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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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何もない空間 / 著者:めがね - ch10


『Less is more.』(より少ない事はより豊かな事) ミース・ファン・デル・ローエ

こんばんわ。めがねです。
chiasma:10は『私の好きな場所』との事ですが、入る前に少しだけこのミース・ファン・デル・ローエなる人物を紹介させてください。

ミス・ファン・デル・ローエとは、20世紀のモダニズム建築を代表とするドイツの建築家で、ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライトと共に近代建築の三大巨匠とみなされる人です。
今でこそ、当たり前になっているパーテティションで空間を人数の変動に合わせ適宜に区切るなどの方法はこの人が提唱した『内部空間を限定せず、自由に使えるようにする』というユニバーサル・スペースなるモダニズム建築の概念からきています。
上記した、『Less is more.』という標語もこのミース・ファン・デル・ローエが提唱したものです。他にも『God is in the detail.』(神は細部に宿る)なんてのもありますね。
ミースの事を語りだすと紹介するだけで記事が終わってしまうのでこの辺で割愛させて頂きます。
あくまで記事は『私の好きな場所』についてなので、前口実が長くなりましたが始めていきたいと思います。よろしくお願いします。

・何もないというのはポテンシャルに満ちている。
私がこの『好きな場所』という御題見たときに、思いついたのは先にこのお題を書かれているドーナツさんの記事のように映画館、贔屓のショップ、公園、カフェ、etcのようにすでに出来上がっている場所、つまり『現存している空間』でした。
これを御題にして記事を書くには好きな場所を一つに限定して書くのは中々難しいなと思い悩んでいた所、最近まで更地だった土地が基礎工事をやっており「あ。新しい家が建つのか」というきっかけがあり『何もない空間』が一番ワクワクして一番好きかもしれないという結論に至りました。
何故、『何もない空間』が。何も無いならなんもおもんないじゃない。と思われるかもしれませんがこれは結構皆さん見落としがちですが、結構身近に転がってると思います。
例をあげてみます。一人暮らし、もしくは自宅の増改築をするに当たって、部屋を一つ与えられるとしましょう。広さは大体8畳。長方形で西側と北側の二面彩光で、西側に扉が一つ。
たったこれだけの条件ですが、何処にベッドをおこうか、どんなマットを敷こうか、机はどうしよう、など想像力が働いてきませんか。
公園も同様なきがします。昔は遊具で遊ぶのが普通でした。
きっと今では遊具で遊ぶ人なんてほとんど居ないと思います。大人になった事によりサイズが合わないからです。
しかし、遊具で遊ぶという選択肢が無くなった事によりベンチで寝転がって星を見たり、本を読んだり、公園で語らったり、遊んでいる子供を眺めたり、ぼーっとしてみたり、と子供の頃にはやらなかったような選択肢が増えたように思います。
公園で遊具で遊ぶという選択肢がなくなり大人にとっての公園は『何もない場所』になった事で場所の持つポテンシャルが増えた訳です。
ポテンシャルという言葉は直訳すると『潜在性』というそうです。潜在とは、外から見えない状態で存在している様だとの事。
現存している空間(外)に何もないからこそなんでも頭の中で自由にその出来上がった様子を想像できるというのが私は楽しくて楽しくてしょうがないなという気持ちに改めて気づかされました。

ミースが唱える『Less is more.』とは意味合いが若干異なりますが、なんとなくこの言葉がしっくりくるなと思ったので引用してみました。
そういえば、しんがりで建築の事について触れるのは始めてです。
もっと皆さんの身近に建築ってものが感じられたらいいなと思い記事にしてみました。
拙い文章で少しでも伝わっていれば幸いです。

それではこの辺で

じゃあのん

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上手に笑えない。 / 著者:めがね - ch8

『ロボットは好意で微笑むのではなくプログラムで笑う。最近は人間もそう。』
 攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SELL 第一巻より 

おはようございます。めがねです。
朝早いのですが、私は出勤時間が皆さんより遅いので少し出勤までに時間があるので珈琲ブレイクもとい執筆ブレイクで煙草をプカプカさせながらシャッキリと朝を迎えたいと思います。
chiasma:08『私が深刻にがっていること、深刻ぶっていること』初めていきたいと思います。
少しお付き合い下さい。よろしくお願いいたします。


