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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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*きまぐれ索引*


 別名は「しんがり百科事典」――また、編者の名前をとって「らららぎ国語辞典」とも呼ぶ。

 「みんなでしんがり思索隊」に出てきた言葉のうちに、語釈を書いたらおもしろそうなものだけを取り上げて書いております。自分なりにそこそこ詳しく書いているつもりですが、全く専門ではないこともあるので、ぜひ加筆訂正の協力をお願い致します。(その場合、ワガママではありますが、ソースのような確認できるものがあると嬉しいです)。


NEW!!(新):「愛嬌」「馬が合う」「クロスオーバー」「刹那」「陽気」「ラブやで〜」

KYU!!(旧):アイスブレイク、アルミ、因縁をつける、打ちひしがれる、演繹、懐古厨、覚悟、過去を振り返る、過熱する、教養、ごった返す、視座、軸足を置く、思考の沼に嵌まる、**自体、死の人称、進学先、人格、呪詛、**性、第二の矢、佇まい、たらしめる、たわいもない、チカチカ、手1、手2、哲学、泥む、破天荒、ハレーションする、フィールドワーク、封建的、免罪符、夕暮れ、善い、ロマ


・「あ行」(アイスブレイク――愛嬌――アルミ――因縁をつける――打ちひしがれる――馬が合う――演繹――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-a-to-o


・「か行」(懐古厨――覚悟――過去を振り返る――過熱する――教養――クロスオーバー――ごった返す――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-ka-to-ko


・「さ行」(軸足を置く――思考の沼に嵌まる――視座――**自体――死の人称――シルエット――人格――進学先――呪詛――**性――刹那――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-sa-to-so


・「た行」(第二の矢――佇まい――たらしめる――たわいもない――チカチカ――中高度赤色航空障害灯――手1――手2――哲学――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-ta-to-to


・「な行」(泥む――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-na-to-no


・「は行」(破天荒――ハレーションする――フィールドワーク――封建的――。) http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-ha-to-ho


・「ま行」(免罪符――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-ma-to-me


・「や行」 (夕暮れ――善い――陽気――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-ya-to-yo


・「ら行」(ラブやで〜――ロマ――。)
http://chiasma.bangofan.com/nothing/from-ra-to-n

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*共有する事項*


2015-08-29:本人申請により「兎を追う」記事削除しました。ついでなので、botの更新を停止しました。


2014-12-28:コンテンツが温まってきたので、人気ブログランキングに参加しました。「芸術・人文」→「人文」→「読書・本」→「編集・ライター」カテゴリーに参入。記事の最下部にボタンを設置。がんばって押してもらいましょう。(われわれも1日1回押せたら押しましょう?)

2014-12-28:テンプレートを変更しました。

2014-12-27:「菖蒲」から「寝返りレタス」に変更しました。その際に、カテゴリURLを「tubayame」から「emaya_j」に変更し、ボットを含む全てのリンクを書き換えました。

2014-11-21:文芸誌やら何やらで完全に無視していたけれど、今日からがんばりますwww(その間の編集ありがとうございました!)

2014-11-21:それときあずまのページから「未稿」の欄を順次(見かけ次第)消していきます。人数が多くて煩雑になってしまったので。よろしくお願いします!

2014-0717:ツイッターの宣伝力を強化しました。具体的には、Twittbotを利用し、記事などを定期的に紹介するプログラムを借りました。(本当はちくわさんにPHPで書いて欲しい!)。手順は以下のとおりです。
1:上梓された記事のURLをコピーする。
2:"Bitly"などのサイトでURLを短縮する。(引用文を少しでも長くするため)
3.普段使いの宣伝と見分けるために、「*更新情報*」を省略する。
3-5.引用箇所で「こことここ、どちらにしようか」と迷ったら、つぶやくつぶやきを2つ作ってしまえばいい!(そっちのほうが新鮮っぽくなるし)
4."Twittbot"にログイン(認証)して、「つぶやき」で打ち込み、登録・修正する。(ケアレスミスをチェックするために音読する)
5.自分の登録したやつがランダムにつぶやかれるのを待つ。(ここでも確認!だぶるちぇーーーっく!)

