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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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きのたけ紛争の平和的解決について / 著者:エアリーズ - ch15

_2016年あけましておめでとうございます。(ⅰ)エアリーズです。

 だいぶ久々の寄稿になってしまいましたが、ちょっと前から考えていたのもあり、このきあずまについて私なりの観点から ― それはつまり法的な何か(ⅱ)なのですが ― 考えてみたいと思います。


 「きのこたけのこ戦争の理想的な終わり方」これを考えるにあたっては、はじめにきのこたけのこ戦争(以下、短縮して ”きのたけ戦争” と呼びます)の性質について検討しなければなりません。

 そもそも戦争とは何なのでしょうか? それは宣戦布告(ⅲ)によって始まり双方の武力の行使を伴う国際紛争を指します。現在は宣戦布告が行われない戦争のみになり、また国境を超えない、いわゆる内戦も問題となってきたので戦争の代わりに「武力紛争」ということも多いです。

 では、きのたけ戦争はどうでしょうか?

 宣戦布告はありませんね。そもそも国境を越えてはいません。しかし日本国内の内戦なら「非国際的武力紛争」として戦争と取り扱うことも可能です。

 しかしここで一番の問題が発生します。武力衝突を伴っていないのです。

 武力とは軍隊等(一般には部下に対して責任を負う指揮官の下に組織された武装集団)による力の行使で、その衝突とは武器を使用することを指します。

 今のところたけのこの里支持者(以下、里の者)ときのこの山支持者(以下、山の民)が武力衝突したという話は聞きません。というかそんな事態になっていればもっと大問題です。

 しかしこの結論も大変です。つまりきのたけ戦争は「戦争」ではないのですから。

 とはいえ武力を伴わない、つまり双方が主張をぶつけているだけの問題というのもあります。そういうものは単に「紛争」と呼ばれます。

 よって以降、ここでは「きのたけ戦争」ではなく「きのたけ紛争」と呼ぶことにしましょう。


 さて、性質も定まったところで次の「理想的な終わり方」について検討することにしましょう。

 紛争の最終的かつ決定的な決着のつけ方は戦争をすることです。戦争を行い勝った方の意見を負けた方に呑ませれば如何なる問題も決定的に解決します。

 しかし、現代の法は可能な限りこの手段を行わないようにさまざまなルールを用意しています。 (ⅳ)やはり一つの問題のために多くの命が失われる事態というのは避けたいものです。

 そこで私たちもきのたけ紛争が最終的に武力衝突となって解決するのは理想に反するとしましょう。

 では何なら「理想的」と言えるでしょうか。

 武力衝突を伴わずに紛争を解決する方法。これを国際法上は紛争の「平和的解決手段」といいます。この手段はさまざまありますが、主に国連憲章33条に列挙されたものをいいます。

 それは「交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他」を指しますが、例えば「交渉」とは二者間の直接的な話し合い、「仲介」は第三者が話し合いの間に入って意見を調整することを言います。

 いろいろと列挙されていますが、おおむね右に示されたもの程決定力が強いとされています。きのたけ紛争に関していえば地域的機関・地域的取極(条約)はありませんし、司法的解決(国際司法裁判所に付託)は出来ませんので、一番決定力が高いのは仲裁裁判ということになるでしょう。そこでここではより抽象的に仲裁の仕組みを見ていくことにします。

 仲裁とは、紛争当事者が互いに仲裁者の下した判断に従うことを同意したうえで仲裁者に判断を仰ぐ方法を言います。

 いわば自分たちで裁判所を作り第三者を裁判官にして判決を下させる(ⅴ)方法です。中世まで戦争の講和によく用いられていたようです。

 国際法上は常設仲裁裁判所という組織もあり、たとえばもし国家間が仲裁裁判を行うと決めたら第三国から3人、さらに各当事者から1人の裁判官を任命して裁判を行う等しています。


