たしか小学4年生の頃だったか,自宅の近くの鉄道の路線が廃線になった。
電車に乗って遠足に行ったことは今もよく覚えている。小学生だからあんまり電車を利用する機会はなかったけれど,1両編成のディーゼルカーが田んぼの中を走っていくのはさながらトトロに出てくる猫バスのようで,すごく好きだった。
そんなわけで,ぼくの家から最寄り駅まではものすごく遠くなった。徒歩だと1時間を超えて,自転車だと40分くらいかかる。たしかバスはなかったんだと思う。
ぼくは国立の中学校に通っていたので,隣の隣の街まで電車で通学していた。ただでさえ最寄り駅まで遠く,そこから1時間くらいかかるので,母親に車で駅まで送り迎えをしてもらっていた。もちろん毎日送り迎えをしてもらっていたわけで,今となってみると本当にありがたいなあ,と思う。しかも中学校と高校の最寄り駅は同じで,つまり6年間ずっと送り迎えをしてもらっていたことになる。
そういうわけで,ぼくの帰り道は母親と一緒だった。その間なにも話さないというわけにもいかないので,今日あったことやこれからの予定など,色んなことを話したのを覚えている。
ぼくも普通に男の子だったので,反抗期を経験したこともある。そのときは口をきかなかったり,ふてくされていたりしたこともあるけど,なんだかんだ送り迎えをしてもらっていた。
定期的にケンカをして,いつも送り迎えをしてもらう道を歩いて帰ったこともある。けれどその度に長すぎる帰り道が嫌になって,次の日からまた送ってもらう。
なんだか情けない話だけれど,その頃のぼくは親なしでは生きられないんだ,ということを実感した。ヒステリックに怒るたびに「あなたなんか私がいないと学校にも行けないくせに」と怒鳴る母親のことは嫌いだったけれど,不思議とそれがおかしな理屈を言っているとも思わなかった。
でも今はぼくはその帰り道では帰っていない。
大学生になってから東京に出てきて,一人暮らしをするようになったからだ。ぼくの地元の愛知県に比べ,圧倒的に人もモノも多い東京での帰り道は,やっぱりあの頃とは大きく違っている。
帰り道でときどき,この広くて人がたくさんいる東京で,ぼくはひとりなんだ,ということを実感する。すれ違うたくさんの人はぼくとは無関係な他人であって,今日あったことすら,話すことはない。頑張ったり頑張らなかったりした毎日は,だれにも報告することがないまま,終わっていく。
そんなどうしようもない「さみしさ」とときどき闘いながら,帰り道を帰っていく。もちろん毎日こんなにアンニュイになっているわけではなくて,なにかが上手くいかなかったときとか,だれとも話さなかったときとか,そんなんだけど。やっぱり人間はひとりでは生きられないみたい。
そんな毎日が重なったあと,ぼくは無性に「家に帰りたく」なるのだった。やっぱり生まれ育った土地での帰り道は,(少し大げさすぎるけれど)大都会でずたずたになったぼくを癒してくれるように感じる。これがホームシックとか,望郷とかいうやつなのかもしれない。
そしてときどき実家に帰省して通るのは,もちろんいつもあの帰り道だ。帰るたびに,景色は変わっていたり変わっていなかったりして,なんというかものすごく「ほっこり」とした気持ちになる。そして母親と,東京であった話したいことを話して,話したくないことを隠して,うちに帰る。かわいい二匹のにゃんこが待っている。
そいういうわけで,ぼくの好きな帰り道は以上のようなことになる。毎日使っていたときは気づかなかったけれど,やっぱりぼくはあの帰り道が大好きだったのだ。
今のところはないけれど,もし東京にいてなにもかもが嫌になったら,ぼくは新幹線に飛び乗って,あの帰り道を帰るだろう。そんなことは,ないといいけれど。
(編集・校正責任:らららぎ)
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