・笑い合うというコミュニュケーション

一番初めに述べた言葉は士郎正宗氏の攻殻機動隊でのワンシーンの言葉です。
読んだ当初はなんのこっちゃ?とよくわからなかったものの大きくなれば、その意図する事柄が理解できるようになってくるもので場の雰囲気、会話の内容、自分と相手の立ち位置など『ある一定の条件下で笑わなければならない』というプログラムが必要な場面が人という種に生まれてしまい人間社会にコミットしている以上どうしても出てきてしまいます。

例えば、就職活動。アルバイトの面接。先生。会って日の浅い友人。近所のおばさん。etc.
嘲笑される以外で笑顔を向けるという行為は比較的、相手にとって好意的に受け取られるものであり決して嫌がられるものではないはずです。きっと皆さんもそうだと思います。
容姿の整った美男、美女なんかに笑顔を向けられるとなんだこのドキドキ感はひょっとして…と錯覚する事もあるかと思います。

恋人にしたい人物の条件にも面白くてよく笑う人なんてのがあるのもよく目にします。
言葉を交わさなくても表情だけで相手に幸福感を与えられるなんてなんと優れたコミュニュケーションの仕方でしょう。

ただ、別段面白くもないし、嬉しくもないのになんで笑わないけんのや。阿呆か。と、私は天邪鬼なので毎回思います。自分の感情を条件によってコントロールされるのが嫌いな訳です。
しかしながら、このプログラムで笑うという事を上手く活用している人は比較的、人に好意をもたれたり、慕われたり、可愛がられたりと美味しい思いをしている人が多いように感じます。

ほんま教えてくれや。その表情のつくり方…。


・外的要因

先程のは内的な要因。でも今度は外的要因について。
笑うと目が細くなって、白い整った歯が見える。いいですね。理想的です。

では、前歯が無い場合はどうでしょう。前歯がないだけでなんとなく不気味な感じがします。視覚から入ってくる情報は脳で処理される場合にかなりのウェイトを占めているという事を聞いたことがあります。整っていないものというのは脳で処理される時にエラーが起こりやすいので不快感を示す事が多いそうです。

私は歯並びがとても悪いので極力口を開けて笑わないようにしています。これは不快感を示されるか否かというのは個人差があると思いますが。コンプレックスは極力仕舞っておきたいのです。
あとは笑った時の音。つまり笑い声。これも結構重要なものだと思います。
音で不快感を示す人ってわりかし多いような気がします。ご飯を食べている時の咀嚼音に腹が立つといのはよく聞く話です。笑い声も大きな声で響くように笑う人というのはあまりいい印象を受けません。

笑い方も重要ですが。理想的な笑い声というのを誰か解明してくれないでしょうか。理想的な笑い方のフォーマットがあれば大変役立ちそうな気もします。むしろ使いたいぐらいの勢いです。

以上の理由で私は親しい人以外の前で極力笑わなくなりました。
常にぶっちょう面で、機嫌が悪いような表情をしているそうです。
怒ってもないのに何怒ってんの?不服なの?と聞かれることなんか日常茶飯事です。
別段怒る事など何もありません。

しかし、何気ないことで笑い合うというコミュニュケーションの取り方が出来ないので結構深刻な気がしています。
性格もあるけどもひょっとして笑わないせいで友達が出来ないのではとか思ったりもします。

素敵な笑顔の作り方を教えてくれる誰かが現れるか素敵な笑顔のフォーマットというものが作られることを願っています。

それではこの辺で

じゃあのん^^

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ギャルが苦手 / 著者:めがね - ch7

こんばんわ。めがねです。前稿だったか前々稿だったか忘れてしまいましたが『人は自分に無いものは語れない』と確か私はは申しておりました。逆説的に言えば『自分にないものは語るべきでは無い。』と思っておりますので自分の中にあるものを引き出しから引っ張り出してきて語らせて下さい。さて今回は『思い出のメンタルブロック』という御題なのでぴったりなものがございましたので、お付き合いいただきたいと思います。
私は『ギャルが苦手』なのでその背景と共に懐かしくも狂おしいほど真っ直ぐだった思春期を思い出しながら執筆していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

