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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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数百ヘルツの音に貫かれる / 著者:セカペン - ch21


 「好きな言葉」と言われると、どうしても「作品の中の言葉」ばかりが頭をよぎる。
 今回はそれに屈することなく、自分たちの耳できいて、心に残った言葉を紹介しようと思う。

「世の中にこれだけ本があるのに、自分の名前の本が、自分が書いた本が一冊もないのはおかしい!」

 我が母の言葉。

 幼い頃からいつもどこかに出かけると言えば、本屋だった。その言葉を初めて聞いたときは漫画にしか興味がなく、「自分の名前の本」がどうやってできるのかを知らなかった。

 母は小説を書かない。しかし、パソコンの説明を分かりやす書く、いわゆるライターだった。僕らは母の奏でるタイピング音を聞きながら生きてきた。

 小学五年のときに、ふとしたきっかけで小説を書き始めた僕らに、母が「僕が小説家にならなかったのは、恋愛経験なんてものがないからだ」と言った。あの頃は、「そんなものがなくても書けるやい」と思っていたが、今になって思うと、確かに大事なものだった。

 本屋の本棚を見ると、その言葉を口にする。その本棚はいつも新潮文庫が置いてあるコーナーだった。三島由紀夫に心酔していた母は、もしかすると小説が書きたかったのかもしれない。

「俺、この一日だけでおまえらのことを一生の友だちみたいに思うわ」

 小学六年生の頃、冬に学校で祭があっているときにたまたま会った友人と三人で遊ぶことになった。一人は元々一緒に遊んでいた友人で、もう一人は学校でばったりと会ったクラスメイトの男子だった(以下、H君)。そのとき、僕と友人はウイスキーボンボンを買って、学校の友人たちに半ば無理矢理食べさせて「うわーなんだこれ!」ってなるのを眺めて遊んでいた。

 その後、その三人で家の近所で色々と話していた。学校の友だちのこと、先生のこと、誰が誰のことを好きだとか、誰が誰のことを嫌いだとか、そんな些細なことだ。

「もうすぐ転校するんだ」

 夕暮れになって、H君が言った。その頃の僕らにとって、「転校」と「今生の別」は一緒のようなものだった。

「どこにいくの?」と僕の友人がきいた。

「わかんね。親のことだし。母ちゃんがどこに行くかだな」と、H君。

 当時の僕らは、母さんがどこに行くかということの意味の重さを知らなかった。

 門限が近い。上記の僕を貫いた言葉は、そんなことを思い始めたときに、H君が言った言葉だ。H君はその後、近くにあった比較的整った石を手に取って「俺はこれを持って帰って、今日のことを思い出す」と言った。

 彼は今でもどこかであの石を持っているのだろうか。

「誰かが私を好きだと言っているのか。なら、私はまだ生きていてよいのだな?」

 高校時代に、友だちと他愛もない恋バナをしていた。そのときに、「○○が君のこと好きなんだって」ということをその友だちに言ったときに、友だちが言った言葉だった。

 僕の知る限り、その女の子は変わっていた。勉強ができて、歌が上手くて、繊細な子だった。ブルーバックスを愛読書とし、小説はあまり読まない。そして、僕のことを「妖怪さん」と呼ぶ。僕が当時知っているその子については、このくらいだった。

「私はまだ生きていてよいのだな?」

 その言葉をきいて、僕は彼女について知った気になっていた自分に気づいた。それどころか、僕は彼女について何一つ知らなかったのだ。平坦な口調だった。平坦だったからこそ、その子にとっては普通のことなのだということが分かった。

