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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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「ラブやで~」の連鎖 / 著者:寝返りレタス -ch1


 こんばんは、菖蒲です。 私の最も好きな法則、ということで、書きますね。
 私が大好きな法則…それは 、「ラブやで~」って言ったら「ラブやで~」ってなる法則です。

 なんのこっちゃ?

 でもこれがいちばんなんです。いろいろ考えたけど、結局これでした。またこれかよ! とお思いのみなさま、ごめんね、しばしお付き合いを! なんかTwitterで見たことある! とか、なんやそれ、とお思いのみなさまが、この記事を読んだ後に、「ラブやで~」って言いたくなる病にかかりますように。笑

 何でこの法則(「ラブやで~」の連鎖の法則と命名)が好きなのかと言いますと、これのおかげで、伝えきれなかったことや、伝えるのが気恥ずかしかったことが伝わって、自分の周りがより優しく、滑らかに回り始めたように感じるから、です。これがもっともっと広まれば、世界はもうちょっと柔らかくなるんじゃないかと思っています。

 「ラブやで~」って言うのは、なんていうかこう、愛じゃなくてラブって言っちゃって、しかも関西弁で、しかも波ダッシュ(~←これ)までついていて、ゆるーいかるーい言葉のようなのですが、まずこの「ラブ」というのが肝心要なのです。

 みなさま、ラブはご存じですよね? LOVEです。

 ただ、愛とは少し違います。重みが、すこし、ちがうのです。見た感じの印象からもその重みの違いは明らかですよね。ほとんどそのままの差だと思います。「愛」はなんだかひとつのスペースにぎゅっと詰まって、それに心なしかきらきらしているし、ずしんとした重みがあります。

「ラブ」のなんとまあ風通しが良くて、どんくさい文字面だこと! 

 けれど、ラブがすっからかんだという意味ではないのです。ラブは、ぎゅうぎゅうに詰まっている愛にはない隙間がたくさんあって、その隙間ごと、ラブなのです

 隙間だらけだから、人の気持ちや体温が入り込みやすくて、馴染みやすいのがラブのいいところです。わかりやすくきらきらしているわけでもなく、また隙間が多いから変形しやすいので、見失いがちになるのが困っちゃうところですが、それこそ「ラブやで~」の一言で、「あ、そうだった、ラブだった!」とラブに立ち返ることができます。

 ラブはとってもちょうどいい大きさ重さだから、手渡せますし、大量放流もできますし、空に放つこともできますし、《ポケットに仕舞うこと》もできます。愛のように大きすぎません。手で扱いやすいサイズ感と距離感なのです。どんくささも馴染みやすいです。だから、受け取りやすいし、つなげやすいのです。

 私や私の友人が、Twitterで「ラブやで~」と呟くと、たいていフォロワーさんはRTしてくれたり、リプをくれたり、同じように「ラブやで~」と呟いてくれたりします。ラブは、「愛してる」と「愛しい」と「大好き」の隙間を縫って生まれた言葉だから、みんなも欲していた言葉なのでしょう。だから、きっとみんなの体温にちょうどいいのです。関西弁の温度も手伝っていますしね。

 それがなんとなくわかるから、こんなに長ったらしく説明しなくても、この言葉を気に入って使ってくれる人が増えているのだと思います。これこそ「ラブやで~」の連鎖なのです。

 この記事を読んでくださってるみなさま、よかったらちょっと声に出して「ラブやで~」って仰ってみてくださいな。きっと心とお口にしっくりくると思います。

 はい、そんな感じです。
 私の最も好きな法則、「ラブやで~」の連鎖の法則でした。

 結局あんまり伝え切れていないのでまた挑戦したいですね!
 最後までお読み下さり本当に本当にありがとうございます。

 ラブやで~!