2014-0715:(既に共有している情報ですが、一応)"LNGサイダー"さん、"北狐"さん、両者様共にソーシャルサイトやアカウントへの紐付けを致しません。URLを貼ったり、アカウントを貼ったりしている作業を連続でしているときはお気をつけ下さいませ。

2014-0629:超いまさら編集のおおまかな仕事の確認しますwwww 義務じゃないので、余力があるときに上手くやってくれると助かります。「時間ないので投稿だけしました」とかでも全然OK!!
【投稿】
1:[新規で参加された方の場合のみ]著者名と投稿手段の確認。(みんなに合わせて難しい用語を使って書く必要はないよということと、締め切りはないけど書いたら書き切ろうということを押さずに念押ししてね。つまり今まで通りのちくわでOK)。
2:寄稿していただく。(焦らせても良いものは生まれない…!)
3:編集は誰よりも最初に読むので、大好きな女の子を抱くように読む。
4:引用を確認、誤字修正に関しては重要な部分のみで、その他の部分の判断は任せるw
5:改行はよほど読みにくくなる場合にのみだけ加減。
6:URLは初期値だと日本語になってしまうから、短めの翻訳をセンスで!
7:「不適切な内容」の定義は、言論的汚物性による破壊力があるもの
8:気になる矛盾内容があれば、著者へ確認。(「教えずに教える」とか「歴史は未来である」というロジック的なものは、おそらくレトリックだから気にしなくていいかな。女子アナみたいに急にタメ口になるみたいな口調の変化も気にならない程度ならいいかも。ただ、「アリのように足が8本あり」みたいなものは、誤想だったり書き間違えの場合もあるので、足が8本のアリを調査してから、本人様にチェックしておきましょう)。
9:「タイトル、著者名、キアズマ番号があっているか、URLは翻訳されているか、HTMLモードに変なタグが入ってないか」を最終確認(しかも指差し確認!)し、投稿する。

【投稿後】
1:ちゃんと投稿されたか、編集が反映されているか再確認。(URLが途中で切れてないか、<div>タグのせいで改行がおかしくなっていないかなど)
2:「全記事投稿」のところにリンクと引用文を転載する。(センスで任せた!)
3:投稿された御題のページにリンクを貼って、未執筆欄の名前を執筆欄の方へ移す。
4:「お題一覧」のところの数字をひとつ増やす。(0→1とか、4→5みたいに)
5:ツイッターに更新情報を載せる。

【サイト外】
1:著者探しというか「この人は…まさにしんがりだ…!」というアンテナを立ててくれると最高。
2:もし規模が大きくなって、あらぬしんがり批判があった場合は、慌てず騒がず共有して、編集で冷静な対策を竹輪のように練ることにしましょう。(著者同士のトラブルは、みなさん大人ですから任せましょう)。
3:色々書いたけれど、ここにあるのは建前というか、信頼しているので、ちくわの編集業務はちくわの判断に任せます

2014-0629:そういえば雛形ということで残しておきます。
【全記事一覧のやつ】
<hr>[日付、年月日]の投稿分<br>
・「[リンク付きタイトル名]」(著者名)<br>
<blockquote>[引用文、編集者の独断]</blockquote>
<br>

<hr>2014/00/00の投稿分<br>
・「」()<br>
<blockquote></blockquote>
<br>

【百科事典のやつ】
<hr>【[見出し語]】([読み方])…[語釈]<br><br>
<blockquote>[引用文]<br>
([タイトル名] / [著者名])</blockquote>
<br>

<hr>【】()…<br>
<blockquote>
<br>(/)</blockquote>
<br>

2014-0628:特に雛形があるわけではないけれど、ぼくがツイッターで更新するときに使用しているフォーマットをここに記しておくので、何か使うことがあれば、手直しなり、コピーなり、色々どんどん変更加えちゃってください!(La to Chiku)
*更新情報*
【タイトル名】(寄稿者様の名前さん / @ツイッターアカウント)
"短くて何となく内容が気になる(つまり不親切だけど魅力的な)引用文"
短縮URL

・コピペ用
*更新情報*
【】(さん / @)
""