 さてこうしてみていくと、きのたけ紛争の理想的な終わり方は仲裁による平和的解決と言えそうです。以下具体的に提案をしてみます。

 まず里の者と山の民がそれぞれ仲裁の結果を確定的なものであるとして事前に決定します。(ⅵ) そのうえでそれぞれ1人の代表者を選出します。

 次に第三者ですが、全体的な経営規模がきのこの里、たけのこの山を販売する明治製菓より大きい別企業で、きのこ・たけのことは別に一定の支持層のいるお菓子ということでここではロッテのトッポにしましょう。そうです「それに比べてトッポはいいよね、中までチョコたっぷりだもん」の人たち(以下、トッポ民)です。(ⅶ)

 トッポ民より3人の代表者を選出し、さらに互選で1人を裁判長に任命します。

 よってこの3人のトッポ民と各1人の里の者・山の民からなる計5人の「きのこたけのこ仲裁裁判所」を臨時に開設しそれぞれ当事者の主張を聞いたうえで5人の話し合いからきのこ・たけのこのどちらがどの点で良いのか「裁判所判決」を下します。

 これによってきのたけ紛争は双方の事前同意を援用して最も理想的な形(少なくともそうみなされること)で解決・終了するのです 。(ⅷ)

 以上です。ご精読ありがとうございました。




(ⅰ)1/27 20:00確認段階では私が今年最初の投稿のようだったので

(ⅱ)ただし、これはあくまで法的に確立された制度や理論を用いて解決策を提示する一つの思考実験であって、法的な手段を提示するものではないのでご了承いただきたい。

(ⅲ)詳細は開戦ニ関スル条約(1910/1/26発効)

(ⅳ)例として不戦条約(1929/7/24発効)1条に戦争の放棄が、国連憲章(1945/10/24発効)2条4項に武力行使を控えるべきことが規定されている。

(ⅴ)これは判決(確定判決)なので覆すことはできず上訴などもできない。

(ⅵ)もし、この決定がなされないときは仲裁は出来ない。その場合は先述の国連憲章33条に規定される「調停」が一番良いだろう。ここでは第三者を交えた調停委員会(構成は後述の仲裁裁判所と同じでよい)によって調停案(仲裁判決に相当)を提示し、これを両当事者が受諾することによって解決する。もし双方一方でも呑めないときはその理由をつけて拒否することでさらに改正した調停案を作成するのである。

(ⅶ)なお、筆者はどちらかといえば里の者なのであって少なくともトッポ民ではない。もちろん里に有利になるように配慮してはいないし国連憲章以下の平和的解決手段はその中立性も担保される。

(ⅷ)なお、もし話し合いが円満に決着しないときや一方が強く反対したとき等はどのような話し合いが行われたか議事録を公開したり、反対意見を別に記載することにより問題の解決がより建設的なものになると考える。




(編集責任:ちくわ)

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さよなら、もう一人の僕 / 著者:エアリーズ - ch23


 タイトルを読んで「もう一人の僕」から遊戯王の話かな、とかドッペルゲンガーとかの話をするのかと考えられた方には申し訳ないのですが、少し雰囲気の違う内容になるかと思います。エアリーズです。

 そもそも、このキアズマでは自分自身というのを代替出来ない物の一つとして紹介していますが、私にはそう思えないのです。
 
 それは「自分がいなくても自分の代わりなんて幾らでもいる」というような思春期らしい失望感ではありません。「自分と全く同じ身体的、精神的特徴を備えた、今自分と認識している自分とは異なる『自分という他者』はあり得る」のではないか、ということなのです。

 当然現代の我々にとっては全くあり得ない話です。ですがそれは2015年現在の人類の技術では不可能という話であって、私には原理的に不可能ではないはずだ、と思えてなりません。

 つまりファンタジックなSFの話なのですが、もしお時間許すようでしたらお付き合い下さい。



 前のキアズマでも取り上げましたが、私、攻殻機動隊という作品のファンでして(と言っても通しで知っているのは一部のアニメ版だけなのですが)、その中でも印象に強く残っている話に「攻殻機動隊 Stand Alone Complex 第7話『偶像崇拝』」というのがあります。
 
