『修羅の国編』に登場した国を統べる三人の羅将の一人であり、北斗琉拳の使い手。「命のやり取りこそ最高の愉しみ」という信念を持ち、今までに自分の命を狙ってきた数多くの修羅を葬っている。 身の回りに自分の命を狙っている修羅や侍女をそれと知りながらあえて付き従えさせ、常に命のやり取りを愉しんでいた。鬚剃りを任せた修羅からの「あなたはそうやって何人の命を奪ってきたのですか?」という問いに対して「百人から先は数えていない」と言ってのけた。
(pixiv百科事典「ハン」より)
私にはいつも疑問だったことがある。どうして私もあなたも
「一人」として数えることができるのだろうか。もし私が分裂したら、それは「二人」という数え方をするのだろうか。それとも「半人」という数え方になるのだろうか。川へ出かけていって、「ここにある小石の数を算えましょう」と引率の人が言ったとする。子供たちは同じ数を算えることができるだろうか。
ある子どもは、大人から見れば「砂」のような小さいものまで「ひとつひとつ」丁寧に数え上げ、ある子どもは「ぼくが目で見てすぐに分かっちゃうような石は小石じゃなくて大石だよ。でも砂は砂なんだ」と言って、結局「小石というもの」をひとつも数えることができないかもしれない。
プラトンは完全なる「1」というものを考えたが、それが現実にないことも分かっていた。「1」という数は無頼である。
ぼくも「1人」だし、きみも「1人」だ。だから二進法が必要なんだけど、じゃあ「ふたり」が一緒になったら、「ひとつ」のカップルとなって、「2」だったものが「1」になる。数学では操作といったりするが、変幻自在だなあ…と、子どもながらに不思議がっていた。
学校でお勉強をするようになって、「ひとつの秒」というものが変わることに驚いたし、「ひとつの惑星」が惑星ですらなくなってしまったことにも天を仰ぎまくった。ソクラテスは、これに対して、「人間は
等しいというものを生まれつき知ってるからだ」という。これも、また、驚いた。
中学生のころ、漢字をどこまで崩したら、自分はその漢字を読めなくなるのか実験したことがある。きっとそれは、どこまでが「等しく」て、どこまでいくと「等しく」ないのかを知りたかったのだろう。だけどやっぱり、「ここまでは読めるよ」「いーや、ここまでいったらもう読めないよ」と議論になる。最終的に声の大きい人の意見が通ったり、根拠を出しまくったやつ、詭弁を叩いたやつが、その場の定義を支配してしまう。なるほど、社会だ。
羊が一匹、羊が二匹…眠りにつくような数え歌。前に通り過ぎた羊と、いま通り過ぎた羊と、これから通り過ぎる羊は、「
区別されている」という意味を与える。「ひとつひとつ」を何か"として"扱うところに、数の本質がある。
英語の"count A as B"からも分かるように、「~として数える」は「~としてみなす」と言い換えられる。ぼくたちは
「として」という関係の操作のために数を必要とする。何かの道具としての「働き」を、自分たちの操作できるレベルに落とし込むために、数量というものがあるのではないだろうか。つまり、それを、「
数値化」という。ぼくたちが、数にしようとする、数えようとする、
区別しようとする、扱えないものを確かめて扱おうとする、そういう行為を、数値化という。
だから、この御題は、きっと、「
私が意味を与えたい、区別したい、価値を認識したい、実体があると思いたい、そう願ってきた無形の事柄は何か」というところではないかと思う。そういう気持ちで書いていくことにする。
閑話休題。
まず最初に思いついたのは、「
貸したお金の額」だった。どういう意味で思い出したのかというと、これは私が「
あえて数えないようにしてきたもの」だった。その努力の甲斐あって、それを貴重なものだと思っていない。あげたことと等しい、つまり、「
無形で無価値なまま放置されているものに等しい」といえる。そのおかげで円満になったことが、おそろく(数えていないので確かめようないがおそらく)たくさんあっただろう。
だから、たとえば親に「あんた誰にいくら貸したの!」と怒鳴られて、とにかく数値化しなければならなくなったときには、便利な日本語
「少なくとも」(at least in total)を用いるだろう。「少なくとも10万」とか言っておけば、総額が桁違いであっても答えたことになる。
つまり、あえて数えないというのは、「
好意的に疎かにしている」ということで、とてもよい生き方なのだ。
3.11のとき、「死者が何人だ」というニュースが常に流れた。記録的だ!という報道側のメッセージは、何かの記念でもしているかのような違和感を感じた。数を算えてどうするのだ、と。もちろん、テレビの視聴者というのは、多かれ少なかれ、
