける、無秩序の具体的な例。
そうですねえ、なんでもいいのですが…。
本を考えてみましょうか。
漫画、文庫、教科書、エトセトラ。
これらにおける無秩序とはどのような状態か?
あ、もちろん分かっているとは思いますが、ラノベと美術雑誌が隣あっているとか、本のジャンルが全くバラバラな状態=無秩序だといっている訳ではありませんよ。
この場合における無秩序とは、本が整理整頓されずに散らばっている状態のことを指して言っています。
想像してみてください。
本が四方八方に散らばって、足の踏み場のない床を。
部屋の中で何かアクションを起こすと、必ずといっていいほど本に触れることになる。
本来本を扱うべき手ではなく、扱うべきではない足で。
これは、果たして良い状態でしょうか?
違いますよね。
決して「これが良いんだ」という人はいないでしょう。
公共の図書館がこのような状態、どこにどのジャンルの本が収まっているか分からない魑魅魍魎な状態では決して健全な図書館とは言えません。
同じようにたとえそこが自分だけの空間だったとしても、そこにある本には秩序があることが必要なのです。

秩序を形成することは、簡単です。
本棚を設けるだけで、全てが解決します。
床に二次元的に散らばっていた本は本棚の一段一段に綺麗に収められ、床という二次元空間ではなく棚という三次元空間の中で均整を保ちます。
秩序というのは実に、実に簡単につくりだすことができるのです。
先ほど無秩序については20行以上使って説明していたのに、こちらの秩序はほんの5、6行で説明が終わってしまうくらいですから。

例えばこのブログも、ある種の秩序によって成り立っています。
chiasmaという行動規範の中で自己と対話を繰り返し、文章という形で答えを表現する。
chiasmaというひとつのprincipleによって、このブログは成り立っているのです。
仮に、このブログが『みんなでむちつじょ思索隊』なるものだったとしたら?
chiasmaのようなprincipleの存在しないブログだったとしたら?
きっと、それはもはや無意味なものになっていたでしょう。
宇宙デブリのようにそれぞれが全く違う速度、方向、性質を持って飛び交い、衝突しあい、瞬く間に粉々に砕け散っていたことでしょう。

ひとり暮らしの難しいところは、このブログにおけるchiasmaのような行動規範を自分自身で設けなければならないこと。
自分ひとりでprinciple、disciplineを定め、そして順守しなければならないということが一番大変なことだなあ、と思います。

約束が人々を結びつけ、国家を形成しました。
ひとり暮らしとはいわば、自分ひとりだけの国を持つということ。
その国を守り続けるために必要なものこそ、ほかならぬ秩序なのです。

今回の記事中では本という具体例を使いましたが、最初に言ったようにこれはどんなものにでも当てはめることができます。
秩序という抽象概念を、ひとり暮らしの様々な場面で具体化して考えればいいのです。
朝昼晩の食事しかり、睡眠時間しかり、部屋のインテリアしかり。
挙げるとキリがありませんが、つまりはそういうことです。
自分だけの国を守る、自分だけの秩序を形成してくださいね。

ではでは、今回はこれにて。

ありがとうございました!

こはく

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