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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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「恩師の教え」——私の最も好きな法則 / 著者:ドーナツ - ch1

私のやっていることは多岐に及び、そこに秩序など存在しないかのように思われる。
専攻はアラビア語だが、国内の離島へ行ってみたり、在日コリアンの調査をしてみたり、本をつくってみたり、短い大学生活の仲でまぁいろいろなことをやった。
また、どうでもいいことではあるが、案の定私の部屋もものがごった返している。これは幼少の頃からなので、もうどうしようもない。「研究室っぽくていいじゃん」ということで、本などの書類に関しては床に積み上げるという手段をとっている。

そんな性分なので、秩序や法則に従うことを是としない人間になってしまった。
いや、もともとそういう人間なのだろう。
中学高校のころ(中高一貫の女子校)では、封建的な部活の上下関係という秩序に耐えかね、よくトラブルになっていた。

だが、いくつか「これは従わざるを得ない」という法則がある。
それについて紹介してみよう。


中学高校の恩師に、なかなかに破天荒な人物がいた。
理学部を卒業した後、別の大学の文学部を卒業したという経歴だけでも十分破天荒だが、普段は生徒を追いかけ回し、授業では好きなことを言い、定期試験では中学2年生にセンター試験の改題を解かせるという、なかなか楽しいことをやっている人物だった。
高校3年生の夏休み、補習で「みんながどの大学受けるかくらいは全員把握しておかねばなりません、じゃ、○○大学受ける人手上げて〜?」なんてこともやっていた。
下手をしたら訴えられかねない人物である。

そんな彼の言葉には、不思議な説得力があった。
女子校という環境で異性の目に晒されることなく、いつも自由に振る舞っていた私たちも、なぜか彼の言うことはそれなりに聞いていた。
私も彼から、国立大の二次試験の5日くらい前に「お前は○○大(第一志望の大学)に受からなかったら人間として認めない。」と言われ、「まじかよ。」と思ったが、なぜだかその言葉に卑屈になるのではなく、受け入れてとりあえずがんばろうと思ったものだ。
結果受かってしまったので、なんなんやこの先生は、という感想。

私たちが彼から授業で再三言われた言葉がある。

「『いい人』の前には『どうでも』という4文字がつく」
「結婚は打算と妥協」
「何を考えているか分からないやつはたいてい何も考えていない」

高校を卒業してから、これらの言葉が真実であると実感することになった。
中高一貫の女子校という、アットホームではあるが閉鎖的な環境を飛び出し、いろいろな人に出会ってきた。
本当に何考えてるか分からんやつは何も考えていなさそうだったし、「あの人、いい人なのにね〜」と言われている男子には本当に彼女が出来なかった。
今のところ結婚は現実的ではないが、おそらくこれから分かっていくのだろう。

私が一番良く言っているのは「『いい人』の前には『どうでも』という4文字がつく」である。
当初、この人はいい人だと思ったら本当にいい人だったと思った場合もあるが、実は「どうでも」いい人ではなかった、なんてことがこれまでに何度もあった。
この人、第一印象はいい人だったのに、どうして仲良くなってからはこんなにちゃらんぽらんで私に対して失礼なのだと、憤慨するたびにこの言葉を思い出す。



この法則は、彼がその破天荒な人生の中で体得してきたものなのだろう。
だからこそ、その言葉には真実みがあり、私たちが今後の人生で応用していくことも出来るのだろう。

高校卒業間近の雪が降りしきる日、感謝と愛情を込めて、先生の外車に積もった雪の上から「LOVE○○(←先生の下の名前)」と落書きしてきたのは良い思い出である。

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