「まあ、良いことならなにより」

 僕はそんなことを言った。特に深いところを言わないほうがいいだろうと思った。彼女は「うむ」と返答した。

「しかし、私のいったい何が好きというのか。物好き過ぎるだろう」

 そういうことは、本人には決して分からないのだろう。僕が彼女にできることは何もない。僕にできることは、どうか幸せにと願う事だった。
 
「男と女が話しているシーンに豚を書く必要はない」

 文芸部の恩師の言葉。車に乗って県大会の会場に向かっているとき、二人で延々と小説を書くことについて語っているときに先生が発した、熱のこもった言葉だ。

 その当時、先生は迫り来るラノベの嵐に困惑していた。先生が言うには、僕が入る前の文芸部では、ラノベの短編を書いてくるものが多かったそうだ。

「そのライトノベルというやつもな、完成していればいいんだが、不完全なんだ。あたかも、『続きがあります!』と言わんばかりの作品でな。登場人物の設定も何もかも丸投げで意味がわからん! 俺は読んでいてあれほど辛いものはなかったぞ!」

 そんな文句を言っていた。

「短編、しかもショート・ショートとなりますと、難しいですからね」

 見知らぬ先輩のことを考え、僕はそんなことを言った。

「どうでもいいことをつらつら書き、本編というものに何の関係のないものばかりだ。まったく、何が本当に書きたいものなのか分からない。第一な、男と女が話しているシーンに豚を書く必要はない。だが、なぜか豚を書きたがるんだよ。これは俺には理解ができん!」

 握ったハンドルを殴らんばかりの勢いで、先生が言った。「そういう時代なんですよね、今は」と言いながらも、僕は内心愉快な気持ちだった。僕はそういう作品を読めない人間であり、先生の気持ちのだいたいが理解できたからだ。

「おまえはそういうの見て面白いと思うか?」ときかれ、僕は「全然。ものにもよりますが」と答えた。

「だが、これも時代なんだよなぁ」

 先生は寂しそうに言った。きっと先生は昔も今と変わらない純文学青年だったのだろう。現代の小説をふりかえり、これから先生はもっとこうした気持ちを抱くのかもしれないと感じた。

 純文学の書き方は廃れてしまうのかもしれない。そうした恐怖が僕の中にもいまだ燻っている。読まれない作品ほど、悲しいものはないのだから。

 その後、先生と語った結果、先生からは「おまえは産まれてくる時代を間違えているな」と言われた。僕もそう思います。








(編集・校閲責任:らららぎ)

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画用紙にうつる私 / 著者:セカペン - ch25

白【しろ】:純粋さ、無垢、善、透明感、無、狂気。

 絵を描くための画用紙はなぜ白いのだろう。
 そう考えながらじっとその白を見ていると、だんだんと画用紙の中の何かに見られている気がした。

「君は優しい人だね」

 高校一年の美術の時間に、美術の先生が後ろから唐突にそう声をかけた。そのときの授業では「目の前にあるものを自由に描く」という課題が出され、私の目の前には花瓶に活けた花があった。私が選んだ画材は、一番なじみのある色鉛筆だった。

「茎の色に対して、花の色が薄い。ずいぶんと優しく色鉛筆を使うようだね」

 先生の目線に合わせて絵を見ると、確かに紙に下書きのように薄く描かれた花がある。私は少し恥ずかしくなり「ありがとうございます」と返した。その後、先生は「じゃあ、ちょっと壊してみようか!」と言って、いくつかの色鉛筆や絵の具を置いて別の人の絵を見に行った。

 優しい人だね。――その言葉だけが頭に残った。

 いったい、絵だけで私のなにが分かるのか。内心ばかばかしく思いながら、先生の指摘通りに色鉛筆を強く握った。が、その色鉛筆を画用紙に押し当てることができなかった。それどころか、強く色をつけることが、まるでカッターナイフで人を切りつけることのように恐ろしく感じられた。

 この出来事以降、私はしばらく絵を描くということから離れた。次に色鉛筆を握るのは、大学三年の春になってしまう。

「絵を描くと、すっきりするの。もやもやしていた気持ちとかそういうものがなくなっていくの」

 いつも教室で絵を描いている子がそんなことを言っていた。そこから考えると、”絵を描く”という行為にはカタルシスのような効果があるらしい。もやもやした感情を画材にのせて、紙の上に落とす。紙に感情をなすりつけ、自分と切り離すことで浄化される。その子にとっては、きっとそういうことだったのだろう。

