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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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きらきらをまとう /著者:草薙菫 - ch2



 きらきらとしたひとたちに憧れてきました。きらきらとは、若さあふれるひとたちの輝いてみえる様を指します。

 その話をする前に、スクールカーストについて話をせねばなりません。

 わたしはスクールカーストを過敏に感じ取る子でした。そして上位のひとたちに怯えていました。いつからでしょう。

 小学高学年の頃、クラスの女子全員でまわす交換日記があったのですが、そこからもれた女子が三人いました。足が不自由でお風呂になかなか入られないために、菌呼ばわりされていじめられていた子。わがままで、ひとを呼ぶときにつばをつけた手で肩をたたく癖があるとうわさされていた子。そしてわたしです。

 いちばん好きな遊びがかくれんぼうで、「いちばん好きな自然はなあに? わたしは風が好き」といった話を好んでいたから、馴染めないのもわかります。おそらく周りより、精神年齢が3年ほど遅れていたのです。

 思春期に突入した子どもは誰でもそうだと思うのですが、その頃のわたしにも同じく自意識というやっかいなものが芽生えていました。それまでも不思議な子として認識されており、クラスにいる知的な障がいを持つ子と同じようにとらえられているのでは、と、プライドを傷つけられそうで自由に振る舞えなくなっていたのですが、そこに自意識が芽生え、混沌とした状態にありました。

 その混沌により、男子との口のきけなさが徹底的になりました。それはもしかしたら、以前に露出魔に追いかけられたという経験が端を発したのかもしれませんが、モテたいという気持ちが大きかったというのもあり、相関的に男子への意識がより大きくなっていたのです。このひとはわたしへの好意があるのでは、と些細なことで勘ぐったり、隣の席に座る男子につばを飲みこむ音を聞かれたくなくて、わき出てくるつばを口のなかにためてどうすることもできなくなったり、としていました。多目的ホールで自由時間があったとき、寝っころがって頭をひじで支えるという、モデルのような (と考えていた) ポーズをとったこともあります。おいあれみろ、と男の子たちにひそひそされました (黒歴史です)。

 最終学年となり、係り決めをするとき、同じいきものがかりになった女の子と仲良くなりました。その子と仲良くなるにつれ、クラス内の権力がわかるようになりました。その子は、最も権力を持つ女の子とも仲良くしていました。スネ夫みたいだと思った記憶があります。Sちゃんと呼びます。Sちゃんと仲良くなったことで、筆箱から色ペンが無くなり排水溝から見つかる、という嫌がらせがなくなり、クラスの子たちから話しかけられるようになりました。

 Sちゃんはちょっぴり悪い子でした。放課後に、購入を禁止されているのに自販機でジュースを買ったり、公衆電話のフリーコールでクラスメートの住所と名前を使って注文をしたりしていました。いきものがかりの当番では、亀を排水溝に流したり、鳥箱をあけて卵を下に落として割ったりしました。しかし、Sちゃんとそういう悪事をすることも、楽しく感じていました。ふたりだけの秘密があるということが、親密である気持ちになったのです。

 権力を持つ子に気にいられようと、その子たちの真似をし始めました。読む本に携帯小説を取り入れたり、いじめられている子のいじめに参加したりしたのです。しかしそれでも輪に入ることはむずかしく感じました。

 中学に入ると、はじめのクラスでは権力を感じずにいられました。特別仲のよい子はいませんでしたが、孤立していたわけではなかったからです。しかし小学生の頃に最も権力を持っていた人は、隣のクラスでわたしの親友をいじめていました。本人曰く、それはドラマにでてくるようなレベルで。

 Sちゃんは別の学校へ行き、あとで別の子から、あの子と関わるのは止めなさい、あの子は教室で財布からお金を抜き取ってまわっているのが発覚して停学になったのだ、という情報を聞きました。

 人間関係はどろどろとしています。カーストの上にいるひとたちは、ひとの悪口を言うことでまとまりを得ているのではないかと感じていました。しかしそのひとが悪口の対象となるのなら、わたしがその対象とならないことがあるでしょうか。