2014-0628:"chiasma11"の引用を校閲しました。(「アインシュタイン」が引用をする際の権威代名詞的に使われる慣行があるのは共通理解だと思いますが念のため)引用源が不安なときは、できるだけ避ける方向でいきましょう。そうでなければ、もしも執筆してくださる方々の言葉が不正に引用されてしまったとき、編集者の我々が声を大にして「引用が不正だ!取り下げを願う!」などと言えなくなってしまいますので。慎重に、丁寧に。


2014-0624:記事タイトルに「chiasma番号」を付け足しました。煩雑になってしまっては情報追加する意味がなくなってしまうので、色々迷ったあげく末尾に略したものを足すことにしました。(仮決定)。
[タイトル] / 著者:○○ - ch○
ex)ちくちくちくわ / 著者:ちくわ - ch99

(以下、やめたやつ)
chiasma○ - [タイトル] / 著者:○○
ch○ - [タイトル] / 著者:○○
[タイトル](chasma○) / 著者:○○
[タイトル](ch○) / 著者:○○
[タイトル] / ch○ / 著者:○○
[タイトル] / 著者:○○(chiasma○)


2014-0623:これまでのURLを英語に翻訳しなおしました。それに伴って過去のURLは全て無効となりました。取り扱いにはお気をつけ下さいませ。また、執筆者様から預かったテクストを新規でうpするときは、ちくわ持ち前の磨き上げられたスペシャル・イングリッシュで、何か英語とかフランス語とか入れてください。(タミル語は禁止!)。(らららぎから、ちくわへ)




2014-0622:「浜乃木千春」さんは、書けたときだけ寄稿スタイル(ほとんど書けないから未執筆の欄に載らない方がいいのではないかという御判断)なので、いまのところはカテゴリーだけ作って未執筆欄に記載しなくて大丈夫です。(らららぎから、ちくわへ)


2014-0621:コピペでテキストを貼り付けるときは、(テキストデータごとコピペされちゃうので)「見ながら編集」の方ではなく「ソースコード」の方でお願いします。(らららぎから、ちくわへ)


2014-0618:ねぎとろさんの記事の改行を修正しました。原因はソースコードに「div」タグが入っていたことです。テキストソフトで書いたやつをコピペで貼り付けると、テキスト情報がタグに反映されてしまうみたいです。といっても修正面倒だと思うので、見つけ次第、編集者がやります。(らららぎ)

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表記の揺れ・表現の揺れ

【あ】
合う *複合語(組み合わせ)
上げる *複合語(書き上げる・積み上げる・仕上げる)
後で(後に)
~という…
~的に言えば(~で言えば) *文修飾
活かす(生かす)
いく(ゆく) *補助動詞
入る *複合語(思い入れ・差し入れ・手に入れる)
色んな
内に
【か】
難い *複合語(し難い)
決まって
~切る *複合語(割り切る、やり切る、思い切る、書き切る、喋り切る)
気持ち(気持)
~込む *複合語(やり込む、沈み込む、吹き込む、仕込む、書き込む、踏み込む、落とし込む、閉じ込める、突っ込む、信じ込む)

【さ】
様々な
触り *複合語(手触り・肌触り)
全て
【た】
確かに
出す *複合語(取り出す・走り出す・考え出す・思い出す・映し出す・選び出す)
達 *複合語(友達・私達・子供達)
立つ
例えば
着く *複合語(辿り着く・流れ着く・落ち着く)
付く *複合語(気付く・近付く・感付く・思い付く・後付け・意味付け・定義付け)
続ける *複合語(し続ける)
辛い *複合語(し辛い)
出会う(出合う)
出来る *補助動詞
出会す
【な】
中で(中に)
上る(登る・昇る)
【は】
一人
風に
二つ
【ま】
持つ
難しい
【や】
様な
【ら】
【わ】

分かる(判る・解る)



【誤用チェック】
決着がつく(「付く」だが開くのが基本)
はじめとする(「初め・始め」どちらもよいが基本的に開く)
いかす(「活かす=活用する」「生かす=殺さずにいる」)
身につける(「付ける=能力」「着ける=衣類」)
影を落とす(「光を投げる」「自らの影を映す」「不吉・不幸をもたらす」)
敷居が高い(面目なくて心理的に訪れがたいこと)
返事が返ってくる(基本的には「返事が来る」)
【参考文献】
「ずつ」「づつ」の許容
http://d.hatena.ne.jp/kazsa/20130106/1357476538
「イメージがつく」系の誤用
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1268.html

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『あみめでぃあ』ゼロ番目の読者(ボランティア)募集



 こんにちは、編集のらららぎです。文芸誌の第二締め切りの日がやってきましたね。今回は提出率が高くて、かなり上機嫌です。うふふ。

(投稿日が2014年になっているけれど、下げにしたいだけだから! 話の内容は「2015年」だから!)

