きらきらとしたひとたちに憧れてきました。きらきらとは、若さあふれるひとたちの輝いてみえる様を指します。
その話をする前に、スクールカーストについて話をせねばなりません。
わたしはスクールカーストを過敏に感じ取る子でした。そして上位のひとたちに怯えていました。いつからでしょう。
小学高学年の頃、クラスの女子全員でまわす交換日記があったのですが、そこからもれた女子が三人いました。足が不自由でお風呂になかなか入られないために、菌呼ばわりされていじめられていた子。わがままで、ひとを呼ぶときにつばをつけた手で肩をたたく癖があるとうわさされていた子。そしてわたしです。
いちばん好きな遊びがかくれんぼうで、「いちばん好きな自然はなあに? わたしは風が好き」といった話を好んでいたから、馴染めないのもわかります。おそらく周りより、精神年齢が3年ほど遅れていたのです。
思春期に突入した子どもは誰でもそうだと思うのですが、その頃のわたしにも同じく自意識というやっかいなものが芽生えていました。それまでも不思議な子として認識されており、クラスにいる知的な障がいを持つ子と同じようにとらえられているのでは、と、プライドを傷つけられそうで自由に振る舞えなくなっていたのですが、そこに自意識が芽生え、混沌とした状態にありました。
その混沌により、男子との口のきけなさが徹底的になりました。それはもしかしたら、以前に露出魔に追いかけられたという経験が端を発したのかもしれませんが、モテたいという気持ちが大きかったというのもあり、相関的に男子への意識がより大きくなっていたのです。このひとはわたしへの好意があるのでは、と些細なことで勘ぐったり、隣の席に座る男子につばを飲みこむ音を聞かれたくなくて、わき出てくるつばを口のなかにためてどうすることもできなくなったり、としていました。多目的ホールで自由時間があったとき、寝っころがって頭をひじで支えるという、モデルのような (と考えていた) ポーズをとったこともあります。おいあれみろ、と男の子たちにひそひそされました (黒歴史です)。
最終学年となり、係り決めをするとき、同じいきものがかりになった女の子と仲良くなりました。その子と仲良くなるにつれ、クラス内の権力がわかるようになりました。その子は、最も権力を持つ女の子とも仲良くしていました。スネ夫みたいだと思った記憶があります。Sちゃんと呼びます。Sちゃんと仲良くなったことで、筆箱から色ペンが無くなり排水溝から見つかる、という嫌がらせがなくなり、クラスの子たちから話しかけられるようになりました。
Sちゃんはちょっぴり悪い子でした。放課後に、購入を禁止されているのに自販機でジュースを買ったり、公衆電話のフリーコールでクラスメートの住所と名前を使って注文をしたりしていました。いきものがかりの当番では、亀を排水溝に流したり、鳥箱をあけて卵を下に落として割ったりしました。しかし、Sちゃんとそういう悪事をすることも、楽しく感じていました。ふたりだけの秘密があるということが、親密である気持ちになったのです。
権力を持つ子に気にいられようと、その子たちの真似をし始めました。読む本に携帯小説を取り入れたり、いじめられている子のいじめに参加したりしたのです。しかしそれでも輪に入ることはむずかしく感じました。
中学に入ると、はじめのクラスでは権力を感じずにいられました。特別仲のよい子はいませんでしたが、孤立していたわけではなかったからです。しかし小学生の頃に最も権力を持っていた人は、隣のクラスでわたしの親友をいじめていました。本人曰く、それはドラマにでてくるようなレベルで。
Sちゃんは別の学校へ行き、あとで別の子から、あの子と関わるのは止めなさい、あの子は教室で財布からお金を抜き取ってまわっているのが発覚して停学になったのだ、という情報を聞きました。
人間関係はどろどろとしています。カーストの上にいるひとたちは、ひとの悪口を言うことでまとまりを得ているのではないかと感じていました。しかしそのひとが悪口の対象となるのなら、わたしがその対象とならないことがあるでしょうか。
わたしが怖れていたのは、輪からはじき出されることでした。その権利は、カーストの上のひとたちにあります。彼女らは誰かをクラスから排除することができるのです。
当時入部していた部活動は、その縮図でした。
女子の部活動でいちばん上下関係が厳しいといわれている部活です。天気が悪い日とテスト週間以外は、休日祝日含め、毎日ありました。わたしはそのスポーツが好きでした。ラケットにボールがあたる音、走ってボールに追いつき、ラケットを振りきる感覚、そういったものに気持ちがすっきりとしたからです。
そのため、先輩たちからの説教や圧力には耐えられました。むしろそのために同学年の結束が強くなったようにも感じました。
問題は、下級生が入部し、権力が自分たちに生まれたころから発生しだしました。
もともと同級生たちは同じ小学校出でグループがはっきりと分かれてはいなかったのですが、それが二分しました。正義感の強いわたしの幼なじみが権力を握るグループと、性格のキツいお嬢さまタイプの子が権力を握るグループです。幼なじみグループでは、幼なじみ以外はクラスでいじめや無視をされる階級におり、お嬢さまグループでは、最も華のある階級かそのひとつ下の階級にいました。幼なじみグループのみんなとは小学校からの友だちであったため、わたしははじめ、幼なじみグループに所属していました。
