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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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帰り道の思い出 / 著者:あめ子 - ch4

私が経験したこれまでの帰り道を考えてみると、自分の足で帰った経験が一人暮らしをするまでほとんどありませんでした。

保育園、小学校、中学校、高校、その殆どが家族による送迎です。ありえない程山の奥にあった実家に住んでいた私にとって、何処かに行くには誰かの力を借りねばいけなかったのです。私の家までの帰り道には、鹿・猿・猪が出るのは当たり前ですし、当時街灯もなく公共交通機関も側になかったので、必然と送迎になってしまった訳です。

特に小学生の時が厳しくて、学校が終わったら公衆電話から家族に連絡して迎えに来てもらっていました。仲のいい友人たちが一緒に帰っていく中で、一人ぽつんと体育館裏やベンチで本を読んでいて、本の世界に触れていたのです。こうやって書くと文学少女っぽいですが、実際はテニスの王子様を読んでました。


しかし…といいますか、楽しそうに帰っていく友達の姿だけを見つめる日々を過ごし、次の日友人の話題に「昨日の帰り道」が出てくるともうついていけません。案の定、私は誰かと一緒に帰ること、放課後に友人と遊ぶこと、そして歩いて帰ることにとてつもない羨望を抱いたのです。ある時は、祖父母に黙って友達と歩いて帰ったこともありました。同じ方向に帰る友達も少ない上、一緒に帰ることができる時間は僅かなものでしたが、本当に楽しかった。「ただいま!」と帰ってきた時の祖父の驚いた顔は忘れません。またある時は、放課後に友人との遊びに夢中になりすぎて、祖父母に探されたこともありました(お転婆娘だったのです)。そして母にめちゃくちゃ怒られました。中学校に上がるとまた事情が変わってくるのですが、私の小学校6年間は凡そそのようなものでした。



あぁ、思い出に耽ってしまいました。私にとって帰り道といえば、車からの風景だった。そして、ここからが本題。誰かと一緒に帰ることに憧れを抱いた私の「好きな帰り道」は高校時代にあります。

それは当時付き合っていた方と帰ったある日の帰り道です。どのタイミングだったのか忘れてしまいました。なかなか学校で話せなかった私たちは、放課後の時間を共有することでお互いの距離を縮めようとしました。

その放課後の時間の共有の方法といいますのが、一緒に帰るということです。

といっても、高校から彼の家まで自転車で20分の距離に対し、私の家まではその数倍かかる距離でした。幸いにも同じ方角ではあったので、私たちはたまに彼の家の近くまで「歩いて一緒に帰った」のです。その後私がどうやって家まで帰っていたのかは忘れてしまいました。ただ、国道を通ったら知り合いに見られて恥ずかしいため裏道を歩いて帰ったことははっきり覚えています。普通に歩いて行くより倍の時間がかかりましたが、その方がきっと私は嬉しかった。

勉強したり部活動をしたり、毎日を忙しなく過ごしていたあの頃のとある日の出来事です。いつものように彼は自電車を押しながら、私はその横を歩きながら帰っていました。夕日が照らす、9月の終わり頃に彼が「二人乗りする?」と私に聞きました。その頃は二人乗りが違法などとつゆ知らず(当時違法だったか未確認)、二つ返事で了承し荷台に腰掛けました。映画「耳をすませば」の二人乗りシーンを想像していただければわかりやすいかと思います。最初は安定しなかった自電車がゆっくり走り始め、ぼーっと流れる景色を見つめていたのです。どこまでも続く田畑、山際に沈み始めた赤い夕日、心地いい風が吹いていて、秋を感じ少し物悲しくなったその瞬間、「私はこの景色を絶対に忘れないだろう」という予感がしました。予感というよりもう確信です。最初から分かっていたかのように、理由はわからないまま、そこに何の疑いを挟む余地なく確信したのです。



今でもあの時の風景、空間を切り取ってしまったかのようにいつだって思い出すことができます。名探偵カメラちゃんばりの記憶力です。カシャってシャッター音は聞こえませんでした、残念。しかしその時の彼の背中の広さとかそういった物は一切覚えてないのが我ながら清々しいです。

結局、そのあと右折した際に彼はバランスを崩して、私は自電車ごと後ろに倒れてしまったのです。彼はひらりと身を翻し無傷で、私は腰の青じんたんと擦り傷をこさえてしまいました。皆さん、二人乗りは危険です。


私の好きな帰り道…というよりは私の忘れられない帰り道の思い出になってしまいましたが、結構この思い出が好きだったりします。きっと大切な記憶なのでしょう。


ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございます。

おわり。





(編集責任:ちくわ)

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雨が好きな理由 / 著者:あめ子 - ch3

私が「あめこ」という音の響きに自分を繋げたのが何時なのか忘れました。たぶん3・4年前ぐらいのことです。それまで私は「渚」とか「汀」を名乗っていたのですが、今までの私を全部消すように「雨子」や「飴子」を名乗るようになりました。「雨子」は日常の些細なことを垂れ流す場所。「飴子」は創作活動をする場所。
ツイッター、その他SNSのアカウント名(@~)は全て雨具に関するものに変更。
とくに大した理由もなく、ただ雨が好きで、○○子という名前に少し憧れがあったので、くっつけてみました。
(あめこ、うんうん、丸っこくて可愛いがね)とそんな感じです。
これだけで終わるのも味気ないので、自分語りを交えつつ、についてお話したいと思います。


