忍者ブログ

みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
MENU

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


7:3の割合なのに”地球”って変じゃね? / 著者:めがね - ch28

『もうすぐですよ。海峡の幅はほんの20スタディアです。”地球”の大きさからしたらほんのわずかだ。』『”地球”……”地球”か!うまい言い方だな。これからはそう呼ぼう。』『おっ採用ですか?やった!』
(アフタヌーンKC 岩明均「ヒストリエ第一巻」より)

今日は髪を切りに行くが僕は阿呆なので一番早い時間帯でお願いします。などと言って10時とかまったくもって意味のわからない時間帯に予約を取ってしまった。時間が結構あるしせっかくなのでさくさくっとブログを書く事にしたので、時間がある時にこれを読んで頂くと大変嬉しい。

さてさて僕は漫画が大好きなので前項で例に出したのは今、話題の「寄生獣」で有名な漫画家さん岩明均さんの「ヒストリエ」と言う漫画の一幕である。ついでなのでざっくり説明すると紀元前のお話でマケドニア王国のアレクサンドロス大王に仕えた『カルディアのエウメネス』という書記官のお話。史実にはカルディア出身であること以外は記録がなく不明なので創作だそうだが、物語の切り口や、物語に登場する道具の使い方がかなり面白いので興味がある方は一読してみると良いかもしれない。

話が横道に逸れたけれども僕らが住んでいる”地球”という惑星はどうも”29.2%”と70.8%と約7:3の割合で出来ているらしい。お察しのとおり7割が”海”と呼ばれる部分で残りの3割が”地”と呼ばれる部分だ。潮の満ち引き、干潟なんかの関係で厳密な数値を出すのにも限界があるそうだがざっくりこんな感じだ。理科年表にはもっと詳しく載っているらしい。
今まで何の疑問も抱かず”地球”なんて呼んで来たけれども”海”と呼ばれる部分の方が圧倒的に多いのに少ない割合の部分の名詞を”地球”なんて僕たちは当たり前に呼んでいる。はて?
それと言うのはやはり僕ら人類が”地”という部分にしか住めない事に依存しているのでは無いかと考えた。”海”と呼ばれる部分では特殊な装備が無ければ呼吸することも出来ない。ずっと”海”にいればいろんな意味でむしろ死ぬ。

じゃあ、仮に”海”に住む機構が人類についていたらなんと呼んだだろうか。
妄想してみた結果、『廻』『深』『永』だとか言う単語が出てきたので『深永廻』なんてどうだろう。
なんせ”海”は”地”と違って終わりが見えない。ひょっとして廻り終わっているかもしれないけれども多分気がつかないからこの空間は永遠に続くのだろうとか思いそうだ。実際には有限なのに無限に感じるようなところなんかはかなりエッシャーっぽい。

そういえばPAWORKSの製作したアニメに『かつて全ての人類が海の中で普通に呼吸し、生活を営んでいた世界があって、ある時を境として陸に上がって生きる人たちも現れ、やがて人の世界は海と陸に分かたれた。』今でも海で暮らす人々と、陸に上がって暮らし始めた人々の確執と共存の仕方なんてのをテーマにした『凪のあすから』と言うものある。
想像することしか出来ないの世界感ではあるけれども暮らす世界が”海”だと前後、左右だけでなく上下という概念もあるのでスポーツなんかも、もっと立体的な競技になっていたかもしれない動線だってかなり自由かつ複雑になってそれはそれで楽しそうだ。

人類ってのは頭が良すぎるから自分本位で名前や事柄を決定してしまうので水中で暮らす機構が備わっていたら”海”も”地”もなかったかもしれない。
ただ空が見えないのは辛い。

お後がよろしいようで。


拍手

PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

× CLOSE

ブログ内検索

× CLOSE

Copyright © みんなでしんがり思索隊 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]