(編集責任:らららぎ / 以下、編集者追記2014/6/21:)
(編集者追記2:2014/12/13)

結局あんまり伝え切れていないのでまた挑戦したいですね! 
(本文)

文芸誌『あみめでぃあ』にて、『@各位 ラブやで〜』を執筆していただきました。続編? が気になる方は、ぜひ当文芸誌をお求めください。

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『帰り道というショートショート』/ 著者:めがね -ch4

四本目です。『お前暇なのかよと』と問われるかもしれませんw
問を与えられると答えを出さないと気がすまない性分なのです。そうなのです。

chiasma04:は『私の好きな帰り道』との事なので帰り道というのはどんな風だったかなぁと思い出してみしました。結果、『帰り道というのは一つの短いストーリーである』という風に感じたので、誰と一緒に帰った場合と自分一人で帰った場合とを比較しながらお話しようと思います。

よろしくお願い致します。

・case1『友人との場合』

友人とは良いものです。恋人、親兄弟と全く違う性質を持っています。親、兄弟ほど血のつながりという密接な関係でもなく、恋人のようにお互いがお互いを好きだよねという契約を交わした置いてでもありません。

ただ一緒にいるだけで心地良いだとか、この人と一緒にいる空気感が好きだとか、単純に馬が合うだとか、そういった関係性の人々だと私は思っています。

学生時代を振り返ってみると、ゲームセンタに行ったりだとか、カラオケに行ったりだとか、公園でカップラーメンを啜りながら語らったりだとか、一緒にお好み焼きをつついたりだとか、寄り道が多かったように感じます。

寄り道をすること自体もの凄く楽しいのですが、最近ハマっているゲームだとか、漫画だとか、音楽のことだとか、どこどこの店に新しいショップがオープンするだとか、内容の無いとりとめの無い話をすることが楽しかった気がします。

それよりなにより、『俺、言ってなかったけど何組の誰々は可愛いと思うんだよね。周りの評価あんま高くないけど』といった親や恋人には言えないような『秘密』を共有できることが、なにより嬉しかったのです。

また時間の経過によって物語にも変化があること。違う人と一緒に帰ることによって別のストーリーがあることが、とても楽しかったです。別々の物語がクロスオーバーした時なんかはそれはもう興奮ものでした。

・case2『恋人の場合』

恋人と帰る場合はそれは一緒にいられるだけもう幸せいっぱいの物語のようなものです。一緒に手を繋いで帰っただとか、自転車二人乗りをして帰っただとか、言葉を交わさなくてもただそれだけの情景だけで物語が完結してしまう、そういうものでした。

しかし、この物語には大体の場合『同じような物語の繰り返し』という欠点が存在します。恋人という契約上、制約が存在するのです。『○○をしないで』『○○みたいな事いわないで』だとか条件は色々です。

また物語の性質上『登場人物がいつも同じ人物』というように、物語自体は大変楽しいし幸福なのですが、道筋がいつも同じところを辿ってしまうところ、別れた途端に何故か寂しくなってしまうところが欠点かと考えます。

・case3『一人の場合』

一人で帰る道と言うのは寂しい響きに聞こえるかもしれませんが、私はとても好きです。友人や恋人と一緒に帰る道と圧倒的に違うところは、『自分に使える時間が無限的な』ところです。

人と一緒に帰る場合は相手の状況も加味しなければなりません。相手が早く帰なければならない時は、時間を気にしながら歩かなければならないし、相手のボディランゲージから状況を何かに悩んでいるなとか、何か食べて帰りたいのかなとか、なんとなくですが相手のことを把握しなければならないからです。

一人の場合はこれを気にする必要がないので、楽しくはないかもしれませんが、とても楽です。今日は本を読みながら帰ろうだとか、好きな音楽を聞きながら帰ろうだとか、星を見てすこしゆっくり帰ろうだとか、もてる感度をめいいっぱい自分に向けることができるからです。

自分しか登場しない物語ですが、物語の可能性が無限にあることがメリットかと思いました。

以上が私の『好きな帰り道』という御題に関する考察でした。

生きている以上《同じような日》は存在しても《全く同じ日》というものは存在しません。

それならば、帰り道も同じような帰り道でもちょっと今日は気分を変えてみようだとか、人と一緒に帰ってみようだとか、帰り道という短い物語を楽しんでみては如何でしょう。

じゃ。この辺で。

じゃあのw






(編集・校閲責任:らららぎ)

