忍者ブログ

みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
MENU

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


宗教は標識だ。 / 著者:こはく - ch12

「しんがり」みたいなところでは、たまにはタブーを見ないフリしてみるのもいかがでしょうか。
chiamsa 12:「『宗教』に関するあなたの考え」前口上より
これを読んで、僕は『あること』を言う決心ができました。
僕の家は、創価学会員です。
…。
まあ、それだけなんですけど。
世間では創価学会は政治に介入してきてなんだかんだ、池田大作がなんやかんや、勧誘があーだこーだ、っていうことが声高に議論されています。
創価学会は世界の終焉をもたらすだとか(?)政治を宗教戦争に巻き込むだとか(??)言われていて、創価学会があたかも悪の根源であるかのように語られています。
が、僕個人としてはそんなことは正直言ってどうでもいい
創価学会の(僕にとっての)重要な役割、それは、家族にいつも常に感謝できる人間になることを教えてくれたこと。
ただこの一点のみが重要なのです。

僕は生まれた時から創価学会員でした。
僕が生まれる前から両親が学会員だったのですね。
そのおかげで僕は子供の頃から創価学会の会合とか中継放送みたいなものに参加して(させられて)きました。
子供には全く面白みのない、興味も沸かない話ばかりでしたが、ただひとつ、共通のメッセージがそこには散りばめられていました。
「お父さんとお母さんに感謝すること」
というメッセージです。
僕が創価学会で学んだことは、突き詰めるとこれになります。
家族を思いやること、もっと言えば、人と人のつながりを大事にすること。
これが僕がこの団体から受け取った、最大にして最高のメッセージです。

直接関係あるかどうかはわかりませんが、僕には反抗期という時期がありませんでした。
面と向かって「ありがとう」ということはなかなか出来ていませんが、すこーしずつ、行動や言葉で感謝の意を家族には示しているつもりです。
僕にとっての創価学会は、夜寝る前に家族みんなで仏壇の前で『南無妙法蓮華経』と唱える。
ただ、これだけ。
僕にとっての宗教はただ、これだけなのです。

…うーん、なんだか宗教に関してというか、僕に関してのお話になってしまいましたね。
このまま終わるとテーマを消化していることにならないので、最後にテーマである『宗教に関する僕の考え』を述べて終わりにしたいと思います。

宗教というのは、標識です。
広大な人生をという大地を歩む人が仰ぐ、標識。
人はみな幸福という目的地を目指しています。
でも、ほとんどの人はその幸せにたどり着く方法が分からない。
「こうだ!」と思って歩みを進めても、そこは理想の地ではなかったりする。
目的地は分かっていても、その目的地に行くことができない。
そんな人たちを宗教は導くものだと思うのです。
目的地を示して、方向の狂いなく人々が思う目的地に導いていく。

宗教が無数にあるのは、人の目的地が人によって異なるから。
ディズニーランドに行きたい人、ユニバーサルスタジオに行きたい人、北海道に行きたい人、沖縄に行きたい人、それぞれが同じ標識を見て目的地を目指すわけはありませんよね。
それぞれの人が求める目的地にたどり着くための適切な標識、これが宗教なのではないでしょうか。

ではでは、以上です。
ありがとうございました。
こはく

拍手

PR

背伸びしなくてもいいんだ。/ 著者:こはく - ch2

こんにちは、こはくです。
ここ1週間ほどこのブログ、そしてきあずまと向き合ってきましたが、その結果僕はひとつの大きな壁を意識するようになりました。
自分と徹底して向き合わなければ、文が書けないということです。
それは他のメンバーも感じているようで、記事とツイッターのつぶやきを見ていると、皆苦しみながら記事を書いていることが伺えます。
このブログの記事はまさに自分自身と格闘しながら作られています。
でもだからこそ、このブログには価値があるとも言える。
自分の表面だけ、現在だけを描写してもダメで、それだけでは決定的に何かが欠けてしまいます。

真珠はすごーく綺麗ですが、真珠を作るためにはその核が必要です。
これと同じように僕もきあずまと向き合っていく中で自分の核、コアを見つけ出さなくてはなりません。
今の自分を構成している、本質はなにか。
内面を徹底的にサルベージした時だけ、その本質が見えてきます。

ブログ記事は書いた人の人生を抽出した、エスプレッソのようなものです。
極上の旨みを極上の形で抽出した、エスプレッソ。
コーヒー豆はその人自身を意味していて、きあずまはブルーマウンテンやコロンビアといった産地のようなものではないでしょうか。
それぞれのきあずまという土地ごとに全く異なる豆である自分自身を見出していって、それを適切な形でアウトプットした文章、すなわちエスプレッソにしてゆく。
そしてそれを読者様、他のメンバーに楽しんでもらう、飲んでもらう、読んでもらう。