 ネタバレになってしまいますので作品の内容に触れるのは避けたいのですが、どうしてもここでは必要ですので、関係するストーリーだけを軽く触れておきたいと思います。

とある国で民主革命を指導した英雄、マルセロ。頻繁に来日する彼のことを、主人公たち公安9課が探る。ヤクザとの会談を経てマルセロが向かった先はそのヤクザの保有する山奥の倉庫。実はマルセロの元の身体はこの施設で自己の身体的精神的に完全なコピーを作成するゴースト・ダビングによって既に死去しており、本国で度重なる暗殺を潜り抜けてきた英雄は実はその全てが「本物」でありコピーだったのだ。


 初めてこのストーリーを見たのは小学校の頃でしたが、これまで何度見てもその印象は薄れず、むしろ強くなっています。
 
 それは、攻殻機動隊の優れた演出による部分もあるのだとは思いますが、ゴースト・ダビングと呼ばれる自分自身の複製を作る架空の技術に単なるSFを超えた「未来らしさ」を感じたからかもしれません。

 

 今のところ人の意識やそれを司っているとされる脳は未解明なところが多く、脳は人体最後のフロンティアと言われることもあるようです。
 
 しかしフロンティアとは未開拓の土地を指す言葉で、未開拓というのはこれから順次開拓可能であるという前提に依っています。実際に画像認識など現代を支える多くの技術は、人間自身の認識能力が解明されるとともに発展しており、こうした電子技術が「我々に追いつく」ことは可能だと私は理解しています。

 機械が我々に追いつく。その一つの具体的な例が人間の身体的な配合、組成、思考、心理を丸ごとコピーするゴースト・ダビングなのです。



 さて、作中では「英雄としてのシンボルを維持する」ために用いられたゴースト・ダビング、他にも使い道はあるのでしょうか?
 
 これに似た例で言えば、『とある魔術の禁書目録』に登場する「シスターズ計画」が挙げられます。ヒロイン美坂美琴の超電磁砲と呼ばれる能力を転用するために、彼女のクローンである「シスター」を大量に生産するというものです。しかし、物理的な超能力者ならまだしも、人格のみのコピーは使い道としては不十分でしょう。人の記憶や思考では複製しても多様性に欠け創造性がありません。クローンの面に目を向けても思考までコピーする必要はありません。

 そこでもう一つの使い方を私は10年ほど前に考え出したことがあります。それは小説の形で纏めようと思ったのですが、未だに書けずにこの歳になってしまいました。大変手前味噌ではありますが、ここで簡単にご紹介します。

 

 つまり偉大な科学者、思想家などを死ぬ前に丸ごとダビングして「不老不死」にしてしまうという使い方です。私はそれが完成した世界で肉体を持たなくなった人がサイバー空間で生き延びるという話をたしか小学校五年生の頃に考えて小説にまとめようとしていました。

 丁度初めて『攻殻機動隊』でゴースト・ダビングの話を知ったころで、しかも当時3Dプリンターなどが紹介されていたために思いついたストーリーだったと思います。しかしこれが未だに書けない理由は、このダビングされた死に瀕する偉人達が自分の複製に対してなんと声をかけるのか。これが思いつかなかったからです。

 

 話がかなり脱線してしまいました。

 振り返って話を「自分の代わり」に戻しますと、このような自分の代わりが生まれたとき、我々はどのように反応するのでしょうか。
 パソコン黎明期に存在したという「人工無脳」のように自分がイメージした通りの、自分と同じ受け答えをするのではなく、自分と同じ経験、理解、感性その他の思考や心理をもって、しかも自らを「コピー」「ダビングされたもの」であると認知している「自分の代わり」「もう一人の自分」に、我々はなんと声をかけ「彼ら」は何と返すのでしょうか。

 また、自分自身を引き継ぎ半永久的に生き続ける「自分の代わり」のような何か、あるいは自分とある意味で同値な存在としての他者を我々はどう認識するのでしょうか。


 
 先程申し上げました通り、私はまだこれに自分なりの答えを見出せていません。しかしながら様々な媒体を通して我々の経験や考えが外部化される現在、これは一つの極端な思考実験として有意ではないかと思っています。
 
 ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。答えが出ず誠に申し訳ございませんが、今回はここまでとさせて頂きたいと思います。





