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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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chiasma 10:「私の好きな場所」

chiasma 10:「私の好きな場所」
・「学校という場所」(ドーナツ)
・「何もない空間」(めがね)
・「居場所をめぐる長い長い旅」(草薙菫)


*大台というわけでもありませんが、御題が10個になりました。並ならぬ大喜びです。「私…まだ0個やねんけど…」という執筆者様、ご心配なさらずとも大丈夫ですからね。ゆっくり、ゆっくり、正直なところ難しい御題が多いと思います。『みんなでしんがり思索隊』は時給制のライター業務ではありませんので、書き上げた記事数を気にすることはありませんよ。どれだけ御題と向き合えているかどうかが肝心なのです。無理せず、しっかり、しんがり。

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・Ma place est ici - Bryan Adams(2002年) - 歌詞部分は冒頭、映画『スピリット』より。



J'entends le vent, j'entends le ciel.
Et comme un cri, la brise m'appelle.
La rivière, le soleil me parlent aussi.
Et je sais que ma place est ici.

風の靡く音、空が降り落ちる声
私を呼ぶ風のそよぎが聞こえる
川と太陽、私に向けてしゃべりかけている
私の場所は、ここなんだ

ドリームワークスの手がけた映画「スピリット」を御存知の方は少ないでしょう。ドリームワークスといえば、「シュレック」「マダガスカル」「カンフーパンダ」「森のリトル・ギャング」などで有名ですが、「スピリット」はドリームワークスの作品のなかで最も評価の低い作品です。

動物が滑稽なしゃべり方をするわけでもなく、愉快なオチやシビれるアメリカンジョークがあるわけでもなく、主人公の野生馬がカウボーイに捕まって調教されたり、同じ境遇の牝馬に恋をしたりする状況が、ただただ素直に描かれているためでしょう。馬の心境はナレーション(マット・デイモン!)によって語られ、幾多の困難を乗り越えていく話です。

ドリームワークスのカッツェンバーグは、「私たちはディズニーと競い合っている」と語ります。ディズニーで元幹部だったカッツェンバーグは、社長自薦したのを認められなかったために辞職し、スピルバーグらとドリームワークスを設立した経緯があるため、闘争心むきだし。「ディズニーは子ども、あるいは大人のなかの子ども心のために映画を作るが、私たちは大人、あるいは子どものなかにある大人心のために映画を作っています」とは、有名な言葉でしたね。

そんな彼らが馬を使って語ったもの ― それが「自分の場所」というものです。フランス語では「Ma Place」(マ・プラーセ)と言います。私たちが「自分の」という所有格で語るとき、そこには必ず「好きな / お気に入りの」という意味が潜んでいることでしょう。では、「私の場所」と「私の好きな場所」は、どう違うのでしょうか。それについて語り、前口上を閉じさせていただきます。

「俺の女」「俺の好きな女」
「私の学問」「私の好きな学問」
「僕の風景」「僕の好きな風景」

「好きな」という形容動詞は、言語学者の間でも議論になっている複雑なものですが、いちおうは感情形容詞の特殊な形だと思われています。ただ、嬉しいとか悲しいのような一時的な感情とは違って、かなり継続的な「嗜好」のことを言っているのが分かると思います。

「君のことが好きだ」というように、「好き」という言葉はいつも「格助詞の"が"」を取るものです。「が」は対象を強く主張するときに使い、単純な目的語ではないことを示唆します

・「水が飲みたい」:水が単なる目的語ではなく、強く提示している命題であることを示しています。だからこの場合は、「どれぐらい飲みたいのか」「どれほど飲みたいのか」などといった二次的情報が期待されますたとえば、「ぼくがここにいる」と言われたら、「なんのために」とか「どういう経緯で」とか次の情報(二次的情報)が必要になってくるでしょう。

・「水を飲みたい」:単なる目的語です。どちらかというと「飲みたい」の方を強調したいときに使います。だから「愛している」という動詞は、愛しているということが大事なので「を」を使いますね

・「水は飲みたい」:これは「が」と違って、単なる事実であることを強調するものです。だから、「どれぐらい」とか「どれほどしたいのか」とか、そういった情報はあまり求められておらず、むしろ「ああ、お茶は飲みたくないんだな」ぐらいの追加情報に留まります。

「が好きだ+二次的情報への期待」という言語感覚が、ナ形容詞になったものが「好きな」だと私は思っているのです。つまり、「自分の場所」という言葉で大胆に言い切る自信はないけれど、それでもずっとその場所を慕っていて話したいことがたくさんあって「お気に入りなのだ」というときに「自分の好きな場所」というのだと思います。潜在的な言い切りへの躊躇、あるいは二次情報を語りたいほどのあふれる想いがあるとき、「好きな」という形容詞が使われるのでしょう。

さらにいえば、「好き」という形容詞は、「好きだと思う」「好きだと感じる」という動詞と結びつきません。(最近は「好きみたい」と推量する用法が認められてきていますが)。好きというのは、思考するものでもなければ、感じるものでもないというのが一般的な理解。「松潤は私のお気に入り」のような、片思い性や主観性を基調にしている言葉遣いであることが分かります。

長々と説明して参りましたが、「私の場所」と所有格で堂々と言い切れる自信のある素敵な居場所も、「私の好きな場所」という片思い的で主観的=恋慕的(あるいは憧れ的)な居場所も、どちらも誰にでもあるものだと考えています。

そのどちらでも構いませんし、どっちでも大丈夫です。自分が場所性を感じている「そこ」に対する気持ちや想いを、「所有格的な自信」あるいは「恋慕的な嗜好」の観点から考えていただけたら幸いに思います。




(御題提供・ドーナツ / 前口上:らららぎ)
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