わたしはしばらくお嬢さまに気に入られました。そしてその子とともに、幼なじみの悪口を聞こえる場所で言ったり、応援歌の歌詞を変えて幼なじみをけなすように歌ったりしました。動物への加害やいじめの参加と同じく、わたしはその行為を“親密な秘密”といった気持ちで楽しんで行っていました。その行為をとることで、幼なじみの心を痛めつけ、拒絶されるようになるとは、これっぽっちも想像していなかったのです。しばらく、幼なじみから仲間内に、わたしと口をきくなという指令が出されました。
幼なじみやその仲間と口をきいてもらえるようになった頃、お嬢さまから嫌われるようになっていました。彼女へ恐怖を抱くようになったからです。
通っていた塾には、幼なじみグループのふたりも一緒に通っていました。幼なじみと、O子ちゃんです。わたしはO子ちゃんが好きでした。いえ、O子ちゃんだけではありません。幼なじみグループの権力を持たないひとたちが好きでした。彼女たちとの帰り道は幸福な時間でした。なぜ不幸だと悩むひとたちはこんな簡単なことが出来ないのだろうと不思議に思うほどに。
幼なじみ以外の子たちと同様に、O子ちゃんはクラスに溶け込めていませんでした。そして仲が良かったはずなのに、3年生になる前後、その権力を持たない (とわたしが思っていた) 友だちから、あの子はオタクだからという理由で避けられ、ある日をきっかけに部活から姿を見せなくなっていました。事件はその頃に起こりました。
部活を辞めた後、塾へ来たO子ちゃんは、おずおずと「隣に座ってもいい?」とわたしに聞きました。どう接したらよいのか戸惑っていたわたしは言葉なくうなずくと、O子ちゃんは隣の席に座りました。教室に幼なじみが入ってきて、「お前、なんでそんなやつの隣に座ってるんや」と言いました。わたしは「しょうがないじゃん」と答えました。そして授業がはじまり、O子ちゃんは隣で声を殺して泣いていました。
それからO子ちゃんと話しをすることができなくなりました。
わたしはこの出来事にすっかり参ってしまいました。
だれかを傷つけるくらいなら、自分を傷つけよう。グループのなかで必死に振る舞って疲れ果てるくらいなら、ひとりで過ごそう。そう心に決めた覚えがあります。
それから「所属」がわたしのテーマとなりました。
高校に入ってからは、人間関係のどろどろとした部分が薄れたように感じました。あからさまな差別を目にしなくなったからです。しかし、わたしの中にあるスクールカーストへの恐怖心は無くなりませんでした。きらきらと青春を楽しんでいるように見えたのは、スクールカーストの上位のひとたちだけでした。しかしわたしは彼や彼女らが怖かったのです。きらきらに憧れ、焦がれながらも、わたしは彼/彼女らにはなれないと感じました。誰かを排除してしまうからです。
中学で入部していた部活動で集団への所属がトラウマとなった (小集団では排除のリスクが高い) わたしは、高校で美術部に入部するも、3ヶ月しかもちませんでした。部活動に居場所や青春を求めることもできなくなったのです。
命は等価ではないのでしょうか。人の価値って、なんでしょう。よいとされるものを残せること? 多くのひとに影響を与えられること? だれかに強く必要とされていること?
わたしはひとの価値基準として、「誰かから最も愛されていること」を重要視するようになりました。選ばれなかったひとは死にゆくゲームがあったとして、誰か愛するひとをひとり生き残らせられるとしたら誰を選ぶか (相談不可)、という想像をよくしていました。そしてひどく孤独でした。わたしはその想像ではかならず生き残らなかったからです。
きらきらをまとっているように見えるひとたちは、集団の中心や、才能を発揮できる場所や、愛を放射している恋人の隣にいて、青春をあびていました。
きらきらとは青春です。青春とは、
たとえば——クラスのバレーボール大会で勝利をおさめたときに何のためらいもなく、みんなで飛び跳ねながら手をたたき合っている輪に入っていけることです。
たとえば——学校の帰り道に川辺で恋人と語り合い親密な時を過ごすことです。
たとえば——夜中に友だちと何時間も話し込んで思想や感情や出来事を共有することです。
たとえば——感覚表現の世界に打ちこみ周りから評価されることです。
たとえば——仲間と呼べるひとたちとの集まりで開放的な気分で様々な思い出をつくることです。
輝きを得られないわたしは、生に対する執着が強すぎて成仏できなかった幽霊のように、青春に未練を残しながら、生き残れなかった人間として生きていく他ありませんでした。わたしはこんな人生を歩むつもりなのではなかった、と、別の人生に焦がれながら。
失われた日々。
するすると踊るように流れた日々より、上手くゆかずうめくように進んだ日々のほうが、濃密であると聞きます。
身をひそめるようにして生きた青春の日々。きらきらに焦がれたわたしの青春。
過去を回想して物語ることは、現在の心情に影響されます。いつか憧れの暮らしのなかで、わたしはすこしずつ自分が幸福であったことを発見してゆくのでしょう。そこで見つめ直された過去のわたしは、すでにあの焦がれていたきらきらをまとっているのです。
(編集・校正責任:らららぎ)
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