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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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*初心者ライターのための文章講座1 ― 文章を書くときの大事な大事な心得*

「どなたでも、一緒に書きましょう!」と言ったからには、ビギナーのための手ほどきというか、水先案内があってしかるべきだという考えにもとづいて、ここから書き進めて参ります。

『みんなでしんがり思索隊』が掲げている目標は、ふたつ。
・「自分の書きたいことを、自分の言葉で書くこと
・「最後まで書き切ること」(仕上げること)

これはレヴィ・ストロースという学者が目指していたことです。
とてもシンプルですが、とてもハードなんですよ、ね。

書くことに難しさを感じる人もいれば、すぐに仕上げてしまう人もいるもの。
たとえば「とにかく殴り書きしなさい」と言われて、殴り書きできない人がいます。文章を書くという単純な行為が、「やる前から失敗している」のです。試しに私がやってみますね。

やると言ったけれど書くことがない。書くことがないのに書いている自分。なんでこんなことしているのか考えない。書く。いま書いている。まだ見つからない。見つけたところで書く気にならないかもしれない。というよりもむしろ書くことを見つけようとしていないように感じている。面倒くさい。テーマが欲しい。テーマが無いのにすぐ書けるかよ。

殴り書きしました。「あーなんて価値の無い文章を書いているんだ」とか、「こんな不出来な文章、私の書きたかったものじゃない」とか、そういうメンタルブロックを全て無視して、とにかく止まらないことだけを意識して書きました。それが「殴り書き」というものです。

この殴り書きの直後、私はとても落胆しました。"自分が書き上げた文章"に失望さえしました。なぜならば、私は「私の書いた文章=私がアウトプットした言葉」に、いつも、大掛かりな期待を寄せているからです。それなりに素晴らしいものが出てくると信じているのです。だから、あんな"不出来"になってしまったことに対して、落胆を避けることができませんでした。

初心者ライターたち(文章をめったに書かない人たち)が持っている「私はうまく文章が書けない」という悩みの多くは、このような「書く以前のことが原因」(文章テクニック以前の問題)だったりするものです。うまく文章を書くということは、むしろ「何も検閲しないこと」に限ると言ってもいいかもしれない。
・「あのね、うしがいたよ。よかったよ」

・「よう虫はきらいです。なぜかというときもちわるいからきらいです。なんできもちがわるいかというと、ふんをするときのうごきが、きもちわるいからです。わたしは、ちょうちょになっても、とんで、つかまえようとしたら、すぐとんでいってびびるからです。なんで、びびるかというと、うごきがはやいからです。でも、びびらないように、できるようになりたいです。がんばりたいです。」

・「きょうすみとくんとあきらくんであそびました。きょうは、プールであそびました。ぼくはプールのために水てっぽうをかいました。そして十一時二十九ふんぐらいにかえってきて三十ぷんぐらい遊びました。そしてつぎにインドりょうりてんでごはんをたべました。またかえってきて水てっぽうでたたかいをしました。プールがなつかしいです。」

・「ぼくは、アルバムをつくってお父さんや、お母さんにたい切にそだてられたいです。5時間ぐらいそだてられなかったら、生きられなかったとおもいます。」

・「このまえあった「美しい日本語教室」では劇団四季のみなさんが、劇団四季なので四人かと思ったらなんと三人なのでびっくりしました。」
長いのでどれかひとつ読んでいただけたら嬉しいです。小学生が書いたものを、ネットから拾ってきたものです。私も小学生の作文教室を任されていたことがあるので分かりますが、この文章レベルは序の口です。もっと、もっと、「名文だ!」と叫ばずには居られないものがたくさんあります。

たとえば私が担当していたサッカー少年は、推薦入試の模擬試験で以下のような作文を書きました。
ぼくはクリスティアノロナウドがすきです。クリスティアノロナウドはあしがはやくて新かんせんみたいです。ぼくのゆめはクリスティアノロナウドのようにはしっておかあさんとおとうさんをおどろかせることです。だからぼくはクリスティアノロナウドになりたいです。クリスティアノロナウドぐらいあしがはやくなればかんとくやコーチにしかられないとおもいます。
「彼」という人称代名詞では「全く頼りないから」、何度も何度も固有名詞を呼ぶのでしょう。クリスティアノロナウドの強みをしっかり理解しているし、それに大人たちがびっくりしているのも知っていますね。「そういう存在になりたい」という純粋な気持ちを持っているので、プロに向いているかもしれません。突然でてくる監督やコーチに対する本音も超最高です。

小学生がいつからいわゆる「うまい文章」を書くようになるかというと、ちょうど中学生あたりからです。行儀がよくて、親戚一同から「いい子だね~」と言われそうなものばかりになります。彼らは「誰にも何にも邪魔されなければ、自分が確かに言っていたはずのこと」を優先するよりも、「誰にどう評価されるか、これは文章として品を保っているか、大人としての中学生らしいか」といった基準を優先し始めるのです。

いいですか、うまく書く必要なんてありません。誰も採点しなければ、誰も添削しません。評価基準なんてありません。正解には絶対にたどり着けません。

みんなが読みたいのは、ただただ「あなたが誰にも何にも邪魔されなかったら、確かに主張したいと思っていることがら」です。小学生のときに書いた作文がまだあれば、それを持ちだしてみてください。もしかしたら、もう既に行儀のよい文章を書いているかもしれませんが、何かの参考にはなるかと思います。最初はしんどいかもしれませんが、小学生のときに書いたような、「迷惑ながらも楽しい"生の"スケッチ」を書き出してください。

生硬な文章を書いてください。
純粋なままのスケッチを読ませてください。
あなたはあなたのために書いてください、それを私たちは私たちのために読みます。

ひとつだけ約束して欲しいことは、
書き始めたら止めないこと」です。

どんなに失望しても、どんなにメンタルブロックが襲っても、どんなに迷いが生じても、どんなに退屈に感じられても、どんなに野蛮に思われても、どんなに下品に見えても、どんなにテーマから逸れても、どんなに長文になってしまっても、<仕上げ>というタイマーの音が鳴り終わるまで、書くことをやめず、書くことを続けて欲しいのです。

書き終わったあとに、自分で読んでみて、しっかりと「スケッチ」できていたら、それを投稿してください。「書く時間」に余裕がある人は、もう一度書いてもいいと思います。ですが、そのときも同じように「書くことを途中でやめない」ようにしてくださいね。

それが、心得です。
最初は難しいですから、殴り書きの練習をどこかでしてみてください。
殴り書きできる人だけが、生の文章を書くことができますから。

それでは、今回の講座はここで終わります。

ありがとうございました。

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