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みんなでしんがり思索隊

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さよなら、もう一人の僕 / 著者:エアリーズ - ch23


 タイトルを読んで「もう一人の僕」から遊戯王の話かな、とかドッペルゲンガーとかの話をするのかと考えられた方には申し訳ないのですが、少し雰囲気の違う内容になるかと思います。エアリーズです。

 そもそも、このキアズマでは自分自身というのを代替出来ない物の一つとして紹介していますが、私にはそう思えないのです。
 
 それは「自分がいなくても自分の代わりなんて幾らでもいる」というような思春期らしい失望感ではありません。「自分と全く同じ身体的、精神的特徴を備えた、今自分と認識している自分とは異なる『自分という他者』はあり得る」のではないか、ということなのです。

 当然現代の我々にとっては全くあり得ない話です。ですがそれは2015年現在の人類の技術では不可能という話であって、私には原理的に不可能ではないはずだ、と思えてなりません。

 つまりファンタジックなSFの話なのですが、もしお時間許すようでしたらお付き合い下さい。



 前のキアズマでも取り上げましたが、私、攻殻機動隊という作品のファンでして(と言っても通しで知っているのは一部のアニメ版だけなのですが)、その中でも印象に強く残っている話に「攻殻機動隊 Stand Alone Complex 第7話『偶像崇拝』」というのがあります。
 
 ネタバレになってしまいますので作品の内容に触れるのは避けたいのですが、どうしてもここでは必要ですので、関係するストーリーだけを軽く触れておきたいと思います。

とある国で民主革命を指導した英雄、マルセロ。頻繁に来日する彼のことを、主人公たち公安9課が探る。ヤクザとの会談を経てマルセロが向かった先はそのヤクザの保有する山奥の倉庫。実はマルセロの元の身体はこの施設で自己の身体的精神的に完全なコピーを作成するゴースト・ダビングによって既に死去しており、本国で度重なる暗殺を潜り抜けてきた英雄は実はその全てが「本物」でありコピーだったのだ。


 初めてこのストーリーを見たのは小学校の頃でしたが、これまで何度見てもその印象は薄れず、むしろ強くなっています。
 
 それは、攻殻機動隊の優れた演出による部分もあるのだとは思いますが、ゴースト・ダビングと呼ばれる自分自身の複製を作る架空の技術に単なるSFを超えた「未来らしさ」を感じたからかもしれません。

 

 今のところ人の意識やそれを司っているとされる脳は未解明なところが多く、脳は人体最後のフロンティアと言われることもあるようです。
 
 しかしフロンティアとは未開拓の土地を指す言葉で、未開拓というのはこれから順次開拓可能であるという前提に依っています。実際に画像認識など現代を支える多くの技術は、人間自身の認識能力が解明されるとともに発展しており、こうした電子技術が「我々に追いつく」ことは可能だと私は理解しています。

 機械が我々に追いつく。その一つの具体的な例が人間の身体的な配合、組成、思考、心理を丸ごとコピーするゴースト・ダビングなのです。



 さて、作中では「英雄としてのシンボルを維持する」ために用いられたゴースト・ダビング、他にも使い道はあるのでしょうか?
 
 これに似た例で言えば、『とある魔術の禁書目録』に登場する「シスターズ計画」が挙げられます。ヒロイン美坂美琴の超電磁砲と呼ばれる能力を転用するために、彼女のクローンである「シスター」を大量に生産するというものです。しかし、物理的な超能力者ならまだしも、人格のみのコピーは使い道としては不十分でしょう。人の記憶や思考では複製しても多様性に欠け創造性がありません。クローンの面に目を向けても思考までコピーする必要はありません。

 そこでもう一つの使い方を私は10年ほど前に考え出したことがあります。それは小説の形で纏めようと思ったのですが、未だに書けずにこの歳になってしまいました。大変手前味噌ではありますが、ここで簡単にご紹介します。

 

 つまり偉大な科学者、思想家などを死ぬ前に丸ごとダビングして「不老不死」にしてしまうという使い方です。私はそれが完成した世界で肉体を持たなくなった人がサイバー空間で生き延びるという話をたしか小学校五年生の頃に考えて小説にまとめようとしていました。

 丁度初めて『攻殻機動隊』でゴースト・ダビングの話を知ったころで、しかも当時3Dプリンターなどが紹介されていたために思いついたストーリーだったと思います。しかしこれが未だに書けない理由は、このダビングされた死に瀕する偉人達が自分の複製に対してなんと声をかけるのか。これが思いつかなかったからです。

 

 話がかなり脱線してしまいました。

 振り返って話を「自分の代わり」に戻しますと、このような自分の代わりが生まれたとき、我々はどのように反応するのでしょうか。
 パソコン黎明期に存在したという「人工無脳」のように自分がイメージした通りの、自分と同じ受け答えをするのではなく、自分と同じ経験、理解、感性その他の思考や心理をもって、しかも自らを「コピー」「ダビングされたもの」であると認知している「自分の代わり」「もう一人の自分」に、我々はなんと声をかけ「彼ら」は何と返すのでしょうか。

 また、自分自身を引き継ぎ半永久的に生き続ける「自分の代わり」のような何か、あるいは自分とある意味で同値な存在としての他者を我々はどう認識するのでしょうか。


 
 先程申し上げました通り、私はまだこれに自分なりの答えを見出せていません。しかしながら様々な媒体を通して我々の経験や考えが外部化される現在、これは一つの極端な思考実験として有意ではないかと思っています。
 
 ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。答えが出ず誠に申し訳ございませんが、今回はここまでとさせて頂きたいと思います。





P.S.作中で述べました「脳内を完全にダビングして不老不死にする」という発想、実際にある程度の構想は練られているそうで「マインド・アップローディング」と呼ばれるそうです。
 cf)WIRED「不老不死のいま:マインド・アップローディング」      
   http://wired.jp/2014/05/17/mind-uploading/






(編集・校正責任:らららぎ)

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