ふむ、こう考えると楽しくなりますね。
そして、だからこそ、中途半端なものを作る事はできません。
スタバの店員さんみたく、誠心誠意お客様である皆様にエスプレッソを飲んでいただけるよう、僕は僕の出来る限りを尽くしてエスプレッソを淹れなければなりません。
日々、精進してまいります。

…おっと、これで終わりではないですよ。
今日はこれからお話する一杯のエスプレッソを楽しんでいただければと思います。
自分と真摯に向き合って抽出したこはく特製エスプレッソ、chiasma2『私の断念してきたこと』でございます。

【背伸びしなくてもいいんだ。】

最初にひとつ質問。
あなたの身長はいくつですか?
…ふむふむ、そうですか。
僕の身長はですね。
抽象的に言うと、僕の身長は日本人男性の平均身長に達していません。
具体的に言うと、僕の身長は168cmであります。
10代の頃、僕はこれがコンプレックスでした。
身長が低い(高くない)というこの一点が、僕の日々を憂鬱にしていました。
当時あらゆる人と自分の身長を比較したりして、
  「ああ、この人よりは僕の身長の方が多少は高いのだな」
  「ああ、この人より低いな、っていうかこの人背高すぎ」
という感じで、延々他人と自分を見比べてばかりいたのです。

僕は悩みました。
一体何が私の身長の成長を阻害しているのか?
遺伝子?
私のこの身長不足は父と母のDNAの成せる技なのか?
それとも食事?
本来であれば平均身長を超えるであろうポテンシャルを持っていたはずなのに、成長期の食事のアンバランスさがこの結果を招いたのか?
あるいは運動?
卵が先か鶏が先か、成長を促す刺激を与えるために、高身長が集まるバスケ部に入っておくべきだったのか?
原因はいくらでも考えられました。
そしてそれと同時に、ひたすら身長を伸ばすことに苦心していました。
毎朝起きる時に背伸びをしてみたり、毎日コンビニで500mlパックの牛乳を買って飲んでみたり、果ては『3ヶ月で身長が伸びる体操』なる本を買って実践してみたりと、身長を伸ばすためにできる限りのことは尽くしてきました。
でも、結局身長は1ミリも伸びはしなかった。

現在はもうこの身長を伸ばすことに意識を割いてはいません。
僕は、身長を断念したのです。
でも、これは決してネガティブな意味で断念したということではなくて。
この身長というパラメータがいかに無意味なものであるかを知った、身長は僕の人生のクオリティには直接関係がないということを理解したのです。

相棒っていうドラマ、知ってますか?
水谷豊さんと成宮寛貴さんが主演の、刑事ドラマです。
最近はテレビ自体をつけないので全く見ていないのですが、彼、水谷さんの服装が、とても格好いいんですよ。
劇中では常にスーツ、まさに紳士の鏡といった格好で。
最近の僕の服装がほとんどスーツになっているのは、この水谷さん(正確に言うと劇中のキャラクターである杉下右京)によるところが大きいのかもしれません。
徹底的にフォーマルを貫いている彼の意思、彼の姿に、僕は影響を受けたのです。

誰かに影響を与える人は、総じて『個性的な』ものを持っています。
僕も彼見たく、誰かに影響を与える人になりたい。
影響を与える、と言うと少し傲慢に聞こえるかもしれませんが、要するにインパクトを与えたいということです。
僕は今自分が持っているものを最大限に活かして、自分という人間を構築していきたい。
そしてほかならぬ自分によって、誰かが変わるきっかけを与えていきたい、と思っているということです。

人生にとってお金、身長、子供の数といった客観的な数字は問題ではありません、人間は線形的な存在ではないのです。
昔の僕見たく、手に入るはずのない身長を追い求めることは無意味。
僕らがすべきことは持っていないものを追い求めるのではなく、既に持っているもの、生まれた時に与えられた自分という素材を、最大限活かしていくことなのです。
真珠は核があるから真珠になる。
最初にお話しましたよね。
僕たちも、核を持っています。
その核を輝ける真珠にできるのは、自分だけ。
自分の人生を生きる中で、自分を構築していく。
僕たちは背伸びして手に入れようとするものより輝けるものを、既に持っているのです。

ではでは、今回はこれにておしまいです。

ありがとうございました!

