忍者ブログ

みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
MENU

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


繰り返して繰り返してどうでもよくなる。 / 著者:あめ子 - ch1

初めまして、お久しぶりです。あめ子です。
適当ズボラ女の名前を欲しいままにしています。
その界隈では結構有名です。たぶんね。

さて、「私の最も好きな法則」についてお話しましょう。
といっても普段から「あ、私こういう法則好き」なんてこれっぽっちも考えていないので、「最も」をつけていいかは疑問の残るところです。
最も好きというよりは、私に染み付いた法則について書きたいと思います。


私の法則それはタイトルにもあります通り、「繰り返して繰り返してどうでもよくなる」です。
最早、私の性質の1つになっています。


自覚したのは一人で読書ができるカフェを探していた3年前の夏。
自宅からバスで30分かかる繁華街で、大きな本屋の隣に薄暗い地下カフェを見つけました。
文庫を数冊購入した私は、読書をするために入店。
ドリンク1つで3時間(予定)も居座る勇気はなく、私はメニューを開きました。
そこで何故か目を引いたのが「えびピラフ」でした。
無愛想なおじさまによって運ばれてきた、女一人がこんな量を食べきれるのであろうかと不安になるえびピラフと、具がわかめだけの味噌汁。
特別な材料を使用している訳でもなく、盛り付けもこだわっている訳ではない。
味は素朴で、私でも作れそうな味付け。(すみませんお店の方)
「文庫を数冊購入~エビピラフと味噌汁を食す」一連の行動がとても好きになったのです。
だいたい1年ぐらい、一連の行動を繰り返していました。
無理やり時間を作ってまで、何故か私は本を買い同じ店でえびピラフと味噌汁を食すということもありました。
どうしてそこまで執拗に繰り返していたのかは私自身皆目検討もつきません。
けれど、1年ほど経ったある時、電池が切れたように、急に何の魅力も感じなくなりました。
それからは全くそのお店にすら入っていません。


繰り返している行動は、繰り返している期間中、どこをとっても愛していて
例えば本を買わずにえびピラフだけ食べるとか、そういう欠片でも私は満たされます。
そして繰り返しが完遂できた時、十分な充足感を得られることができるのです。
きっと突然どうでもよくなるのは、おいしいとこばかり食べていて慣れてしまったか、消化しきってしまったからなのでしょう。


まとめ。
私の(最も好きな)法則は、「好きになった行動の流れを繰り返して繰り返して、突然どうでもよくなる。」でした。


おわり。

拍手

PR

chiasma 07:「思い出の詰まったメンタルブロック」

chiasma 07:「思い出の詰まったメンタルブロック」
・「ギャルが苦手」(めがね)
・「デモに行けなかった話」(らららぎ)
・「クローズドから、オープンへ。」(こはく)
・「標準語から関東弁へ」(ゆうちゃん)
・「油そばとかバイオとかモノマネとか」(寝返りレタス)
・「海外へ行くこと」(ドーナツ)


*焦らず…焦らず…お題は…あなたを急かすものではございません…。


拍手

chiasma 06:「なぜ伝言ゲームは言葉を正確に伝えられないのか」

chiasma 06:「なぜ伝言ゲームは言葉を正確に伝えられないのか」
・「声に出す、難しさ」(江藤あかり)
・「ささやかれた言葉たち」(らららぎ)




拍手

Life=生活と人生の一致 / 著者:ドーナツ - ch5

lifeという語は生活という意味と人生という意味の両方を持つ。
それに気づいたのは中学か高校の頃だっただろうか、その時はとても不思議だった。
だが、生活=人生であると気づき始めたのは最近のこと。

元も子もないことを言ってしまえば、一人暮らしなんて何とかなる。
この不器用な私ですら、2年間も一人で暮らしてきたのだ。
気負う必要はない。

ただ、常に虚無感という何かが欠落した状態が自分の身に迫ってくるという、何とも矛盾した気持ちをずっと感じていた。
何が欠落しているのかわからないけれど、何かが足りない。
それが恋愛とか友情とか、本業である学業であるとか、そういうことではなかった。

実家で家族と暮らしていたときは、おそらくその「欠落」が認識できなかったのだろう。
実家を出て初めて認識して、虚無感に苛まれ、焦りを感じるというサイクル。
だから何かをして埋めようとせずにはいられなかった。

最近ふと、「余裕がないのは嫌だ」などと思って、バイトをやめてみたりした。
ひとまず学業第一に、生活を楽しんでみようと思ったのだ。

そうしたら、なにか絡まっていたものがほどけていくように、するすると気持ちが楽になっていったのだ。

私の人生に足りなかったのは生活だった。
生活しているという実感がなかった。
自分で自分を追い立てて、「何かに夢中になっている自分」を作り上げて、生活をないがしろにしてまで人生を作ろうとしていた。

そんなのうまくいかないに決まっている。
それなら、うまくいくように生活してみればいい。

自分のために、誰かのために何かをすること。
日常レベルでちょっとした心配りを自己でもいいし他者でもいいし、どこかに向けてみる。
それは、ご飯を食べながらくだらない話をしたり、自分のためだけにちょっとおいしい料理を作ってみたり、お気に入りのワンピースを着てみたりするという、ただそれだけのことだ。

