あなたには関係ないことよね。
家のクローゼットからそのサエないブルーのセーターを選んだ。
私は着る物なんか気にしない、マジメな人間ということね。
でも、この色はブルーじゃない。
ターコイズでもラピスでもない。セルリアンよ。
知らないでしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレをサンローランがミリタリージャケットを発表。
セルリアンは8つのコレクションに登場。
たちまちブームになり、全米のデパートや安いカジュアル服の店でも販売されあなたがセールで購入した。
そのブルーは無数の労働の象徴よ。
でもとても皮肉ね。
ファッションと無関係と思ったセーターは、そもそもここにいる私たちが選んだのよ。
こんなのの中からね。
-2006年『プラダを着た悪魔』より
これは映画『プラダを着た悪魔』のワンシーン。
主人公アンドレアが似たような色とデザインをした-ように彼女には見えた-ふたつのベルトの、どちらをセレクトしようか真剣に考えている編集長のミランダたちを見て笑ったことに対して、ミランダが言ったセリフです。
「
こんなのどちらでもいいじゃないですか、どちらも同じものに見えるんですもの。」
そう考えたアンドレアに対してミランダはそうではない、これは
同じものではない、それぞれを
代替できはしない、ということをはっきりと主張しました。
この
代替できないもの、今回皆さんにはこれについて考えていただきたいと思います。
と、言っても
考えていただくのは色ではありません。
自分自身についてです。
「『自分の代わり』について」考える、これが今回のお題です。
「自分は唯一無二の人間だろうか?」
「私という人間は必要なのだろうか、別にいなくてもいいのでは?」
「私なんかいなくても、自分の代わりになら人はいくらでもいるのでは?」
思春期に入った少年少女なら誰しもが思い悩むこの命題について、少し深く足を踏み入れてみましょう。
お題自体は「『自分の代わり』について」ですが、類似したものとして
自分と同じ顔をした人間は世界に3人いるという伝説について考えたり、
ドッペルゲンガーと呼ばれる突然現れる自分の分身について考えたり、
冠婚葬祭あるいは学校における代理出席について考えていただいてもいいですね。
誰にも書けない文章、
代替することのできないあなただけの文章を書いてみてくださいね。
(前口上:こはく)
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