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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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「知れば知るほど、知らないことが増えてゆく」 / 著者:ちくわ - ch1

あれは小学生時代か中学生時代か、ともかく小説が大好きで小説ばっかり読んでいた時期のことだけれど、図書館に行っていつもの小説の棚に直行しているとき、ふと一抹の不安をおぼえたことがあった。「こんなに図書館は広くて、いろんな棚があって、いろんな分野の本があって、それなのにぼくはそれらに特に興味を感じていないのか、これは残念なことなのじゃあないだろうか、ずっとこのままなのだろうか……」結論から言えば、すべては取り越し苦労だったようだ。今のぼくなら、図書館のどの棚にポイされたとしても、何時間でも居座れる。ごめん嘘、まだ楽しみ方を知らない棚もたくさんある。けれど、あのときに比べれば、びっくりするほど知りたいことが増えている。ここまで知りたいことが増えたのは、知らないことが増えたからで、それは何かを知ったからなのである。ごにょごにょと、そんな話を書いていく。


どこから話せば良いものか、今から二年ほど前、20歳になるかならないかのころ、ぼくは大学生になった。ありていに言って、一年目にしてあれもこれもつまずいた。なし崩し的に拘束時間の長い団体に入ってしまったり、それによって時間の使い方の制御を失ったり、ミスによって奨学金の申請ができなかったり、アルバイトを始めようと思いながらぐだぐだ一年がすぎてしまったり、世間のクズ大学生のご多分に漏れずだんだん授業に行かなくなったり、他人の信頼を裏切るようなことを繰り返したり、うんたらかんたら、それはもう煮崩れしたじゃがいものようにぐちゃぐちゃだった。19歳までの生活がとても充実していたものだっただけに、大学入学後の自分の崩れようは悪循環に次ぐ悪循環を呼び、口を開けば過去の話ばかりなんて状態の時期もあった。

そんな状況で、周りを見渡せばみんな何かに打ち込んでいるというのに、ぼくはどこに軸足を置けばいいのかもわからないままで、どこに軸足を置いても失敗するし、不安定で、何をしたって自分を信じることはとてもできそうになく、ぼくの芯はなんだっけ、自分が一番大事にしなきゃいけないものって何だったのだっけなんてことを、自然に考え始めていた。考えに考えに考えた。


もがいているうちに、少しずつ光が見えてくることもあった。秋頃、大好きな女性に会いに行く予定だった朝、飛行機に乗り遅れるという史上最強のポカをやらかしたぼくは、大荷物を転がしながらとぼとぼと自分の部屋へと戻っていた。その帰りの電車に読んでいたとある本の中に「どんな人でも学んでいる自分は好きでいられるはずなので、「学ぶ」ことによって自分を愛することができます」という一節があり、何かを思い出しかけたのだ。もちろん、それを読む前から漠然と浮かんでいた思いがそれによって固まり始めたというのが正しいのだろうけれど、ともかく、ぼくに必要なのはこれだったんじゃあないかということを少しだけ思い出したのだ。

そこからすっかり意識の高い学生にでもなれば話としては面白いのだけれど、そうも行かず、冬になっても春になっても相変わらずのクズ生活を送りながら、ぼくは自分のやってることを説明できないんだという悩みはさらに膨らんでいくばかりであった。ぼくがその大学を進学先に選んだのは、入学してから専攻を選ぶことができるというその一点によるものだった。いろんなことに興味があるのです、というセリフを免罪符に、当時のぼくはのらりくらりと現在や未来の話を避けていた。しかし、いろんなことに興味があるという言葉は、この歳になればもはや、何にも興味を持っていないという言葉と等価であることにも、うすうす気づき始めていた。


そして去年の今ごろ、女の子たちがだんだんと薄着になっていく初夏のころには、ぼくは自分がどうして大学に通っているのかと疑問に思い始め、それ以外の無数の選択肢について検討した。どれもこれも子どもっぽい、非現実的な妄想のようなif世界ばかりだったけれど、もしかすると人生で初めて未来のことについて考えた年だったかもしれない。当然、再びそしてより切実に、「自分が一番大事にしなきゃいけないものって何だったのだっけ」という問いが現れるようになった。


さて、読んでいる人の9割が「お前だれだよ」などと思っているであろうこの状況で、ここまでぐだぐだと自分語りをしておいて、こんなありふれた結論しか出てこないのかよとぶんなぐられる覚悟で書くけれど、どうやらぼくに必要なのは ― 「新しいことをとにかく知ろうとしてみること」だったのである。あ、いや、ぶんなぐらないで!そう、まぁ、気づいてしまえばアホみたいな結論で、でもぼくはそれを思い出したおかげで、迷走を食い止めることができた……たぶん。秋に読んだあの文もどこかで影響していたのだろうし、いくつか直接的なきっかけもあったけれど、ともかく、自分に大切なのはそういうことだったのだ、という考えが固まり始めた。それにつれて、ぼくは少しずつ「興味があるふりをしてたやつら」について知っていくことにした。言語学とか、歴史とか、哲学とか、ほんのちょっとずつで、世の中の学生に比べれば何もやってないに等しいようなちょこちょことした勉強(笑)だったけれど、どうしてだか、心が軽くなった。

