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みんなでしんがり思索隊

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蛋白質から見る世界 / 著者:くびなが - ch1

蛋白質と世界の話をしよう。少し長くなってしまったけれど、最後までお付き合いいただければ幸いだ。

 皆さんは蛋白質 (一般的にはタンパク質と書かれることが多い) についてどれだけのことを知っているだろうか。蛋白質というのは面白いもので、生物 (細胞) のなかでぐにゃぐにゃしている物体なのだけれど、細胞の複製、代謝、免疫、物質の輸送、情報の受信... などなど生体における様々な機能を担っている。まあ、何か生体内での仕組みを想像してもらったならば、それには多かれ少なかれ蛋白質が絡むと考えてもらって問題はないだろう。そして、もちろん蛋白質というのは分類上の言葉であって、「蛋白質」という何かただ一つの物体が存在しているわけではない。例えば、代謝などにおける化学反応で触媒として機能する蛋白質は特に酵素と呼ばれるし、免疫において体内に侵入した細菌などの抗原と特異的に結合して不活化する蛋白質は特に抗体と呼ばれるなど、蛋白質というのはそれらの物体に共通する構造によって分類された一つの枠組みに過ぎない。そして、酵素というのも分類上の言葉であるから実際は化学反応の数だけ種類が存在するし、抗体などに関しても同様だ。したがって、簡単に蛋白質といってもその種類は星の数ほど (言い過ぎか?) 存在していると思ってもらって構わない。動物も植物も菌類も、生物ならばもれなく持っているものが蛋白質であり、生命を生命足らしめているものは蛋白質だと言っても過言にはならないだろう。

 それでは、次に蛋白質の基本構造について言及したい。まず、蛋白質とはアミノ酸が多数 (まあ、100 から数 100 くらい) 結合してできた生体高分子のことである。そして、蛋白質を構成するアミノ酸の種類は基本的には 20 種類だ。アミノ酸とアミノ酸は互いに手を取り合うことができるので、アミノ酸 A はアミノ酸B と結合して、アミノ酸 B はアミノ酸 C と結合して、アミノ酸 C はアミノ酸 D と結合して... といった具合に互いに連結して 100 から数 100 の数珠からなる一本の紐を作りあげることができる。このような一本の紐がぐにゃぐにゃと折りたたまれて平面や立体を形成してできるのが蛋白質である。また、折りたたまれた複数の紐同士が組み合わさってさらなる高次構造を形成することもある。そして、これらの立体構造はそれぞれの蛋白質に固有のものであり、それぞれが特異的な立体構造を有しているからこそ、蛋白質は多種多様な生理的機能を実現することができるのだ。つまり、蛋白質においては形態と機能が密接に関係していると言える。しかし、特異的な立体構造とは言ったけれど、結晶のような静的で固いイメージはあまり適切ではないので注意してほしい。特異的な立体構造をしているものがぷるぷるしているだとか、ぐにゃぐにゃしているといったような、そういう動的で柔らかいイメージの方が実際に近いはずだ。そして、蛋白質が働く場は水溶液中であることも意識してほしい。人間の 6 割だか 7 割は水だという話も当然に思えてくるだろうか。

 ようやく本題の入り口が見えてきた。アミノ酸からなる一本の紐が折りたたまれる過程は特にフォールディング過程 (folding process) と呼ばれるが、これは蛋白質の研究において盛んに探究されている領域の一つである。盛んに研究されているということは何かしらの興味深いこと、そして奇妙なことがそこで起こっていると推察されるだろうが、まさにその通りなのだ。私たちの日常においては考えられないような、想像を超えた現象がそこにはさも当然であるかのような顔をして存在している。先において、蛋白質はアミノ酸という 20 種類の数珠からなる一本の紐だと言ったが、では 20 種類のアミノ酸のうち何がどのような順番で並ぶかという情報 (蛋白質の設計図だとか比喩される) はどこからくるのだろうか。もちろん核である。核にある DNA に書き記されている。DNA にある情報が RNA を介して伝達されて、アミノ酸の数珠からなる一本の紐を作りあげるのだ。そして、気がついたら紐は折りたたまれた状態で蛋白質として働いているのである。「... ん???、紐はいつ一体誰の手によって折りたたまれたのだ???」。奇妙なことではあるが、どうやら紐は作られると同時に、誰の手も借りずにひとりでに、自発的にただ一つの立体構造へと折りたたまれていくらしい。この過程こそがフォールディング過程なのだ。(実際の細胞においては蛋白質のフォールドを助ける仕組みが色々とあるけれど、これらは蛋白質自身の能力あってこそのものだと考えられている)