生活が一人の人間の「横の歴史」であるなら、人生は「縦の歴史」ではないだろうか。
緯糸と縦糸が織り合わさって、私やあなたの"life"が作られていく。
だから、「縦の歴史」である人生において大変革を強いられるときであっても、自暴自棄にならずに生活していたい。

要するに、QOLが大事ですよってだけの話なのだが、一人暮らしに不安のある人は、たまに自分を上手に甘やかせばいいと思います。

拍手

大事なのは、葛藤に気付いて面白がれるかってこと / 著者:らららぎ - ch5


俺言ったろ?大事なのはお前らが、この試合を面白がれるかどうかだって。

『GIANT KILLING』というサッカー(の監督がメインに描かれている)漫画。番狂わせとか、大物食いという意味なんだとか。この監督が率いることになった弱小チームETUは、彼のもとリーグで1位を目指すことになるが、選手たちは「成し遂げたことのないこと」に怯え、自らの実力を半減させる葛藤に捨て鉢のような態度をとり、勝利へと導く監督のロジックに反抗する

彼らの「本来持っているはずの実力」を無効にしているのは不安である。その不安は葛藤から生まれ、その葛藤の正体は「役割間葛藤」と称されるものである。自分たちは「勝利者に相応しいのか」と考えてしまう。彼らは「強いものが勝つ」という前提にあるため、負け続けてきた自分たちは勝利者なりえないと決め込んでいる。ベッケンバウアーが強く主張するように、本当は「勝ったものが強い」のに。

大人というのは、臆病の正体がバランスの欠如だと知っています。臆病な人にとって、勝利は〈重荷〉に感じられます。彼は〈敗北に慣れすぎている〉のです。負け慣れてしまうと、いざ勝利のチャンスに出会い、その玄関先まで辿り着いたとしても、チャンスを掴み切ることができないものなのです。(32)
— 大人たん(@otona_tan) 2013, 12月 8

大人たんも「敗北に慣れすぎていて、勝利が重荷になっている」と語る。

肝心なのは、面白がれるかということなのだ。
ゴミ箱に虫が集うことも、電気代を支払えず超過金をとられることも、隣の家から性的でリズミカルな叫び声が聞こえることも、ゴキブリに歯ブラシをかじられることも、山のように洗濯物が溜まることも、野菜室の奥でキャベツが腐っていることも、布団にカビが生えることも、トイレに蜘蛛が棲み付くことも、テレビを付けたまま寝てしまうことも、寂しさと苦しさで心が混み合って鬱ぎ込むことも、すべてが「いまここにいる自分にしかできない代えがたい唯一の経験」なのだ。それを愛すること。不幸も幸福も、どちらも自分の人生なんだと思って無条件に愛撫してやること。それが大事なことだろう。

葛藤で苦しむ人には、愛が足りない。
ひいては愛嬌(人間的で温かい隙)が足りない。

ひとりで暮らしたことない人間が、「私は独力で暮らすに相応しい人間だろうか、それをやり遂げる資格があるだろうか」などと問うのは退屈で窮屈だといえる。もっと楽しんでいい。窮極に楽しめないときでも、面白がれるかどうか、そこが何よりも肝心である。

ということで、すべからく楽しむべし

しーゆーれーらー

拍手

chiasma 05:「ひとり暮らしにおいて肝心だと思うこと」

chiasma 05:「ひとり暮らしにおいて肝心だと思うこと」
・「『めんどくさいが最大の敵』」(めがね)
・「自信を持つこと ― how to maintain yourself」(ちくわ)
・「大事なのは、葛藤に気付いて面白がれるかってこと」(らららぎ)
・「Life=生活と人生の一致」(ドーナツ)
・「約束をしよう。」(こはく)
・「ひとり暮らしに関する思考」(黒崎咲夜)

未執筆(イミ、かなぽん、ねぎとろ、くびなが、水無月 紫苑、菖蒲、ネコ、大人たん、ゆうちゃん、むいこ、あめ子)

*御題の投稿者様によりますと、「少し早めに読みたいです」とのこと。ですので、応じてあげるとかなり喜ばれるかもしれません。ですが、慌てることなく大切なことを選びながら、「伝えること」がとても大事となります。


拍手

自分に関する思考 / 著者:黒崎咲夜 - ch3

こんにちは。黒崎咲夜です。
本日は、俺のアカウントの由来や自分について。

様々な場面で使用しているアカウントは「metamaid」と言います。
読み方は「メタメイド」。このアカウントの始まりは中学3年の夏に遡ります。

その当時、何を考えていたのか、受験を控える身にも関わらず、YouTubeで海外で放映されたとあるアニメの逆輸入版を観ていました。今なら著作権云々の話ですぐ削除される世の中ですが、昔はすこーし緩かったんですね。

そのアニメの名前は「星のカービィ」。

俺が小学校時代に観ていたアニメです。このアニメで出てくる仮面を着けた騎士のキャラクター、「世界で最もかっこいい一頭身」とも呼ばれる「メタナイト卿」と言います。そして当時並行で見ていた漫画が「ひぐらしのなく頃に」。メイドな格好をしたキャラクターがたくさん出てきます。

そこで俺は思った。
メタナイトをメイドにしたら可愛いんじゃね?

