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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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自信を持つこと ― how to maintain yourself / 著者:ちくわ - ch5

こんにちは。前回の記事のラストでも名乗りましたが、長すぎてそこまで読んでねぇよって方が多いと思いますので、きちんと挨拶しますね。初めまして、ちくわと申します。今回はお題の性質上、気をつけなければ上からものを言うような失礼な論調になってしまうのではと心配になりまして、ですます調で書いていこうと思います。おつきあいください。


さっそくですが、みなさん、maintain myself という表現をご存知でしょうか。英語で「自活する」という意味なのですけれど、今回は「一人暮らし」をこの言葉に読み換えて書いていこうと思います。(そうです、これは5番目のchiasmaですね)

さて、あなたがやっていることをあなたが自分で支える(maintain yourself)ために肝心なこと、それは ― 自信を持つことです。まーたこいつは今回も平凡なことを言ってるな、と思われるかもしれませんけれど、この自信というやつ、なかなか一筋縄ではいきませんよ。自信というのは、これをやるんだここまでやるんだと自分で決めることです。より厳しく言えば、何をいつどんな手段でどこまでやれば私はそれを良しとするのか、それを《無根拠に》選ぶことなのです。これは、とてもとても難しいことです。ぼくたちは、誰かに選んでもらったことには全力で従うことができるけれど、自分で選んだこととなると途端にそれができなくなるからです。


少し回り道かもしれないですけれど、こんな話から始めさせてください。いつだったか、ぼくが書いた脚本をもとに、友達と映画を撮ったときのお話です。その脚本の中に、ぼくは小道具としてインスタントのお汁粉を登場させました。劇中でAとBがお湯を沸かして、それをカップに注ぎながら会話する、そして食べながらまた会話する、そんなシーンです。さて、撮影日になり、小道具を買い揃えるためにスーパーや薬局などを回ったぼくたちは、意外とカップのお汁粉が売っていないことに気付きました。ふーむ困った。困りましたね。どこなら売ってるかなぁ、××にあるかなぁ、などと友人は「どうやってお汁粉を手に入れるか」を考えてくれています。うーん。うーん。

ここで言っておきたいのですけれど、ぼくはべつに特別な必要に駆られて小道具に「お汁粉」を選んだわけではありません。「ちょっとココ会話長すぎんよ~手持無沙汰だし何か食べさせたいな~でも撮影のときにも簡単に作れるやつがいいな~冬だしお汁粉かな~前たべておいしかったしな~」ぐらいなんです。そういうわけですから、ぼくは二軒回ってお汁粉が見つからなかったあたりで、「まぁお汁粉ないならお汁粉じゃなくてよくね」とか考えてたわけですね。ですので結局、ぼくが妥協点を一段階下げ、スープ春雨を使うということで、とくに問題なく話は進みました。(シナリオは書き換えなかったために、役者A=ぼく本人がスープ春雨を手に持ちながら「お汁粉食べよう」と声をかけるという何とも虚しいNGをやらかした件はこの際ですから忘れましょう)

これは小さなことです、しかし似たようなことはどんな物語でも起こっていることです。なぜそのキャラクタはどら焼きが好きなのか、なぜ妹はメロンパンが好きなのか、なぜシャナもメロンパンが好きなのか。セリフに使われている言葉遣いだったり、もっと根本的な、ストーリィやプロットについてにも言えるでしょう。これらは、始めの段階では、きっとどれでもよかったのです。お互いに絡み合っているとはいえ、究極的には無根拠な選択の積み重ねによって、シナリオというものは、物語というものはできあがっています。いかに複雑に結びついた物語と言えど、それがなぜそれであったのか、ということに関してはとても恣意的なのですね。どれでもよかった、でもそれにした。小説でも、演劇でも、音楽でも、翻訳でも、何かのメディアミックス作業でも、雑誌の企画でも、ブログを書くときでも、この恣意性&いずれかを選択しなきゃいけない事態というのと出くわすと思います。多くの方から「あるある!」って頷いて頂けるのではないでしょうか。そんな皆さんのために「あるあるボタン」を用意いたしました、押してちょ。

……まぁ何も起こらないんですけれどね。ごめんね。たまには手も動かさないと眠くなるかなとかね……。で、はい、もうひとつ大事なことがあります。ぼくが「あーもうお汁粉じゃなくていいや」って思い始めたそのとき、優しきわが友人たちは、ひたすら『どこなら買えるのかなぁ』と悩んでくれていた、と書きました。つまり、彼らはあくまでもお汁粉が必要という前提を疑わずにその先だけを考えていたのです。それを見たぼくは、ようやく自分と彼らの立場の違いに思い至りました。おわかりですね、ぼくはシナリオを書く予定の白い紙がスタート地点ですが、彼らは完成された脚本がスタート地点なのです。それゆえ、脚本の内容は彼らには絶対で、それを何が何でも尊重してくれるのです。ぼくにとってはそれは変えてもいい部分なのにも関わらず、です。