 わたしが怖れていたのは、輪からはじき出されることでした。その権利は、カーストの上のひとたちにあります。彼女らは誰かをクラスから排除することができるのです。

 当時入部していた部活動は、その縮図でした。

 女子の部活動でいちばん上下関係が厳しいといわれている部活です。天気が悪い日とテスト週間以外は、休日祝日含め、毎日ありました。わたしはそのスポーツが好きでした。ラケットにボールがあたる音、走ってボールに追いつき、ラケットを振りきる感覚、そういったものに気持ちがすっきりとしたからです。

 そのため、先輩たちからの説教や圧力には耐えられました。むしろそのために同学年の結束が強くなったようにも感じました。

 問題は、下級生が入部し、権力が自分たちに生まれたころから発生しだしました。

 もともと同級生たちは同じ小学校出でグループがはっきりと分かれてはいなかったのですが、それが二分しました。正義感の強いわたしの幼なじみが権力を握るグループと、性格のキツいお嬢さまタイプの子が権力を握るグループです。幼なじみグループでは、幼なじみ以外はクラスでいじめや無視をされる階級におり、お嬢さまグループでは、最も華のある階級かそのひとつ下の階級にいました。幼なじみグループのみんなとは小学校からの友だちであったため、わたしははじめ、幼なじみグループに所属していました。

 わたしはしばらくお嬢さまに気に入られました。そしてその子とともに、幼なじみの悪口を聞こえる場所で言ったり、応援歌の歌詞を変えて幼なじみをけなすように歌ったりしました。動物への加害やいじめの参加と同じく、わたしはその行為を“親密な秘密”といった気持ちで楽しんで行っていました。その行為をとることで、幼なじみの心を痛めつけ、拒絶されるようになるとは、これっぽっちも想像していなかったのです。しばらく、幼なじみから仲間内に、わたしと口をきくなという指令が出されました。

 幼なじみやその仲間と口をきいてもらえるようになった頃、お嬢さまから嫌われるようになっていました。彼女へ恐怖を抱くようになったからです。

 通っていた塾には、幼なじみグループのふたりも一緒に通っていました。幼なじみと、O子ちゃんです。わたしはO子ちゃんが好きでした。いえ、O子ちゃんだけではありません。幼なじみグループの権力を持たないひとたちが好きでした。彼女たちとの帰り道は幸福な時間でした。なぜ不幸だと悩むひとたちはこんな簡単なことが出来ないのだろうと不思議に思うほどに。

 幼なじみ以外の子たちと同様に、O子ちゃんはクラスに溶け込めていませんでした。そして仲が良かったはずなのに、3年生になる前後、その権力を持たない (とわたしが思っていた) 友だちから、あの子はオタクだからという理由で避けられ、ある日をきっかけに部活から姿を見せなくなっていました。事件はその頃に起こりました。

 部活を辞めた後、塾へ来たO子ちゃんは、おずおずと「隣に座ってもいい?」とわたしに聞きました。どう接したらよいのか戸惑っていたわたしは言葉なくうなずくと、O子ちゃんは隣の席に座りました。教室に幼なじみが入ってきて、「お前、なんでそんなやつの隣に座ってるんや」と言いました。わたしは「しょうがないじゃん」と答えました。そして授業がはじまり、O子ちゃんは隣で声を殺して泣いていました。

 それからO子ちゃんと話しをすることができなくなりました。

 わたしはこの出来事にすっかり参ってしまいました。

 だれかを傷つけるくらいなら、自分を傷つけよう。グループのなかで必死に振る舞って疲れ果てるくらいなら、ひとりで過ごそう。そう心に決めた覚えがあります。

 それから「所属」がわたしのテーマとなりました。

 高校に入ってからは、人間関係のどろどろとした部分が薄れたように感じました。あからさまな差別を目にしなくなったからです。しかし、わたしの中にあるスクールカーストへの恐怖心は無くなりませんでした。きらきらと青春を楽しんでいるように見えたのは、スクールカーストの上位のひとたちだけでした。しかしわたしは彼や彼女らが怖かったのです。きらきらに憧れ、焦がれながらも、わたしは彼/彼女らにはなれないと感じました。誰かを排除してしまうからです。

 中学で入部していた部活動で集団への所属がトラウマとなった (小集団では排除のリスクが高い) わたしは、高校で美術部に入部するも、3ヶ月しかもちませんでした。部活動に居場所や青春を求めることもできなくなったのです。



 命は等価ではないのでしょうか。人の価値って、なんでしょう。よいとされるものを残せること? 多くのひとに影響を与えられること? だれかに強く必要とされていること?

