「”嘘”は嫌いかね?私は嫌いでね。よく”嘘”をつく生徒を怒った事がある。」
「”嘘”をついてまで生きて何の価値があるのかと。そうしたら彼女はこう答えた。」
「”嘘”は自分についている本当の自分はとても卑怯で臆病だから人に見せられないと。」
「だが、その”嘘”のおかげで周りは笑ってくれてそして幸せになる。そんな嘘もあるんですよ…と。」
『そしてね先生!”嘘”が”真実”になる瞬間があるんだよ!』
(マジェスティックプリンス第3巻ep13)
はい。どうもお久しぶりです。めがねです。
もうね。彼此何ンヶ月ですか。更新止まってますね。忙しいですね。忙しいですよ。
皆さんもお忙しいでしょう。残念ながら、皆さんのお忙しさは僕には全くわからないですし、気持ちをお察しすることも叶いません。そんなの個人のアレなので。
GWも終って鬱々悶々としている方もいらっしゃるでしょう。
ここでね。一回気持ちを切り替える的な事を踏まえて、一本書こうと重い腰を上げた次第ですよ。
”嘘”は一般的に悪い事とされています。まぁ「オレオレ詐欺」だとか最近(少し前)聞いたのは「マイナンバー詐欺」ですか。まぁ大体が刑務所にブチ込まれるような悪い事です。
しかし上で挙げたような”嘘”は果たして悪いことでしょうか。僕個人としては悪い事とは思いません。基本的には僕は”嘘”があまり好きではないです。
しかし、ながら人間というのは一人では生きていけません。生きている以上何かのコミュニティに属さないと天才でなくては生きていけないでしょう。否。天才であっても評価する他者がいなければ生きていけません。著名な芸術家の幾人かは生前は評価されず、没後その作品を評価された話を聞くように天才がそうならば凡人の僕たちは、なおの事そうでしょう。
日本ではよっぽどの理由が無い限り、否応なしに義務教育という名のコミュニティに問答無用でぶち込まれます。
たしか、いつかのブログでイジメに等しい”弄り”と称される行為を僕が受けていた事を書いた覚えがあります。
そう。丁度この時期僕は僕自身に”嘘”をつきました。
『僕は一人でも生きていける強い人間である。こんな徒党を組まないと何も出来ない単細胞のゴミ共とは違う』と。
本当は人と触れ合う事、話し合う事はとても良い事なのだけれども、この時期僕は頑なに心を閉ざしました。そうでもしないと本当に辛くて惨めで情けなくて、あのままでは生きていけなかったから。
その経験があってか、どうにかこうにか今も生きていて、精神的に他人に依存することなく敵を作りまくっても平気でヘラヘラのうのうとズケズケとものを言い生きていく今の人格が形成されました。あの日の”嘘”が”真実”になった訳です。めでたしめでたし。
動物でも植物でも昆虫でさえ生きる為に擬態なんかで”嘘”をつくのだから人間が自分、他人を守る為に"嘘"をつくのは必然ではなかろうか。
友人の好きな女の子に告白され、自分も好きだったが友人の方が大事なので断った。
彼氏(彼女)の浮気を知ってしまったが知らないふりをした。別にいいじゃないか。
相手が格上のチームだと知っていても”俺たちのほうが強い”と鼓舞をする。大いに結構。
自分を鼓舞する為の”嘘”であったり、誰かを気遣ってつく”嘘”であったり、生きるために自分に”嘘”をつく。
最終的にその”嘘”が”真実”にさえなれば何の問題もない。
ただその”嘘”が誰かを傷つける”嘘”であれば直ちに止めたほうがいい。
その誰かが「自分自身」なら尚の事である。
”嘘”をつくなら他人も自分も幸せになるようなものにしよう。そうしよう。
おあとがよろしくなくても終わる。
終わるったら終わる。
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