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みんなでしんがり思索隊

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数を数える時間なんて僕らにはない / 著者:こはく - ch14


こんにちは、こはくです。

1万時間の法則というのを聞いたことがあるでしょうか何かの分野で一流になるためには、それに打ち込んだ時間が1万時間に到達しているかどうかが目安となる、と謳っている法則のことです。
音楽家だったり、スポーツ選手だったり、専門家の研究だったり、何かのプロになるにはこの「10000」という数字が大きな境目になると言われています。

じゃあ僕たちも1万時間頑張ればプロとして食っていけるようになるのか、と安易に思ってしまいますが、僕たちがこの数字にたどり着くのはとっても難しいです。
モチベーション云々以前に、絶対的な時間の問題で。
単純計算で1日8時間、社会人が仕事に当てる時間を全てそれにつぎ込んだとして、

10000[時間]÷8[時間/日]=1250[日]≒3.5[年]

3.5年間、毎日、休みなく打ち込んで初めて1万時間に到達できます。
これくらいのペースであれば実現できるような気もしないではないですが、これは理想的な数字に過ぎません。
現実には仕事や睡眠、その他日常的なことをしているとあっという間に自由な時間はなくなっていきます。
もし1日4時間の時間を捻出できたとしても、その時はさっきの計算のおよそ2倍、7年の時間がかかってしまうのです。
こう考えると、1万時間というのがいかに難しいかがわかるはず。
僕らが何かにインスピレーションを受けて「よし、俺もプロになるぞ!」と意気込んでも、膨大な時間を何かひとつのことにつぎ込むのは非常に難易度の高いことなのです。
(実際に一流、プロと呼ばれている人は、この時間を作り出すための精神面での際立った特質があります。それによって彼らは一流の位置を保ち続けていることができているのです。)

で、僕が主張したいのは、別に1万時間も必死こいて頑張って一流になったりしなくてもいいじゃない、ということ。
普通の人間でいいじゃない、普通に生きればいいじゃない、と僕は思っています。
何かの能力に突出できたとしても、それが幸福と直結することはありません。
ミュージシャンのつのだ☆ひろさんがあるテレビ番組の替え歌企画で、

「メリー・ジェーン」一筋
気がつけば もう40年
生きてる限り 歌うはずさ
でも本当は「飽きた」

という替え歌を歌っていますが、このように一流の位置を保ち続けるために毎日10時間以上黙々とそれに打ち込み続けることは、楽しいことではないし、ましてや幸福と縁のあることではないのです。
(サラリーマンがやっているような仕事に置き換えても、同じことが言えますが。)
だから僕は「普通に生きること」こそ、求めている人生を手にする方法だと思うのです。
あ、普通というのは決して平々凡々って意味ではありません。
一般的な範囲で、一般的に素晴らしい存在として生きましょう、それが普通だということなんですよ、ということを言っています。
上から与えられた仕事をただ黙々とこなすサラリーマンのように生きるのを想像するのは違うってこと。
そうなりさえしなければ、普通に生きていれば誰かにとって特別な存在になれるのです。
一流の人間は全世界に対してインパクトだったり、感動だったり、勇気だったりを与えることができますが、普通の人間だって彼らに同じものを与えることができるのです。
違いは影響を与える範囲が前者に比べて後者はほんの少しだけ狭いってことだけ。
特定の輪の中でこそ価値が生まれる人のことを、僕は普通の人と呼んでいます。

僕なんかはファッションに関しては普通の人です。
世界規模で見たら僕の服装なんて価値のないものでしょう。
中古の服をヤフオクで買い漁っている、ただの意地の悪い人間かもしれません。
実際ブロガーの人みたく、ファッションで飯を食べているわけではありませんから、僕にはファッションに関しては価値がない、とも言えるわけです。
でも、だからこそ、ある特定の人たちの中では一番ファッションに関しては興味を持っている自信があります、価値を提供できる自信があります。
特定の輪の中でこそ価値が生まれるからこそ、僕はファッションに関しては「普通の人」なのです。

では普通の人になるためには何が必要なのか。
それは、今までにつぎ込んできた時間です。
僕は相当数の時間をファッションにつぎ込んできました。
(もちろんお金もそれなりに使いましたが、お金というのは時間の代替物のようなものなのでここでは時間だけで話を進めます)
ただ僕が重要だと思っているのは、目的としての時間ではなく、結果としての時間です。
僕にとって、数えてきた時間は時間は目的ではなく結果でした。
僕は時間を意識してファッションと付き合ってきたわけではないのです。

冒頭にお話した1万時間の法則。
こんなものは天才をどうやって科学的に生み出せるかを考えている研究者が調べているだけで、
一流の人たちはこの法則をもとにして一流を目指してきたわけではありません。
ひたすら理想へと近づく努力を重ねていたら、結果として1万時間を超え、人々よりも優れたスキルを身につけていた、というだけ。
そして彼らに共通する要素を知った研究者が「こうすれば一流になれるぞ!」と大声で叫んでいるだけの話なのです。
僕がファッションに対して普通の人間になれたのは、
「よし、1万時間頑張ってファッションの勉強をするぞ!」
と決めてファッションに向き合ってきたからではなく、純粋にファッションに興味を持って、僕にふさわしい服装をするには何が必要なのかをひたすら考えてきたから。
時間を数えてきたからおしゃれになれたわけではなく、おしゃれになる努力をしてきたから時間が数えられてきたのです。

結論としては、何かを数えることはあまり有意義ではない、数を数える時間なんて僕らにはないんだ、ということです。
合理的な考えに頼りきって生きることは結果としてうまくいかないのではないかな、という感覚があります。
ただ数字を数えるだけではない、かといって漠然と感覚的に生きるのでもない「必然性の感覚」を持って日々を生きることで、普通の人生を送れるのではないかなと僕は考えています。

これが果たして今回のテーマの回答になっているかどうかは分かりませんが、僕が書きたいことは書けたような気がするので、今回は以上にしましょう。
ではでは、最後まで読んでくださってありがとうございました。

こはくより。








(校閲責任:らららぎ)

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