 わたしはひとの価値基準として、「誰かから最も愛されていること」を重要視するようになりました。選ばれなかったひとは死にゆくゲームがあったとして、誰か愛するひとをひとり生き残らせられるとしたら誰を選ぶか (相談不可)、という想像をよくしていました。そしてひどく孤独でした。わたしはその想像ではかならず生き残らなかったからです。

 きらきらをまとっているように見えるひとたちは、集団の中心や、才能を発揮できる場所や、愛を放射している恋人の隣にいて、青春をあびていました。

 きらきらとは青春です。青春とは、

たとえば——クラスのバレーボール大会で勝利をおさめたときに何のためらいもなく、みんなで飛び跳ねながら手をたたき合っている輪に入っていけることです。

たとえば——学校の帰り道に川辺で恋人と語り合い親密な時を過ごすことです。

たとえば——夜中に友だちと何時間も話し込んで思想や感情や出来事を共有することです。

たとえば——感覚表現の世界に打ちこみ周りから評価されることです。

たとえば——仲間と呼べるひとたちとの集まりで開放的な気分で様々な思い出をつくることです。

 輝きを得られないわたしは、生に対する執着が強すぎて成仏できなかった幽霊のように、青春に未練を残しながら、生き残れなかった人間として生きていく他ありませんでした。わたしはこんな人生を歩むつもりなのではなかった、と、別の人生に焦がれながら。

 失われた日々。

 するすると踊るように流れた日々より、上手くゆかずうめくように進んだ日々のほうが、濃密であると聞きます。

 身をひそめるようにして生きた青春の日々。きらきらに焦がれたわたしの青春。

 過去を回想して物語ることは、現在の心情に影響されます。いつか憧れの暮らしのなかで、わたしはすこしずつ自分が幸福であったことを発見してゆくのでしょう。そこで見つめ直された過去のわたしは、すでにあの焦がれていたきらきらをまとっているのです。








(編集・校正責任:らららぎ)

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考えすぎるということとわたしの救い / 著者:草薙菫 - ch8

教師「ねえ、転入生、なぜいつもそう雰囲気が深刻なんです? まるで世界がきょうでおしまいみたいに」
衣良「きょうはあしたの前日だから……だからこわくてしかたないんですわ」
――大島弓子 『バナナブレッドのプディング』p.10

 言葉や感情が積み重なり、重く息苦しくなって、あしたが来ると思うとこわくてこわくてたまらない夜があります。その夜は、自分が抱いている深刻さがとてもよく現れている時だと思っています。

 よく「考えすぎだ」と言われていました。「考えることが好きだからいいじゃないか」と当時は言い返していましたが、いまでは、相手の伝えたかったことが理解できます。というのも、同じ頃、「お前は中二病だ」と言われたこともありました。「中二病とはなんぞ?」と聞き返すと、それは「考えなくてもいいことまで考えていることだ」と教えてくれました。「考えすぎだ」というのは、そういう意味だったのでしょう。

 考えなくてもいいこと。自意識の過剰さ故に他人の思惑に思いをめぐらせて怯えること、過去の未練や未来の不安といったここにある今とは違う時間のことを考えては心を痛めることが、わたしにとってそれにあたります。(これは深刻がっていること、ですね。)

 しかしそれでなくとも、たくさんのことを考えることで心は疲弊します。今回は、なぜ考えすぎて (考えなくてもいいことだけでなく) しまうのかについて、とりとめなく記してゆきます。

 「平凡な家庭で育ち、五体満足で、容姿が特別に劣っている訳でもない。わたしが抱いている苦しみは、みなが同様に抱いているものだ。何者にもなれず何も成せないことを嘆き、思い描いていた人生を歩むことを諦め、誰からも理解されない孤独にひしがれているんだ。みんな同じように苦しんでいるのなら、わたしの苦しみが認められるほどの不幸な出来事が欲しい。いま抱いている苦しみを数値化して、他のひとと比べられる機械が欲しい。」

 最も考えすぎていた頃、こういったことを考えていました。自分の苦しみを、自分個人のものとして捉えていなかったのです。「みんな同じ」という言葉で抑圧していました。つらさを口にしたら、「みんな同じだ」という言葉を投げかけられることが多かったのです。その言葉が私の孤独を募らせていたと気づくまでは、自分自身に言い聞かせている言葉を、同じように他のひとにも投げかけていました。それは誰だって感じているんだよ、口にしないだけで、と。その言葉は、自分は凡庸なのだと虚しくさせます。人と接するなかで相手を大切にすることができないというのも、この考え方の影響かもしれません。相手の悩みを、真剣に受け取ることができず、軽んじてしまいます。

