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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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紙に書く,ということ。 / 著者:開発室Graph - ch25

. ここ最近はずっと「紙」と「人間」のあり方について,付き合い方について考えてきました。情報技術が発展してきたこの世の中では,紙の役目は終わりつつあるようにも思えます。
  実際に本は読まないけれど,「ブログ」は読むという人,手紙は書かないけど「メール」や「LINE」は使うぞ,という人などなど。人間は少しずつ,実際の物質である「紙」から離れつつあるようにも思えます。
  ぼく自身もデジタルを愛する人間であるので「紙なんていらないんじゃないの?」と思うこともしばしばありました。でも考えてみるとやっぱり「紙」は素晴らしいものであったのです。
  「紙」について書きたいことは,それこそ山のようにあります。デジタルとの関わり,検索できるか,人間との歴史,印刷機との関係‥などなど。考えれば考えるほどアイデアが出てきてしまって,なかなか1つに絞ることはできませんでした。
  でも今回はなんとか1つにして「書くこと」にしぼって話をしていきたいと思います。

  ぼくにとって書くことは「頭のもやもやを晴らす」ということが最も大きいです。書くことは考えることです。でも,ただ書けばいいかというと,たぶんそうではないのです。
  かつては「なにか書きたいぞ!」と思った途端にテキストエディタを開いて,思うがままにキーボードをタイプしていました。でもたぶんそれじゃあんまり意味ないんですよね。それだともちろん途中で書く内容がこんがらがってしまって,なにを書いていたのかわからなくなってしまうことが多いからです。
  なんとか気合で書き上げたとしてもそれは「もやもや」のままなのです。わかりにくいものが,わかりにくいまま外にひょいっと出てきてしまった感じ。

  だから最近は「一度それを紙に書く」ということをやっています。「コレだけは書きたいぞ!」ということを1つずつ紙に書いていくのです。その後で実際にキーボードに打ち込むことにしました。
  こうすることでじぶんが今なにを書いているのかよくわかるし,「もやもや」を晴らしていくことができるような気がしています。やっぱりぼくはどうしても「わかりやすい」ことを目指してしまうのです。

  ではなぜ「紙」がそのようなことを可能にしてくれるのか,についても少し考えてみました。やっぱり紙は「人間の思考スピードに寄り添う」ものであると思うのです。
  コンピュータはあまりにも高速すぎて,ゆっくり書きたいことを探すというのにあまり適していません。また,ほとんどの人がコンピュータに文字を入力するのにキーボードでローマ字を入力すると思います。これは当たり前のことのように思えます。でもそれは日本語の歴史で考えると,ずっとずっと最近のことですよね。
  ひらがなの「か」は「か」であって「k」+「a」ではありません。ましてや,ただの01変換されたデータの並びでもないのです。

  でも紙は違います。しっかりと日本語を日本語のまま書くことができます。
  コンピュータに比べて,時間あたりに書くことができる文字数は少ないでしょう。けれども,スピードが遅いからこそ,ぼくたちに「なにが大事か」を気づかせてくれるのではないか,と思うのです。きっちりとぼくらの思考スピードに寄り添ってくれます。そうやって「本当に書きたかったこと」を探す手伝いをしてくれます。
  もちろんコンピュータは文章を書いたり保存したりするのは便利です。でも「なにを書くのか」という,文章の根幹の根幹の部分はやっぱり「紙」が担うべきだと思うのです。

  また「紙」は基本的に「なにかを書くためのもの」です。折り紙とかダンボールとかありますがここでは置いておきましょう。だから紙は「書くことに集中させてくれる」のです。真っ白な紙を前にすると「他に余計なことは考えるな,ただ書け」と言っているかのようにも感じられます。テキストエディタと違い,矢印や絵を多用して本当に「思ったまま」書けるというのも強みの1つですね。
  コンピュータは違いますよね,ほとんどなんでもできる魔法の箱は便利です。でも文章を書くとなると,あの手この手でぼくらを邪魔してくるものです。すぐさまインターネットにつなげるし,ゲームはできるしといったところです。コンピュータは「創作者」になろうとするぼくらを即座に「消費者」へと変えてしまうものなんですね。

  手を使って書く,というのも同時にすばらしいことです。もちろん活字とかテキストファイルになった文章にもその人自身の味とか空気というものが出ていてよいのです。でも「筆跡鑑定」ということばがあるように,その人が書く「手書きの字」には,その人そのものが詰まっているようにも思えるのです。その人が実際に紙に書いてくれた何かというのは,なんだかその人の分身のような気がして,ぼくには大事なものであるかのように思えます。最近はそういうものをもらうというのも,めっきり減ってしまいましたが。

  そんなわけで,最近の「紙に書くこと」があまりなくなった世の中でも,やっぱりぼくは「紙に書くこと」を大事にしていきたいなあ,と思うのです。人間と文章とをずっとずっと結びつけてきた「紙」をこれからも大事にしていきたいな,と思うのです。
  と言いつつこの文章はコンピュータで書いてしまったんですけどね。

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