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死に泥む人間の存在 / 著者:大人たん - ch1

 Is there nothing that interests us all? Is there nothing that concerns everyone - no matter who they are or where they live in the world? Yes,  dear Sophie, there are questions that certainly should interest everyone. They are precisely the questions this course is about.
 What is the most important things in life? If we ask someone living on the edge of starvation, the answer is food. If we ask someone dying of cold, the ansewer is warmth.If we put the same question to someone who feels lonely and isolated, the answer will probably be the comapny of other people.
 But what these basic needs have been safisfied - will there still be something that everyone needs? Philosophers thinks so. They believe that man cannot live by bread alone. Of course everyone needs food. And everyone needs love and care. But there is something else - apart from that - which everyone needs, and that is to figure out who we are and why we are here.
 Being interested in why we are here is not a "casual" interest like collecting stamps. People who ask such questions are talking part in a debate that has gone on as long as man has lived on this planet.
 誰しもが関心を持つようなことがあるでしょうか。世界中のどこに住んでいる人にでも、誰にでも関係のあるようなことがあるでしょう。それはあるのですよ、愛すべきソフィー、すべての人が関わらねばならない問題というものがあり、これは、それについて考えていく講座となります。
 生きることにおいて最も大切なことはなんでしょうか。食べ物に飢えている人にとっては、食べ物です。寒さで身を滅ぼしそうな人にとっては、温かさです。孤独感に耐えられない人にとっては、きっと人との関わりでしょう。
 ですが、こういった大事なことを満たしている人たちにとって、まだなお満たされないことがあるでしょうか。哲学者たちは、ある、と考えておりました。人はパンのみで生きるわけではありませんからね。食べ物は大事ですけれど、愛を受け取ることや、誰かに手当してもらえることもまた必要です。しかし、そういうことではなくて、私たちは何者で、なぜここにあるのだろうか、それを理解したいという誰にとっても切実なことがあるのです。
 なぜここにあるのか、それは切手集めのような「ちょっと始めてみました」という趣味ではありません。この疑問を持った人たちは、この星があったときからずっと議論を重ねてきたのです。
(Jostein Gaarder "Sophie's World" p.12、大人たん訳)


 ハイデガーさんという方は、人間という存在のことを「死への存在(Sein zum Tode)」と呼びました。人間は生まれる前から「死ぬこと」と関わっていると考えたのです。つまり、人間は生まれながらにして死ぬのに充分な年をとっている、と見抜いてしまったのですね。そして彼は、人間は死に向き合っているときが正しい姿で、死から目を背けるのは「頽落」(Verfallen)だとして良くないんじゃないかって考えておりました。

 本当にそうなのでしょうか。

 1秒のあいだに、3人も死んでいると聞きます。ここまで読むのに何人の人が死んでいるのでしょうか。哀悼すべきことでしょうけれど、私はあまり哀しくありません。私が薄情な性格をしているからかもしれませんね。ですが、ですがですが、その「3人」の内訳が、私の大切な人、私のハグしたい人、私の数少ない友愛な人、私の生命に深く刻み込まれている人、そういう方たちだったら、私は悲哀に暮れ、臓器が焼けるほどに泣きじゃくるでしょう。いま、想像しただけで、身体が停止するほどです。怖いのは、愛する人の死。愛する自分の死、なのかも。

 「死」というものは、一様ではないようです。いわゆる死の人称(私の死、あなたの死、その他の死)というのも、死の質的な変化でしょう。私たちは、死ぬことが怖いのか、死ぬことで失うのが怖いのか、死ぬことで限界や何かが明らかになってしまうことが怖いのか、分からないところがあります。

 それでも哲学者たちは、「死ぬ確率がゼロになるシステム」を創造しようとしません。「あー死ぬー」ということを延々と議論しております。私たちがどんなに難しい議論を続けたところで、死は無邪気に背中を突いてくるものです。それはとても面白い。法則的に言えば、「人は必ず死ぬし、人は必ず死ぬことについて小さな議論を引き起こすし、死ぬ確率をゼロにしようとはしない」でしょうか。

 私はそれを「死に泥む人間の存在」と表現したいのです。

 「生まれながらにして、死ぬのに充分な年をとっている」
 確かにそうなのかもしれません。






(編集責任:らららぎ)