 深刻ぶっている、と自分に対して思ってきました。

 先で書いたように、これといって不幸な出来事が無いのに、恵まれているのに、周りのひとよりも生きづらさの中を生きてきたと張りあう気持ちがあるからです。

 繊細な自分が好きなのかもしれません。根が幼く頭たりんだから、「深刻さの中で答えを探り続けなければ」と考えているのかもしれません。

 自分だけの、代替不可能を示すものを持ちあわせていないと感じているから、自分の内面に焦点をあてて、他のひととの差別化を図っているのかもしれません。

 深くて薄暗い井戸の底から星明かりに向かって必死に手を伸ばしている者が、その場所から引っ張りあげられた時に眼前に広がる、はるかに続く地平線、のような救いを夢見ているのかもしれません。

 いちど心のバランスが崩れたら、昔のつらかった記憶がまざまざと思い出され、ぼろぼろになります。弱っているときは、さらに弱い気持ちのほうへと、容易に向かいます。自分を痛めつけようとします。時折、自分を苦しませる思考がわたしを捕らえて離さず、被害者意識や執着が生じやすくなります。

 それらがとても苦しい。

大丈夫、もう大丈夫だよ。暖かい背中。優しい手のひらが僕の頭をなでる。僕は小さな子どもになって、声をあげて泣きじゃくった。いままで抑え込んでいたすべての言葉が僕の身体からあふれだし、愛としか形容できないものが僕の身体のすみずみまでを満たしていく。もう、何の心配も後悔も、する必要は無いんだよ。あなたはあなたのままでいい。これ以上、頑張らなくてもいいんだよ。あなたが自分に罰を与えるのなら、わたしがあなたを許してあげる。あなたの過去も、あなたが抱いてきた想いも、全部。この先どんなに苦しい感情を抱いても、あなたはもう独りじゃない。独りじゃないんだよ。わたしも共にうけとめるから。いままで、よくがんばったね。
――かくのごとき夢あれかし『ぬくもり』

 要するに、無条件に受容することされること(すべてを許し許されること)を欲しているのです。そして、そうしてくださるかたと深く理解しあいたいと願っています。その存在は夢です。何かにさいなまれて限界に近づいている時、それを夢想すると、あたたかい液体が身体のなかを一瞬にして駆けめぐり、自分をさいなんでいたものが涙となって毒出しされる感覚になります。「愛し愛されたい」と言葉にするとき、わたしはこの存在を求めています。

 他人を理解するためには、まず自分を理解しなければなりません。わたしは自分を理解したい。他人と同じように自分自身も不可解です。こうしてブログや小説を書いているのも、理解するためという理由が大きいのです。

 深い安心の中を生きていたい。愛し愛されるひとと、溶けこみあい一体となって、永遠に近い時を共に生きてゆきたい。この願いがわたしの救いであり、執着や甘えの源泉といったわたしの弱みです。










(編集・校閲責任:らららぎ)

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居場所をめぐる長い長い旅 / 著者:草薙菫 - ch10


 あなたは「居場所がない」と感じたことがありますか?

 新しく入ったばかりの職場や教室や部活動で、まだ仲良く話せる人がいない状況にあるから。いままで仲良くしていたはずのグループの中で、無視されるようになったから。《居場所のなさ》を感じる要因は、人によってたくさんあると思います。

 「居場所」は、「居場所がない」と感じられたときに、強く意識されるものです。
 わたしにとって、それは時々訪れます。

 たとえば、放課後。

 その後に予定のない放課後は、たいてい、家に帰るか喫茶店に行って勉強や読書をするかなのですが、どこへ行っても不正解な気がするのです。どこに行っても身の置き場がないように感じられます。そんな時、わたしは街を放浪します。「居場所のなさ」を引き連れて。

 たとえば、同じ年頃の人たちがつめこまれた教室の中。

 大学では人間関係に挫折して主に一人で過ごしていたのですが、教室によっては、一人で授業を受けているとき、涙があふれでてきたり、これ以上その空間にいることができずに退席したりしました。その時の感情を言葉にすると、世界に身の置き場所がない、といった感じでしょうか。落ち着かず、心細く、惨めな感じ。