・性欲が理性に勝っていた頃のお話
お話していく上で今より少し前に遡らなければなりません。今が26歳なので丁度10年前くらいでしょうか。私は高校1年生で16になった頃です。中学を卒業して高校に入学して半年あまりくらいだったでしょうか、高校に入った事で大人の仲間入りをしたという謎の全能感の絶頂感が真っ盛りの時。
携帯電話という画期的なツールが主流になってきた事で、中学の頃は『何時に電話をかけるから電話の前で待ってて』というたわいなくも甘酸っぱい約束を取り付けなくて良くなりました。
『いつでも自由に想い人に連絡をとれる』という願ったり叶ったりという時代が訪れた訳です。
中学とは違い、高校は自分の内なるの思想に向けバラバラの学校へ分かれていきます。これにより恋愛対象も中学の時とは違い、○年○組の誰々くん(さん)という『閉塞したコミュニティ間の恋愛』ではなく○○校の○○部○年○組の誰々くん(さん)のような『一学校という垣根を越えたもの同士の恋愛』に発展していく訳です。
前置きが長くなりましたが『可愛い女の子紹介してや』と言う高校生にありがちな一言で始まり今後、僕のギャルが苦手というメンタルブロックと女性不信の根幹と言っても過言ではない重要な人物と出会いました。
とある女子高の同学年で後に親しかった友人Tくんの彼女になる人物『Nちゃん』です。
Nちゃんは容姿も整っており、性格もノリが良く話も上手でした。
そうですね。改造後の板野友美さんが女子高生だったら。みたいな容姿を想像しておいて下さい。
この頃の私はDTを卒業し、彼女とも別れていたので謎の全能感に更に拍車がかかっていた事もあり、今では考えられないようなガンガン行こうぜスタイルのアプローチの仕方をしていました。
その成果もあり、実際に会ってお話出来る所までこぎつけ、遊びに行ったり更には両親が自宅にいない時にNちゃんを呼ぶ事にまで至りました。これが私の悲劇の始まりです。
自室でゲームやDVD鑑賞も一頻り終わり、いよいよやる事がなくなって来てさぁ駅まで送って帰ろうかぐらいの勢いの時です。雨が降り出しました。結構な勢いです。
田舎なのでこの時間を過ぎると電車も少なくなりますしバスもなくなります。
無理にでも送って帰れば良かったのですが、若気の至りか『泊まってく?』と下心丸出しのアホ発言をしたのです。
昔の偉人も言っていました。『認めたくないものだな…自分自身の…若さ故の過ちというものを… 
ええ、やりましたとも。深夜のプロレスごっこ。3発分くらい。若さって怖い。
『そんなつもり無かったの』とか言われましてもな。覚えたての言葉ってやたら連呼したくなるじゃないですか。あの感覚ですよね。覚えた事って試したくなるじゃないですか。
翌日早朝駅まで送って帰りました。
後日、SEXしたのに付き合って無いのはこれ如何に、と意を決して告白をしました。
返答は『付き合うのは無理だから二番目で良い?』轟沈です。
まぁそれでも良いかと思っておりました。何回か会ってお話しました。SEXも何回かしました。
夏が終わり、秋の季節になりました。粛々と季節が流れていくある一日の中での話です。
唐突に友人Tくん『俺、彼女できたは。』私、友人Sくん『へー誰々?見して見して。』
Tくん『お前ら知っとるで。お前(私)は振られとるしのwほれ。』
Nちゃんでした。そう数日前会ってお話して最終的にセクロスをしたNちゃんではありませんか。
激しく動揺しました。が、悟らせてはいけません。次に私はこう切り出しました。
『あぁ、俺振られたしなwなるほどね。で何時から付きあっとん?』
Tくん『一週間前w』『!?!?』・・・あれ一週間前って俺、その後会ってセクロスしたよな・・・。
Tくん『よろしくな兄弟wwwあ、後お前無理矢理ヤられたってアイツの学校で噂にされとるで終わったなwww』『!?!?!?マジで!?』
確かに。最初の一回はそうでしたが、後は全て合意の上の行為だった訳ですがなるほど、彼女の中ではそういう清算の仕方だった訳ですね。うん。なるほど。