P.S.作中で述べました「脳内を完全にダビングして不老不死にする」という発想、実際にある程度の構想は練られているそうで「マインド・アップローディング」と呼ばれるそうです。
 cf)WIRED「不老不死のいま:マインド・アップローディング」      
   http://wired.jp/2014/05/17/mind-uploading/






(編集・校正責任:らららぎ)

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現象の端に立つ / 著者:エアリーズ - ch18

どうもこんばんは(執筆時間深夜0時)エアリーズでございます。
ちょっと思うところあって端について語らせてもらおうと思うております。

さて、皆さんは攻殻機動隊(*1)という作品をご存じでしょうか?
ここに来られる方は割と知ってそうですね。私にとっては思考回路の体感三分の一を形成しているのではないかと思うくらいには影響を受けた作品でした。
これのアニメ第二期でオープニングテーマに使われたOrigaさんという方の「rise」(*2)という歌がありまして。ちょっとこれの一部を載せてみたいと思います。
I'm a soldier, значит я
И ответчик и судья
Я стою на двух концах огня
Огибая виражи, обгоняя смерть и жизнь
Я бегу сразиться с тенью лжи

どうでしょう?
分かりません?そうですよね。私もロシア語はさっぱりなので読むことすら不可能です。
ということでこの訳をネットから引っ張ってきました(間違ってたらお手数ですが教えてください)(*3)
I'm a soldier つまり私は
被告人であり裁判官
火の両端に私は立つ
カーブを切り生と死を追い越し
偽りの影との戦いに走る

いやぁ中二くさそうな歌詞ですな。なんですけど、この若干理解に苦しむ歌詞にいろんなものを感じることが出来ます。特にこの部分
「火の両端に私は立つ」
火の両端ってどこなんでしょう?
ゲシュタルト心理学(*4)によれば、人間は背景である「地」の上に、ある存在との差異を見出し、その差異を「図」として切り取ることで存在を「情報」として認識することが出来るそうです。つまり、「あるものが存在する」という情報において図(あるもの)と地(あるもの以外)の間には境界が生まれるし、むしろ境界こそが情報と言えるかもしれません。
私は火を情報として認識します。「あ、そこに火がある。何か燃えてんのかな」って。
そんな私は火以外の「背景」から火と切り取っていて、火と火以外の背景との間には境界があるはずです。図である火から見たらその境界は「火の端」となるでしょう。
そんな境界を私達は情報としては認識しているはずですが「火の何が端なのか」を実体から見れば事はそうも簡単で無くなります。
火とは燃焼反応(*5)です。可燃物の内部にある炭素や水素等が空気中や同じく物質中の酸素と結合して二酸化炭素や水や光や熱を発生させています。しかし、物質である二酸化炭素も水素も酸素も(場合によっては炭素も)私達の目には見えません。熱は周囲に放射し、風などに乗って広く分布していきます。
では、仮に私が風一つ起こさず空中を自由自在に動き回れるとしたら「火の端に立」とうとしたとき、どこに立てばいいのでしょうか?
燃焼反応の始点である可燃物の横に立てば他人から見た私は火の「ど真ん中」にいるように見えるでしょう。終点である熱の放射が届かない所に行けば火の「遥か彼方」にいるように見えるでしょう。物質に着目しようものなら空気中に混ざった二酸化炭素や水蒸気はもはや「地」であって境界を持ちますまい。
光ってる端が端じゃないのかって?ご名答です。
多くの人にとって火は光ってるもので、その端を、つまり可視光線の限界を火の「端」だと見做しているように思いますよ。
でも暗闇で見える火と炎天下の火の「端」は同じですかね?急に明るくなった時や暗くなった時は?
人間には確かに可視光という見える光の波長の「端」がありますが、目のコンディションや個人による差もあるんだとか。
そもそも、見えるところの限界が端ならば、目の見えない人にとっては、火には「端が無い」=「存在しない」事になってしまいます(*6)。
なんともややこしいですね。
で、なんでこんなにややこしいかというと、火というのが一個の固定した「物体」ではなくてある「現象」だから起きる問題なんだと思うんです。
もし可燃物が光を出しながら熱共々外に出たりなんてせずにある狭い空間を対流するなり行ったり来たりしてくれればその端っこが「火の端」だったはずなんです。
それが、可燃物が光とか熱とか出しながら他の物質になるという現象、言い換えれば変化であるからどこら辺を境界に、端にしていいか分からないんです。

