多くの人が、小学校のころは歩いて学校に通っていたはずだ。中学、高校と進むにつれ、電車通学やチャリ通が増えていく。私は小学校はもちろん、中学・高校も徒歩通学を貫いた。それはただ単に、親にぶち込まれた女子中が実家の徒歩圏内にあったから、というだけの理由ではあるのだが。
大学に入って一人暮らしを始めてから、バス通学・チャリ通・原付通学などいろいろあったものの、今のところ徒歩通学に落ち着いている。だから私の帰り道の思い出は、いつだって歩くことに結びついているのだ。
いつもより早めに家に帰る道は、日差しが照りつけていてどことなく街の様子もせわしなくて、ちょっとした罪悪感を抱く。大学で夜遅くまで課題に苦しんだ日は、夜風に吹かれながらくだらない歌を歌いつつ歩く。
一人で歩く道も、誰かと歩く道も、どちらも忘れがたい。
中学・高校も今通っている大学も、どういうわけか坂の上に位置する。歩いて学校へ行こうと思えば、どうしても坂を上らねばならない。それで、帰りは下り坂をのんびり歩いて帰ることになる。
高校のときは、下り坂でよく転んでいた。友達がいれば助けてもらうし、それでも出血がひどくて先生の助けを呼んだこともあった。一人で若い悩みに思いをめぐらせることもあったし、チェロを抱えて用心深く帰ることもあった。
大学に入ってからは多少大人になったのか、高校のときほどひどい転び方をすることはなくなった。でも、思考する力がついたのか、何かを考えながら歩くことが増えた。それは最近だと卒論のテーマだったりするのだが、田んぼのあぜ道を歩いているときにとんでもないことに気がついたりするのだ。時に大学で言われたことを思い出し、失意にうちひしがれながら歩く日もある。
誰かと一緒の帰り道――歩きながら帰った思い出は、だれにでも少なからずあるのではないだろうか。他愛もない話をしながら帰る道は、その日が終わったという安堵感に包まれた愛おしい時間である。私にも大切な思い出がないわけではないが、そのことは胸にしまっておこう。
だから、忘れられない印象的な帰り道の話をしよう。
フィールドワークの帰り道である。遠いところを指定されよくわからない路線に乗るはめになり、案の定、その日の調査内容も私にとってはつらいもので、その日はフィールドワーク先で大泣きした。それで、よく知らない街で、よく知らない路線の駅へ向けて、一緒にフィールドワークをしていた友人と歩いて帰った。その友人はよくしゃべる。お前は口から生まれて来たのか、と問いたくなるくらいしゃべる。ちなみに、生粋の大阪人である。正直なところ、うっとうしいくらい良くしゃべる友人だ。
その日も彼はよくしゃべっていた。その日は、私が大泣きした後で話す気にならなくて、友人は察してくれたのか、とりとめもない話をずっとしてくれた。その日は、彼の高校時代からの友達の話だった。電車に乗ってからもずっとしゃべっていて、彼が「大人になっていくと人間関係って変わるんやなぁ」というようなことを言っていた。
彼の話を聞きながら歩いた日の夕日や道の広さ、駅の狭さが今でも忘れられない。
大学に入ってから原付に乗ることが増えた。原付の程よいスピードに乗って帰るのも悪くないが、歩きながら経験することの密度は何物にも代え難い。だから今日も私は、大量の本と疲れと持て余している感情を抱えて、田んぼのあぜ道を歩いて家に帰って来た。
(編集・校閲責任:らららぎ)
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