『最初は勢いやったんです。好かれるための…嫌よ嫌よも好きのうち言うて家に来とる時点でなるようになる。まさか手玉に取られるつもりはなかった。それがまんまと手玉にとられてしもた。何重にもトラップを張り巡らせた計算をもった相手やった。』
『ビッチやった。』
『そしてビッチに引っ掛かった俺は蔑まれた。ビッチに引っ掛かったから』
『皆の中で正当化された…マジョリティには事実より優先されるものはないからです。』
『その日から俺に変なアダ名がついた。北野さんも聞いたことあるかもしれませんね…』
『レイパーめがね…』

・その後から現在に至るまで
その後は、しばらく女性不信というか人間不信に苛まされることになりました。
人を好きになってもどう思われてるんだろう、どういう風に悪口を言われてるんだろう。コイツは友達面してるけど何時裏切るんだろう。とかそんな感じです。
人間不信だったし、人がなにより嫌いだったし自分に不利益な煩わしい人間は全部死ねばいいのにと思っていました。イジメも重なり更にそれが加速していきました。
それによって随分と、まぁひねくれた人間性が形成されていきました。
20代前半までそんな感じでした。
それにも関わらず、変わらず接してくれた数人の友人。専門学校でであった友人。東京に出てきて色々な人と出会ってお話して、遊んで、一緒に作業して、現場にいって、デザインイベントに連れて行ってもらったり、パーティーに出席させてもらって、少しづつでしたが人間らしい感情を取り戻せたように感じます。
色々な人のパターンを読み込む事によって、なんとなく人となりがわかってきたような気もします。それによってあぁ、こういう人にはこういう話し方をすればいいのかなというのが少しづつですが出来るようになってきました。
が、自業自得ですが上で述べたような経験でギャルっぽい服装や喋り方の人のイメージはなかなか払拭できません。大勢の時は大丈夫なのですが、女性と二人きりで話す時も影でこんな事言われてんのかな。と少し勘ぐってしまってなかなか上手に喋る事が難しいです。
手を出してもいいのよ。みたいなサインがあったとしても、やはり色々勘ぐってしまって素人の女性とそういう行為をするのにも抵抗があります。
風俗を利用する理由も根幹はそこにあったりします。
こんな事言ったら怒る方もいるかもしれませんが、自分を商品として切り売りしているから素人さんほどメンタルに気を使わなくて済むからです。

長くなりましたが私がギャルが苦手な理由はこんな感じです。皆が皆そんな事はないとはわかってはいるのですが、自分が認識している事実をひっくり返すのは相当な衝撃がないと不可能な気がしているのでやはりしばらくはこのままだろうと思います。
いずれ、僕の固定概念を覆してくれる。ピュアっピュアのギャルが現れる事を切に願います。

お疲れ様でした。

じゃあのん





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『めんどくさいが最大の敵』 / 著者:めがね - ch5

おはようございます。めがねです。
いつもお題ありがとうございます。
自分のブログは自分に問を立てて書くと言うスタイルなので、問いがないと中々書き進める事が難しいのですが、このように沢山の問を頂けると捗って捗って有難いです。
前置きはこの辺にしておいて、投稿者さまも早めに読みたいとの事なので朝も早いし少し眠いですが、自戒も含め書いていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

・『問題を先送りにしても結局の所、最終的にもっとめんどくさいことになる。』
端的に言うとこれが結論です。
私自身、几帳面な性格とはとてもじゃないですが言えません。
比較的『問題を先送りにするタイプ』な訳です。お恥ずかしい話ですが、私はこれで一つ仕事がなくなりました。業務能力の欠如という烙印を押された訳です。洒落にならなかったです。もの凄く凹みました。一ヶ月間ニートしたくらいには凹みました。
悪いことは続くもので困った事が起こりました。気がつけば、家の契約更新日が翌月と迫っていたのです。ひと月前までは普通に収入があったのですがニート生活をしていた事ので本来払えるはずのお金がない訳です。勿論携帯も止まりました。最終的に泣く泣く銀行に行ってお金を借りて、家を探し引っ越しました。
仕事をちゃんとしてなかったせいで最終的にたいした金額ではないものの借金まで背負うハメになった訳です。
これは結構最悪な例ですがもっと身近なもので言えば、電気を消し忘れる、寝るときに冷房入れっぱなしだった。とかそんな感じ。とりたてて大した事のないような事に思えます。
ちゃんと消していた月と消していなかった月の電気代を比べてみると良いでしょう。凄く顕著に金額という形でデータに現れます。
あとは思いつくのは学生さんにありがちな授業をバックレるとかですかね。身に覚えのある方もいらっしゃるかと思います。
授業でない→単位足りない→教授に土下座→やっぱり単位足りない→留年。
フローチャートにするとわかり易いですね。
ゴミ捨ての場合こうです。
ごみ放置→部屋汚れる→不衛生なので虫がわく→虫が気持ち悪い部屋にいたくない。
ひとが悪いとか自分が悪いとかではないのです。『めんどくさいという感情が最大の敵なのです。』
勉強もそう。仕事もそう。政治ですらそう。
めんどくさい事がもっとめんどくさい事を連れてきてコイツを放置するともっとめんどくさい事を連れてくるんです。
全部めんどくさいという感情が敵なのです。こいつが倒すべきラスボスなのです。

