うちの野球チームには六年生がおらず、五年生だけで構成されていました。夏の少年野球大会、小規模ながらも地区大会決勝戦、五年生だけでそこまで勝ち進んだという事実に、監督やコーチは誇らしげでした。
相手投手は六年生。身長が高く、見たことない速さの球を投げ、僕らを圧倒しました。「別格」とか「別次元」とか、端的に言って「僕らと彼では、住んでいる野球世界が違う」という怯えを感じました。他にも「決勝まで当たらなくてラッキーだった」とか、「僕たちは五年生だから」とか、「速い球を投げれば勝てるもの」とか、そうやって、自分たちとの(仮想の)実力差を正当化しようとして、まだ試合中にもかかわらず、たくさんの概念を生み出しました。
なるほどこのままノーヒットノーランされるのかと確信をしたところ、神戸コーチが檄を飛ばしました――「振らなきゃ当たらないだろ、振れよ」。ただ、そんな正論で気持ちが切り替わるほど楽なシチュエーションではなく、「はいはい、説教すか、振っても当たらないからこうなってるんじゃん」という言い訳を心の中央部にセットし、誰もがやる気のない態度でバッターボックスに佇んでいました。つまり、振って三振して「ほらね、振っても三振したでしょ」という顔をする気でした。
相手投手もそれに感付いたのか、手を抜いたというか、弱者向けに力配分された球を放ってきたように思います。人は安全を確信したときに油断するというのは吉田兼好(1)の言い草ですが、彼の投げた甘い球を誰かが何気なく打ち、その打球は外野のあいだを抜け、ツーベースヒットになりました。打った方も投げた方も、何ならその場にいた誰もがひどく驚いたと想像できます。
それを機に「打てるんだね」という合意が仲間のあいだに形成され、「(ヒットを)打つ」という概念が生まれました。不思議なことに、誰かが打ってしまえば、それに便乗するようにして、自分にもできるはずだと「分かる」ようになります。それが概念のもっている凄さなのです。一種のネタバレ効果というか、「難しい」「不可能」と思っていたことでも、誰かがそれを「攻略」できたと知ると、急に出来るように感じるものです(2)。
僕が通っていた学校でも、同じように、「誰かが先に分かると、それに追随するようにして皆が分かる」という現象が起こりました。基本的に《分からないは、いつか分かるに変わる》という希望を絶やすことがありません。エリート大学への進学率というデータではなく、この精神性――誰かが分かれば、きっとみんな分かる――をもっているかどうかで、僕は進学校かどうかを規定しています。
分かる/分からないという二元論ではなくて、理解には「分かりかけている」「分かり損ねている」「分かりめいている」「分かり淀んでいる」「分かり始まっている」「分かり止まっている」という細かい状況があって、なかなか断定できないものなのかもしれません。「分かり際」にいる人も、「分かり沖」にいる人も、みんなで集まって、みんなで思い切って、自分の理解を発表してみることで、僕たちの理解は先へ先へ奥へ奥へ進んでいくのでしょう。
ここ『あみめでぃあ』は、そういう場所です。どんな概念にも一人で立ち向かわなくていいんだ、そう安心できる場所。味方を見つける場所。「約束」「食べる」「大人」「言語化」「デザイン」「好き」「ラブ」「三日坊主」「リズム感」「家出」「悪党」「声」「狂う」「回る」「思考」「音感」「機動戦士ガンダム」「諦める」「公開」「眼鏡男子」、そういった概念をみんなで理解すること。そうすれば、誰かの理解が、誰かの理解の一助になり、発端になり、先駆となり、いつか大きな何かになるものです。僕が分かったら君も分かる、君が分かったら僕も分かる――――それぞれ別の仕方で。
(1)「高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 『過ちすな。心して降りよ。』 とことばをかけ侍りしを、 『かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。』 と申し侍りしかば、 『そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。』 と言ふ。」――徒然草第百九段「高名の木登り」
(2)師と呼ばれる者は、この「できる感じがする」という先触れを意図的に創りだすことに長けています。周りより遅れて野球を始めた僕に、野球が「できる」と感じさせてくれたコーチ、英語の長文が読めなかった僕に、英語が「読める」と感じさせてくれた先生、ギターの奏けなかった僕に、ギターが「奏ける」と感じさせてくれた叔父さん。僕はたくさんの「師=職人」の存在のおかげで、挫けるはずだったところでポジティブに生きることができました。つまり、英語なら英語、ギターならギター、それぞれが持っている特有の折檻に閉じ込められて、伏し目がちになりそうな《瞬間》に、何度も何度も引きずり出してもらってきたということです。『四月は君の嘘』第一巻「カラフル」のなかで、宮園かをりが「聞いてくれる人が私を忘れないように。その人の心にずっと住めるように。それが私の、在るべき理由。だから私の伴奏をしてほしい。ちょっぴり私を支えてください。挫けそうになる私を――支えてください」と語り、それが目指しているところは「私たち(演奏家)はあの瞬間のために生きているんだもん。ここにいる人たちは、私たちのことを忘れないでいてくれる、きっと、私、忘れない。死んでも忘れない」(第二巻「曇天模様」)という境地なのです。演奏家は、観衆を感動させ、その音楽の《瞬間》を心に深く刻み込んで忘れないでいてもらうこと、自らの奏でた音楽の一瞬一瞬が誰かの生命の一部になることを願う人種であると語ります。それは誰かの《瞬間》のために生きる「師=職人」の生き方です。しかし、まだ中学生だからその生き方を目指すことは、とても難しいもの。もしかしたら「できない」かもしれないと不安になるとき(第二巻「水面」)もあるでしょう。だから支え合うのです。この文芸誌は、概念の前で挫けそうになるお互いを、読者/著者の立場を問わず、同時代の師として友として、支え合う場所なのです。そうなることを祈っております。
「ちょっぴり私を支えてください。挫けそうになる私を――支えてください」
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