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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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ヤンキーでもないしDQNでもないし怖い人でもない。 / 著者:めがね - ch17

こんにちわ。めがねです。一回書いてたのですがデータが飛んで書き直しました。書き直しついでに、今回の記事から「私」と言うのをやめて、一人称を「僕」に統一する。理由は至極簡単。なんかしっくり来ない。ただそれだけ。

それでは今回は『私がずっとしたかった言い訳』(chiasma17)でお送りします。

・口が悪い=怖い人っておかしくないか

「言葉はね、言い方や、言い回しじゃない。内容はちゃんと伝えないとね。それが、言葉の役目だから。」
「言い方が悪いからヘソを曲げたり、傷ついた、やる気が出なくなった、と主張する人がいる。しかし、そのせいばかりじゃない。それが通れば、言い方や言い回しがよければ、何でもゆるされるような感覚になってしまう。それじゃダメでしょう。言い方や言い回しにだまされる人がいる。」
――via『詩的私的ジャック』

僕を知ってる方は分かっているかと思うが、知らない方もいると思うので記事の最初にことわっておくと、僕は結構口が悪い。思ったことを直ぐ口に出してしまうし、おかしいと思ったら相手の気持ちなどお構いなしに速攻で批判を繰り出す。頻繁に『殴りたい』『ぶっ飛ばしたい』『〇回ぐらい〇んだほうが良い』など粗野な言葉を使う。粗野な言葉を使うとヤンキーとかDQNだとかその類に思われがちだが、断じて違う。育った環境と土地柄のためである――と声を大にして言いたい。

特に人を威嚇したい訳でも、否定がしたい訳でも、相手に畏怖を植え付けたい訳でもない。誰かにも言ったし何処かにも書いたが、意見に悪いも良いもない。『自分の意見に近いか否か』だけを言葉か文章かにしておきたい。

ハッキリ言って、印象は最悪である。

『顔も良くない』『性格も悪い』『空気も読まない』『おまけに頭も悪い』完全に満貫である。これは現実でもそうだしTwitter上でもブレることはない。一貫してこのような感じだ。

勿論、僕に鍵付き裏アカウントなど存在しないし、表面上仲良くするくらいならリムーブだってする。僕の発言で別に相手にブロックされようとリムーブされようと関係ない。他人から誤解されようが批判されようが、こちとら知ったこっちゃない。

だって「僕自身の評価と僕が創る作品とは何の因果関係もない」からだ。よく『この人はこんな綺麗な作品を作るのにこんな性格悪くて作品まで嫌いになった。』などと言う人を見かけるが、ハッキリ言っておく。


『阿呆か。』


終始こんな感じなので、勘の良い読者は気付いていると思う。

――僕は『友達』が少ない。
――そもそも『友達』ってなんだ。

適当に相手の機嫌を取ってヘラヘラニコニコしてれば『友達』だろうか。
その場の空気を読んで「私たちズッ友だよね」とか言ってれば『友達』だろうか。
月に何回か集まって「ウェーイお前ら最高ウェーイ」とでも言えば『友達』だろうか。

僕の中では断じて『否』だ。大事なのでもう一回言うが断じて『否』だ。

僕が思う『友達』というのは、時間も距離も空間も関係なく、そこに居ればいつでもどこでも本音で語り合える人のことで、一朝一夕、一期一会で獲得できるものではない。膨大な会話の擦り合せと相互の理解によって成り立つものだ。

あくまで自分と相手の立場は『対等』でありたいといつもそう思っている。だから僕は口が悪いかもしれないけれど決して怖い人ではない。建前無しで当たり前に接し接されたいのでそうやっているのだが、人間はそこまで強くない。

他人の考えを否定することも、そこで認知の歪みや齟齬が発生するなら仕方のないことであるし、強制するつもりもない。それが原因でサヨナラされても当然であるし、批判は甘んじて受け入れる。

・対等でいたい

僕の友達にファッションセンスが壊滅的に『ダサい』奴が一人いた。いたと言っても別に死んだ訳でもなんでもない。『ダサい』のが多少改善されたのだ。高校の時は制服で頻繁に遊びに行っていたので、あまり気にすることもなかったのだけれども、その彼が大学生になり、私服を着るようになってから気がついた。あまりにも『ダサい』。

雑誌を読んだり、セレクトショップで結構良い服を買ったりしているのに、なぜだかいつも決まって『ダサい』。今は住んでいるところがバラバラなのだが、僕と彼ともう一人の友達とで良くつるんで遊びに行っていたのだが、会う度、会う度に『ダサい』ので、友達と僕で頻繁に『なんでその色をチョイスしたのか。』『その組み合わせ何なん?』『せっかくいい服なのになんでそんな風に着れるん?』『一緒に歩くの恥ずかしい。』などの駄目出しをしていた。

流石に彼も頭にきたのか『自分の身体に合った服』を選ぶようになった。原因は簡単で、身体が結構ガッシリしているのに、細身のジーンズやジャケット、シャツを着ていていつもアンバランスにピチピチだったからだ。それを一切止めた。憤りによってなぜ『ダサい』のか俯瞰して見れるようになったのだ。

一方、僕も散々な扱いを受けている。誕生日にアスペルガー症候群の本と統合失調症の本を送られたり、当時の彼女をみて『お前センスないよね。』と言われたり、待ち合わせのときに『あ、背が小さくて見えんかったわすまんの。』などなど。

その場ではキレるけれども、不思議と不快な感じにはならない。僕らは、歪みながらも一応『対等』を保っているからこそ無茶苦茶を言い合えるのだし、多少嫌味な行動でも寛容になれるだと思う。

だらだらと言い訳を書き続けて来たが、あんまり言い訳がましいとそれこそ『ダサい』ので、この辺で終わろうと思う。

最後にこれだけ言わせて頂きたい。

『ほーらw怖くないよーw』

それではまた。








(編集・校閲責任:らららぎ)

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