・あとがき
このめんどくさい。もといやりたくない病に精神科医や心理学者がこのような方法を取ることがあるそうです。
『まずはテレビを消して勉強してみましょう。そのあとで、なぜそんなに勉強したくないのか、考えてみましょう。』まず、症状に正面から取り組んでみて、その説明を後日に譲る訳です。
これが良い方に行くか現状維持なのかはわかりませんが。とりあえず目の前のめんどくさいは片付けられるので、もっとめんどくさい事はやって来ないでしょう。
私も最近この事に取り組んでいます。
一人暮らしは自由であって自由でない事がとても多いですが、一緒に頑張ってみませんか。

あと個人的にやってみて欲しいと思うのはマインドマップというものを仕事でよく使います。表現したい概念の中心となるキーワード、イメージを中央に置き、放射状にキーワードやイメージを広げつなげていくと言うものです。
試しにめんどくさいと思う事柄を中央に置いてこれをやらなければどんなめんどくさい事柄が起こるのか。という比較的ネガティブなイメージをできるだけ沢山連想してみてください。
先のことがなんとなくイメージ出来て、やらなきゃという気を起こさせてくれる効果があると思います。

そろそろ眠いのでおわります。

じゃあのー。




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『帰り道というショートショート』/ 著者:めがね -ch4

四本目です。『お前暇なのかよと』と問われるかもしれませんw
問を与えられると答えを出さないと気がすまない性分なのです。そうなのです。

chiasma04:は『私の好きな帰り道』との事なので帰り道というのはどんな風だったかなぁと思い出してみしました。結果、『帰り道というのは一つの短いストーリーである』という風に感じたので、誰と一緒に帰った場合と自分一人で帰った場合とを比較しながらお話しようと思います。

よろしくお願い致します。

・case1『友人との場合』

友人とは良いものです。恋人、親兄弟と全く違う性質を持っています。親、兄弟ほど血のつながりという密接な関係でもなく、恋人のようにお互いがお互いを好きだよねという契約を交わした置いてでもありません。

ただ一緒にいるだけで心地良いだとか、この人と一緒にいる空気感が好きだとか、単純に馬が合うだとか、そういった関係性の人々だと私は思っています。

学生時代を振り返ってみると、ゲームセンタに行ったりだとか、カラオケに行ったりだとか、公園でカップラーメンを啜りながら語らったりだとか、一緒にお好み焼きをつついたりだとか、寄り道が多かったように感じます。

寄り道をすること自体もの凄く楽しいのですが、最近ハマっているゲームだとか、漫画だとか、音楽のことだとか、どこどこの店に新しいショップがオープンするだとか、内容の無いとりとめの無い話をすることが楽しかった気がします。

それよりなにより、『俺、言ってなかったけど何組の誰々は可愛いと思うんだよね。周りの評価あんま高くないけど』といった親や恋人には言えないような『秘密』を共有できることが、なにより嬉しかったのです。

また時間の経過によって物語にも変化があること。違う人と一緒に帰ることによって別のストーリーがあることが、とても楽しかったです。別々の物語がクロスオーバーした時なんかはそれはもう興奮ものでした。

・case2『恋人の場合』

恋人と帰る場合はそれは一緒にいられるだけもう幸せいっぱいの物語のようなものです。一緒に手を繋いで帰っただとか、自転車二人乗りをして帰っただとか、言葉を交わさなくてもただそれだけの情景だけで物語が完結してしまう、そういうものでした。