数でも算えてやらないと被害を想像することができない人たちだという、テレビ局側の都合もよく分かる(働いていたので)。ただ少なくとも、
「それは数えるべきことなのか」という議論は、どこにもなかったように思えた。
この「数」という難しいテーマに取り組もうと思ったのは、私自身、
数えることに無反省に生きてきたからである。この間も誕生日があって、23歳になりました~なんてへらへら数を算えていたけれど、「それは本当にそれでいいのか」と自問することはなかった。
高校生ぐらいのときは、付き合った人数とか、性交渉した人数とか、告白を受けた人数とか、付き合って何年何ヶ月とか、何年生とか、そういう数に本当に無反省に生きていた。
手当たり次第数えたし、半年後のバイト代の計算まで努力していた。
最初に数を気にしたのは、金だった。お金を数えていることが、すごく馬鹿らしく感じてきたのだった。お金がないから高校は都立1校、私立1校しか受けさせてあげられないって言われて、母子家庭というものが経済的にどういうことなのか理解したし、母には悪いが、すごく馬鹿らしいなって思ってしまった。(駄目で元々という考えで偏差値的に無理して進学校を受けたら、ちょうど倍率が低くて受かってしまった)。
合格発表の日までは、働くことを漠然と考えていて、高校に行かないでも働けるものって何だろうって、心の準備だけしていたと思う。
そこでも給料の計算に励んでいて、今思えば「こんなものを数えたいのではない」と思っていただろう。
人生は、何をカウントして来たか、この御題と出会った今なら、そう確信できる。数えてきたこと、ひとつはお金だった。これは本当につまらなかった。
次に、トロフィと優勝メダルの数を算えていたと思う。1人を除くいまの知り合いは全員、ぼくがスポーツ少年をやめた後に知り合った人たちだから分からないかもしれないけれど、もともとぼくは野球をやっており、リーグ戦だろうと、遠投大会だろうと、個人成績だろうと、親としては誇らしい成績をのこすことができていた。過去の栄光。いまは落武者。
そのときの、まったく過去の、メダルやトロフィを数えている自分がいる。何個あるのか分かってるくせに、いじきたなく個数を調べる。さもしい、というのはこういうことか、と客観視して賢者になることもある。これは男が「
今まで付き合った女の数を算えることによって、失くしかけた自信を取り戻す」行為と同じ構造のもので、とにかく価値があったのだということを、自分に言い聞かせている。懐古厨のテンプレみたいなものだろう。
友達には「
電話帳の数を算える人」とか、「
友達の数を算える人」とかいるけれど、自分にそういうのは無い。LINEの登録数も、グループ参加数も、再生数も、コメント数も、マイリス数も、スマイル数(こえ部)も、マイミク数も、
フォロワー数も、そういうものは(あえてなのかもしれないが)数えないようにしている。その代わり、ブログのページビューは1000を超えても、10000を超えても数えている。
「
こうやって一緒に電車に乗るの初めて(1回目)だね」と教えてもらったことがある。あれがずっと頭のなかに残っていて、どうしてあの子はそれに気付いて、ぼくは気付かなかったのだろうか、と。それを「数えてくれた」というのが、すごく嬉しかったのかもしれない。
「いま使っている財布、もう8代目だよ~」と言っている子がいた。すごいと尊敬した。ぼくの財布は、何代目なんだろう。そもそも、たぶん、ぼくは
貧乏な母子家庭の宿命的に、姉のお下がりばかりだったので、「私の財布」というのがどこからカウントされるのか分からず、すでに「数え始める」のを見逃してきたのかもしれない。数えることを不能にさせられているんだ、財布を大事にできるわけがない、そう言い訳させてほしい。
お下がりだから、洋服も「私の」がどこで始まるのか分からない。値段も分からない。どうやって大切にしてきたのだろうか。そういうこともあってか、中古というものを数えないようにしているのかもしれない。古本も、数えていない。何を貸したのか分からないし、貸したのかあげたのかも分からない。
なるほど。
日記をつけるということは、その日その日を数えるということだったのか。だったらぼくは、「毎日」を数えてきた。ずっと24歳に死ぬと思ってきたら、そういうこともあって数えていたのだと思う。「日にち」というものに、それなりの祈りをささげてきた。「関西に行った回数」なども数えているし、「だれそれと一緒にご飯を食べていて、その子が食事中に笑った回数」などを数えるときもある。
ぐだぐだ思い出しながら書いてたからまとまりなんてなくなってしまったけれど、「記事のまとまり度数」なんて"数えずに終わりましょう"、ね。
ありがとうございました。
おわり。
しーゆーれーらー