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みんなでしんがり思索隊

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『復讐』 / 著者:めがね -ch2


 あいつを~♪どうやって殺してやろうか~♪
 2009年春、どしゃぶりの夜にそんなことばかり考えてた~♪

 こんばんわ。めがねです。こんな歌を道端で歌いながら歩いていたらなんて物騒なやつだとうっかり通報されても不思議ではないですねw

 chiasma02:『私の断念したこと』というお題を頂いたので、私は何を断念したんだろうと過去を振り返りながら考察していきました。

 断念した事はたくさんありました。バスケットボールを途中でやめただとかギターを買ったもののコードのFが押せないのでやめただとか、思い返せば色々ありました。ただ『断念した事』の中で自分が納得して断念した事がいくつかあります。そのなかで『復讐』というキーワードをピックアップしてお話して行きたいと思います。今回も足りない脳みそを――糖分を摂取しつつ――ぶん回していきたいと思います。お付き合いください。

・回想

 まず、お話をしていく過程で何故このような結論に至ったかという道筋の中で、僕のことを振り返ってみる必要があります。少し嫌な話もあるかもしれませんが、少しだけお付き合い下さい。

 私は、学生時代も今も親しい友人、私より年上の方々には、俗に言う『イジられキャラ』のポジションを確立しており、私もそれを許容しています。別段この事に関しては、なんの嫌悪感もありませんし、寧ろ「美味しいポジションでは?」くらいに思っています。

 ただ学生時代、特に中高生の時には、身体は大人にほぼそれに近いですが、心の部分は非常に未発達で、感情に振り回される場面が今以上に多かったと感じます。未発達ゆえの情け、容赦のなさから、時に『イジリ』とされていたことが唐突に『イジメ』に変わる瞬間が存在します。私は何度かそれを味わいました。

 理由はなんだったか覚えてはいませんでしたが、中学生の時には良くわからん理由で因縁をつけて殴られたり、学ランをトイレで水浸しにされたりなどがありました。高校の頃にはあまり勉強が好きではなかったので、入学したのが荒れた学校だったこともあり、人間サンドイッチなどといって大人数で上からのしかかられたり、体操服を捨てられたり、羽交い締めにされて複数人から殴られたり、ゴミ箱を頭から突っ込まれたりと、まぁなかなかひどい目に会いました。

 中でも最悪だったのが、僕が気に入ってバイト代で買っ使っていたメガネを2本ともお釈迦にされた事です。どうにかして殺してやれないかと本気で考えました。2年生の時が一番酷かったように思います。学校に行くのが嫌でよくサボって3限から出てみたりとかもしていました。

 この頃に上記の歌のように『復讐』という概念に取り付かれる事になります。

・諦めた理由

 もちろん人を殺すのは良くない事です。どんな理由があろうと命を奪うことは絶対的に悪であり、到底許される行為ではありません。しかしながら『命さえ奪わなければ他人にどのような行為を行なっても構わない』というのは、あまりに短絡的で思考が停止しているように思います。

 極論ですが私は、『人としての最低限の尊厳を失わせるような行為を行えば殺害という行為を行なっても致し方がない』と常日頃から思っています。勿論、死刑肯定論者です。

 人を人と認識していない人間に、こちらが人として接する必要性を感じません。しかしながら、世間はそうではなく私が仮に『イジメ』を行なった人間全員を殺害したとしましょう。世間の認識では『そんな理由で人を殺すなんてもっての他だ』となるかと思います。人は自分にないものは語れません。故に、殺害に至った経緯、背景などを推し量ることが出来ない訳です。

 ニュースなどで流れる情報も理由も憶測で、事実確認などせず人を殺したという事実だけ発表されるでしょう。『人殺し』としてのレッテルを貼られた私が、世間からどうのこうの言われて最終的に死刑になるとしても、それはそれで構いません。命を奪った私は絶対的に悪であり、裁かれるべきだと思うからです。

 ですが、僕を今まで支えてくれていた人はどうでしょう――父親、母親、妹、祖父、祖母、従兄弟、友人。

 報道は過熱し、『私以外』の人々を巻き込んでいくのです。私に産んでしまった、関わってしまったが故に『人殺しの○○』というレッテルがその人達に貼られてしまうのが、私には耐えられないと感じ諦めました。以上の理由から私自身の手による『物理的な復讐』を断念したわけです。

・今現在

 私自身の手による『物理的な復讐』は幕を閉じた訳ですが、私は今でも彼らを許すことはこの先もないでしょうし、彼らは人として認識していなかった私に行ったことを覚えていないと思います。子供が蟻の脚をもいで放置するような、道端にある石ころを蹴飛ばすような感覚で行っていたことなので当然でしょう。

 私の手によって『復讐』が完遂することは一生ないと思いますが、別の誰かの手によって『こんな人生予定してなかった』だとか、『俺のしたかった結婚生活はこんな生活じゃなかった』だとか、他の誰かの手を借りた『間接的な復讐』によって、彼らが死んでいってくれたらいいなと今は思います。

 皆さんが私の根の暗さにドン引きしたこの辺で終わりにしたいと思います。ちなみに刑事ドラマでよくある『○○さんはそんなこと望んでない!』とか言うじゃないですか。アレもムカつくんですよね。『知った風な口聞いてんじゃねぇよ、お前も殺すぞ』ってね。

 復讐から~はじまって~♪終わりはいったい何だろう~♪ 償いきれない過去だって. けっして君を許さないよ~♪

  じゃ、このへんでお開きということでありがとうございました。

 じゃあのwww





(編集・校閲責任:らららぎ)

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