chiasma 08:「私の深刻がっていること、深刻ぶっていること」
・「
上手に笑えない」(めがね)
・「
問題意識の行方」(ドーナツ)
・「
考えすぎるということとわたしの救い」(草薙菫)
*「1日に2本以上が届き、毎日欠かさず更新される」という事態は想定しておりませんでした…!みなさんの熱意に私の胸にも、リビドーというべきかパトスというべきか、熱い情念が沸々と煮立ってきている次第です。本当にありがとうございます。
執筆のペースやタイミングは、本当に完全にお任せしておりますので、せめて御題が絶えないよう(つまりこのブログが死なないよう)私も頑張らせていただきますね。執筆者様、御題提供者様、もちろん愛読者様、大募集中であります☆★
三鷹駅ちかくの、すし屋にはいった。酒をくれ。なんという、だらしない言葉だ。酒をくれ。なんという、陳腐な、マンネリズムだ。私は、これまで、この言葉を、いったい何百回、何千回、繰りかえしたことであろう。無智な不潔な言葉である。いまの時勢に、くるしいなんて言って、酒をくらって、あっぱれ深刻ぶって、いい気になっている青年が、もし在ったとしたなら、私は、そいつを、ぶん殴る。躊躇せず、ぶん殴る。けれども、いまの私は、その青年と、どこが違うか。同じじゃないか。としをとっているだけに、尚なおさら不潔だ。いい気なもんだ。私は、まじめな顔をして酒を呑む。
太宰治の『鴎』。いい文章だ。
あっぱれ深刻ぶってぶん殴られたい。
さてさて、
「
深刻がる」と「
深刻ぶる」がある。
早速だが、このふたつの違いについて説明し、それを前口上としたい。
遊里語(ありんす語)があった当時、「名詞+がる」の用法はいくつもあった。たとえば、「事実がる」「神がる」「消息がる」「親がる」など。近代に移り、これらはなくなり、「形容動詞+がる」が残った。「面白がる」「強がる」「気の毒がる」など。
「がる」という接尾辞は「
気ある(げある)=~のように推測される」を略したものだった。
断定の色合いが弱く、また、いつも一回の評判だった。こういった「
言い切りへの躊躇」感覚を持っている表現は次々と消えていった。
それに対して、近代以降どんどん増えている「名詞+ぶる / 形容動詞+ぶる」は、「~の振りをしている」という動詞から逆成した接頭辞。これは
あくまで使う人が勝手に評価するものである。「大名ぶる」「勿体ぶる」「旦那ぶる」「御袋ぶる」「様子ぶる」「利口ぶる」「高尚ぶる」「学者ぶる」など、一回きりではなくて「ずっとそうだ、ずっと気取っているのだ」という状態的で継続的な断定を示している。
常に孤独で居る人間は、稀れに逢ふ友人との会合を、さながら宴会のやうに嬉しがる
(萩原朔太郎『僕の孤独癖』)
あの師匠はいやに上品ぶって自分だけ人間らしい顔をしている、馬鹿野郎です
(夏目漱石『吾輩は猫である』)
「がる」というのは、推測である。「
きっとこうで、おそらくこうだからこうだ」という察しが混じっているし、
途中途中の心情を読み取ろうとすることがメインである。そしていつも「一回」の推察でしかない。必ず次があり、次はもっと違う推察になるかもしれないという立ち位置で考えている。
「ぶる」というのは勝手な判断でいい。
「いやに=よく理由はわからないが」で構わない。そして更新を必要としていない。
行為の結果だけを見て、勝手に状態を決めていい。「こんな態度だから、こいつは知ったかぶりだ」でいい。
たとえば、「社会情勢を深刻がる」というとき、
色々なことを知り、察し、配慮したうえで、さらに強い断定をしないようしないよう心がけ、一回だけ深刻に思うのである。
「社会情勢を深刻ぶる」というときは、
流れがどうであるとか、具体的な変化については知らないけれど、(株価や業績などの)"結果"だけをみて自己満足的に ― しかも更新することなく継続的に ― 深刻に思うのである。
「"がる"と"ぶる"、このふたつの接尾辞には小さくて大きな違いがある」
そうご理解いただけたところで、
みなさんの「深刻がっていること」と「深刻ぶっていること」を教えていただきたいのです。
どちらか一方でも構いませんし、両方とも書いていただいて構いません。
自分の生活、親の老後、恋人の態度、友達の言葉、上司の表情、会社の未来。
「深刻に思うこと」というのは、きっと、数多く潜んでいることでしょう。
その「深刻さ」とどのように向き合っていたのか、「がる」と「ぶる」の観点から書いていただけたら、これ幸いでございます。
(らららぎ)
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