 この調子だと、2015/4/5(最終締め切り)には全部の記事が出揃って、校正と編集が終わり、4/6,7あたりには最終確認フェーズへと突入するのではないか、という期待がタンコブのように膨らんでおります。そうなったら、最終段階、つまりマスターバージョンを誰かにチェックしてもらわねばならないのですね。つまり、モニターというか、試写会というか、ゼロ番目の読者というか、読者に最も近いチェッカーさんがいてくれると、心強いわけです。

「いっちょ、読んでやるか!」という器量のある方。
「春休み、退屈してたんです」という御都合の良い方。
「校正の練習材料にちょうどよさそうね」という勉強家の方。
「前回の可哀想すぎるので、やりますよ」という浄化精神をお持ちの方
「本ならたまに読みますけど」という本をたまに読む方。

 ぜひ、お力を貸していただきたいのです。内容は簡単。4/9,10あたりに送られてくる「あみめでぃあ文芸誌のPDFデータ(160ページ想定)」を、(1)(無いはずだけど)一文字ずつ取りこぼさず(斜め読みせず)読んで誤字脱字を発見したり、(2)(無いはずなんだけど)改行がおかしくなってるところを指摘したり、(3)(無いと思いたいんだけど)日本語や表記の違和感を報告したり、(4)(99%無いけど)ページが変わるところで繋がっていないところを教えたり、(5)全体の感想をボソっと言ったりするだけです。

 もちろん無償とは言いませんが、金銭では味気ないということで、頼まれてくれた方には(A)『あみめでぃあ』創刊号(第二版をワンブックスで刷るのでお時間いただきます)、(B)ヌーベルにある本どれでも5冊、(C)創刊号の特典(しおり)5枚、(D)らららぎに何か(やばくない範囲で)お願いできる権利のうちどれかひとつを選んでいただいて、差し上げます。

「いえいえ結構、いつもお世話になってますからね~。そんなの無償でやりますわ!」というやばい人も、「あみめでぃあ先に読めるなら、もうそれだけで価値っす! マジでマルクス的に言って価値っす!」というアブナイ人も、「牛丼大盛りおごってください、それで手を打ちます」というジャンキーな人も、もちろんオウケイ!

 3~5人ぐらい集まったら、募集をやめます。(無いと思うけど)定員になったら「ごめんね、ありがと、気持ちだけ」のパターンもあるので、そんときは牛丼、おごりますよ(女子の場合はパンケーキ?)。

 というわけで、なんか携わってもいいよ、生理的に嫌だけど栞のためにやってやんよみたいなテンションでもいいので、よろしくお願い致します。

(著者の方々には、それぞれの完成ページを送るので、その確認をお願いすると思いますが、表面上だけでも快く受理してくださいませ)


*******************
【追記:校正の適性判断】
校正でお願いしたいことをレベル順(基礎~応用)にしましたので、よろしくおねがいします。『あみめでぃあ』編集部が求めているのは、【レベル1】の人です。ただ、できそうなら【レベル3】まで挑戦してみてください。


【レベル0】
読みたくなくなったところをハッキリと編集に教えることができる。「冗長で飽きたから」「誤字で読む気うせた」「興味をそそられない」「難読漢字にルビが振ってなかったから」などの理由も一緒に教えてください。著者のためになりそうな内容の場合は、著者に知らせる場合もありますが、名前は明かさないのでご安心ください。

