心で重たく伸し掛かるストップ現象 ― 前に進めない気持ちの引っ掛かり。
そういうものを「メンタルブロック」(心的障害)と称している。
たとえば私は「K-POP」というものが苦手だった。アホらしく聞こえるかもしれないが、"特によく聞いたわけでもないのに"、苦手だった。韓国に良くないイメージがあったことと、やはりよく聞いてないことが原因だったと覚えている。
たとえば、有名な少女時代の楽曲にはこんな素敵なものがある。
少女時代 - hahaha song(歌詞部分は1:37~、らららぎ拙訳)。
써니 인생이란 모두에 주인공
(燦々、人生とは全ての主人公)
그건 바로 우리야 그대야
(それはきっと僕だよ 君だよ)
세상 속에 나 서있어
(だって世界のなかに立っているんだから)
こういうクラブ系のラブソングもある。Humming Urban Stereo - Hawaiian Couple(歌詞部分は1:20~、らららぎ拙訳)
이런저런 시시콜콜
(くだらないあんなことやこんなこと全てが)
반짝반짝 길들여진
(キラキラと飼いならされているんだ)
ちゃんと探して、ちゃんと聞いて、ちゃんと訳してみると、面白い楽曲はたくさんある。たぶんそれはすごく当たり前のことなんだけれど、どうもテレビのイメージや、一部の熱狂的なファンのイメージなどが「都合よく折り重なって」、私にとって嫌悪感を生み出すものになっていたのだと思う。どこかにメンタルブロックがあったのだ。(最終的には「ハングルが気持ち悪いから」とか言いそうだ…)。どうしてそれを乗り越えたかといえば、ひょんなことから韓国人の女性と知り合い、お互いの好きなポップスの歌詞を教え合おうということになったからだ。メンタルブロックは「誰かと一緒」だと、すぐに瓦解する。このブログもそうだが、「みんなで」というのも強力だと思う。(こっくりさんも、ひとりでは出来なかった)「電子書籍、ずっと偏見あったけど使ってみたらよかった」とか、「穴子、ずっと食わず嫌いだったけれど合宿で出たから食べたら美味しかった」とか、「東大、官僚的な真面目ちゃんしかいないイメージだったけど、面白い奴もたくさんいた」とか、「自動車、あんなものの何がいいのかと思ってたが、乗ってみたら好きになってしまった」とか、「アムウェイ、ネットで評判悪かったけど、入ってみたら立派な人もいっぱいいた」とか。人は面白くて、よく知りもしないのに「なんとなく」で嫌いになれる。イメージだけで、評判だけで、オーラだけで、「そのものが"実際は"何であるか」という探索を前にして、遮断することができてしまうのだ。実際を、知らずに。「実際に使ってみたら」「実際に食べてみたら」「実際に会って話してみたら」「実際に乗ってみたら」「実際に参加してみたら」こういった「実際性 - 身体性」を大事にしていると、メンタルブロックや偏見は着実に少なくなっていくもの。もし、それが「本当に嫌いなもの」ならば、「嫌いのちゃんとした理由」が見つかることだろう。少なくとも「なんとなく」というイメージ語りでは、なくなる。そこで、みんなが「乗り越えるためにすごく頑張ったり、印象的だったメンタルブロック」について、"その思い出と一緒に"語っていただきたく願います。「怖い不良に勇気を出して話しかけたら、すげえいいやつだった」とか、「ミーハーだと思って見てこなかった大作アニメ、見たら最高だった」とか、「ずっとママって呼んでいたけれど、ついにお母さんって呼べた」とか、「ずっと入りたかったTSUTAYAのAVコーナーに、ようやくみんなで入れた」とか、「プリクラなんか撮って何が楽しいのって思ってたけど、みんなで撮ったら楽しかった」とか。何でもいい、すごく日常的なことでいい。山ほどあるだろうし、山ほど書いていい。あるいは、今でもずっとメンタルブロックがかかっていることがあって、それをどうしても乗り越えたいという話でもいい。とにかく、みなさんのメンタルブロックの思い出話、ぜひ聞かせてください。(らららぎ)
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