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chiasma27:「ならば二兎得るためにはどうすればよいか」

chiasma 27:「ならば二兎得るためにはどうすればよいか」

『兎を追う』(天河野乃)

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 「二兎追うものは一兎をも得ず」(νήπιος, ος τά έτοιμα λιπών ανέτοιμα διώκει.)――このことわざを知っている人は多くあれど、理解している人は少なかろうと思います。おそらく多くの人が字面通り《二重課題干渉》――脳の注意資源をふたつのことに分割してしまうと、どちらも集中できなくてエラーが増え、処理速度が落ちること――だと思っているでしょう。

 しかし、これは「用意のない者がまずまず満足のできる一兎をどのようにして得るか」についてのことなり的な助言であり、いわばどの時代にもある「ダメな奴への親切な教え」という機能をもった言葉です。つまり、《1が2になることなんかよりも、はっきり言って0が1になるほうが緊急的に大事だ》という前提に立ったときに効力をもつことわざだということです。

 世界史に出てくるモンゴルの偉人が、『元史耶律楚材伝』のなかで「與一利不若除一害、生一事不若滅一事」という格言を残したと聞きます。本当かどうかは知りませんが、これも似ていることを言っているのです――「益するものを増やすなら害となるものを減らせ、新しいことをするなら手数になることを減らせ」――事を開くにはまず始末から。(中国には「跑兔没抓住,卧兔也跑了」ということわざもあります)。

 その法則は確かに正しいです。何の準備もない、用意もない、そういう人でも最低限どうすればゼロにならないで「済む」かと消極的に考えたときに、「二兎追うな」とか「事の始末から」といった教訓は、なかなか(`・∀・´)エッヘン!!参考になるアドバイスであるといえます。

 ただ、これを参考にしてはいけない人もいて、あまり人数は多くないのかもしれませんが、すなわち「二兎以上得たい、あるいは得なければならない人」です。そういう人たちに向けたアドバイスというものは、なかなかないでしょう。顔文字は気にしないでください。

 ここでは、(1)二兎を追って得られず後悔した個人的な経験、(2)二兎を得るためにはどのようにすればよいかという積極的な助言(あるいは自己流のことわざ)のどちらか、あるいは両方をお教えいただけませんか。いえいえ、そんな学術的なことを書く必要はありません。「二兎得るためには、二兎得るようにすればいいだろjk」といういわば当たり前のことを、自分なりに具体的に書いてみる、というだけの話です。

 ビジネスシーンでは、二兎追うなということを「コアコンピテンシー」とか難しく言ったり、逆に一挙両得的なポジティブな思考で「パラレルキャリア」(二枚目の名刺)などと云います。いろいろな考えがあっていいのです。「できるだけたくさんの兎を追った者が、多くの兎を得た」というのは前時代の話ですが、ある意味あれは体力勝負な生き方でしたね。

 まあとにかく自由な発想で、自分なりに(あるいは未来の自分に向けて)書いてみませんか。

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Comment

無題

  • 名前は言えないの…///
  • 2015-05-13 22:48
  • edit
あれ?キアズマ27って一個ありますよ。
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