ここまでの要点をまとめますと、「どれでもいいんだけれど、どれかを選ばなきゃいけないときがある」そして「他人はその私の選択を踏み台にして思考を次のステージへ飛ばす、しかし自分はそう簡単にはいかない」ということですね。


ようやく一人暮らしの話に移ります、そうですね、部屋の掃除あたりを例にとって進めましょうか。ぼくは親もとを離れて今年で四年目です。しかし……最近でこそ多少はやるようになったものの、どうにも片付けや掃除をやり始めない人間なのです。ここまではよくある話。さぁ、ここでふと考えます。ぼくは、アルバイトの職場先である中学校・高校で使った教室の掃除をするときには、なんと生き生きとした顔で掃いたり拭いたりをやっているのです。なぜでしょう。これは、その時間分も給料が出ているからというのもあるけれど、それ以前にそれが他人のためだからです。基準が他人なのです。そのときに掃除をすることも指示を受けたからですし、理由は「ここで次に勉強する生徒が快適に集中することができるようにするため」なのでどこまでやれば良いかも自ずから決まります。一人暮らしだと、こうはいきません。めがねさんが早々と書いて下さったように、一人暮らしの最大の敵は「めんどくさい」なのです。指示するのも自分、動くのも自分ですから、「掃除しといてー」「なんでー?」「しらーん」「それやったらせんでええやん」となったり、「掃除しといてー」「どうやってー?」「しらーん」「それやったらせんでええやん」となったり、「掃除しといてー」「どんくらいー?」「しr(以下略  となったりします。あと重要な問いかけは「いつー?」とかもありますね、各自いろいろ考えてみてください。

じゃあどうすりゃいいんだと言われても、どうにかして自信を持ってくださいとしか言えないのです。上にも書いたように、ぼくたちの世界には「どれでもいいんだけれど、どれかを選ばなきゃいけないとき」があふれていて、そして一人暮らしはそれのオンパレードです。全てがそれだと言っても過言ではありません。そして、「掃除しといてー」「いつー?」「今でしょ!」まで頑張って言えたとしても、その「今でしょ!」に自分で従うこと(=自分で自分の選択を踏み台にすること)がとてつもなく難しいのです。頑張ってください、としか言えません。あなたも色んな人から「もっと自信を持てよ!」と言われることがあるでしょう、彼らはそういう意味で言っているのです。いや多分そうじゃないと思うけれど、そういうことにしましょう。「自信を持て!」というのは「頑張って選んで!選べるわけないけど選んで!!」「選んだことを踏み台にして次のところへ行って!自分の腕で自分を持ち上げることなんて物理的に不可能だけど、成し遂げて!!」ということです。無理ゲーですね。「だが、難しいゲームを簡単に済ませようとする奴に、ハッピーエンドは来ない」とどっかの神にーさまも言ってましたからね。頑張りましょう、ぼくも頑張ります。

最後にひとつだけヒントというか、最近ぼくがもがいているひとつのやり方を記しておくので、参考に使っていただけたら嬉しいです。これは主に《「ほにゃららしといてー」「どうやってー?」「しらーん」》対策だと思ってください。傾向と対策。単純ですが、ここで「知らんわけないやろ、考えてみ」と返すことを習慣化するという試みです。ぼくはやらなきゃいけないときにいつもこれで「じゃあやめよ」を繰り返すタイプのクズ人間なので、これでどうにかしようと思うのです。面倒だと思っていることでも、案外次に何をするかは考えればわかるものです、そりゃ人間のやることですからね。例えばこんな感じです。

「トイレが詰まったの直しといてー」→「どうやってー?」→「しらーん」→「知らんわけないやろ、考えてみ」→「ほんまにわからへんもん」→「じゃあどうしたらいい?」→「えーと、調べたらいい」→「そうそう、はい調べてー」→「どうやってー?」→「しらーん」→「知らんわけないやろ、考えてみ」→「ぐぐればええんや!」→「そう」→「きゅっぽんがあればいいみたい」→「きゅっぽんを買ってきてー」→「どこで?」→(中略「ggrks」的なあれこれ)→「100均で売ってるみたい」→「買ってきてそこに書いてあることをやってー」→「了解っす!」→「あとは、手順通りに」→実行→解決

どっかで見たことある人もいるかもしれませんね、菖蒲さんという方がこの間ブログに綴っていた内容をもとに作ってみました。このエピソードを読んだとき、ああこれはぼくにはできない(ときもある)ことだな、と思って、心に残しておこうと思ったのです。トイレのきゅっぽんなんて、くだらない話だ、誰でもできることじゃねーかと思うかもしれませんが、一人暮らしは本当に誰でもできるはずのことの連続です。初めてのことだらけなので、それが大変なのです。ではほかの点も細かく見ていきますけれど、とくに大事なのは赤字にした部分ですかね。まずは「じゃあどうしたらいい?」で自分の逃げ道をふさいで頑張って自分と戦いましょう。そしてどうにかこうにか手順を用意できたら、最後には「あとは、手順通りに」と自分を安心させてあげましょう。手順通りにやるのなら、バイト先の掃除と同じですね。終わったあとには「そうか、私は手順通りにやればこれができるのか」になるでしょうし、それが積み重なれば「そうか、私は手順通りにやれば大抵のことができるんだ、そしてひとつ終われば次のことに取り組めるんだ」になるかもしれません。ぼくはまだまだその域には達していないので、このやり方でなんとか少しでも maintain myself できるようになろうと思っているところです。一緒にがんばりましょう。こんなんで参考になったでしょうか。ほかのパターンでも、こういうの考えてみたら面白いかもね。