ふう、かなりいろいろと喋りましたが、ここからが本題です。
これって人にも言えませんかね?
人は物体だろって?いやまあそうなんですけど……
でも「あなたの思考」の端ってどこでしょう?
勿論目に見えないので指し示す様なものではなくって。
さっき私はゲシュタルト心理学の話に少し触れましたが、地だの図だの言ったのは私ではなくて心理学者(*7)さんたちです。
ではこれを考えている私は私ではなく心理学者さんでしょうか?
いえいえ私ですよ。
恐らくこれをご覧になってる方も、いろんな話を聞いてこれを読んでらっしゃると思うので、いろいろと「他人の考え」をあなたの意識領域の中に取り込んでいるはずです。
その中で何か主張するとき、どこまでが「自分の思考」でどこからか「他人の思考」かの端ってなかなか見えないのではないですか?
といって例えば会話で私があなたと喋っていて、あなたが私の意見を受け入れ難いと思えば、その時あなたは「私の意見」というものを認識していて、あなたの意見との間に差異、そして境界、端を感じているはずです。
人の「思考」なるものがどのように出来ているのか、これ自体はかなり深い問題で科学的に解明するのはかなり厳しいと聞いていますが、恐らく思考とはそれぞれの人間の中にある現象なのでしょう。そしてそれは言語化された他者の思考を受けて経験や環境などを混ぜていくなかで自分の意見を構築していく変化の過程であるからこそ、どこから「自分の思考」であるのか読みにくいのです。

攻殻の歌詞からまあよくもここまで、と思うほど話が飛びましたが、分かりにくいとはいえ火であれ思考であれ現象にも私達は端を認定します。
だからなんだという話なんですけど、別に端があろうがなかろうが困りゃしません。困りゃしませんが、今私がそうしたように、そうした「端」を探して、それが自分にとって端なのかどうか見てみる。っていうのは中々悪くない感覚です。
火でもいいんですけど、ちょっと近寄り過ぎると熱いので。
まあ自分の思考辺りが手頃でしょうから「両端に立」ってみるのはいかがでしょうか?
私の方は今丁度一時を回ったので(*8)、そんなことをしてるといい感じに眠くなれるんじゃないかなぁって思ってます。はい..



*1:士郎正宗原作の近未来SF漫画、後に映画・アニメなどのメディアミックスがなされた。
*2:アニメ版第二期「攻殻機動隊Stand Alone Complex 2ndGIG」のオープニングテーマ曲(地上波除く)なお、歌っていたアーティストのOriga氏は2015年1月に肺がんのため死去。今回これを書こうと思ったきっかけも、久々に曲を聞いたからであった。
*3:参考にしたのはCMSB(http://cmsb.web.fc2.com/)、他のページでは概ね同じ訳であったがいかんせん筆者がロシア語もキリル文字も皆目理解できないため正しいか確認する方法を持たない。
*4:心理学の一派。ドイツで生まれ心の構造性や全体性を対象とした。「ゲシュタルト崩壊」のゲシュタルトである。筆者も齧っただけでこれ以上は良く知らないので興味があれば個々人で調べて頂けると幸い。
*5:正しくは上記に挙げた以外の化学反応もあるし、そもそも化学反応でない火も存在するが、ここでは特に単純なものを挙げた。ろうそくが燃えているような様子を想像してもらいたい。
*6:もちろんここで「火を見ることの出来ない人にとって火は存在しない」と考えるのも十分ありえる。しかしながら能動的に火を認識しないにせよ、見ることのできる他人から「そこに火があるよ」と言われれば「火がある」という情報から受動的に火を認識しなければならず、結果的に火の「端」を(恐らくは熱などから)画定することになるであろう。
*7:余談だがこれを私に教えたのは法哲学の先生であり、恐らくこの先生も心理学の本なり学者なりから聞いた後に彼の思考という現象を通しているはずなので、ここでは心理学者ではなくこの先生なのかもしれない。
*8:既にお気づきの読者も多いであろうが、この文章はいわゆる「深夜テンション」にて執筆されている。ここの文章に限らずある程度まとまった量の文章を書くにあたってこの深夜テンションはもはや必要条件と化しつつある筆者である。しんがりでは「書き切る」事も大切ゆえこのようになっているが、「riseの歌詞なんかよりお前の文章の方がよっぽど中二臭いわ」などと言わず同じ深夜テンションで読んで頂けると筆者冥利に尽きるというものである。