 そんなわけで、わたしは人よりも「居場所」を強く意識するようになりました。

 卒論では「居場所のなさを抱えて生きてきたものが、日常場面で居場所を感じられるようになるとき、そこにはどのような精神力動が働いているのか」といった内容をテーマにしました。そこで知ったことや考えたことを踏まえて、わたしの場所についてお話します。

 「わたしの場所」という言葉の並びを見たとき、恋愛経験のない夢見る乙女のように、恋人や仲間がいる空間に、代替不可能な存在として、心から笑ったり泣いたりしているわたしを夢想します。実際に、ここが「わたしの場所」だとはっきりと感じたのは、わたしの存在を何よりも大事に想っていると感じさせてくれる人との関わりの中でした。

 わたしには、よくわからない概念がいくつかあります。「ありのまま」「心を開く」などの言葉に内包された意味がその内の一つです。

 先行研究では、

“臨床実践にかかわる研究において、「居場所」が「ありのままの自分」で居られる場所として定義されている。”

と述べられた上で、

“「ありのままの自分」を実感する上で、自己の困難な部分が表出され、受容されることが重要であり、その時、クライエントと治療者あるいは治療的な環境との間で、「依存」が達成されていなければならない。しかし、クライエントはこれまで、自分自身の困難な部分が、環境に十分に受け入れられず、そうした「ありのままの自分」は環境によって、あるいはクライエント自身によって否定されてきたという経緯がある。すなわち、「居場所のなさ」を反復するクライエントは、健全な形での「依存」を達成することができなかった歴史を生きていると考えられる。 (注1)”

と書かれています。

 確かに、「わたしの場所」を感じさせてくれた人は、居場所のどこにも無い感覚や、生きることの困難さなどに襲われているとき、わたしの避難場でもありました。わたしはそこで「ありのまま」に振る舞うことができました。つまり、感情をダイレクトに表に出せることで感情の種類が増えたり、その直接的な感情の中から言葉を発することができたりしました。(たとえば、何も考えずに心から、笑うことで楽しさを抱いたり、泣くことで安心感をいだいたり、できました。)生きてる感じがしました。しかし、いままで一人で耐え込んできた感情も、耐えられたはずの感情も、大きくなって現れてきます。そうして避難することを繰り返した結果、ずぶずぶと依存していきました。

 わたしは、自分の中で、依存と恋を見分けることができません。世間的に言われている恋とは、寝ても冷めても相手の存在が心の片隅にあって、求めて切なくなる感情のことを指すのだと思います。わたしの場合、愛される自信が無いにも関わらず相手のわたしに対する気持ちに寄りかかっていたため、見離されることや冷められることへの不安と、わたしと相手とのあいだにある距離感によって苦しくなりました。その苦しみの避難場も相手が引き受けるので、負のスパイラルです。寝ても冷めても相手のことしか考えられず、相手と会える時間がわたしの全てとなります。わたしは自分の肥大化していく恋心によって潰されます。

 それでは、健全な形の「依存」とは、どのようなものなのでしょうか。

 それを考えるにあたって、土居健郎の「甘え」に注目しました。わたしの中に、どんなに甘えても甘えても満たされない隙間があったからです。甘えには、素直な甘えと屈折した甘えがあり、屈折した、つまりよくない甘えのことを、「自己愛的甘え」と言います。

 「自己愛を自覚しなさい」とお叱りをいただいたことがあります。その時、自己愛という言葉が何を指すのか、わかりませんでした。そして自己愛的甘えについて研究を進めていくうちに、納得のいく文章に出会いました。

 “自己愛というのは、単に正しく自己を愛することとは違い、自己中心的、利己的なものであり、それはどのように利己的であるのかというと、精神的な弱みからくる欠乏状態によって、対象関係において、わがままで要求がましい状態を伴う。そして自己愛の中心的な問題として、十分に愛してくれない、満たしてくれない他者や、言う通りにしてくれない他者への不満や怒りを伴うといった特徴であり、このような自己愛的心理が「自己愛的甘え」である。(注2)”

 図星です。「居場所がない」と感じている時、愛されたい、全てを受け入れられたい、一体感によって満たされたい、などという欠乏感が強く現れていた気がします。これにより、健全な「依存」= 素直な「甘え」であると推測しました。