………と言うことで生まれたのが、「メタメイド」ひいては「metamaid」と言うアカウントです。当時のカービィ界隈では「メタナイトをメイドにした人」「メタメイドの人」として認識されるようになりました。

今でも「metamaid」を使い続けているのは、おそらく、その時に得たある種のアイデンティティ(俺らしさ)の一つがここに現存しているからかもしれません。


そして「黒崎 咲夜(くろさき さくや)」というハンドルネーム。
これも古いです。中学2年の時から使用しています。

名前の由来は、中学時代に在籍していた女子ソフトテニス部の友人から「黒」と「咲」の2文字をもらいました。

「黒崎」の名は、俺が宮崎出身・在住であったのでそこから。
「咲夜」の名は、「夜に咲く花」でありたいという当時の子どもじみた考えと、日向神話の「コノハナサクヤヒメ」の音からもらいました(当時は「サヤ」、という読みにしようか迷ったのですが、友人に聞いた結果「サクヤ」の方が読みやすい、というのと、ちょうど手元に「日向神話」の本があったのです)。

ちなみに、俺が「咲夜」となったので、妹は「朝枯れる花」から「朝枯(アサカ)」というハンドルネームにしました。当時は仲が非常に悪かったはずなのですが、姉妹とは良く分からないものですね。

自分語りをすると異様に長くなりそうなのですが怖いですね。
出来るだけ簡潔に参ります。

俺は一言で言うと「非常に印象の強い人間」のようです。
雰囲気が、オーラがすごい、と言われます。また、1度会うと圧倒される人が多いように見受けられます。

そのせいか、最近のあだ名は「女帝」「西太后」などと言ったかなり気の強い女性として思われているようです。その例えは間違ってはいませんし、俺も事実そう思います。ですが、自分では雰囲気やオーラが云々と言ったことは、今ひとつ理解できないのです

俺は「普通に」毎日を生活しているだけであって、それに対してどういう印象を受けるのかはさすがに分かりません。因果性を念頭に置いて思考をしている俺ではありますが、さすがに相手の受ける印象に対しての原因・理由は未だ見つけられてはいません(分かる人が居たらコメントもらえると嬉しいな!)。

ただ、思い当たることがあるとすれば、父方の祖母に教育されてきたということがあるかもしれません。

祖母は、俺を20倍濃縮したような気の強い女性であり、俺の短い人生の中で、祖母として、女として、先を生きた人間として、様々なことを指南してくれた女性でもあります。
彼女は、大卒の女性に非常に強いコンプレックスを抱いています。戦争直後、自らが女であるがゆえに進学できなかったという負い目と、夫が大卒で、その周りに居る女性たちへの嫉妬ということもあるのでしょう。

夫の周りの女たちに負けない為に、祖母は人間的に強くあろうとした。学は無くとも、しっかりした人間であろうとした。自分が正しい、と知っているからこその傲慢と不遜。祖母が気に入らないということで、敵は多いです。しかしその反面、彼女は非常に面倒見もよく、周りの人たちに慕われているのです。

また、初孫かつ女であった俺に対し、
女であっても強くなりなさい
女であっても学が無くてはならない
と祖母は俺に小さい頃から教えてきました。

「人間として強くあること」
「学が有ること」
については疑いようはありませんが、俺が現在、「女であること」にアイデンティティを疑うのはここからも有るのかな、と思っています。

「俺は『俺』であり、『性別を超えたもの』ではあり得ないのか?」と。
父親譲りの天邪鬼な性格がここに現れてますね。

天邪鬼と言えば、「皆がやっている」ことをやりたくないのがこの俺です。平たく言えば「流行りのことが嫌い」なんですね。このことのおかげで、流行に流されず、自ら考えてから何かをする基礎が出来たのかなーと思います。

ただ、気が強い為、小中高大でいじめを受けてきました。まさか大学でもやられるとは思いませんでしたが…。俺は全て、周りの人たちの支えによって乗り越えてきました。特に教員と、友人に強い思い入れが有るのはここからですね。

それ故に俺は教員を目指し、友人に対しては何かあれば、俺の持てる全力を尽くして助けたいと思っています。


端的にまとめます。


とある友人は、俺のことをこう言い表しました。
好きな人には最大限の愛情を、嫌いな人には最大限の嫌悪を向ける人」だと。

まさに、この通りだと思います。

極端かつ気が強く、面倒な人間ではありますが、これからもよろしければ仲良くしてくださると嬉しいです。



黒崎 咲夜 / 2014.06.22






(編集責任らららぎ)

拍手

× CLOSE

ブログ内検索

× CLOSE

Copyright © みんなでしんがり思索隊 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]