こはく

拍手

約束をしよう。/ 著者:こはく - ch5

こんにちは、こはくです。

今回のお題chiasma5は『ひとり暮らしにおいて肝心だと思うこと』。
思うに、お題投稿者様及びひとり暮らしをしている皆さん、加えてこれからひとり暮らしをしようと考えている方へのアドバイスになるであろうものを求められているようです。
となると、僕個人の個別的ななお話をするのは適当ではありませんね。
(僕自身はまだ一人暮らしをしたことはありません。
会社の社員寮に半年ほど暮らしていたことはあるのですが、掃除や食事といったひとり暮らし的な家事はおばちゃんたちがやってくれていたのでこれをひとり暮らしということはできませんよね。
ですので僕はひとり暮らしをしたことはない、ということになります。
今年中に上京して一人暮らしを始めたいと思っているのですが、それはまた別の話。)
少なくとも僕だけでなく、みんなに共通するような事柄を語ることがこのテーマの答えとしてふさわしいようです。
具体的なことは個別的になってしまうからダメ。
となるとその反対のこと、すなわち抽象的なことをお話すべきであるという結論に達します。

抽象的なお話といっても別に哲学的な難解な話をするつもりはないし、ひとり暮らしという主題からかけ離れたことをお話するわけでもありません。
僕がお話しようと思っているのはいたって簡単で、素朴で、単純なお話です。
僕が考える『ひとり暮らしにおいて肝心だと思うこと』。それは、
秩序です。
秩序のある暮らしが大事ですよー、ということを僕は主張したい。
ほらほら、とってもシンプルでしょ?

で、大事になってくるのはどうやってこの秩序を実生活に当てはめていくか、ということ。
『秩序のある暮らし』というのはすごーく漠然としていて、実生活で使えるようなものではありませんよね。
そこで。
今度はこの抽象的な行動規範を具体性のある事柄に当てはめて考えていく、という作業が必要になります。
で、この具体化は人それぞれがすべき部分です。
僕が今まで生活してきた、生きてきた中で導き出した肝心だと思うこと―秩序のことを言っています―を、この記事を読んでいるひとりひとりが自分の生活に当てはめて考える。
そうすれば僕の考えを押しつけることなく、かつ僕なりの今回のテーマの答えをひとりひとりの生活の中に取り込んでもらえるのかな、と思うのです。

ここから先はひとつの具体例を示してみたいと思います。
ひとり暮らしにおける、秩序ある生活を具体例を。
ところで。
人は何かと何かを比較することで、そのもの理解することができます。
生まれてこのかた軽自動車しか乗ったことのない人は、乗用車ましてや高級スポーツカーの良さを理解することはなかなかできませんね。
そのため秩序の良い部分・利点・メリットを理解するには秩序的ではないもの、すなわち無秩序を理解することが必要だと僕は考えます。
ですからまずは、無秩序について考えていきましょう。

ひとり暮らしにおける、無秩序の具体的な例。
そうですねえ、なんでもいいのですが…。
本を考えてみましょうか。
漫画、文庫、教科書、エトセトラ。
これらにおける無秩序とはどのような状態か?
あ、もちろん分かっているとは思いますが、ラノベと美術雑誌が隣あっているとか、本のジャンルが全くバラバラな状態=無秩序だといっている訳ではありませんよ。
この場合における無秩序とは、本が整理整頓されずに散らばっている状態のことを指して言っています。
想像してみてください。
本が四方八方に散らばって、足の踏み場のない床を。
部屋の中で何かアクションを起こすと、必ずといっていいほど本に触れることになる。
本来本を扱うべき手ではなく、扱うべきではない足で。
これは、果たして良い状態でしょうか?
違いますよね。
決して「これが良いんだ」という人はいないでしょう。
公共の図書館がこのような状態、どこにどのジャンルの本が収まっているか分からない魑魅魍魎な状態では決して健全な図書館とは言えません。
同じようにたとえそこが自分だけの空間だったとしても、そこにある本には秩序があることが必要なのです。

秩序を形成することは、簡単です。
本棚を設けるだけで、全てが解決します。
床に二次元的に散らばっていた本は本棚の一段一段に綺麗に収められ、床という二次元空間ではなく棚という三次元空間の中で均整を保ちます。
秩序というのは実に、実に簡単につくりだすことができるのです。
先ほど無秩序については20行以上使って説明していたのに、こちらの秩序はほんの5、6行で説明が終わってしまうくらいですから。

例えばこのブログも、ある種の秩序によって成り立っています。
chiasmaという行動規範の中で自己と対話を繰り返し、文章という形で答えを表現する。
chiasmaというひとつのprincipleによって、このブログは成り立っているのです。
仮に、このブログが『みんなでむちつじょ思索隊』なるものだったとしたら?
chiasmaのようなprincipleの存在しないブログだったとしたら?
きっと、それはもはや無意味なものになっていたでしょう。
宇宙デブリのようにそれぞれが全く違う速度、方向、性質を持って飛び交い、衝突しあい、瞬く間に粉々に砕け散っていたことでしょう。

