chiasma 02:「私の断念してきたこと」
・「
『復讐』」(めがね)
・「
断念と私」(浜乃木 千春)
・「
断念に関する思考」(黒崎咲夜)
・「
背伸びしなくてもいいんだ」(こはく)
・「
しちてんばっとう」(西洋中世史たん)
・「
ネコの尻尾の耐えられなくない軽さ」(大人たん)
・「
きらきらをまとう」(草薙菫)
*「もう2つ目なのかい!?」と、マスオさんよろしく驚いたかもしれませんが、
「休みの日に一気に書きたい派」の人を考慮して、御題は出し惜しみせずどんどん出していく方針に仮決定いたしました。ですので、執筆者様各位は焦ることなく(御題の提出される速さに操られることなく!)ご自分のペースで執筆してくださっていただいて差し支えございません。
*御題は執筆者様・愛読者様のどなたからでも受け付けております。このブログは御題がないと死んでしまいますので、どうか池の魚に水を遣る気持ちで気軽にご提供ください。(拍手でもコメントでもツイッターでもラインでも、どこからでも受け付けております!)。
「私たちは愛するものを断念することでしか、愛するものを作り直すことができない」
(マルセル=プルースト『失われた時を求めて』p.620)
プルーストは「人は諦めたものだけを創造することができる」と云い、フロイトは「性格は断念(Verzicht)により形成され、断念は対象の内面化によって生じる」と云う。
その人がこれまで何を得てきたのか(学歴や受賞歴、あるいは地位や名誉、あるいは人脈や所有物)ばかりが前に出てくる世の中だけれど、それと同じぐらい「その人が何を断念してきたのか」という情報も大事なのではないだろうか。
人はむしろ断念によって"自由を得ている"のだ、と言ったのは石原吉郎だった。私たちは「これを得ることはできない」と諦めることで、
代わりに何を得ることができたのだろうか。
コンプレックスとは少し違うような、「
私が私に内緒でずっと諦めてきたこと」「私が私に気付かれないよう放棄してきた欲望」。私たちはいつから「私には何でもできるはずだ!」という幼児的な万能感を去勢したのだろうか。そのとき何を断念したのだろうか。
何を頑張って外付けしてきたかということも大事だが、ここでは「かねてより何を断念してきて、それが自分にどんな影響を及ぼしてきたのか」について考えて、それをがんばって文字にしてみようという御題です。母親からの愛情を惜しみなく受けること、皆でワイワイ(ウェイウェイ)賑やかすこと、他人の言いなりにならず自分のペースで生きること、大事な決断をしたときに友達(後見人)に後ろから見守っていてもらうこと、料理で姉より褒めてもうらこと、周りの人に博識だと思ってもらうこと、自分の愛したいように愛すること…たぶん、断念というのは、人の数だけあるだろう。そのエピソード、ストーリ、何でもいい。殴り書きでいい。そういう話を、みんなで考えてみませんか。
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