 ならば、私はどうなのか。私は色鉛筆に何をのせたのか。答えはおそらく”自分自身”だろう。

 画用紙に自分自身を残す。画用紙の上にのった私は、存在感が薄くて、弱々しくて、淡白で、なにもない。その無意識に目をそらしていた自分を在り在りと見せつけられる。私が見たくない私を見つけてきて、反映してくる。

 それを否定するように強く色をつけようとしても、上手くいかない。それは「本当の私」ではないから、色をつけることができない。それでも無理をして色をつけるとするならば、その「本当の私」を否定して、壊して、跡形も残らないようにしなければいけない。だけど、無理矢理つけた色の絵も、また「本当の私」として、私を見つめているのだ。

 淡白で、薄情で、空虚で、純粋で、優しくて、味気なくて、正しくて、狂っていて、無茶苦茶で、傷つけることが苦手で、弱くて、何もない。

 画用紙は色鉛筆から色をとりながら、そんな私を見つけてくる。

 私にとっての画用紙は「鏡」だった。それも、外面ではなく内面をうつす鏡だった。どれだけ自分を繕おうとしても、画用紙までその意思が届かない。画用紙には全て見透かされている。 

 それでも画用紙に向き合う。
 私はこの画用紙に「私」を試されている。







(編集・校閲責任:らららぎ)

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夢見る頃のこと / 著者:セカペン - ch4


私の好きな帰り道には、常に恋があった。
モノレールの線路を境に、あっちの家の人たちとこっちの家の私たち。
その周辺を通る帰路には、私たちや彼らの様々な思いが踏みしめられている。

●十五のとき

 あの頃、私は世界でたった一つの真実を握っているような気持ちで手をつないでいた。

 大きな道路。悠々とのびるモノレールの線路。広大な空。それが一望できる道を二人で歩いた。その二人だけの時間は、めったにない時間だった。その限りある時間を、わざとゆっくり歩いて帰る。

「時間がとまらないかな」
そんなことを言いながら笑っていた。

 当時、家に帰ると、私は私の問題と向き合わなければならなかった。受験、家族、自分。それらの問題が一気に襲いかかってきているような気がして、私は壊れそうになっていた。そんな私を、彼は守っていた。私の話を聞き、私のことを理解しようとし、私のことを支えた。

 彼はいつだって私のヒーローであろうとした。私はいつだって彼に助けられていた。彼の愛を摂取する事で生きながらえているのだとさえ思っていた。「好きだ」「愛している」という言葉を合言葉のように言い合った。そうして言葉で伝え合うことで、会えない時間の不安を抑えようとしていた。

 彼は二人で帰るとき、いつも私の手をつなぐ。

 始めの頃は、決して私の方からつなごうとしなかった。私の指先がとても冷たいからだ。彼に触れると、彼が拒絶するのではないかという不安を感じていた。そんな私の不安をものともせず、彼は私の手をにぎる。

「嫌じゃないの?」――私の手の冷たさに、少し驚いた顔をした彼に言った。だけど、その顔はすぐにいつもの笑顔になった。

「ううん、嫌じゃないよ。ほら、俺の手って熱いくらいだから、ちょうどいいなって」――無理した言葉でもない。繕った言葉でもない。その言葉に、私は手だけでなく全てを受け入れられているのではないかと感じていた。繋がっていることに、幸せを感じていた。

 家の前に着くと、互いにそっと手を離す。その寂しさが、私に冬の寒さを思い出させる。一人だったことが頭をよぎる。未来の二人に確かなものなどないことを思い出す。満ち足りることのない愛を求めずにいられなくなる。