私は梅雨の時期に産まれました。ちょうど本日が誕生日です。
ですので雨に親しみに似た何かをもとから抱いていた気がします。
私の本名が水に関わるものでしたので、それも関係あるのかもしれません。
実家で過ごしていた頃は、雨が草木を打ち、川の流れが聞こえてきてきました。
それが何よりも愛しかったように思います。
今は雨がコンクリートを打つ音に耳を傾けています。それもまた一興です。
.
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる / 正岡子規
いつの日か教科書で見たこの和歌が私の頭の中にずっと残っています。
平仮名の丸み、「の」で言葉がつながっていき想起される春雨のやわらかさ、夏に入る前の瑞々しい景色が鮮やかに描き出されます。
くれなゐを包むやはらかく優しい春雨が、「雨は優しく包むものであるという印象が私へ滲んで染み込んだのでしょう。


そして中学生の頃聞いていたこの曲。
雨音、ある種の暗さ、ネガティブなイメージ。
言葉がぽつりぽつりと降ってきて流れて消えていく。
雨に対する陰鬱さやもどかしさが、雨の日のアスファルトの匂いのように立ち込めます。

また、涙の雨という表現があります。涙と雨は重ねられることが多く、涙の比喩として雨が使われることもあります。
漫画で登場人物が雨に打たれてるシーンを何度か目にしました。
泣いていても雨をに打たれていたら分からないですしね。
私も真似したことがあります。葬りたい過去です。


最後に雨の持つ「」としての性質。
いつの日だったか次のようなことを「飴子」で呟きました。
雨がふればいい。君と僕との間に出来てしまった氷塊を溶かしてくれるいうな、温かい雨がふればいい。
— 飴 (@am_gappa) 2012, 8月 7
ここでは温かい雨に限定していますが、雨は洗って落とす、洗い流す性質があると考えます。
(誤字はそっとしておいて下さい。大事なところで噛む人間なのです。)
水もそうですね。洗濯とか食器洗いとか。
シャワーを雨に重ねているといえば分かりやすいでしょうか。
纏わりついた土ぼこりや汗を洗い落とす、洗い流す。
自己嫌悪も浅ましい考えも怒りも嫉妬もマイナスな感情を水に流す。
汚れを浮かしたり溶かすには洗剤や石鹸の存在は無視できませんが、雨にはそのような一種の洗浄作用があるように感じます。
綺麗さっぱり洗ってしまって、ありのままの私でいること。
化粧や見栄でゴテゴテに装飾した私をつるっと引っぺがしてほしいという期待の表れかもしれません。


すっかり長くなってしまいました。
以上のような感じで私は「」が好きですし、だからこそ適当につけた「雨子」が私に馴染んでいるのかも知れません。

ここまで目を通してくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。



おわり。
.

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繰り返して繰り返してどうでもよくなる。 / 著者:あめ子 - ch1

初めまして、お久しぶりです。あめ子です。
適当ズボラ女の名前を欲しいままにしています。
その界隈では結構有名です。たぶんね。

さて、「私の最も好きな法則」についてお話しましょう。
といっても普段から「あ、私こういう法則好き」なんてこれっぽっちも考えていないので、「最も」をつけていいかは疑問の残るところです。
最も好きというよりは、私に染み付いた法則について書きたいと思います。


私の法則それはタイトルにもあります通り、「繰り返して繰り返してどうでもよくなる」です。
最早、私の性質の1つになっています。


自覚したのは一人で読書ができるカフェを探していた3年前の夏。
自宅からバスで30分かかる繁華街で、大きな本屋の隣に薄暗い地下カフェを見つけました。
文庫を数冊購入した私は、読書をするために入店。
ドリンク1つで3時間(予定)も居座る勇気はなく、私はメニューを開きました。
そこで何故か目を引いたのが「えびピラフ」でした。
無愛想なおじさまによって運ばれてきた、女一人がこんな量を食べきれるのであろうかと不安になるえびピラフと、具がわかめだけの味噌汁。
特別な材料を使用している訳でもなく、盛り付けもこだわっている訳ではない。
味は素朴で、私でも作れそうな味付け。(すみませんお店の方)
「文庫を数冊購入~エビピラフと味噌汁を食す」一連の行動がとても好きになったのです。
だいたい1年ぐらい、一連の行動を繰り返していました。
無理やり時間を作ってまで、何故か私は本を買い同じ店でえびピラフと味噌汁を食すということもありました。
どうしてそこまで執拗に繰り返していたのかは私自身皆目検討もつきません。
けれど、1年ほど経ったある時、電池が切れたように、急に何の魅力も感じなくなりました。
それからは全くそのお店にすら入っていません。


繰り返している行動は、繰り返している期間中、どこをとっても愛していて
例えば本を買わずにえびピラフだけ食べるとか、そういう欠片でも私は満たされます。
そして繰り返しが完遂できた時、十分な充足感を得られることができるのです。
きっと突然どうでもよくなるのは、おいしいとこばかり食べていて慣れてしまったか、消化しきってしまったからなのでしょう。


まとめ。
私の(最も好きな)法則は、「好きになった行動の流れを繰り返して繰り返して、突然どうでもよくなる。」でした。


おわり。

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