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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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考えすぎるということとわたしの救い / 著者:草薙菫 - ch8

教師「ねえ、転入生、なぜいつもそう雰囲気が深刻なんです? まるで世界がきょうでおしまいみたいに」
衣良「きょうはあしたの前日だから……だからこわくてしかたないんですわ」
――大島弓子 『バナナブレッドのプディング』p.10

 言葉や感情が積み重なり、重く息苦しくなって、あしたが来ると思うとこわくてこわくてたまらない夜があります。その夜は、自分が抱いている深刻さがとてもよく現れている時だと思っています。

 よく「考えすぎだ」と言われていました。「考えることが好きだからいいじゃないか」と当時は言い返していましたが、いまでは、相手の伝えたかったことが理解できます。というのも、同じ頃、「お前は中二病だ」と言われたこともありました。「中二病とはなんぞ?」と聞き返すと、それは「考えなくてもいいことまで考えていることだ」と教えてくれました。「考えすぎだ」というのは、そういう意味だったのでしょう。

 考えなくてもいいこと。自意識の過剰さ故に他人の思惑に思いをめぐらせて怯えること、過去の未練や未来の不安といったここにある今とは違う時間のことを考えては心を痛めることが、わたしにとってそれにあたります。(これは深刻がっていること、ですね。)

 しかしそれでなくとも、たくさんのことを考えることで心は疲弊します。今回は、なぜ考えすぎて (考えなくてもいいことだけでなく) しまうのかについて、とりとめなく記してゆきます。

 「平凡な家庭で育ち、五体満足で、容姿が特別に劣っている訳でもない。わたしが抱いている苦しみは、みなが同様に抱いているものだ。何者にもなれず何も成せないことを嘆き、思い描いていた人生を歩むことを諦め、誰からも理解されない孤独にひしがれているんだ。みんな同じように苦しんでいるのなら、わたしの苦しみが認められるほどの不幸な出来事が欲しい。いま抱いている苦しみを数値化して、他のひとと比べられる機械が欲しい。」

 最も考えすぎていた頃、こういったことを考えていました。自分の苦しみを、自分個人のものとして捉えていなかったのです。「みんな同じ」という言葉で抑圧していました。つらさを口にしたら、「みんな同じだ」という言葉を投げかけられることが多かったのです。その言葉が私の孤独を募らせていたと気づくまでは、自分自身に言い聞かせている言葉を、同じように他のひとにも投げかけていました。それは誰だって感じているんだよ、口にしないだけで、と。その言葉は、自分は凡庸なのだと虚しくさせます。人と接するなかで相手を大切にすることができないというのも、この考え方の影響かもしれません。相手の悩みを、真剣に受け取ることができず、軽んじてしまいます。

 深刻ぶっている、と自分に対して思ってきました。

 先で書いたように、これといって不幸な出来事が無いのに、恵まれているのに、周りのひとよりも生きづらさの中を生きてきたと張りあう気持ちがあるからです。

 繊細な自分が好きなのかもしれません。根が幼く頭たりんだから、「深刻さの中で答えを探り続けなければ」と考えているのかもしれません。

 自分だけの、代替不可能を示すものを持ちあわせていないと感じているから、自分の内面に焦点をあてて、他のひととの差別化を図っているのかもしれません。

 深くて薄暗い井戸の底から星明かりに向かって必死に手を伸ばしている者が、その場所から引っ張りあげられた時に眼前に広がる、はるかに続く地平線、のような救いを夢見ているのかもしれません。

 いちど心のバランスが崩れたら、昔のつらかった記憶がまざまざと思い出され、ぼろぼろになります。弱っているときは、さらに弱い気持ちのほうへと、容易に向かいます。自分を痛めつけようとします。時折、自分を苦しませる思考がわたしを捕らえて離さず、被害者意識や執着が生じやすくなります。

 それらがとても苦しい。

大丈夫、もう大丈夫だよ。暖かい背中。優しい手のひらが僕の頭をなでる。僕は小さな子どもになって、声をあげて泣きじゃくった。いままで抑え込んでいたすべての言葉が僕の身体からあふれだし、愛としか形容できないものが僕の身体のすみずみまでを満たしていく。もう、何の心配も後悔も、する必要は無いんだよ。あなたはあなたのままでいい。これ以上、頑張らなくてもいいんだよ。あなたが自分に罰を与えるのなら、わたしがあなたを許してあげる。あなたの過去も、あなたが抱いてきた想いも、全部。この先どんなに苦しい感情を抱いても、あなたはもう独りじゃない。独りじゃないんだよ。わたしも共にうけとめるから。いままで、よくがんばったね。
――かくのごとき夢あれかし『ぬくもり』

 要するに、無条件に受容することされること(すべてを許し許されること)を欲しているのです。そして、そうしてくださるかたと深く理解しあいたいと願っています。その存在は夢です。何かにさいなまれて限界に近づいている時、それを夢想すると、あたたかい液体が身体のなかを一瞬にして駆けめぐり、自分をさいなんでいたものが涙となって毒出しされる感覚になります。「愛し愛されたい」と言葉にするとき、わたしはこの存在を求めています。

 他人を理解するためには、まず自分を理解しなければなりません。わたしは自分を理解したい。他人と同じように自分自身も不可解です。こうしてブログや小説を書いているのも、理解するためという理由が大きいのです。

 深い安心の中を生きていたい。愛し愛されるひとと、溶けこみあい一体となって、永遠に近い時を共に生きてゆきたい。この願いがわたしの救いであり、執着や甘えの源泉といったわたしの弱みです。










(編集・校閲責任:らららぎ)

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