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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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『こんちくしょう、』精神 / 著者:てだ - ch29


 私が小学生のころ、漢字テストはいつも満点だった。本をよく読んでいたから、特に読みの問題は呼吸をするようにできていた。
 そして母に結果を見せびらかしに行く。これで満点を取ったのは、私と、あともう2人しかいなかったのだ。ほめられて当たり前なのだ。しかし母は解答用紙を一瞥してつまらなそうに、

「こんなのできて当たり前でしょ」

と言い捨てやがった。その後は私がいくらクラス全体の得点状況を説明してもムダなのだ。なべて「あっそう」しか返ってこないのだ。許せん。そんなやりとりが、算数でも理科でも続く。
 確かに小学生の漢字や算数など大人から見れば屁でもないのは事実だ。経験と年月が違う。それはもうとうてい縮みもひっくり返りもしない。ある程度成長した現在だってろくにほめられていない(某有名大学に合格したときも半笑いの「おめでとう」だった)。
 それでもいつか認めさせてやる、と思って、私は歯をくいしばっていた。「こんちくしょう、」
 部活動の時はさらにどうしようもなく、自分より才能も努力も足りない先輩から指図される時は相づちこそして、絶対従わなかった。心の中で絶えず呟いていた。「こんちくしょう、こんちくしょう、」

 このように理不尽な上下関係の記憶はあるものの、私は年功序列な世の中に反対しない。
 だって、素晴らしいんだから。ちょっとだけ所属期間が長いってだけで偉いんだから。とても平等じゃないか。どんどんうわべで敬っていこうじゃないか。それで組織は安定するのだから安い。

 逆に私が上に立ったときはどうだったか。
 それはもう、下っ端時代の『こんちくしょう、』精神で磨いた実力で人の上に立つようにするしか考えられなかった。気さくに出ようが、卑屈になろうが、後輩は無条件で私を敬ってくれる。それはもう育った社会構造のせいで、私個人がどうにか変えられるものでないと考えていた。だからせめてその関係が理不尽なものにならないよう私は努力するだけだった。私の後輩、私に関わる人にはみんな成功体験をしてもらいたくて、けれども私自身の魂は『こんちくしょう、』のままだった。幸か不幸か私の地位を脅かすような後発を目の当たりにしたことはまだない。

 『こんちくしょう、』精神を行使するためには、抑圧してくる上の連中がいなくてはならない。
 何にでも当てはまるとは思うけれど、抑圧と抵抗のせめぎ合いの間にすばらしい成功が見える。私は現時点ではどちらかといえば後発の存在である。認めてくれなくてけっこう。ある構造を抜け出そうとするじたばたもまた構造の一部。私はそれでも構わない。いつか突き抜けることを信じて、今日も「こんちくしょう、」と吐き捨てている。

 人生とは、世の中とは、理不尽なものである。たぶん私はその真理をまだ完全に理解していない。私が今まで経験したことがらよりずっと辛くて苦しいことが、社会の中にはたくさん潜んでいるのだろうと思う。誰もが『こんちくしょう、』と唱え続けられるわけではない。けれど私は極度の負けず嫌いで、なによりも若いので、いずれ打たれるとしても力のかぎり伸び続ける愚直な杭でありたい。

 「『こんちくしょう、』精神」というワード中の「、」は「ここでくすぶってたまるか」の意思表示。生意気にも言葉を続けてみる、狼煙はそこから上がるのだから。












(編集・校正責任:らららぎ)

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ふまじめ教育論 / 著者:てだ - ch11

 私は自分がバイトをしている塾で最も不真面目な講師であると認識しています。
 「今日は何やりたい?」と、授業計画を生徒に丸投げすることなどザラですし、授業1コマ90分のうち半分を雑談で消化するときもあります。そして報告書の内容に脳みそを絞ったり、宿題を出すのにあたふたしています。
 正直私の怠慢な部分もあります(というか書きながら少々ヤバい気がしてきました)。しかしながら、これらの行為は私の拙い教育理念にある程度基づいたものなので、今回はそれをお話させてください。

 私の教育理念、それは「勉強をいかに軽く考えさせるか」です。
 子供のとき勉強したことは将来に大きくつながるため、非常に重要であることは大人であればだいたい知っていることです。ただ、それを子供に理解させることはとても難しい。いくら周りの大人が強調しても、訳がわからず背負いこんでしまう子供はたくさんいます。
 塾に通う子たちも例にもれず、成績のことで親に叱られ、いつも「勉強しなさい」と言われて劣等感を必要以上に強く感じたり、「親は自分に無関心なんだ」と感じていることがよくあります。

