言うまでもなく、僕と紙は書籍という形で接触することが多い。しかし、必ずしもその事実が「私と紙と読書と」みたいな昭和の文学少女的イメージにつながるわけではなく、むしろ僕にとって、紙は《灯りの存在と暗さを知るための用具》だといえる。
パソコンをやっていると、何かを読むときの明るさが均一になる。いまも文芸誌の原稿を書いていたり、翻訳をしていたりしたら、夜が朝に変じたようだが、目の前にあるディスプレイの明るさは(ツムツムで放置しているあいだ以外)全く変わらなかった。ちくわさんの突発的長文ツイイトも、つけ麺食べたがっている方のほんわかダンシングライクツイイトも、よく知らない女子高生が冬の寒さを実感しているツイイトも、同じ明るさで読めるのだ。文明が何はともあれ発展したおかげで、仕事の効率が上がったのではあるが、そんなオフィス事務的なことの能率向上と引き換えに、灯りという存在を消し去ってしまっているのだ。
本を読んでいてとても嬉しいのは、部屋の灯りを減らしておけば、めくるたびにページの照明が変化し、本を持つ角度や読む体勢を変えるだけでも影の形が別様に映り、「そうか光があるおかげで読めているのだ、そしてその光はほんの少しでよいのだ」ということに気付かされる。本を読むためには、(慣れていない人はどうだか知らないが)灯りがほんの少しあればよい。月が明るい日には、月夜の灯りだけでも事足りる。
紙は光を反射して、《そこにどれだけの光量があり、私の視覚を支えているか》ということをリアルタイムで教えてくれる。だから僕は、本を開くことで、そこがどれぐらい明るくて、どれぐらい暗くて、「その明るさが自分に合っているか」といったことをチェックすることもできる。光環境チェックシートとしての書籍。
君の部屋は、もしや明るすぎないかい――その問いに、きっと《本》が、《紙》が、答えてくれるだろう。ありがとうございました。おわる。
しーゆーれーらー
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