 そして、自己愛的甘えを解決したら、大切な人に依存せずに済むだろう、「わたしの場所」を安定して得続けることができるだろう、と考えました。

 素直な甘えはこのように書かれています。

“甘えとは分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚することである。つまり、「対象とは一体ではないことはよくわかっていながら、心のどこかでは対象との分離を否定している」心と、「対象と一体であると感じながら、同時に心のどこかではそうではない (対象と一体ではない) ことがわかっている」という心の相反する二つの心的態勢の同時的な共存である。(注3)”

“「自分」の意識は、甘える関係の中に埋没して失われていた自分を、甘えていた対象から分離して見つめるところに生起する。そこには、「自分を大事にしなければならない」というような自分に対する積極的な感情も含んでいる。(注4)”

 しかし、自己愛の傷つきによる欠乏感があると、相手に埋没したまま戻ってこれなくなります。「対象と一体であると感じながら、同時に心のどこかではそうではない (対象と一体ではない) ことがわかっている」という意識が難しいのです。離れているときに (相手の関心がわたしに向いていないときに) 一体を感じられず、分離の否定が先走り、相手が置かれている状況を考えられなくなります。

 自己愛的甘えの解決策として、このように書かれています。

“素直な甘えは、人間関係の基本に信頼や安心があり、相互的な信頼を軸にしており、「落ち着く」心理を含んでいるのである。そして、そのような心理を基盤にして、利己的で要求がましく、一方的な自己愛的甘えから脱却する (「いつまでも甘えていられない、自分を大事にしなくてはいけない。」と自覚する) ことが、素直で健康的な甘えにつながると考えられる。(注5)”

 お互いに信頼し合っている関係のなかで、自分の欠乏感から来る甘えを自覚して、その甘えを相手に満たしてもらおうと欲する代わりに、自分を大切にしようとすることで、素直な甘えができ、居場所を感じられるようになる、ということなのでしょう。

 ここで、新たな問題が立ち上がりました。「信頼」とは、何でしょうか。

 文字通りに解釈すれば、「信頼」とは信じて頼ることです。「頼る」は、自己開示をしたり、その存在によって心を休めたりすることであろうと、なんとなくわかりますが、「信じる」は難しく感じます。疑わないこと、ではないと思うのです。疑ってあれこれ考えた末に信じたものは、すぐに信じて受け入れたものより、価値があるような気がするからです。

 「対象と一体であると感じながら、同時に心のどこかではそうではない (対象と一体ではない) ことがわかっている」が出来ないのは、この「信じる」が出来ていないからではないでしょうか。

 もしも、その時の相手の言動が、真摯な気持ちから発せられたものであるという確信が「信じる」なのであれば、相手に埋没し、自分がない状態にあるとき、「信じる」行為は難易度が高いです。逆を言えば、相手がわたしの元からいなくなって依存が和らいだとき、過去のその人を「信じる」ことは容易です。

 共依存の関係 (あるいはわたしが一方的に深く依存していた関係) にあった相手がわたしのもとから立ち去った後も、わたしの中にはその人の存在があります。話したことや共有した時間は残るし、心に溶け込ませたものは分離できない。

 それは、「自分」の意識が新しく生起した、とも言えるのではないでしょうか。

 「わたしの場所」を感じ続けられるようになるためには、その「自分」を大事にしつつ、「自分」を無くさないように、ゆっくりと信頼関係を築いていくことです。



(注1) 中藤信哉 (2013). 心理臨床における「居場所」概念 京都大学大学院教育研究科紀要, 59, 361-373.
(注2) 土居健郎 (2001). 続「甘え」の構造 弘文堂.
(注3) 土居健郎 (1971). 「甘え」の構造 弘文堂.
(注4) 土居健郎 (2000). 土居健郎選集1 精神病理の力学 岩波書店.
(注5) 稲垣実果 (2005). 自己愛的甘えに関する理論的考察 神戸大学発達科学部研究紀要, 13, 1-10.