【レベル1】
(1)誤字脱字のぼちぼち判断ができる。
――「洒奪な正確の人」
――「緊急の案兼で喚ばれた」
――「これにおいて寛容なことは、それだけだ」

(2)なんとなくおかしい助詞にぼちぼち気付ける。
――「ねこあつめは、私が楽しくやってます。」
――「一を知って、二を知る人が私はタイプです。」

(3)つまらなくても落ち着いて読める。
興味のない文章でも、できれば飛ばさずに読んでくださいませ。


【レベル2】
(4)変換が統一されていないのにまあまあ気付ける。
――よくあるのが「出来る/できる」「良くあるのが/よくあるのが」「といった/と言った」「なに(なん)か/何か」「走りだす/走り出す」「おもう/思う」「ある/在る」「あがる/上がる」「食い入る・食いいる」「気付く/気づく」

(5)開く(ひらがなにする)ところと閉じる(漢字にする)ところをそこそこ知っている。
――「そうする[事・こと]によって」「世界と[言う・いう]名の」「チェンジするので[在る・ある]」「眺めて[居る・いる]と」「君のすごい[所・ところ]を知っているよ」

(6)送り仮名や編集の通例をとりあえずは知っている。
――「物語・物語り」「作り変える・作り変る」「真っ向・真向」
――「!の後には1マスあける」「段落が移ったことを明確にする(1マスあけたり、かぎかっこで始まっていたら0.5マスあけたり)」


【レベル3】
(7)引用を正確にチェックできる。
――書店や図書館に足を運んだり、明記されているURLを調べたり。

(8)間違いではないが独得な表現に気付ける。
――「多数決を採る」(「決を採る」から来ているのかな?)
――「承認願望」(「承認欲求」から来ているのかな?)

(9)論理の食い違いに気付ける。
――文章内で矛盾していることが本当によくあります。(「~するべき」という考えかたはダメだ!と言っていたのに、どこかで「~するべきである」と言っていたり、「こだわりはよくない」と言っていたのに、「これが私のこだわりである」とか言っていたり、そういうのがよくあります)。

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むすんで、ひらいて、概念語り(ちくわ、『あみめでぃあ』第二号の前書き)


 「ずっとやってきた伝統なのに!」
 「ぼくたちは卒業するのに!」
 私たちはあの日、概念を投げつけた――。
 
 私の小学校はいわゆるマンモス校で、秋の一大イベントとして音楽会が開かれていました。神戸の小学生にとってはおなじみですが、最高学年が「見えない翼」を合唱するなか幕が降りていくフィナーレとなります。後ろ向きにゆっくりと雛壇をあがっていく六年生。歌い終わりと同時にステージ床まで降りる緞帳。閉会のアナウンスのなか鳴りやまない拍手。それが毎年の――私が一年生から五年生まで見てきた――恒例でした。私たちはそれを見ながら、聴きながら、自分たちも数年後にはあれをやるんだ、とドキドキしていたのです。
 ところが、私たちが六年生になったその年はようすが違いました。先生から、今年はひな段から動かずに歌うことにする、と告げられたのです。このままでは、憧れの「あのフィナーレ」が夢のままとなってしまう! 私たちは驚き、非難の声をあげました。
 私は翌日、各クラスを回って「ぼくらにもあの『伝統』を引き継がせて!」と署名を集めることにしました。当時何度も読み返していた、灰谷健次郎さん*の『兎の眼』から思いついたアイディアだったでしょうか。今にして思えば生意気な考えだったとは思いますが、事情が事情だけに賛同してくれる生徒も多く、私の用意してきた署名用紙は最終的に小学六年生百数十名の拙いサインで埋まりました。
 先生方のもとへその紙の束を届けると、すぐさま臨時の学年集会が開かれました。私たちは臨戦態勢で音楽室へ向かいます。しかし、そこでU先生の口から出てきたのは叱責でも、頭ごなしの説得でもありませんでした。「君たちの考えとうことはわかった。先生たちも考えなしに決めたわけじゃないんや」 先生は、例年とちがうその閉会の形に変更するに至った経緯などをすべて、こと細かに説明してくださったのでした。「君たちは伝統、伝統というけれど、今年から始まる伝統があってもいいじゃないか」「卒業式の日には君たちはお父さんお母さんたちから拍手で見送られて体育館を出ていく。それならば音楽会は、君たちがお客さんを送り出すというのはだめだろうか」 全体としてどのような話の展開があったのかもう細かくは覚えていませんが、こうしたいくつかの説明が、今でもとても印象に残っています。
 「伝統なんだから」「卒業するのだから」と、概念というものを<乱暴に投げつける>ことしかできなかった私たちとちがい、彼は、「伝統か、じゃあ伝統というのはなんなのだろう」「卒業か、じゃあ卒業というのはなんなのだろう」と、こちらの投げた概念をきちんと受け取った上で、丁寧に丁寧にその包み紙を開くようにして、歩み寄ってくださったのです。けっきょく、その場で多数決がとられた結果、「私たちの総意として」(私も先生方の案のほうに挙手しました)その年の音楽会はそれまでになかった新たな方法で閉幕することとなりました。
ときとして私たちは、知というものを、言葉というものを、概念というものを、誰かと殴り合うためだけに使ってしまいます。しかし本来、それらは私たちを<むすぶ>ために使うべきものなのでしょう。いつだか概念を編み目に喩えたことがありますが、こうして見ると概念というのは、糸そのものにも喩えられるものかもしれません。あなたのその記憶、私のこの経験、彼のあの行動……そんなバラバラだったはずのものたちに、一本の糸が通ることがあります。繋がらなかったはずのものが、概念という糸で<むすびつけられる>ときがあります。
あの日U先生がして下さったように、概念を<ひらいて>いくこと。「どうせ」だとか「ただの」だとか、そういう便利な言葉をしばし忘れて、「いったい全体それは何なのだろう」と素朴に問い続け、語り続けるということ。誰かと誰かが概念を通じてつながることがあるとすれば、それはこうした地道で静かな営みの中にあるはずです。
これから始まる編み物語りも、そんな旅路の日誌であり、あるいは旅そのものです。よかったら、あなたもご一緒しませんか。もしかしたら、「わかりあえるはずないと信じていたこと」に、それぞれがほんの少しだけ、歩み寄れるかもしれません。