しかし、この物語には大体の場合『同じような物語の繰り返し』という欠点が存在します。恋人という契約上、制約が存在するのです。『○○をしないで』『○○みたいな事いわないで』だとか条件は色々です。

また物語の性質上『登場人物がいつも同じ人物』というように、物語自体は大変楽しいし幸福なのですが、道筋がいつも同じところを辿ってしまうところ、別れた途端に何故か寂しくなってしまうところが欠点かと考えます。

・case3『一人の場合』

一人で帰る道と言うのは寂しい響きに聞こえるかもしれませんが、私はとても好きです。友人や恋人と一緒に帰る道と圧倒的に違うところは、『自分に使える時間が無限的な』ところです。

人と一緒に帰る場合は相手の状況も加味しなければなりません。相手が早く帰なければならない時は、時間を気にしながら歩かなければならないし、相手のボディランゲージから状況を何かに悩んでいるなとか、何か食べて帰りたいのかなとか、なんとなくですが相手のことを把握しなければならないからです。

一人の場合はこれを気にする必要がないので、楽しくはないかもしれませんが、とても楽です。今日は本を読みながら帰ろうだとか、好きな音楽を聞きながら帰ろうだとか、星を見てすこしゆっくり帰ろうだとか、もてる感度をめいいっぱい自分に向けることができるからです。

自分しか登場しない物語ですが、物語の可能性が無限にあることがメリットかと思いました。

以上が私の『好きな帰り道』という御題に関する考察でした。

生きている以上《同じような日》は存在しても《全く同じ日》というものは存在しません。

それならば、帰り道も同じような帰り道でもちょっと今日は気分を変えてみようだとか、人と一緒に帰ってみようだとか、帰り道という短い物語を楽しんでみては如何でしょう。

じゃ。この辺で。

じゃあのw






(編集・校閲責任:らららぎ)

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『アカウント由来』 / 著者:めがね -ch3


 2本目です。またまたこんばんわ。めがねです。アカウントの由来は、との事ですので、さっくりと書いていきます。

・由来

 僕の場合大抵、ねこ、cat、めがねと名乗ります。本名の一部抜粋、言語の変換、アナグラム、もしくは外見的特徴からとっています。好きなんです言葉遊びw 覚えてもらい易いですし、極力複雑な情報を織り交ぜない方が認識しやすいかと思ってそういう風に意図しています。あとユニフォームを作ったりとかする時には名前が短いほうが安かったりするんですw とか言う無駄知識。

 ダブルミーニングだとかトリプルミーニングだとかでつけてる人には感心します。僕にはそのような語学能力はないので。アドレスなんかも大抵そんな感じで付いています。昔は色々凝ってつけていたのですが、変われば変わるものだなぁ。凝った美しさよりも単純な構造の美しさに惹かれていくのは、大人になったからなのかぁとか思う今日この頃です。

大人になるほど、どんどん単純に向かうんだよ
――『数奇にして模型』森博嗣

 それでは。じゃあの。





(編集責任:らららぎ)

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『復讐』 / 著者:めがね -ch2


 あいつを~♪どうやって殺してやろうか~♪
 2009年春、どしゃぶりの夜にそんなことばかり考えてた~♪

 こんばんわ。めがねです。こんな歌を道端で歌いながら歩いていたらなんて物騒なやつだとうっかり通報されても不思議ではないですねw

 chiasma02:『私の断念したこと』というお題を頂いたので、私は何を断念したんだろうと過去を振り返りながら考察していきました。

 断念した事はたくさんありました。バスケットボールを途中でやめただとかギターを買ったもののコードのFが押せないのでやめただとか、思い返せば色々ありました。ただ『断念した事』の中で自分が納得して断念した事がいくつかあります。そのなかで『復讐』というキーワードをピックアップしてお話して行きたいと思います。今回も足りない脳みそを――糖分を摂取しつつ――ぶん回していきたいと思います。お付き合いください。

・回想

 まず、お話をしていく過程で何故このような結論に至ったかという道筋の中で、僕のことを振り返ってみる必要があります。少し嫌な話もあるかもしれませんが、少しだけお付き合い下さい。

 私は、学生時代も今も親しい友人、私より年上の方々には、俗に言う『イジられキャラ』のポジションを確立しており、私もそれを許容しています。別段この事に関しては、なんの嫌悪感もありませんし、寧ろ「美味しいポジションでは?」くらいに思っています。