(編集・校閲責任:らららぎ)

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わたしとすみれと空 / 著者:草薙菫 -ch3


 はじめまして、草薙菫です。自分に自信がなく、こういった場で自分を表現することが恐ろしく感ずるのですが、わたしなりに丁寧に書けあげていこうという決心を持って参加いたしました。よろしくお願いいたします。

 さて、わたしは自己紹介が苦手です。わたしはこういう人間ですと簡潔に語っても、相手の中に植え付けたわたしは、わたしのほんの一部分でしかありません。

 “私は、「」”(という人間です。) が10個くらい並び、「」の部分に一文を書いていく心理テストをご存知ですか。授業でやらされたことがあるのですが、あれには辟易しました。

私は、21歳です。
私は、大学生です。
私は、女です。
私は、読書が好きです。
私は、バランスが悪い人間です。

と書き連ねていっても、ここで説明しているのはわたしの情報であり、情報でわたしを表していると、生きたわたしが遠のいていく心地になります。

 同じ理由で、就職活動が大きなストレスとなり、わたしは就活から逃げ出しました。就活マニュアルの事例を参考に、話す言葉を考えたり考えた内容を話したりしている内に、わたしは自分が薄れてゆき、自分が商品であるかのような気持ちになったのです。

 また、わたしはわたしがよくわかりません。

 最近まで、はじめて同士のおつき合いをしていました。彼の、わたしと同じように苦しんできて、わたしと同じように生き抜いてきたことを誇りに思っており、わたしと同じように生涯の伴侶を求めているところに惹かれました。

 彼をしあわせにしたい、これからは彼と共にしあわせに歩んでいきたい、と思いました。愛するとはなにか、しあわせとはなにかわからなくなっていたわたしにとって、それは大きなものでした。彼が無償の愛を感じ、しあわせそうにしているだけで、満足でした。そしてその想いがわたしの理想そのものでした。

 しかし、誰かと心をさらけ出すような親密な関係になるには、わたしは心が弱すぎました。いままでわたしを苦しめてきた思考の癖が発現すると、彼に助けを求めて、どんどん依存していきました。彼のわたしへの気持ちが信じられなくなり、際限なく彼から気持ちを求めました。心に余裕が無くなり、一緒にいても離れていても、雁字搦めに苦しくなりました。そしてその時のわたしは、今のわたしから見ると、嫌悪すべき他人のようでした。

 わたしはわたしを信じていません。その時々の気分に思考が大きく左右され、当事者のわたしは冷静に判断することが出来ません。言動も、感情が強すぎると、わたしから離れていってしまいます。

 わたしの自分を表現することのできるツールは、文章です。書き綴るという表現を通して、わたしという人間が生きていることを、だれかに知っていただけたらと思います。

 アカウント名についてお話しましょう。
 名字 (草薙) と名前 (菫) のそれぞれに、別々の由来があります。

 菫は、幼い頃、おままごとで「すみれ」と名乗っていたことからとりました。といっても、すみれと名乗った記憶は一つしかありません。

 小学校の運動場には白いクジラがいました。体の半分を土から出して、背中に乗って遊ばせてくれる、白いクジラの遊具です。そのクジラの上で、おままごとをしたとき、わたしはすみれになったのです。

 すみれという響きが好きです。すみれと名乗ると、自分が透き通っていて神聖な感じになった気がしました。本名は、ねちっこくてがさつな感じがします。すみれの砂糖づけ、なんて、金平糖と同じくらい、なんだか夢の食べもののようじゃないですか。

 草薙は、森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズに登場する、草薙水素からとりました。この本との出会いは、15歳の時です。当時のわたしは、泣いても祈っても時間が刻々と過ぎていくことに、絶望していました。これ以上歳をとって、大人になりたくなかったのです。その想いを相談して教えていただいたのが、「スカイ・クロラ」シリーズでした。この本で描かれているのは、思春期の姿のまま成長することがなく、戦闘機に乗って空を舞って殺しあう、キルドレの物語です。丁度、押井守によって映画化された時期でした。観た方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。

・The Sky Crawlers Music' Blue Fish:

(劇中で使われたこの曲が「スカイ・クロラ 日本製超高級自鳴琴五拾弁機」という名のオルゴールとなって販売されていたようで、手に入れたいものの一つです。)


 ただ、わたしが愛しているのは、映画ではなく原作です。

 下は、10代の終わりにわたしが書いた小説の一節です。

「人集りや夜の孤独のなかにいると、自分が分裂して、あちこちに飛び散っていく感覚に襲われたわ。漠然とした重い不安が、わたしのなかに舞い込んで内側から広がっていくのに、それを心という小さな箱のなかに閉じ込めているようだった。自分を両腕で守っても、何かで気を紛らわせようとしても、駄目だった。これが寂しいという感覚なんだと思ったけれど、誰とも話したくなくて、誰かに頼ってしまったら自分のなかの何かが崩壊しそうで、一人になりたくなるの。」

