私の姉はモデルをやっており、かつてもいまもダイエットをしている。痩せたり痩せなかったりを繰り返しては、その数値に一喜一憂を任せ、慎重に次の目標点を掲載していた。私はそれを横目に見ながら、
なんてくだらないことをしているんだろうという気持ちを込めて、冷ややかな眼差しを視線のうえに付けて送っていただろう。
私のような馬鹿者は、すぐに合理的な「意味」というものを考えてしまうのだ。
本気で跪いて天に祈る教徒、あの光景を吉祥寺の教会で始めてみたとき、たぶん私は冷たい目をしていたに違いない。なぜ目を冷やしたのかと言えば、彼を馬鹿にすることで「怖い」という感情から逃げ出したかったからだったと思う。なぜなら、分からないからだ。
意味が、理由が、全てが。全身全霊で天に向けて手を合わせ、震えながら祈りを届けようとしている「意味不明さ」に、私は即座に敗退したのだった。「
そんなことをしたって、意味ないじゃないか」とか、「
そんなことするぐらいなら真面目に努力しろ」とか、合理を装って頭の悪いことをつぶやいていただろう。
柄でもない進学校というものに、私は、成り行きで合格してしまった(高校なんて行きたくなかったけれど、マザコンだった私は、母の勧める高校に、母の勧めるやり方で合格してしまった)ことがある。そこでは学歴の良い教師たちが、教科用図書を使って
科学的なことを科学的な方法で教えてくれる。低い点をとるということは、
『理由が分かっていない』とか『意味が分かっていない』と科学的に思い込まれ、さらに科学的な指導を科学的にしていただくことができた。親は科学的に大満足の様子だった。
そうして、一箇の馬鹿者が生まれたのだった。
あらゆることに「意味」や「理由」があると思い込み、それが祟って「宗教家のひとつひとつの行動にも意味や理由があるはずだ」と思い込み、それが全く分からないことに怯えたし、見下しもしただろう。ひいては「宗教」という抽象的な概念にまで「意味」を求めはじめ、散々宗教というものを馬鹿にしながら、散々宗教というものを勉強した。
かつての私とは正反対の人間として、
チャーチル・ダーウィンというロールモデルを紹介したい。「弱肉強食と進化論だろ、知ってるよそんなやつ、古い古い」で知ったかぶらず、注意深く彼の著作を読んでほしい。
ダーウィンは、かつてアリストテレスがしたように、ミミズ(Earth Worm)の研究をした。
ダーウィンは「動物の動きを機械(プログラム)と同じようにとらえること」を嫌った。ミミズの生態を何年も何十年もかけて観察することによって、ミミズには「概念」を生み出す力があることを証明する。「こうなったら、こうする」という反射的でプログラミング的な動きではなく、「え~っと、これはこのパターンだから、こうした方がより善いな」と考えて行動できるのだ。下等生物と呼ばれるものも、単に本能で反射だけしているだけではなく、パターンの分類を思考することができていたと発表した。
ダーウィンの行動を支えていた考えは、最初から最後まで、「
進化や変化というものには、何の目的もなければ、何の方向もない」という鋭い観察眼から導き出されたものだった。たとえば、ミミズは世界中で土を耕しているけれど、それは「地球のため」だとか、「土のため」だとか、「作物のため」だとか、そういうものは全く無いということだ。
驚いただろうか、私は最初驚いた。目的や方向、意味や理由というものがあると思っていた。
科学が発達したおかげで、私は「ひとつひとつに意味を求めてしまう病」に罹ってしまったのだろう。
そして、また、今日も「意味」を問うてしまった。
― 「
デモに行く意味なんてあるのか」
メンタルブロックを無視して冷静に考えればあるし、<自分の意志ある行為>に意味を持たせるのは自分である。
私には「自分よりも若い世代を守りたい」という気持ちが足りなかった。むしろ守って欲しいなどと甘えている節がある。つい数年前まで母親に進学校へと通わせてもらっていた私にとって「してもらう」ことがメインであって、
「なぜ自分がまだ産んでもいないガキのために身を差し出さねばならないのだ」、と、意味や理由を訊いてしまったのだ。
メンタルブロックは恐ろしい。
プライドが高いと、
都合のよい問いばかり優先させる。
問うべきは理由でも意味でもなく、
「私がここまで平和に生きてこれたのは、何に支えられていたからなのか」であった。67年ものあいだ守られてきた平和憲法が、国民投票をまんまとすっぽかして閣議決定されるというのに、私は何をしていたのだろうか。自身の不明を恥じるばかりだ。
デモは、体制が維持している秩序の外部にほんの少しだけ触れてしまっていると言ってもよいだろう。というか、そうした外部があるということをデモはどうしようもなく見せつける。だからこそ、むしろデモの権利が認められているのである。デモの権利とは、体制の側が何とかしてデモなるものを秩序の中に組み込んでおこうと思って神経質になりながら認めている権利である。「デモの権利を認めてやるよ」と言っている体制の顔は少々引きつっていて、実は、脇に汗をかいている。
