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chiasma 21:「好きな言葉について語る」

chiasma 21:「好きな言葉について語る」
・「宝物のある場所」(ドーナツ)
・「好きなことを、書きました。」(てだ)
・「数百ヘルツの音に貫かれる」(セカペン)

*御題です、御題がやってきたのです。

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このテーマでは、ぜひ「『言葉』について『言葉を尽くして』語る」ということに取り組んでもらいたい。

旧約聖書にこのような言葉がある。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(申命記6:5)
「尽くす」という言葉が印象的な一節である。
自分の心、精神、思いの全てが「尽きる」まで神を思えという教えだ。
神のために思いを尽くすかどうかは人それぞれだが、愛する人やもののために思いを尽くすということは、人生を豊かにする行動の一つであると言えよう。

20年ほど生きていればたくさんの言葉に出会うだろうし、その中にはきっと好きな言葉や大切にしている言葉があることだろう。
この文章を書いている私には「座右の銘」なるものこそないものの(そもそも座右の銘がどういうものなのかよくわかっていない)、好きな言葉や大切な言葉がいくつかある。

それでは、「好きな言葉を毎日思い浮かべるかどうか」と考えてみると、決してそうとは限らないことに気づく。
ムスリムは毎日礼拝の時に同じ祈りの言葉を唱えるし、クリスチャンも「主の祈り」は自分の意思や心の状態に関わらず何度も繰り返してきたことだろう。
だが、好きな言葉は決してそうでない。
人生の折に触れ、自分がその言葉を必要としているタイミングに思い出す。
忙しい日々の中でその言葉の存在が薄まっていることもしばしばあるのではないだろうか。
「そんなことない!」とお思いになる方もいらっしゃるだろうが、少なくとも私はそうだ。

だから一度、好きな言葉や大切な言葉をなぜ大事に心に抱いているのか、振り返ってみたい。
その言葉が何故好きなのか——その言葉を発した人が好きだから、言われて嬉しかったから、幸せな思い出が伴うから——細かく思い返してみると、その言葉と出会ったときにはわからなかったことが見えてくるかもしれない。
また、その言葉と共にどう生きてきたか、これからどう生きていくか、そんなことを考えてみてもよいだろう。

言葉を尽くして言葉について語ること。
それは滅多にしようとしない試みであると同時に、人生の良かった部分を振り返るという幸せな試みであるのではないだろうか。

(御題提供・前口上:ドーナツさん)
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