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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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シンプルの裏にひそむ複雑さ / 著者:ドーナツ - ch9

誰かからのオススメ。それはリアルな付き合いがある人から直接聞くものだったり、某ネット販売サイトで押し付けがましく出てくる「あなたへのおすすめ商品」だったりする。

それに対して私がとる態度はまちまちだ。
親しい人から全く興味のないものを勧められたときは、そのオススメを受ける理由が全くないので、人間関係に支障のない程度に愛想を振りまきながらスルーする。
某ネット販売サイトで「おすすめ商品」にしょーもないものが出てきたときは慈悲などない。ばっさり切り捨てる。

誰かから何かを勧められるとき、それを受けるかどうかの判断はとてもシンプルだ。
私が好きかどうか、私に必要かどうか。
好きならありがたくそのおすすめに飛びつくし、必要でなさそうならスルーする。

それなら、好き/どうでもいい 必要/不要 の判断はどうしているのだろうかと考えてみたが、これがなかなか難しいのかもしれない。

時期によるのかもしれない。
例えば、長崎への旅行を計画しているとき、長崎の観光マップは必須なので某ネット販売サイトでわざわざるるぶを取り寄せたりするわけだが、長崎旅行が終わってしまえばそのるるぶはただの紙くずになってしまう。

YouTubeで音楽を聴いているとき、横にでてくるおすすめ動画を見るか見ないかは、その時にその動画を再生したいかしたくないかという気分にかなり左右される。
で、その気分がどう形成されるかというと、その日の体調とかそういうものにもよるし、その頃の関心にもよる。
今だったらウクライナのポップスをひたすら聴いているが、半年前の私にそれを聴かせたところで何の意味もないだろう。

「誰かからのオススメ」という形で、私たちは大量の情報を受け取っている。
その情報を生かすか生かさないかはその人次第であり、その人が今置かれている状況や元々持っている嗜好・関心によってその情報の扱われ方が決まってくる。

だから、逆に私たちが他人に何かを勧めようとするとき、その勧めを受けてもらえなかったとしても、その人にとって良いタイミングではなかったというだけかもしれない。
自分が一生懸命勧めたものをスルーされても、強く生きていこう。

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