10代の頃、僕は人と話すことを極端に嫌っていました。
小学生の頃はそこまででもなかった、むしろ積極的に誰かと関係しようとしていたはずなのですが、人見知りということもあってか中学校、高専と進むにつれてなかなか
人と接することが億劫になってきました。
学校内の関係、もっというと
クラス内の関係だけで全てを完結させようとしていた感がありました。
その理由は今思い返して出してみると非常にシンプルで、
「誰かと話してる暇があるならそれをゲームと音楽につぎ込む」というものでした。
僕の学生生活の大半はゲーム、高専に入ってからは音楽もそこに加わりました。
通学中は基本的にイヤホンを常時装着。
その頃の僕の関心事はもっぱら好きなバンドのドラムの耳コピでした。
「耳コピをするためにはありとあらゆる雑音を排除しなくちゃいけない、
誰かに気を割いている余裕なんてないんだ!」
という気持ちで僕は外界を遮断していたのです。
今振り返ると、僕のこの方針は明らかに間違っていました。
仮にアーティストを志すようになったとして(そんなつもりは昔も今も毛頭ないですが)、それで僕はアーティストになることができたでしょうか?
きっとできなかったと思います。
音楽家として成功するためには、
『人に響くもの』を創る必要があります。
それなのに人と会話することを嫌う人、もっと言えば
人の心を理解しようとしない人が人に響く音楽を創れるはずがないのです。
この
「他者と接しないことが善だ」というのが、僕のメンタルブロックでした。
客観的に見て僕は明らかな精神的引きこもりでした。
とても閉鎖的な、閉じた世界に住んでいたと思います。
すごく勿体ないことをしていました。
もちろん。
僕に限らず、人は本質的には人との会話は苦手な部分や嫌いな部分があるはずです。
究極的には自分ではないもの、異物と接しているわけですから、そこには
ある種の恐怖があります。
でも、だからこそ、それによって自分の世界を広げることができる。
自分を自分ではない誰かと比較することによって、始めて自分というものが明確に理解できる。
そしてその結果としてアーティストであれば人に響く音楽を生み出すことができる。
でも、当時の僕はそれに気づけませんでした。
人と関わることは社会で生きるための必要条件だ、ということに気づくことができませんでした。
自分の中の心地のよいぬるま湯的な世界に浸っていることが、日々を楽しく過ごすことだと信じていました。
僕は僕を愛するあまり僕の人生を置き去りにしていました。
今はこの壁を乗り越え、積極的に人と話すことができるようになりました。
いや、正直に言うと今でも苦手な部分は多少あります。
でもなるべく、できるだけ、話をする努力できるようになれたことはひとつの事実です。
個人という閉鎖的世界ではなく、人と人が関わりあう世界に僕は住処を移すことができました。
こはく
PS.
この度僕はこのメンタルブロックをまたひとつ乗り越えることにしました。
このブログの創設者のおひとりであるらららぎさんの誕生日会に明日から行ってきます。
僕の記憶を探る限りですが、僕は友達のお家に
「お泊り」したことがありません(!)。
親戚の家や旅館、ホテルは何度も泊まりましたが、らららぎさんのようないわゆる
横のつながりの方のお家で宿泊することは初めてです。
おそらく今までの僕の中には
「人の家に泊まったら迷惑がかかるから絶対ダメだ」というメンタルブロックがあったのでしょう。
でも、
それでもいいじゃない、今まで周りの人には散々
迷惑をかけてきたし、これからも迷惑になるんだから、って今は思えるのです、そしてその思いを確信するために誕生日を祝いに、お泊りをしに行ってきます。
メンタルブロックに、思い出を詰め込んできますね。
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