ここからしばらくは、今回の「きあずま」とは直接の関係がない話かもしれません。しかしまぁなんです、道は交差したあともどこまでも伸びてゆくものですし、すべての道はローマに通ずるんですからね、何かピンと来ることもあるかもしれません、お暇な方はどうぞ。

自分を支えることより一段階難しい課題として、他人を支えるってのがあります。もちろん、じっくり時間をかけて自分を支えることがある程度できるようにできるようになって、それから次の段階へ……とゲームのようにいけばそれがベストなのですけれど、「自分を支え」ることもままならない状態なのに「他人を支え」なければならない場合もあるでしょう。現実的に想像しやすい言い方をすれば、たとえば集団の真ん中に立つという状況がそれです。芝居の演出、映画の監督、楽団の指揮者、同人誌の編集者、サークルの長、飲み会の幹事、友達と街に出て「えー食えればどこでもいいよ、お前が決めてw」なんて丸投げされた人、なんでもいいですけれど、代表して集団としての決断=選択をしなければいけない立場にあなたがなったときです。

「他人を支える」というのは、上に書いた「他人のために掃除をやる」といったものとは似て非なるものです。他人を支えるというのは、自分を支えて、他人に踏んづけてもらうということにほかなりません。最初のお汁粉の例よろしく、集団のほかのメンバはあなたの決定を確定事項として踏み台にします。そりゃもう、ばんばん踏みつけていきます。《それじゃなくてもよかったかもしれないけれど、エイヤッ!とあなたが決めたその選択肢》をですよ。とても不安になりますね。心もとなくなります。しかし、ここであなたがその不安に負けて、「ふええ、ほ、ほんとはね、これじゃなくてもよかったんだ、ほんとは、ほんとは……どどど、どれにしよう……」とかもにょもにょ言い出して、自分で決めたラインから退行してごにょごにょやりだすと、さあ大変です。みんなはそれを踏み台にして進もうとしてるので、そんなことをすれば足場を失って総倒れです。ソーダ・オレ。なんか愛のスコールの味がしそうですね。

もちろん、選択肢をほかのものに替えたところで、この不安は解消されません(上の例のスープ春雨のように、「修正」が功を奏すことはあります)。じゃあどうすればいいのか。信じるしかありません。「自信を持ってください」。自分の選択をあなた自身が踏み台に使う勇気を持ってください。あなたがそれをしなければ、誰も次へ進めません。責任はとても重いでしょう、誰もその決断が正しいかどうかを判断できないのですからね。誰かから文句を言われるかもしれない、誰かを傷つけて泣かせてしまうかもしれない、あいつ暴走してると皮肉られるかもしれない、少し経ってから私はいま何でこんなことやってるんだろうって思うかもしれない、それでも、あなたは自信を持ってください。自信をもつというのは、「これで絶対大丈夫だ」と思うことではありません。大丈夫かどうか確信なんて永遠に持てるわけがないから、私はこれを踏み台にすることに決めて先へ進む、ほかの誰かも同じように不安なのだから(私のことくらい)私が犠牲になって=責任をとって、決めてやる、という決断をすること。それが自信ですし、集団の中心に立つ責任を果たすということです。

これはとてもとてもすごいことです。今のぼくにはとてもできません。だから集団をまとめようと奮闘している人はとてもとても強い人なのだなぁと思うし、尊敬のまなざしで見ています。だから、だからというわけではないのですけれど、本当に、自信を持ってください。志を持つことは本当に難しい、自分を貫くことは本当に難しい、それでも、だからこそ、自信を持ってください。選択肢はたくさんあるかもしれないけれど、選択をすること、決断をすることができるのは中央にいるあなただけなのです。大丈夫だよ、頑張って。


ここまで読んでくれた奇特な方々、本当にありがとうございます、さすがにそろそろ終わりましょうか。ひとり暮らしにおいて肝心だとぼくが思うこと、それは「自信をもつこと」です自信というのは、「これなら必ず大丈夫」なんていう魔法ではなく、んなモン永久にわからないんだから私が決めるしかないんだと決断すること、そしてそれをどうにか固定して自分で踏み台に、ジャンプ台に使うこと。きっとこれは、死ぬほど難しい。でも、それでも、ぼくもこのブログを自分の踏み台に使って、少しでも実践していこうと思います。読んで下さった方の中に、これから私も少しずつ maintain myself していきたい!!という方がいらっしゃいましたら、ぜひ、一緒に頑張っていきませんか。大丈夫、できるよ、ぼくたちなら。

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