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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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*きまぐれ索引(か〜こ)*

《か行》(懐古厨――覚悟――過去を振り返る――過熱する――教養――クロスオーバー――ごった返す――。)




【懐古厨】(かいこちゅう)――新しいものにも古いものにもそれぞれの良さがあると分かっていながらも、どうしても古いものにバイアスを置いてしまう人のこと(蔑称)。

 「どうして古いものにバイアスをかけてはいけないのか」「どうして新しいものの価値をわざわざ見出さねばならないのか」「新古の価値判断においてフェアになることの、いったい何が良いことなのか」「私が新しいものの価値をわざと見出さないことで、あなたが被った害はどれであったか、ひとつでも挙げよ」という議論を無視して、相手を否定したいときによく使われるため、自嘲以外の目的で使用すると頭が悪うに見えます。
 「(特に子宮や幼少期に出会った素敵なものなどの)懐かしいものは、人生において全肯定される」というバイアスは、なんだかんだ言って当たり前のことですが、それを表に出すと理不尽に殴られてしまう時代になったのかもしれませんね。

自分はとんだ懐古厨だと自嘲しています。(私きっと距離と空間のあるものが好きなのだわ!)
(好きなもの の ひみつ / ネコ)

【覚悟】(かくご)――あらゆる欲望や混迷を眠りにつかせ、歩むべき本当の道を見つけた状態のこと(仏教用語)。

 要するに、どうすればよいかを<あきらめる>(明らめる)ということです。そこから、明らかになった心構えのことを「覚悟ができている」などといいますね。

こんなありふれた結論しか出てこないのかよとぶんなぐられる覚悟で書くけれど、どうやらぼくに必要なのは ― 「新しいことをとにかく知ろうとしてみること」だったのである。あ、いや、ぶんなぐらないで!
(知れば知るほど、知らないことが増えてゆく / ちくわ)

【過去を振り返る】(かこをふりかえる)――過ぎ去ったことを思い返して、自分の経験として噛みしめること。

 「振り返る」という表現が、なぜ「思い返す」(思い出す)ことになるのか――私の仮説ですが、思い出すというのは「心的」な行為であって、心のなかで完結するけれど、振り返るというのは「身体と心」のどちらも方向を向け直すという意味があるように感じます。
 「思い出す」「鑑みる」「省みる」「回想する」などは、主観・客観の違いはあれど(つまり距離感の違いはあれど)、どれも心的な動作に収まっており、身体(つまり存在としての姿勢)を動かそうという試みがみえません。しかし、振り返るというのは、存在を「賭けて」する行為なのだと思います。
 だから、振り返るというのは、「経験を噛みしめる」ことを前提にしていると思い、そういう語釈を書きました。

私は何を断念したんだろうと過去を振り返りながら考察していきました。
(復讐 / めがね)

まず、お話をしていく過程で何故このような結論に至ったかという道筋の中で、僕のことを振り返ってみる必要があります。
(同上)

学生時代を振り返ってみると、ゲームセンタに行ったりだとか、カラオケに行ったりだとか、公園でカップラーメンを啜りながら語らったりだとか、一緒にお好み焼きをつついたりだとか、寄り道が多かったように感じます。
(帰り道というショートショート / めがね)

【過熱する】(かねつする)――必要以上に熱くなること。「superheating」の訳語。逆は「supercooling」(過冷却)。

 もともとは、液体が沸点を過ぎても沸騰しないことを意味しており、それの比喩として「熱が必要以上にあること」を意味します。あくまで比喩なのですが、多くの辞書では、「必要以上に熱くなること」が第一の語義とされております。
 この比喩がうまくないのは、「液体のままである」という点を表現できていないところだと思います。そんなこと気にして使う人はほとんどいないので大丈夫かもしれませんが、普段から「過熱」を元の化学的な意味で使用している研究者などと、うまくコミュニケーションできないこともあるかもしれませんね。

報道は過熱し、『私以外』の人々を巻き込んでいくのです。
(復讐 / めがね)


【教養】(きょうよう)――日本でしか通用しないような衒学趣味に近い知識の塊。

 ラテン語の「humanitas」(人間性)あるいは英語の「culture」(知的素養)から来ていると考えられていて、たぶんどちらの意味もあります。基本的には「教養がない」という意味不明な基準で人をバカにするときに持ち出され、相手の非専門性や無関心を高みから否定することができます。
 また、広くは「学びの幅」の意味を持ち、たとえば大学に入ったばかりの新入生が「どこに何の情報があるか知らない状態で、手探りと手持ちの知識のみで必要な知識を構成していく姿」も教養だといえるかもしれません。

いつだったか「ストックの教養もいいけれど、案外フローの教養も大切だ」と言った友人がいて、彼の言いたかった文脈とは違えど、まったくその通りだなとじわじわ感じる。何かを知ろうとして、学ぶ姿勢を見せると、それがたった1週間や1ヶ月のことでも、不思議なほど生活が「学ぶ」ということを中心に回り始め、そんな雰囲気が滲み出るものなのである。
(知れば知るほど、知らないことが増えてゆく / ちくわ)

【クロスオーバー】(くろすおーばー)――[crossover]重複する部分。複数のレイヤー(層)が交差すること。

 狭義では「クロスオーバー作品」(Fictional Crossover)といい、それぞれ独立している物語同士が、ひとつの文脈のうえで交わることをいいます。アメリカのコミックでよく使われる手法で、日本では原作再現型のクロスオーバーで有名な『スーパーロボット大戦』、この間は『大乱闘スマッシュブラザーズ』で、マリオ(任天堂)・パックマン(ナムコ)・ソニック(セガ)・ロックマン(カプコン)というクロスオーバーがありましたね。
 「園児のために乗り物を紹介するビデオ」にアンパンマンとかバイキンマンが出てくるのが、すごく好きだった思い出があります。そういうのが《ダブり》の原体験だったような…。

別々の物語がクロスオーバーした時なんかはそれはもう興奮ものでした。
(帰り道というショートショート / めがね)

【ごった返す】(ごったがえす)――ごたというのは、ゴミや泥がまみれていることや、それを抽象的に混沌として表現する語。ごちゃとも発音します。

また、どうでもいいことではあるが、案の定私の部屋もものがごった返している。これは幼少の頃からなので、もうどうしようもない。「研究室っぽくていいじゃん」ということで、本などの書類に関しては床に積み上げるという手段をとっている。
(恩師の教え / ドーナツ)

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