 そんな言葉を「大好きだよ」という言葉でごまかしていた。

家に入る前、自分の家へと向かう彼の背中を見る。
今来た道を一人で帰るとき、彼は私がいない道を通ってなにを思うだろう。

●十六のとき

 あの頃、僕らは白線の内側にいるような気持ちだった。

 高校になり、通学手段にモノレールを使うようになった。あるときから、気づけば彼女と彼は一緒に帰るようになっていた。二人はいつもモノレールの車内の続きとは言えない、何か特別な話のように感じられる雑談を駅でする。ほどほどの時間で、彼が「さて、もう帰らんとな」と言う。「またね」と言い合い、別々の道へ歩き出す。

 それが彼らの帰り道だった。

『俺はあいつのことが好きだ』――ある夜、彼が僕にそんなメールがきた。さらに、同じ身体にいる僕まで含めて好きだと言ってきた。

「どんなこと話したの?」――僕がメールを送って携帯を閉じると、自分と同じ身体を持ったあの子が言う。

「あいつは、おまえのことが好きなんだって」とだけ答えた。次の日も、彼らは一緒に帰っていた。いつものように授業の先生、部活の友だち、家のことなどを話しながら、モノレールに乗っていた。駅につき、改札を出たところで、あの子が口をひらく。

「あの、昨日、悠から聞いた。君が私のことを好きって。その、私は」――しどろもどろしながらも応えようとする彼女の頭を、彼が撫でた。

「もう帰らんとな」――彼女が顔をあげるのと同時に、彼は背を向けて帰って行く。

「私は――!」
そう叫んだが、彼は足早に帰って行く。
彼女の「好きなんです」という言葉だけが取り残された。

 そんなことがあっても、彼の帰る方法がバスに変わるまで、二人は一緒に帰り続けた。その間、二人はその話を蒸し返すことはしなかった。仲が悪くなることも、恋愛関係になることもなかった。ただ二人、「好きだ」ということだけがあった。だけど、その「好き」を言うことに、僕も彼女も彼もみんな臆病になっていたのだ。

 モノレールの駅から、自分の家のある方の階段をおりていく。いつだって、同じ階段を二人でおりることはなかった。お互いに想い合っていても、決して向き合おうとしない二人の心のようだった。

●十八のとき

 あの頃、全てのことに明確な答えがあるような気持ちだった。

 夜の道を歩く。狭い歩道を通って右に曲がって、広い道路を左手に眺めながらまっすぐとした道を歩く。中程まで行くと、モノレールの線路が見える。モノレールの線路を越えて、マンションの間をくぐって、自分の家の前まで来る。

 その三十分の間、話す事はたくさんあった。彼は色々なことを知っている人だ。特に生物関連のことに詳しく、見た事がない花や虫のことを教えてくれた。「これって何?」「ねぇ、それってどういうことなの?」「教えてー」その一つ一つに、分かる範囲でのこたえとなるものを教えてくれた。

 帰るときは、二人で手をつないで帰っていた。いつから、どうして繋ぎ始めたのかは覚えていない。お互いに自然と繋ぐようになっていた。彼の手は自分よりも大きく、骨張った手だと思ったことがあるのだけ覚えている。

 冬になり、手が凍えるような時期になっても、手をはなさなかった。繋いでくれることのお礼にと思って、手をつなぐ前にできる限り自分の手を温めた。「ぽんの手はあったかいな」そう彼が言ったときに、「人を温めるためにあったかいんだよ!」と得意げになるためだった。

 手をつないで道を歩き、家の近くに着くと、人がいない隙に抱きしめ合ったりキスをしたりしていた。それでも、恋人同士だと胸を張って言えなかった。

彼の心の中のことが分からなかった。
――危なっかしくフラフラ歩いているから手をつないでくれるのかな?
――夜中に一人で帰るなんて言うから家まで着いてってくれるのかな?
――ぽんが周りをちょろちょろしているから、かまってくれるのかな?
 
自分の心の中にある「なにか」が分からなかった。
――いろいろなことを教えてくれる父への愛なのかな?
――ぽんのことを理解してくれてる友への愛なのかな?
――キスをしたら満たされる気持ちになる愛なのかな?

