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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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断念に関する思考 / 著者:黒崎咲夜 - ch2

こんにちは。黒崎咲夜です。

俺の断念してきたこと。
…正直、無いんじゃないか?と言う気持ちで筆を進めております。

俺は小さい頃から、自らやりたいことはみんなやってきた、または親や周りの人たちがやらせてくれた、という恵まれた環境に居ると思います。

特に、俺の父方の祖母は、現在も自らの経済力を用いて、初孫たる俺に様々な優遇をして経験させてくれています。そのおかげか、俺は様々な経験を今年22になる歳の割りには持っているのではないかと思います。

また、俺は非常に気が強く、傲慢不遜であるので(出会って2ヶ月の大学の教授から「黒崎さんはリアル西太后だ」だと揶揄されるレベルですのでお察しください)、「この俺がやると言ったらやるんだ!」と決めたらトコトンやり通すゆえに、周りが気を遣って譲歩してくれていたのかもしれません。

自らの望みを強い気持ちで貫き通すこと】。
これまで、様々な場面で断念をしなかった理由はここにあるのだと思っています。ただし、最低限の譲歩は必要ですし、これはさすがの俺でもやっていると思います(断言はしません、そんなことできませんから)。

だけれども、最終的に譲歩をしたとしても自らが結果に納得している、ということが、「物事を断念した」という意識を消し去っているのやもしれません。

さらに、何かを成し遂げる為ならば、自らに出来る全てのことは努力し、こなしてきましたし、何か物事を成し遂げるにふさわしい人間になるよう努めてきました。ここにも、断念したという意識が無い理由があるのかもしれません。

ここまで読んでおいて、俺は「断念」というか、「挫折」というものを味わった人間じゃないのだろうか、と思えてきました。
挫折をしないと、人間的に成長しないとは聞きますが、俺の場合、それは小中高大で受けてきた「いじめに対する対抗」で挫折を置換してきたのかもしれません。

さて、最後まで読んでくださったあなたに、是非お尋ねしたいことがあります。

断念したことが無いことは幸せなことなのでしょうか。
断念したことが無いことは、不幸せなことなのでしょうか。



黒崎 咲夜 / 2014.06.22





(編集責任らららぎ)

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