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*初心者ライターのための文章講座3 ― 良い文章を忘れること*

どうも、編集のらららぎです。

第一回目では「誰にも何にも邪魔されなかったら書きたいこと」を探して書いてみようという話をして、第二回目では「言葉にできない微妙な心地や感覚を書こうとすること」が大事だという話をしました。

今回は「良い文章を忘れること」について書いていこうと思います。

******************

誰かに何を教えるとき、「こうすると良い」「こっちのほうが良い」などという伝え方をすることがあるでしょう。

良い文章、良い学習(方法)、良い考え、良い動き、良い声、良い演技、良い姿勢、良い組み合わせ、良い発想、良い格好、良い引用、良い色、良い作法、良い態度、良いえとせとら。

「これがよくて、これがわるい」という覚え方をひとまず学習といいます。

僕らは何かにおいて自分が初心者だと思い込めば思い込むほど、「良いとされているそれら」の情報を一生懸命あつめようとするのです。

「これが良い文章(の書き方)だ!」と誰かが言っていることに耳を傾け、「なるほど、ほうほう」と頷きながら、良い文章とは何かという情報を拾って回るでしょう。それが「良い学習態度」だからかもしれませんし、それしか知らないからかもしれませんね。

しかし、最初のうちからそうやって「偉い人や先生が言っていた《特権化された良い文章》」を追い求めていると、それが特権化されていることに気づかないままになってしまいます。僕たちは、「良い文章」を教えてもらっているのではなくて、「特権的なこと」を教えこまれているのです。

誰かに何かを教えるときに、自分に発生している《特権的なこと》を自覚している人はあまり多くないでしょう。大学生の塾講師なんかがソレすぎて分かりやすいのですが、「これは良いこと(良いもの)である」という情報がどうしても自分寄りになってしまうものなのです。

今日ここで知ってもらいたいことは、スピヴァクという哲学者が提唱した「忘却」(unlearning)という概念です。

「教えこまれた特権をわざと忘れ去ること」をいいます。特権というのは情報の偏りです。偏った情報の塊です。良いとはこういうことだ、悪いとはこういうことだ。教えてくれる人がそうやって流し込んできた情報の偏りを、忘れちゃうことが肝心なのです。

「文章(センテンス)は短いほうが良い」――忘却。
「結論を先に書いた方が良い」――忘却。
「分かりやすい具体例が良い」――忘却。
「引用は必要なときだけにするが良い」――忘却。
「読みやすい文章が良い」――忘却。

そういう誰かが教えてくれた《教科的な良さ》は全て忘れてください。その後になってようやく、自分の感覚を信じてだいじょうぶになるのです。その後になってようやく、自分の《生々しさ》を知るのです。その生硬な文章に、あなただけの何かがあるでしょう。

忘却の方法ですが、それは自由です。無責任に言います、自由です。やることは簡単なんです。「いままで自分が良いと思ってきたことは、実は誰かに教えられた教科的な良さであって、自分の感覚で断言したものではない特権的なものなのではないか」と自問してください。

本を読んでいて「これ良い文章だな」と思ったときに、うまくフックを引っ掛けるんです。「あれ、いま良いって思ったけれど、それって本当に良いのか、いつか誰かが言ってた良さじゃないのか」というフックを仕掛けてください。それだけでいいんです。

すぐに文章がうまくなるわけじゃないですが、これを続けていけばいつの間にか自由に文章を書けるようになると思います。

もちろん、ここで《学習》したことも、いつかでだいじょうぶですから、欠かさず《忘却》するようにしてくださいね。

それでは、第四回で会いましょう。

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