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みんなで考え、みんなで分かるということ——野球チームで学んだことを頼りに(らららぎ、『あみめでぃあ』第二号の前書き)


 うちの野球チームには六年生がおらず、五年生だけで構成されていました。夏の少年野球大会、小規模ながらも地区大会決勝戦、五年生だけでそこまで勝ち進んだという事実に、監督やコーチは誇らしげでした。
 相手投手は六年生。身長が高く、見たことない速さの球を投げ、僕らを圧倒しました。「別格」とか「別次元」とか、端的に言って「僕らと彼では、住んでいる野球世界が違う」という怯えを感じました。他にも「決勝まで当たらなくてラッキーだった」とか、「僕たちは五年生だから」とか、「速い球を投げれば勝てるもの」とか、そうやって、自分たちとの(仮想の)実力差を正当化しようとして、まだ試合中にもかかわらず、たくさんの概念を生み出しました。
 なるほどこのままノーヒットノーランされるのかと確信をしたところ、神戸コーチが檄を飛ばしました――「振らなきゃ当たらないだろ、振れよ」。ただ、そんな正論で気持ちが切り替わるほど楽なシチュエーションではなく、「はいはい、説教すか、振っても当たらないからこうなってるんじゃん」という言い訳を心の中央部にセットし、誰もがやる気のない態度でバッターボックスに佇んでいました。つまり、振って三振して「ほらね、振っても三振したでしょ」という顔をする気でした。
 相手投手もそれに感付いたのか、手を抜いたというか、弱者向けに力配分された球を放ってきたように思います。人は安全を確信したときに油断するというのは吉田兼好(1)の言い草ですが、彼の投げた甘い球を誰かが何気なく打ち、その打球は外野のあいだを抜け、ツーベースヒットになりました。打った方も投げた方も、何ならその場にいた誰もがひどく驚いたと想像できます。
 それを機に「打てるんだね」という合意が仲間のあいだに形成され、「(ヒットを)打つ」という概念が生まれました。不思議なことに、誰かが打ってしまえば、それに便乗するようにして、自分にもできるはずだと「分かる」ようになります。それが概念のもっている凄さなのです。一種のネタバレ効果というか、「難しい」「不可能」と思っていたことでも、誰かがそれを「攻略」できたと知ると、急に出来るように感じるものです(2)。
 僕が通っていた学校でも、同じように、「誰かが先に分かると、それに追随するようにして皆が分かる」という現象が起こりました。基本的に《分からないは、いつか分かるに変わる》という希望を絶やすことがありません。エリート大学への進学率というデータではなく、この精神性――誰かが分かれば、きっとみんな分かる――をもっているかどうかで、僕は進学校かどうかを規定しています。
 分かる/分からないという二元論ではなくて、理解には「分かりかけている」「分かり損ねている」「分かりめいている」「分かり淀んでいる」「分かり始まっている」「分かり止まっている」という細かい状況があって、なかなか断定できないものなのかもしれません。「分かり際」にいる人も、「分かり沖」にいる人も、みんなで集まって、みんなで思い切って、自分の理解を発表してみることで、僕たちの理解は先へ先へ奥へ奥へ進んでいくのでしょう。
 ここ『あみめでぃあ』は、そういう場所です。どんな概念にも一人で立ち向かわなくていいんだ、そう安心できる場所。味方を見つける場所。「約束」「食べる」「大人」「言語化」「デザイン」「好き」「ラブ」「三日坊主」「リズム感」「家出」「悪党」「声」「狂う」「回る」「思考」「音感」「機動戦士ガンダム」「諦める」「公開」「眼鏡男子」、そういった概念をみんなで理解すること。そうすれば、誰かの理解が、誰かの理解の一助になり、発端になり、先駆となり、いつか大きな何かになるものです。僕が分かったら君も分かる、君が分かったら僕も分かる――――それぞれ別の仕方で。