今、ぽんのこと、どう思っているの?
――聞かない限り、彼は本当に知りたい答えを教えてくれない。

 ある夜、彼の顔を眺めながら「この帰り道を通ることがなくなる一日前に、聞いてみよう」と決心をした。


●二十一のとき

 実家に帰ると、必ず一度はこの道を歩いてみる。

 その道の朝も昼も夜も。春にコンクリートの道の端が色めくのも、夏に空に花が咲くのも、秋に葉の絨毯ができることも、冬につもることがない雪が降るのも。私たちは全て知っている。咲いている花も、咲かなかったつぼみも、咲こうとした花も全てを覚えているからこそ、その道を歩く。そこにあった想いを拾うような気持ちで歩く。

 夢見る頃を過ぎても、それぞれのあの頃の夢は依然としてきれいなままだった。

 セカペンでした。











(編集責任:らららぎ)

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記憶の伝言ゲーム / 著者:セカペン - ch6


 これを読んでいるみなさんは、《思い出を言葉にする》という作業をしたことがあるだろう。したことがあるという前提の上で、こう尋ねてみよう。

――今、話しているその思い出、本当にそのときの心のままなのかい?

 記憶というのは、とても曖昧だ。その上、アウトプットする手段が現段階では「言葉にする」しかない。

 言葉にするという行為を通すと、どうしても主観的なものが入る。「このとき、あの人がこう言ったの。それで、私、腹立たしくなったの」等、思い出を再生しているときに、自分がどう思ったのか、どう感じたのか、どういうことを言ったのかを付け足す。そのときに、「あの場面でこう思った」という自分の感想は、果たして本当にそのときの自分が思ったものなのだろうか。それとも、今の自分が思ったことなのだろうか。

 抽象的な話をしてもアレなので、記憶の伝言ゲームの例を「ドラえもん」でやってみよう。

 ドラえもんが「しずかちゃんのところに行こう」と言って、自室にいたのび太君にどこでもドアを出してみせる。のび太君は「しずかちゃんのところ? 行く行く〜!」と言って、ドアを勢いよく開ける。ドアの先には、裸のしずかちゃんが。「キャー! のび太さんのエッチー!!」のび太君はお湯をかけられ、謝りながらドアを閉めるしかなかった……。

 さあ、この出来事について、のび太君に語ってもらおう。

(出来事から数日後)
「ドラえもんが『しずかちゃんのところ行こう』って言って、どこでもドアを出したんだ。しずかちゃんと会いたいなって思ってたから、ドアを開けたら、しずかちゃんがお風呂に入っている最中でさ……。裸だったもんだから、怒っちゃって……」

(出来事から数ヶ月後)
「たしか、ドラえもんが『しずかちゃんのところに行こう』っていきなり言い出して、何も言ってないのにどこでもドアを出したんだよな。とりあえず、ドアを開けてみたら、裸のしずかちゃんがいてお湯かけられたんだ。あれって今思えば、ドラえもんの悪戯だったのかな」

(出来事から数年後)
「昔、ドラえもんのせいで酷い目にあってさ……。どこでもドア開けたら、入浴中のしずかちゃんのところに繋がっちゃって。あのせいで、しずかちゃんに嫌われたんだよ……。ほんと、あのときのドラえもんは信じられないよ……。きっと、あの少し前に、ドラえもんの好きなどら焼きを食べたことを怨んでいたんだ」

 どうだろうか。尾ひれや背びれがついた話になってはいないだろうか。

 これはたとえ話なのでピンとこない人もいるかもしれない。そういう人は「昔、親に怒られたときのこと」「友だちと喧嘩したこと」などを思い出してみよう。そして、その記憶について、自分が感じたものは後付けでないかどうかをじっくり吟味してみよう。

 こうした不確かで刹那の記憶を言葉にすると、どうしても抜け落ちる部分や付け足してしまう部分がでてくる。

 目で見たものを頭の中で映像化していくうちに、視界の角に映っていたはずのものたちが抜け落ち、頭の中の映像を言葉にする時点で細かな描写が切り捨てられ、言葉を声にして発する時点で情景が消え、よっぽどでないと人物と出来事しか残らない。その残ったものを少しでも豊かにするために、言葉にするの時点で多少の「肉付け」が行われる。

