《ま行》(免罪符――。)
【免罪符】(めんざいふ)――許してもらうための行いをした証(許されるための権力的な物的証拠)。
キリスト教圏には、「みんな罪あるよね」という共通認識があり、それを神が赦しているという構図が常にあります。神が赦してくれてるので自由になれるのです。 たとえば、あるとき誰かが盗みを働いてしまったら、その罪悪感から解放されるために教会で「懺悔」(告解)します。そのときに「教会の床を掃除しなさい」とか、「聖書のどこどこを毎日唱えなさい」という免罪符(赦してもらうための行い)が指定されました。
しかしキリスト教は、「十字軍」という侵略戦争でお金を使いすぎてしまったために金欠だったので、掃除や聖書なんてやらせずに、「所持金を寄付しなさい」みたいな風に言いつけをかえました。そのとき発行されていたものを「贖宥状」といい、それが「お許しのチケット」のようになりました。
ちょうど活版印刷という技術の台頭と重なり、発行しやすくというのも流行の理由になるかもしれません。とにかくそこから、「~することを許されるための…」というのを免罪符と比喩するようになりました。
いろんなことに興味があるのです、というセリフを免罪符に、当時のぼくはのらりくらりと現在や未来の話を避けていた。しかし、いろんなことに興味があるという言葉は、この歳になればもはや、何にも興味を持っていないという言葉と等価であることにも、うすうす気づき始めていた。
(知れば知るほど、知らないことが増えてゆく / ちくわ)
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