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嘘 / 著者:エアリーズ - ch3

お初にお目にかかります、修羅の国こと九州は福岡にてボンクラ大学生をさせて頂いておりますエアリーズと申します。以後お見知りおかれましてよろしゅうに。
さて、この「みんなでしんがり思索隊」というグループにひょんな事から参加させていただきまして、まだここが何を目的としているのか、どの様な人々によって活動しているのか、そして自分がどの様な地位・役割を占めるべきなのか(*1)さっぱり分かっておりませんが、幾つか文章を拝見するにどうもこのお題について最初にお話するのが俺にとって都合が良いかと感じましてこの様に筆(正しくはキーボードなのですが)を執らせて頂いている次第でございます。
ちなみになぜこれが都合がいいかと言いますと、大したことではなくて単に「名前の由来を知っていると印象に残りやすく話しかけやすいのではないか」と考えたからに過ぎません。
さて、本題に入ります。私Twitterもさせて頂いておりますがこの「エアリーズ」という名前、中々エゴサーチ(*2)が出来ません。似た様な名前が多いばかりでなく、機動戦士ガンダムシリーズ(*3)に登場するモビルスーツに同名のものがありますので非常に多くの方のつぶやきの中に「エアリーズ」が登場するわけです。
では、私の名前もこのガンダムのモビルスーツから取っているとか、あるいはその更に元ネタに当たる牡羊座を意味する「アリエス(Aries)」の英語読みから来てるのかと言われれば然に非ず。ガンダムは碌に見たことはありませんしアリエスの英語読みだというのを知ったのはこの名前を使い始めてから少なくとも3年は経過した後でした。では、何が私「エアリーズ」の始まりなのか。じつはかなりしょーもないことだったりいたします。
本題に入ると言いながらなかなか入ってないですね。すみません。こういう人間なんです。
私が初めて「エアリーズ」を使い始めたのは厨二真っ盛りの、いわゆる中学校二年生の時でして、当時中学校で生徒会長に立候補していた私は、中学校二年生にして「身長180㎝、体重120㎏」というもはやインパクトの塊ともいうべき対立候補者の同級生に直面して、どうすれば彼より多くの票を得られるか、その為のアドバイスをキャスフィ(*4)という学生向け掲示板サービスに求めました。
それより前にもハンドルネームは一つ二つ持っておりましたが、それぞれ特定のコミュニティの常連ユーザーや自作二次創作小説の作者という限られた機能を持つ名前で、「私自身をネットに落とし込んだ存在」としてのハンドルネームはここで利用した「エアリーズ」が初めてでした。
さて、ようやく本題の由来についてです。
なぜエアリーズなのかというと、当時ハマっていたパソコンの戦略ゲームに登場する一番好きな兵器の名前だったからでございます。
そのゲームは現代に実在する兵器を用いた戦争をボード上で行うもので「エアリーズ」という兵器は日本の「電子戦機」として登場していました。電子戦機とは電子攻撃(*5)を行う航空機で、敵の索敵を邪魔したりミサイルの命中率を落とす効果が期待できました。
直接攻撃しない、つまり自分の意志では人を殺さないで敵の目的を挫く、ITが重要な現代戦のならではの兵器ということで当時は大変気に入っておりまして、自分もそうありたい、要は相手の真正面に出ずに裏で相手の目論見を潰す人間になりたい(*6)と考えてこのハンドルネームでキャスフィの門を叩きました。
重要なのはこの後です。俺はこの「エアリーズ」としてキャスフィでアドバイスを受け、根回し・印象操作・時には半ば買収のような政治術を伝授されて幸運にも生徒会長の地位を獲得するに至ったのですが、その後ひょんな事から俺のハンドルネームに関する重大な事実を感知するに至ります。
違ったんですよ。
「エアリーズ」という航空機は、エアリーズという名前では無かったんです。
俺がプレイしていたゲームではその電子戦機は「P3-Cエアリーズ」と言われていましたが、正式な自衛隊の航空機の名前は「EP-3Cアリーズ」あるいは「P3-CEアリーズ」。知った時はしばらく笑っていました。
なんと滑稽なことか。他の戦闘機や艦船は本物と同じ名前なんですから多分わざと名前を変えたなどということは考えずらく
恐らくは打ち間違えだったのでしょう。それにしてもエアリーズ(Aries)は牡羊座、アリーズ(Allies)は同盟者という意味で何の接点もない。俺はこんなものを厨二臭く自分の分身に採用していたのか。と。
ね。しょーもないことでしょう?
そこで名前をアリーズに変えればよかったんでしょうけど、どうもバツが悪いし、別のサイトで「Eアリーズ」と名乗ったこともありましたがやはり読みにくい。そもそも俺は「エアリーズ」という名前で生徒会長選挙という勝負に勝ったゲン担ぎから間違いと知っても変えるのに抵抗があった……
そうこうしてる内に1年、2年、3年と時間が経って俺を「エアリーズ」という名前で知ってる人が増え、しかも俺の保守的な思考が強く作用して遂に今日8年の歳月を迎えるに至りました。
こう書いていると何ともアホらしいことだなぁと、誤魔化しの多かった自分の過去に重ねて赤面してしまうのですが。
でもまあ、「嘘も繰り返せば真実となる」(*7)なんていうこともありますし、この由来も含めて(*8)俺らしいとも言えるかもしれません。
とりあえず、このハンドルネームをローマ字で書くときには``Aries``ではなく``Eallies``と書くようにしています。