 さらに言えば、この「削ぎ落し」と「肉付け」の作業は、記憶を言葉にする度に行われる。とくに、当時は意識していなかった気持ちが無意識のレベルから意識のレベルにのぼってきて、思い出しているうちに「ああ、あのときの自分はこう考えていたのではないか」という気分になってくる。

 自分一人の伝言ゲームともいえる記憶の想起。その過程で行われていることは謎に包まれているが、少なくとも起きた事そのまんまを伝えるためには目にビデオかなにかを埋め込むしかないだろう。

 しかし、こうした「後付けされた記憶」こそ、僕らの生活の醍醐味ともいえる。僕らが現在や未来だけでなく、過去に返ってその場面を生きることができるという証明でもある。さらに言えば、過去の自分の「なぜ、自分は」を考えることで、現在のひっかかりを解決する糸口になりうるかもしれないのだ。

 あの頃の自分から今の自分まで続けられた伝言ゲーム。最初のものをありのまま伝えるという伝言ゲームとしては失敗しているかもしれないが、たまにはその記憶をたどって、削ぎ落した部分を拾いに行ったり、そのときの気持ちにできる限り戻ったりしてみようではないか。

 この伝言ゲームに勝敗はないのだから。
 悠@セカペンでした。






(編集・校閲責任:らららぎ)

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名のあるセカンドペンギン / 著者:セカペン - ch3

不肖、セカペンは自分が自分であることを証明できませんでした。

 これは先日、とある携帯ショップに名義変更に行ったときの話である。私は二十歳を過ぎたということもあって、両親はそれまで父親名義にしていた私の携帯の名義変更をしようと言ってきた。特にそれに反対意見がなかった私は、すぐに最寄りの携帯ショップで名義変更をするときになった。

 しかし、そこで問題が起きた。身分証明ができなかったのだ。

 事前の説明では「(未成年のお客様は)保険証と学生証を持ってきてください」と言われていたが、この()の部分を、父や私は知らされていなかったのだ。私と父は様々な方法で身分を証明しようとしたが、結果として、私は私であることを証明できなかった。

 「自分が自分である」ということの証明は難しいと感じた。しかし、誰もが「あなたは誰ですか?」というと問いに即座に回答することができる。そのときに答えられる自分の証は「名前」である。今回はその名前という自分の証明について語りたい。

 その前に、私は私の名前について紹介したいと思う。セカペンという名前は、「セカンドペンギン」の略である。ここだけきくと、「二番目ということは一番じゃないんですか?」「二番目でいいんですか?」という疑問があがるだろう。これに対して、私は「二位じゃだめなんですか?」と謎のキレを見せるほど、強気ではない。私らは一番目ではない、二番目にしかなれない存在である。

 「ファーストペンギン」という言葉がある。その意味は、「ある集団の中で危険や困難へ最初に飛び込み、安全性を証明する者のこと」とある。群れのペンギンたちが魚をとるときに、一番のりで飛び込んで餌がとれるかどうか、敵がいないかどうかを確認するペンギンのことだ。

 この言葉を初めて知ったのは、高校一年生の頃の国語の教科書にのっていた「最初のペンギン」という茂木健一郎の評論であった(注1)。その評論の中には「英語圏では「最初のペンギン(first penguin)」といえば、勇気を持って新しいことにチャレンジする人のことを指す」とある。「不確実な状況に判断を下すという勇気をもった人」ということである。

 このファーストペンギンにはなれないが、ビリやそこそこのあたりにもいたくない。最初の人が「ここ、いけるぜ!」と合図を出したら飛び込むといった二番煎じのペンギン。私らはそんな「セカンドペンギン」なのである。