「わたしには何も無いのね。何かしらの能力が欲しかった。誰だってそう思っていることはわかっているわ。でもね、他人といるのが苦痛に感じるタイプの人間にとっては、芸術的センスの欠如は、自分を世界へ現すことが出来ずに、人目につかず、みじめで閉じた人生しか生きられないことを意味するのよ。」

 重い息苦しさから救いを求めていたわたしにとって、色々なものが沈澱した地上から離れ、軽く、自由な空を舞い踊ることのできるキルドレ、特に、ずば抜けて操縦の才能があり、飛ぶために生きていると言い切れる草薙水素は、憧れでした。

 好きな文章をひとつ、ご紹介いたしましょう。肉体的な変化が無いために、記憶障害が起こった「僕」が、隔離されていた病院から脱走中、自分が乗っていた戦闘機に再会する場面です。
この飛行機だ。
僕の飛行機だ。
これで、空を走り回れる。
飛び回れる。
僕は笑った。
躰(からだ)の内側から、それが湧き上がってきたからだ。
信じられない、また飛べるなんて。
素敵だ。
幸運だ。
操縦桿を左右へ振った。
ほんの僅かに遅れて、世界が回転する。
すべてが僕についてくる。
どこにも触れていない。
なにものにも支えられていない。
自由だ。
なにもかも無関係。
僕は、僕であって、僕以外には無関係。
どうして、こんなに簡単なことが許されないのだ?
どうして、こんなに純粋なことが許されないのだ?
避けられている。
遠ざけられている。
拒まれている。
妬まれている。
蔑まれている。
恐れられている。
憎まれている。
嫌われている。
何故、自分でない者にまで、自分の愛を押しつける?
それが愛だと信じさせるためにか?
本当の愛ならば、信じさせる必要などない。
違うか?
ああ、人間たちはみんな馬鹿だ。
この飛行機の、この美しさを見ろ。
この翼を見ろ。
これに比べたら、すべてが醜い。
愛なんて、錆のようなものだ。
それが、綺麗な営みだと、錆が思い込んでいるだけ。
美しさを知らない。
なにも見ていない。
美しさとは、この冷たさのことだ。
なんて、懐かしいんだろう。
僕の喉が痙攣し、息が震えた。
目を開けると、涙に滲んでいる。
金属が濡れてしまった。
僕は袖口でそれを丁寧に拭った。
けれど、涙は止まらなかった。
ああ……、僕は泣いているのだ。
悲しくないのに、泣いている。
たぶん、この美しさのせいだ。
美しさに涙が出る。
こんなに美しい存在が、世界にあるだろうか。
機体の曲面にぼんやりと映った自分の醜い姿を見る。
どうして、人間はこんなにも醜いのだろう。
でも、そんなことで泣けるわけではない。
どんなに可哀相でも、どんなに惨めでも、涙なんて出ない。
涙が出るのは、崇高な美に触れたときだけ。
――森博嗣『クレィドゥ・ザ・スカイ』中公文庫, p.261-264

 わたしは、草薙水素における散香 (戦闘機の名) の存在を求めていました。執着心の強い自分の性質を捨てたかった。喜怒哀楽を素直に表出したかった。人間関係のしがらみから脱したかった。生きている実感が欲しかった。

 いまでは、それらの希求は薄れています。わたしたちは、キルドレと違って、変わることができるから。わたしを大切に想ってくださったかたの言葉。わたしといてしあわせだと言ってくれた人との暮らし。それらの過去が、みじめな日々の感情の記憶や植え付けられた不安や恐怖から、わたしを強くしてくれます。

 それでも、この本をひらくといつだって、胸をつかまれて、泣きたいような、祈りたいような気持ちになります。永遠に満たされることのないわたしの何かが呼応します。いまのわたしは、あの頃に比べて、誤魔化さずに生きているだろうか。重さに慣れて、諦めのなかを生きていないだろうか。

 そしてまた、草薙水素に憧れます。軽く、自由に、舞い踊りたいと、空に想いを馳せて。









(編集・校閲責任:らららぎ)

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