…デモとは何か。それは、もはや暴力に訴えかけなければ統制できないほどの群衆が街中に出現することである。その出現そのものが「いつまでも従っていると思うなよ」というメッセージである。だから、デモに参加する人が高い意識を持っている必要などない。ホットドッグやサンドイッチを食べながら、お喋りしながら、単に歩けばいい。民主主義をきちんと機能させるとかそんなことも考えなくていい。お祭り騒ぎでいい。友達に誘われたからでいい。そうやってなんとなく集まって人が歩いているのがデモである。
…デモのテーマになっている事柄に参加者は深い理解を持たねばならないなどと主張する人はデモの本質を見誤っている。もちろん、デモにはテーマがあるから当然メッセージをもっている(戦争反対、脱原発…)。しかし、デモの本質はむしろ、その存在がメッセージになるという事実、いわば、そのメタ・メッセージ(「いつまでも従っていると思うなよ」)にこそある。このメタ・メッセージを突きつけることこそが重要なのだ。
(國分功一郎「パリのデモから考える」より)
結局、まず自分がデモをやるほかないんですよ。なぜデモをやらないのかというような「評論」を言ってたってしょうがない。それでは、いつまで経っても、デモがはじまらない。デモが起こったことがニュースになること自体、おかしいと思う。だけど、それをおかしいというためには、現に自分がデモに行くしかない、と思った。…昔、哲学者の久野収がこういうことを言っていました。民主主義は代表制(議会)だけでは機能しない。デモのような直接行動がないと、死んでしまう、と。デモなんて、コミュニケーションの媒体が未発達の段階のものだと言う人がいます。インターネットによるインターアクティブなコミュニケーションが可能だ、と言う。インターネット上の議論が世の中を動かす、政治を変える、とか言う。しかし、僕はそう思わない。そこでは、ひとりひとりの個人が見えない。各人は、テレビの視聴率と同じような統計的な存在でしかない。各人はけっして主権者になれないのです。
(柄谷行人「反原発デモが日本を変える」より)
代表制は、たとえそれが効果的な代表であっても、民主主義を強化するのではなく民主主義を妨げるものであるということを2011年(から)の運動の非常に多くははっきりと認識していた。だからこそ、2011年(から)の運動は、代表制の政治構造と政治形態に対して批判を向けているのだ。民主主義の(未完の)プロジェクトはどこへ言ってしまったのか?私たちはどのようにすれば、民主主義のプロジェクトにふたたび取り組むことができるのだろうか?市民=労働者の政治権力を取り戻す(いや、実際には、はじめて実現する)ということはいったい何を意味するのか?2011年の運動が教える一つの経路は、この章で私たちが概観してきたような、貧困化され、脱政治化された主体=従属者(であること)に反逆し、叛乱を起こすことである。民主主義を実現=現実化することができるのは、この点をしっかり把握し、演じることができる主体が登場したときだけだ。
(ネグリ・ハート「declaration」、tessai-ekai訳:より)
代議制民主主義の限界は、とっくの昔から語られている。上に挙げた3つの思想家の考えは、どれもまだ、代議制を前提から問い直すものではない。だから哲学としては不十分だが、それでも「
いま当たり前のこと」としては大事なことが書いてあるとも言える。
そして私は、「いま当たり前のこと」さえもできていない。「いま当たり前のこと」さえ欠けている私が、外から冷たい視線を送っている。そんな誕生日前夜のデモとなった。これでいいのだろうか、深く問わざるを得ないと感じている。
こんな邪魔なメンタルブロックがなければ、私だって、演説をしたあとに新宿の連絡口で焼身自殺を図るだろう。
「代議制は限界だ」という昔から語られてきたことを、その記憶が失われている人々のために、いま当たり前のこととして語りたいと思う。だから、焼身自殺の彼は、私がやりたくてもできないことをやってのけたし、「いま当たり前のこと」を知っていたのだろう。
「意味なんてない」とか、「子供っぽい」とか、科学的な人は、科学的に冷たい視線を送るだろうが、私は、今日をもって23歳になったので、そういう
科学が寄越してくる「意味」というメンタルブロックを乗り越えると宣言する。
2014年7月1日、らららぎ、決意をここに記す。
ありがとうございました。おわる。
しーゆーれーらー
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