一旦落ち着いて説明すると、こういうことだ。知りたい知りたいと言っていても、実際に動き出さなければ、知らないことすら ― 知りたいことすら ― わからないぼくは多くの分野に関してそういう状態にいたのだなということに気づいた。そりゃあ、自分のことを説明できないはずである。

いつだったか「ストックの教養もいいけれど、案外フローの教養も大切だ」と言った友人がいて、彼の言いたかった文脈とは違えど、まったくその通りだなとじわじわ感じる。何かを知ろうとして、学ぶ姿勢を見せると、それがたった1週間や1ヶ月のことでも、不思議なほど生活が「学ぶ」ということを中心に回り始め、そんな雰囲気が滲み出るものなのである。ともかく、そうかぼくはこれさえできればこんなに楽しく過ごせるんだ、穏やかに勉強ができる環境を整えることに専念しよう、そのためなら多少は犠牲になるものもあっていい、と考えて、具体的に何をやったかは省略するけれど、だんだんと生活を動かし始めた。勉強も同時並行して、少しずつ知っていることが増えた。


少しずつ知っていることが増え、そして ― 少しずつ、知らないことが増えていった。たとえば、世の中にはどんな学問があって、かつて学生だった人々はどうやってそれらの学問に触れていたのか、なんてことを少しずつ具体的に言えるようになった。ぼくの知らない学問分野がそこにはたくさんあった。たとえば、数学のこの分野を理解すると、次にどんな話を組み立てることができるのか、なんてことが少しだけ見えてきた。ぼくの知らない数学ワールドが広がっていた。たとえば、僕が漠然と触れたかったアレ(高校時代に心惹かれていた、国語の教科書や模擬試験の問題などに出される評論文に漂っていたアレ)が「現代思想」とか呼ばれるものだということもようやく知った。少しずつその世界に足を踏み入れていくにつれ、「読んでいない本」が百冊単位で積み上がった(脳内に)。何かを学ぼうとすることで、自分の知らなかったことが何だったのかがわか(るような気にな)り、知る方法も少しだけわか(るような気がす)る、そして少しだけまた進むことができる。そんな行きつ戻りつが、とても心地よかった。

昔に興味があったことを、少しずつ「そんなのあったな」って思い出すようになった。高校生の頃は政治や経済にも興味があったじゃないか、文学だって、物理学だって……と、少しずつ思い出してくる。絵も描きたいし見たいし、芝居も演りたいし観たいし、映画も撮りたいし観たいし、ゲームも作りたいしやりたい、本も書きたいし読みたい、本当はファッションの知識も欲しかったし、本当は音楽的な素養も欲しかった。そんなことを思い出し、新しい世界を覗くたび、知らないことリストがどんどんと長くなってゆく。

本の目次を意識して眺めるようになった。本物の目次も見たけれど、ジュンク堂で本棚の間を歩きながら目に入ってくる本の背表紙も、図書館で埃をかぶっている本たちも、ついったーで誰かによって呟かれているなにやら難しいことも、大学で開講されている講義の一覧も、高校の友人が集まったときに「いまこんなことやってんだよー」と聞かされた近況報告も、ぼくにはすべてが本の目次だった。読めば読むほど、知らない世界へのインデックスが増えてゆく。

昨日、この共同ブログの立ち上げ人でもあるらららぎさんから、「前にバーでサッカー観戦をして、外国の人と友達になったぽよ!今年もギリシャ戦のときはどっかで観戦してギリシャ人と仲良くなるぽよ!」みたいなことを聞いた。なるほど、ぼくはそんな場所があることを初めて知った。もちろん、実際にぼくがそこに行ったわけではないので、こういうのが本の目次の状態というわけである。どんなことが起こるんだろう、どんな人が集っているのだろう、どんな空間なのだろう、そこにいたらどんな言葉を(自分は/そこに居る人は)しゃべるのだろう、こうやって知らないことは膨らんでゆく。こうやってぼくは、今日も元気に過ごしている。


「知れば知るほど、知らないことが増えてゆく」


ぼくの最も大好きな法則、いや、どころか、ぼくはこれのおかげで生きている。一生かかっても知り尽くせないものが世の中にはある、なんて素敵なことなのだろうか。
……初回の記事で人生の柱について吐き出してしまったら、次から書くことなくなるのではって今ごろになって慌てているけれど、もう手遅れだよね。どうしよう。滝汗なう。
そんなわけで、ちくわと申します、よろしくお願いしますね。

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