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chiasma 04:「私の好きな帰り道」

chiasma 04:「私の好きな帰り道」
・「歩いて帰る道」(ドーナツ)
・「『帰り道というショートショート』」(めがね)
・「帰り道に関する思考」(黒崎咲夜)
・「夢見る頃のこと」(セカペン)
・「あの帰り道」(開発室Graph)
・「帰り道の思い出」(あめ子)

*忙しいなかいつもこのブログのために頭を悩ませていただけて嬉しく思います。例のごとく御題はなりふり構わず追加されて参りますが、書けるときに書けるものを着手していただけたら幸いです。


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『アカウント由来』 / 著者:めがね -ch3


 2本目です。またまたこんばんわ。めがねです。アカウントの由来は、との事ですので、さっくりと書いていきます。

・由来

 僕の場合大抵、ねこ、cat、めがねと名乗ります。本名の一部抜粋、言語の変換、アナグラム、もしくは外見的特徴からとっています。好きなんです言葉遊びw 覚えてもらい易いですし、極力複雑な情報を織り交ぜない方が認識しやすいかと思ってそういう風に意図しています。あとユニフォームを作ったりとかする時には名前が短いほうが安かったりするんですw とか言う無駄知識。

 ダブルミーニングだとかトリプルミーニングだとかでつけてる人には感心します。僕にはそのような語学能力はないので。アドレスなんかも大抵そんな感じで付いています。昔は色々凝ってつけていたのですが、変われば変わるものだなぁ。凝った美しさよりも単純な構造の美しさに惹かれていくのは、大人になったからなのかぁとか思う今日この頃です。

大人になるほど、どんどん単純に向かうんだよ
――『数奇にして模型』森博嗣

 それでは。じゃあの。





(編集責任:らららぎ)

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chiasma 01:「私の最も好きな法則」

chiasma01:「私の最も好きな法則」
・「『私の最も好きな法則』」(めがね)
・「ないすとぅーみーとぅー」(ねぎとろ)
・「人を呪わば穴二つ ― シャッフルされる主語」(らららぎ)
・「「知れば知るほど、知らないことが増えてゆく」」(ちくわ)
・「「恩師の教え」―私の最も好きな法則」(ドーナツ)
・「蛋白質から見る世界」(くびなが)
・「自然体」(水無月 紫苑)
・「好きなもの の ひみつ」(ネコ)
・「のびる、ひろがる。」(こはく)
・「死に泥む人間の存在」(大人たん)
・「『ラブやで~』の連鎖」(寝返りレタス)
・「因果性に関する思考」(黒崎咲夜)
・「繰り返して繰り返してどうでもよくなる。」(あめ子)
・「there's nothing good, because nothing lasts」(西洋中世史たん)
・「あとからきっとわかるよ」(開発室Graph)





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chiasma 03:「アカウント名の由来と自分について語る」


chiasma 03:「アカウント名の由来と自分について語る」
・「『アカウント由来』」(めがね)
・「調音点で活躍している音の群れ」(らららぎ)
・「自分に関する思考」(黒崎咲夜)
・「自分とは何か、ドーナツとは何か」(ドーナツ)
・「雨が好きな理由」(あめ子)
・「そんな昔のことは忘れたね」(ちくわ)
・「LNGサイダーを飲むと…」(LNGサイダー)
・「西欧のつもりだったのは内緒の話」(西洋中世史たん)
・「ユーザー名と拗らせ」(蛙教授)
・「呼びやすさを求めていた、ということにしておこう」(公民たん)
・「大人たんは大人になりたかった」(大人たん)
・「名のあるセカンドペンギン」(セカペン)
・「わたしとすれみと空」(草薙菫)
・「『三位一体的な。』」(こはく)
・「水瀬名雪に恋をして」(nayuki)
・「」(エアリーズ)

*御題は次々と公開していくつもりですが、執筆のペースは各々にお任せしております!焦ることなく、ゆっくりと書き上げていただけたら嬉しいです。また、順番通りに書き上げる必要もありませんので、「いま時間ないけれど、この御題だったら書けそう!」というものから仕上げていただいて構いませんよ。


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