 ただ学生時代、特に中高生の時には、身体は大人にほぼそれに近いですが、心の部分は非常に未発達で、感情に振り回される場面が今以上に多かったと感じます。未発達ゆえの情け、容赦のなさから、時に『イジリ』とされていたことが唐突に『イジメ』に変わる瞬間が存在します。私は何度かそれを味わいました。

 理由はなんだったか覚えてはいませんでしたが、中学生の時には良くわからん理由で因縁をつけて殴られたり、学ランをトイレで水浸しにされたりなどがありました。高校の頃にはあまり勉強が好きではなかったので、入学したのが荒れた学校だったこともあり、人間サンドイッチなどといって大人数で上からのしかかられたり、体操服を捨てられたり、羽交い締めにされて複数人から殴られたり、ゴミ箱を頭から突っ込まれたりと、まぁなかなかひどい目に会いました。

 中でも最悪だったのが、僕が気に入ってバイト代で買っ使っていたメガネを2本ともお釈迦にされた事です。どうにかして殺してやれないかと本気で考えました。2年生の時が一番酷かったように思います。学校に行くのが嫌でよくサボって3限から出てみたりとかもしていました。

 この頃に上記の歌のように『復讐』という概念に取り付かれる事になります。

・諦めた理由

 もちろん人を殺すのは良くない事です。どんな理由があろうと命を奪うことは絶対的に悪であり、到底許される行為ではありません。しかしながら『命さえ奪わなければ他人にどのような行為を行なっても構わない』というのは、あまりに短絡的で思考が停止しているように思います。

 極論ですが私は、『人としての最低限の尊厳を失わせるような行為を行えば殺害という行為を行なっても致し方がない』と常日頃から思っています。勿論、死刑肯定論者です。

 人を人と認識していない人間に、こちらが人として接する必要性を感じません。しかしながら、世間はそうではなく私が仮に『イジメ』を行なった人間全員を殺害したとしましょう。世間の認識では『そんな理由で人を殺すなんてもっての他だ』となるかと思います。人は自分にないものは語れません。故に、殺害に至った経緯、背景などを推し量ることが出来ない訳です。

 ニュースなどで流れる情報も理由も憶測で、事実確認などせず人を殺したという事実だけ発表されるでしょう。『人殺し』としてのレッテルを貼られた私が、世間からどうのこうの言われて最終的に死刑になるとしても、それはそれで構いません。命を奪った私は絶対的に悪であり、裁かれるべきだと思うからです。

 ですが、僕を今まで支えてくれていた人はどうでしょう――父親、母親、妹、祖父、祖母、従兄弟、友人。

 報道は過熱し、『私以外』の人々を巻き込んでいくのです。私に産んでしまった、関わってしまったが故に『人殺しの○○』というレッテルがその人達に貼られてしまうのが、私には耐えられないと感じ諦めました。以上の理由から私自身の手による『物理的な復讐』を断念したわけです。

・今現在

 私自身の手による『物理的な復讐』は幕を閉じた訳ですが、私は今でも彼らを許すことはこの先もないでしょうし、彼らは人として認識していなかった私に行ったことを覚えていないと思います。子供が蟻の脚をもいで放置するような、道端にある石ころを蹴飛ばすような感覚で行っていたことなので当然でしょう。

 私の手によって『復讐』が完遂することは一生ないと思いますが、別の誰かの手によって『こんな人生予定してなかった』だとか、『俺のしたかった結婚生活はこんな生活じゃなかった』だとか、他の誰かの手を借りた『間接的な復讐』によって、彼らが死んでいってくれたらいいなと今は思います。

 皆さんが私の根の暗さにドン引きしたこの辺で終わりにしたいと思います。ちなみに刑事ドラマでよくある『○○さんはそんなこと望んでない!』とか言うじゃないですか。アレもムカつくんですよね。『知った風な口聞いてんじゃねぇよ、お前も殺すぞ』ってね。

 復讐から~はじまって~♪終わりはいったい何だろう~♪ 償いきれない過去だって. けっして君を許さないよ~♪

  じゃ、このへんでお開きということでありがとうございました。

 じゃあのwww





(編集・校閲責任:らららぎ)

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