 実はこの記述をしているときに、名前を「セカペン」にするか「セカペンズ」にするかを迷った。その理由は、私は「複数形」であるからだ(注2)。そう、本名をもつ私は多くいる。狭義において二人、広義において五人。その五人はそれぞれ戸籍上の本名の他に、あだ名のような名前をもつ。その名前がある以上、私らは自分を形作られているとも、人に認められるとも言えるだろう。

 つまり、「名前」は精神における「身体」なのである。

 これは何も私に限ったような話題ではない。インターネットという場は、私たちと似たような作りをしている。一人の人間(一つの身体をもち、一つの心をもつ)は、必ずしも常に一緒というわけではない。Twitterのアカウントを複数持っている人であれば、この感覚は分かるのではないだろうか。例えば、学校用アカウントと趣味アカウントがあったとして、学校では趣味のことをあまり言わないものとする。その場合、「趣味に没頭する自分」というものは学校アカウントであらわれることなく、「学校での自分」が会話している。その逆もしかりである。

 こうしたネット上は、ある種のペルソナ(ペルゾーン)としての人格が顕著にでやすい。そうしたペルソナを形作るのが、アカウント名、HNなのではないだろうかと私は思う。

 さて、『pupa』(注3)という漫画の中で、ある二つの生物が島で生きていたときの場面がある。その片方が主人子にこう言う。「この島の中では、お互いを呼ぶ名前が必要なかった。あなたとわたしでよかった」というものだ(結構うろ覚えです)。

 私が引きこもりをしていた頃、接触する人がただの一人(注2にある「悠」という人)しかいなかったときに似たような現象が起きた。私は彼を彼の苗字で呼んでいたが、彼が私のことを呼ぶことはなかった。本名が気に食わなかったから、呼ぶと嫌がるからというのもあったのだろう。お互いになんの違和感も感じていなかった。

 しかし、中学三年になり、親友が私らの存在を知り、私も私として、悠も悠として話し始めたときのこと。 

「アレが迷惑をかけるね」と悠が言った。

 もちろん、親友たちが「そういう呼び方をするんじゃない!」と怒っていたが、悠も私も怒られるようなことだと思っていなかった。しかし、怒らせてしまうのは申し訳ないということがあり、それから悠が私の名前をたどたどしいながらも私のことを名前で呼ぶようになった。

 そのときから、私の心境に変化が起きた。それまで希薄に感じていた自分というものを強く感じるようになったのだ。いるかいないか分からない、存在感の薄い透明人間から、色をもった人間へと変化したという感じだった。その変化の理由を考えると、自分を自分として認めてくれている他者(同じ身体を持たない他者)と、自分の名前への意識が強く影響していると思われる。
 
 長々と書いてきたが、要するに、「自分が納得できる自分の名前を大事にしよう」ということである。
 
 こんな奇怪な私らですが、よろしくお願いします。二号@セカペンでした。




(注1):茂木健一郎が書いたってことは、ついさっき「最初のペンギン」の評論の作者が誰であるか調べているときに知りました。当時、茂木健一郎という名前すら知らなかったので、特に気にしていなかったですね。今の心境としては、「あのおじさん、こんなものを書いていたのか!」です(笑)。

(注2):私は"いわゆる"多重人格である。しかし、厳密に言うとビリー・ミリガンといった有名な事例のような「多重人格障害」というわけではない。Imaginary Friendがこれを書いている"私"の他に、4人いるというようなものだ。それが私の頭の中を動き回るだけでなく、外に出て”私の本名”をまとい、生活するということがあるというだけである。水月、悠、ぽん、二号、うなという風にそれぞれの名前も個性もがありますが、ここではそれらを総称して「セカペン」と名乗らせてください。「セカペンズ」にするか悩み始めたのは、うなの「複数形にしたらビートルズみたいだな、五人だけど」という一言があったからです。

(注3):兄妹愛やカニバリズムが詰まった漫画です。後輩が部室に持ってきてくれたときに、ぽんが読んでいました。妹が兄を食らう場面を見て、お腹がぐーっとなったというのは印象的でした(普通は食欲なくす場面なのにな……)。

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