 そしてそれらの感情が行き着くところは、だいたい「イヤだけれど勉強をやらねばいけない、よい成績をとらねばならない」です。

 もちろん塾講師の分際では人様の家庭教育の方針に口を出すなどとてもできません。そのおかげで巡り巡って私にお給料が入ってくるのですから。ですが私も中高生の時は塾通いが大嫌いだった人間の端くれ。私がこのバイトを辞める、後の時代には塾産業が少しでも衰退しているようこそこそと活動しているのです。

 そこで、「勉強をいかに軽く考えさせるか」です。
 これを実践するには大きく分けて2つの方法があると思っています。学習している内容に感情移入させるか、させないかです。
 前者は、得意教科ではその科目にまつわる雑談(高校、大学で習う内容とか)をしたりして関心が高まると、「勉強させられている」という生徒の心の負担がなんとなく減るかなというもの。後者は苦手科目について。なんとかして興味を持たせようと悪戦苦闘するよりはとにかく大量に練習問題を解かせて、深く考えずとも点数が取れるという状態まで持って行ったほうが効率がよく、本人もよい結果が出せるような気がしています(それまでたくさん励ましが必要な場合がままありますが)。

 中学校の時など、テストの点数だけで人生がどん底に思えてしまうような、一喜一憂の激しい小さな世界に暮らしていました。それはそれで素敵だったと今では感じるときもあります。
 でも、私は自分の教え子たちにはもっと大きな世界で生きていてほしいと願っています。勉強が好きならもっと深い知識の入り口を知ってほしいし、嫌いならば勉強なんて、と笑い飛ばせるような広い視野を持っていてほしいのです。どちらの場合でも「今勉強していることなんてちっぽけなもの」と思ってくれる子がいたら私の勝利です(何に対してだよ)。 
 割と熱く語ってきましたが、私に教職課程を取るつもりは全くありません。あくまで斜に構えた程度で、学校の授業なんてつまんないよねー、と生徒とクスクス笑いあう怠惰な塾講師の立場にしばらく甘んじる予定です。

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好きなことを、書きました。 / 著者:てだ - ch21


 私は中3の頃から『格言ノート』とでもいうべきものをつくっています。
 簡単です。本を読んでいて、心にティンと響いたことばを作者や書名を添えてB5ノートに書き写してるだけ。映画のせりふや歌の歌詞なんかもアリです。たまった言葉をたまに眺めてしみじみします。思い出のアルバムを眺めるのと、気持ちはよく似ています。違うところは、思い出は死んでいますが、言葉はまだ生きていて私に力を与えてくれることがあることです。
 小説の中から書き抜くのもいいですが、やっぱり基本は格言です。岩波文庫の『ことばの花束』シリーズから始まって、芥川龍之介の『侏儒の言葉』や太宰治の『もの思う葦』、寺山修司なんかもいい名言集があります……。と、いつのまにか格言集を中心に本を読むようになってしまって、おかげでアフォリズム大好き野郎になってしまっています。
 格言はインスタント食品みたいなものです。さっと頭に入って消化は良いですが、摂りすぎると自分で言葉を噛みしめる能力が少しずつ衰えてきます。でも、何だかボーっと意気消沈しているとき、焦って心の拠り所を失っているとき、一瞬であなたにパワーを与えてくれるのはたぶん、知恵のある昔の人たちが加工してくれたこいつらなのです。
 今まで集めた格言を厳選するのはとても難しいですが、頑張っていくつか選んでみました。皆さんの心の栄養になれば幸いです。


鐘が鳴ったらすぐ教室にはいるのだ。
あらかじめ予習をして、本の一章一節をよく調べておく。
するとあとで、先生が、本にかいてあることしか何もいわぬのがよくわかる。
ゲーテ

 主に高校生の時によく思い出していた言葉です。教科書に無いことを雑談交えて教えてくれる先生が好きでしたし、それ以外の教師はみんなクソだと思ってました。塾講師のバイトを始めてからはある程度しょうがないとも感じてます。年をとるにつれて感じ方が変わってきた例です。


好奇心は見栄にすぎない。たいていはそれを語ろうとするために知ろうとするだけだ。
パスカル

 パスカルはヤバいです。彼の言葉は宇宙視点から心の隙間をスナイプしてきます。学生は好奇心がないと学問なんてやってられないので、今はこの言葉から目を背けています。はい。


われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくしていこうではないか。
ジョン=ハーシェル(天文学者)

 これはもう超一級に好きです。将来に対するただぼんやりとした不安を感じた時に真っ先に思い出すのはこいつです。単細胞なので生きる目標はこれぐらいシンプルでまっすぐしたもので十分にすぎます。


好きなことを書きなさい。それ以外の法則はありません。
オー=ヘンリー

 この言葉を最後に私の文を締めくくらせていただきます。しばらくレポート以外の文章など書いていなかった私の背中を押してくれたこの格言と、このような素敵な場を創っているブログ執筆者の皆さまに最大限の感謝と敬意を捧げます。最後まで読んでくださってありがとうございました。

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