(1)「高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 『過ちすな。心して降りよ。』 とことばをかけ侍りしを、 『かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。』 と申し侍りしかば、 『そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。』 と言ふ。」――徒然草第百九段「高名の木登り」

(2)師と呼ばれる者は、この「できる感じがする」という先触れを意図的に創りだすことに長けています。周りより遅れて野球を始めた僕に、野球が「できる」と感じさせてくれたコーチ、英語の長文が読めなかった僕に、英語が「読める」と感じさせてくれた先生、ギターの奏けなかった僕に、ギターが「奏ける」と感じさせてくれた叔父さん。僕はたくさんの「師=職人」の存在のおかげで、挫けるはずだったところでポジティブに生きることができました。つまり、英語なら英語、ギターならギター、それぞれが持っている特有の折檻に閉じ込められて、伏し目がちになりそうな《瞬間》に、何度も何度も引きずり出してもらってきたということです。『四月は君の嘘』第一巻「カラフル」のなかで、宮園かをりが「聞いてくれる人が私を忘れないように。その人の心にずっと住めるように。それが私の、在るべき理由。だから私の伴奏をしてほしい。ちょっぴり私を支えてください。挫けそうになる私を――支えてください」と語り、それが目指しているところは「私たち(演奏家)はあの瞬間のために生きているんだもん。ここにいる人たちは、私たちのことを忘れないでいてくれる、きっと、私、忘れない。死んでも忘れない」(第二巻「曇天模様」)という境地なのです。演奏家は、観衆を感動させ、その音楽の《瞬間》を心に深く刻み込んで忘れないでいてもらうこと、自らの奏でた音楽の一瞬一瞬が誰かの生命の一部になることを願う人種であると語ります。それは誰かの《瞬間》のために生きる「師=職人」の生き方です。しかし、まだ中学生だからその生き方を目指すことは、とても難しいもの。もしかしたら「できない」かもしれないと不安になるとき(第二巻「水面」)もあるでしょう。だから支え合うのです。この文芸誌は、概念の前で挫けそうになるお互いを、読者/著者の立場を問わず、同時代の師として友として、支え合う場所なのです。そうなることを祈っております。


「ちょっぴり私を支えてください。挫けそうになる私を――支えてください」

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*きまぐれ索引(な〜の)*

《な行》(泥む――。)




【泥む】(なずむ)――執心する、とらわれる、難渋する。

 口語よりも文語として使われやすく、「暮れなずむ」という複合語で有名かもしれませんね。中国語では「阻滞」という意味を持ち、何かをストップさせることを示しております。

私はそれを「死に泥む人間の存在」と表現したいのです。
(死に泥む人間の存在 / 大人たん)

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