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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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大事なのは、葛藤に気付いて面白がれるかってこと / 著者:らららぎ - ch5


俺言ったろ?大事なのはお前らが、この試合を面白がれるかどうかだって。

『GIANT KILLING』というサッカー(の監督がメインに描かれている)漫画。番狂わせとか、大物食いという意味なんだとか。この監督が率いることになった弱小チームETUは、彼のもとリーグで1位を目指すことになるが、選手たちは「成し遂げたことのないこと」に怯え、自らの実力を半減させる葛藤に捨て鉢のような態度をとり、勝利へと導く監督のロジックに反抗する

彼らの「本来持っているはずの実力」を無効にしているのは不安である。その不安は葛藤から生まれ、その葛藤の正体は「役割間葛藤」と称されるものである。自分たちは「勝利者に相応しいのか」と考えてしまう。彼らは「強いものが勝つ」という前提にあるため、負け続けてきた自分たちは勝利者なりえないと決め込んでいる。ベッケンバウアーが強く主張するように、本当は「勝ったものが強い」のに。

大人というのは、臆病の正体がバランスの欠如だと知っています。臆病な人にとって、勝利は〈重荷〉に感じられます。彼は〈敗北に慣れすぎている〉のです。負け慣れてしまうと、いざ勝利のチャンスに出会い、その玄関先まで辿り着いたとしても、チャンスを掴み切ることができないものなのです。(32)
— 大人たん(@otona_tan) 2013, 12月 8

大人たんも「敗北に慣れすぎていて、勝利が重荷になっている」と語る。

肝心なのは、面白がれるかということなのだ。
ゴミ箱に虫が集うことも、電気代を支払えず超過金をとられることも、隣の家から性的でリズミカルな叫び声が聞こえることも、ゴキブリに歯ブラシをかじられることも、山のように洗濯物が溜まることも、野菜室の奥でキャベツが腐っていることも、布団にカビが生えることも、トイレに蜘蛛が棲み付くことも、テレビを付けたまま寝てしまうことも、寂しさと苦しさで心が混み合って鬱ぎ込むことも、すべてが「いまここにいる自分にしかできない代えがたい唯一の経験」なのだ。それを愛すること。不幸も幸福も、どちらも自分の人生なんだと思って無条件に愛撫してやること。それが大事なことだろう。

葛藤で苦しむ人には、愛が足りない。
ひいては愛嬌(人間的で温かい隙)が足りない。

ひとりで暮らしたことない人間が、「私は独力で暮らすに相応しい人間だろうか、それをやり遂げる資格があるだろうか」などと問うのは退屈で窮屈だといえる。もっと楽しんでいい。窮極に楽しめないときでも、面白がれるかどうか、そこが何よりも肝心である。

ということで、すべからく楽しむべし

しーゆーれーらー

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