こんにちは。はじめまして,はじめました。開発室Graphといいます。わけあってこの試みに参加することにしました。よろしくね。
僕が何者であるかはここでは深くは語らないことにしましょう。きっと,僕が何者かであるかはこの先ここで書く文章が示してくれますし,僕もそれがそうであると願っています。
はて,どこから書き始めていいやら,と思いましたが,やっぱり1は1です。1番最初のお題「私の好きな法則」から書き始めて行こうかなと思います。
僕が好きな法則は
「後からそれがどういうことかわかる」法則です。「それ」がなんなのかが,きっとここでは重要になるとは思うのですが,それをうまく説明するのはとても難しいので,ここでは指示語でうまくぼかしました。
毎日の行動に意味を見出すのはきっと必要なのでしょう。有史以来から「なぜ生きるのか」とか「なぜ生きなければならないのか」について色んな人が考えてきました。そして,それを見出すことが,誰にとっても訪れる「死」へ一直線へと向かう「人生」の目的の1つである,というのが割と一般的な理論だと思います。
「なんでこんなことをしているんだろう」というのを,僕は毎日いろんなところで考えてしまいます。そして,きっとそれは僕だけじゃない,と思っています。そう思ってしまうのはなぜなのか,そう思ってしまうのは人間だけなのか,とか考えるとまた夜も眠れなくなってしまうのでこの辺でやめにしておきましょう。
「なんでこんなことをしているんだろう」と考えるのは,人間らしい行動だと思います。でも,それはあまり便利じゃない気もする。その理由が出るまで,僕たちは,その行動をやらないまたは,少しスピードが落ちてしまうからです。
なので僕は「あとからきっとわかる」の法則にしたがって生きることにしています。今回はそれをちょろりとご紹介しましょう。
ゆっくりと1つずつ毎日のタスクや,やらなければいけないことを分析してみると,なぜそれをするかが完全にわかっているものって,意外と少ないですよね。
なぜ学校へ行くの?なぜ朝起きるの?なぜ誰かと一緒にいるの?なぜご飯を食べるの?なぜ寝るの?に明確な答えを出せる人は,きっとあんまりいないと思います。
ここでは手っ取り早く「なんだかよくわからないけどやらなきゃいけないからやる」みたいなものだという風に定義付けておきます。
「なんだかよくわからないけどやっていること」は,やっている間はその意味はわかりません。でも,それはあとからきっとわかります。それは僕の経験上ずっとそうでした。断言できます。
まず1つ目は短いスパンでのこと。「やっていること」が完了したときに,その意味がわかるということは結構あります。僕たちはなにかをやるときにはそれをイメージしてから取りかかります。ああ,コレは思っていたことと違ってこういうことだったんだな,という経験は,とても心地いいものです。
2つ目は長いスパンでのこと。色んなことを吸収するにつれて,昔やっていたこと,つまり経験がふっと思い出されてきます。「ああ,これはこういうことだったんだ」と,そのときわからなかったことが理解されます。断片化していたと思っていた知識が,そこでつながる。
なにかを説明するときに,たとえ話を使うとわかりやすいですよね。そんな感じで,なにか複数のものに
共通点や
つながりが見出される。こういう風に時間がたつと
つながりが生まれていくっていうのが,脳の回路の中であったようななかったような気がするのですが,あんまり確実な話じゃないのでやめにしておきます。
そうやって,色んなものを「つなげて」いくのが「人生」っていう作業なんじゃないかな,と最近は思っています。この文章でいう「わかる」は「つなげる」と言い換えることができますね。
原理的にそれぞれの人で吸収するもの(人や本から)は違っているはずなので,それぞれの人で何が「つながる」のかも違っています。自分が「つなげた」とこを,「コレはこういうことだったんだよ!」と発表すれば,まわりは驚いてくれます。
今やっていることはあとからきっと「つながる」し「わかる」。そう信じることで,毎日の生活は少しだけ楽しくなるはずです。いつか訪れる「つながる」日に向けて,毎日をがんばれるはずです。僕はそうやって生きてきたし,生きていこうかな,と思っています。
なんか意図せずに壮大な話になっちゃいましたね。まだまだ若いのに何を偉そうに人生語っちゃってるの?って感じです。とりあえず今,僕はなんで「これを書いている」のかわかりません。でもこれもきっと「あとからわかる」のでしょう。そのために,この文章がずっとここに残されているといいなって思います。誰かがこの文章の内容をなにかと「つなげて」くれたらいいな,とも思います。