 この世界のあらゆる物質はエネルギー的に安定な方向へと遷移する。熱いお湯を置いておけばぬるくなるし、冷たいジュースもぬるくなる。蛋白質もまた然りである。紐である状態よりも折りたたまれた状態の方がエネルギー的に安定であるから、自発的に折りたたまれるのだ。では、なぜ折りたたまれた方がエネルギー的に安定するのだろうか。折りたたまれるということは紐に何かしらの力が働いていることを意味している。蛋白質を構成するアミノ酸 (アミノ酸残基という) 同士に働く力、相互作用は 4 種類存在していて、クーロン相互作用 (静電気力による相互作用)、ファンデルワールス相互作用、疎水結合、水素結合がそれである。これらの相互作用は強さや有効範囲がそれぞれ異なっており、また相互作用する残基の組み合わせも隣同士のみならず、有効範囲内であれば 2 つ隣や 3 つ隣はもちろん、折りたたまれた結果近づいてきた 100 残基離れたもの同士が相互作用することなども考えられる。つまり、仮に残基数を 100 として、20 種類のそれぞれ性質が異なったアミノ酸が 100 残基一列に並ぶだけでも 20 の 100 乗の組み合わせが存在するのに、それらが 4 種類の相互作用によって互いに引力と斥力を立体的に及ぼし合う状況を想像してみてほしい。無限大にも近い組み合わせのなかには、紐であるよりも折りたたまれた状態の方が安定する残基の組み合わせが存在していても、然もありなんというような気持ちが湧いてくるのではないだろうか。そして、その組み合わせは想像以上に厳格に定まっている。100 の残基からなる蛋白質のうちのたった 1 残基が他の 19 種類のどれかと入れ替わったとしよう。そうするとその蛋白質の構造は崩壊して機能しなくなることがほとんどである。全体の構造によって部分が定義されており、部分的な構造もまた全体を定義しているのである。しかし、とても低い確率において、全体と調和しつつ機能を向上させるような変異が起こることがある。そのような変異は継承され得るのであり、継承されたならば次の世代のベースになるのだ。つまり現存の蛋白質というのは、生命のおよそ 40 億年という年月を経た試行錯誤の最前線であると言えよう。

 僕にはこの蛋白質の進化の過程が、まるで蛋白質のフォールディング過程と重なっているように見えた。蛋白質がより安定で機能的な構造へと進化していく様子が、紐である蛋白質が安定な立体構造へと折りたたまれていく様子と重なって見えたのだ。そして、それは種としての生物の進化にも同じものが見えたし、受精卵が個体へと成長していく個体発生にも同じものを感じる。1866 年にドイツの生物学者であるエルンスト・ヘッケルは「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説を唱えたが、なるほどそういうことを言いたかったのだなとヘッケルと同じ視座に立ったような気がした。そして、さらに言うならば、蛋白質のフォールディングの過程というアナロジーによって人間社会の変遷も記述できるのではないかと思うことがある。蛋白質のフォールディングというのは全体を見ればエネルギー的に低い安定状態へと移りゆく流れなのだけれど、部分部分を拡大して見ると必ずしもエネルギー的に安定な方へ行くとは限らないのだ。例えるならば、でこぼこした谷の斜面を谷底へ向かって転がり落ちていくようなものなのである。全体として下っているのだけれど、時々あるところでは引っかかったりもするし、凹みにはまったり、行ったり来たりを繰り返すこともある。しかし、いつかは谷の底に落ち着くのである。そうすると、これまでの人間社会の歴史が蛋白質のフォールディングに似ているような気がしてくる。人類のこれまでの歴史を振り返ると、様々な争いがあり、様々な主義・思想、体制が生まれては廃れてきた。様々な変化があった。もしも人間社会に蛋白質の自然状態 (折りたたまれた状態) に相当する谷底があるならば、我々は今谷底へ至る斜面のどのあたりの凹みにはまっているのだろうか。そして、蛋白質の美しい自然状態に相当する人間社会というのはどのようなものなのだろうか、ということに思いを馳せることがあるのだ。

 先ほど蛋白質の進化の話において、蛋白質という全体構造がアミノ酸残基という部分を定義しており、アミノ酸残基という部分によって蛋白質という全体も定義されるという話をしたけれど、ここでもう一つ視野を広げてみよう。仮に細胞が全体であると考えると、細胞という全体と蛋白質という部分に関して、蛋白質とアミノ酸残基の関係と類似した関係が成立することに気がつくと思う。ここからさらに視野を広げていくと、組織と細胞、器官と組織、個体と器官、環境と個体、地球と環境、宇宙と地球といった具合に似たような関係が次から次へと出てくる。これらの関係を構成する物理的な要素・要因はいずれも異なっているけれど、それらの関係性のみに着目すると類似した構造が現れるのは非常に面白い。何かしらの法則性を感じるのは僕だけだろうか。

 以上において、蛋白質のフォールディングという小さな現象を支配する法則性が人間社会や生命、さらには地球や宇宙といったような大きな現象さえも貫いている可能性を示唆した。僕らが生きるこの世界の根底を流れる何やら真理めいた法則性の存在を感じ取っていただけたなら嬉しい限りだ。まだ名前すらないような法則なのだけれど、(僕が知らないだけで名前が既にあるのかもしれないけれど、) これが「僕の最も好きな法則」である。というか、この法則の本質を理解したいと常々考えている。仮にこの法則に名前がないのであれば不便なので、代表して僕が名前をつけるとすると、初期の蛋白質フォールディングの問題において郷信宏氏が提唱した「コンシステンシー原理」という言葉を拡張・転用するのが良いと思っている。誰か代案があれば伺いたい。



 最後までお付き合いいただいた方々へ、ありがとうございました。何かしら得るものがあったのであれば、それ以上の喜びはありません。

 くびなが

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