ひとり暮らしの難しいところは、このブログにおけるchiasmaのような行動規範を自分自身で設けなければならないこと。
自分ひとりでprinciple、disciplineを定め、そして順守しなければならないということが一番大変なことだなあ、と思います。

約束が人々を結びつけ、国家を形成しました。
ひとり暮らしとはいわば、自分ひとりだけの国を持つということ。
その国を守り続けるために必要なものこそ、ほかならぬ秩序なのです。

今回の記事中では本という具体例を使いましたが、最初に言ったようにこれはどんなものにでも当てはめることができます。
秩序という抽象概念を、ひとり暮らしの様々な場面で具体化して考えればいいのです。
朝昼晩の食事しかり、睡眠時間しかり、部屋のインテリアしかり。
挙げるとキリがありませんが、つまりはそういうことです。
自分だけの国を守る、自分だけの秩序を形成してくださいね。

ではでは、今回はこれにて。

ありがとうございました!

こはく

拍手

のびる、ひろがる。 / 著者:こはく -ch1


 初めまして、こんにちは。こはくと申します。とりあえず今回は自己紹介は省かせていただいて、本題である『私の最も好きな法則』について考えていきましょう。

 
《展延性》
という言葉をご存知でしょうか? 何やら難しく聞こえるかもしれませんが、早い話が広がってゆく性質と延びてゆく性質のことです。

 この性質を持つ物質(分かりやすいところでは金属ですね)は、応力――外部から加わる力――によって割れたり砕けたりするのではなく、もともとの形は保ったまま延びたり広がったりしてゆきます。

 例えばアルミホイルや金箔、硬貨などがこの展延性を利用して作られていますね。アルミや金をプレスして紙よりももっともっと薄くしたものがホイル・箔ですし、硬貨は特定の形をした金型で同様にプレスすることで、僕らが使っている500円玉や100円玉が作られていたりするわけです。

 これが、『私の最も好きな法則』の一部です――ここで『一部』とつけたのは、これだけでは好きな法則にはならないという意味で、《この物質における法則を、僕たち人間に当てはめて考えることで初めて、僕の好きな法則になる》ということです。この性質・法則は、僕たち人間にふかーく関わっているし、実際僕自身にふかーく関わってきた法則でした。

 僕は、展延性を持つ物質が応力を受けて形を変えるように、無数の応力を受けて無数に展延を繰り返し、形を変えてきたのです。

 例えば。

 誰もが多かれ少なかれ経験したことのある話だと思いますが、高校生の頃、定期テストである教科の点数がある同級生の点数より劣っていたことがありました。するとその同級生はここぞとばかりに僕を罵ってきました。

  「ふぁーwww何その点数wwwwwまじカスだわwww」

と(なにやらツイッターでよく見るようなセリフですがお気になさらず)。この時、僕はとても悔しいと感じました。無意味に馬鹿にされるならまだしも、合理的に馬鹿にされたことが悔しかったのです。だから、僕は彼を合理的に見返すために勉強しました。猛勉強の結果、僕は次のテストで彼の点数を大きく超える点数を取ることができました。(ついでにクラス内での順位が前回より20位ほど上がったのは嬉しいおまけ)。

 僕は罵倒という応力を与えられたことにより意識の形を変え、成績もそれに伴って可から優に形を変えたのです。

 社会人になってからも応力は僕に無数に降りかかってきました。社会人の方なら分かっていただけることですが、

  「俺は今までなんと狭い世界で生きてきたのか」

ということを思い知らされる毎日を過ごしました。こまごまとしたことはお話する必要はないと思うので同じく結果だけお話すると、僕は受動的に学ぶのではなく、能動的に学ぶことを常とするようになりました

 外部世界から降りかかってくる負荷、圧力、プレッシャー、ストレス――これらを受けとめ適切なエネルギーに変換することで、人は成長する。ダイヤモンドや氷みたく砕け散るのではなく、むしろその応力を利用することで自分の理想とする自分に少しづつ近づいていくことができる。

 ポジティブな絶望が、人を展延させてゆく。
 人間における展延性――これが『私の最も好きな法則』です。

 僕たちは展延性を持つ、『ひとつのかたまり』に例えることができます。
生まれた時の僕たちは何の形も有していない、ゴツゴツとしたかたまりです。人生とはすなわち、このかたまりを理想の形へ成形してゆくこと。自分自身を自分の理想とする姿へ成形し、彫刻してゆくことの旅なのです。って考え、如何でしょうか?

 ではでは、今回はこれにて。

 ありがとうございました!



 こはく



(編集・校閲責任:らららぎ)

拍手

× CLOSE

ブログ内検索

× CLOSE

Copyright © みんなでしんがり思索隊 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]