以下脚注
*1:そもそもこのサイトは私に何か占める地位・役割を期待しているのか。多くの場合は最後まで分からないままである。
*2:検索機能を利用して自分の名前を含むツイートを検索すること。他人同士の会話やフォローしていない人のツイートに自分の名前が入っている場合引っかかるので、私のように他人の目が気になる人間には不可欠な作業であるが、私の場合関係ないゲームなどのツイートが余りに多いため、自分のフォロワーの発言に検索対象を限定しなければならない。無意味。
*3:1979年日本サンライズ制作のロボットアニメ。多くのメディアミックスとスピンオフが現在まで続いており、総称して「ガンダムシリーズ」と呼ばれる。ちなみにエアリーズというモビルスーツ(ロボットの一種)が登場するのはスピンオフの「新機動戦記ガンダムW」。
*4:主に中高生を対象とした掲示板サービス。様々なジャンルごとにいわゆる「板」が存在し種々のお悩み相談から学生らしい甘酸っぱい話まで交わされた。どうもここの参加者の方にも過去に利用されていた方がいらっしゃるんだとか。
*5:この手の領域は専門ではないが、幅広い周波数帯に同時に電波を発することで敵の偵察機や早期警戒機、ミサイルの追尾機能などに用いられるレーダーに干渉して友軍の存在や位置を見失わせる性質のものらしい。ゲームをプレイする分には「こいつが入れば周囲何マスかの敵には自分が気付かれない」という事さえ知っていれば十分であった。
*6:この自身の目標はそもそも生徒会長という役職を志す者にとって不適切であったかもしれないが、我が母校の生徒会長はほとんど学校側の予定を生徒にたいして実施する中間管理職であり、裏工作はおろか表舞台で活躍することさえ大して無かったのが事実であった。
*7:ネットではしばしば用いられるが、元はヒトラーの著書「我が闘争」からの引用で、しかも正しくは「嘘が真実に変わる」のではなく「嘘も唱え続ければ大衆は真実と信じてくれる」というという程度のニュアンスなので正しくは間違い。
*8:そもそもこの文章自体が私自身の思考回路や話し方を再現しているところが大きいため、らしいといえばらしい。俺に友人が少ないのも然もありなんである。

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