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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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夏のはじめに、夏の終わりを思い出す。 / 著者:ちくわ - ch16

(この記事は7月に書いたまま公開し損ねていたものです)

僕が、僕たちが思い描く「夏」が、幻想だということはわかっている。でもそれなら、時折どうしようもなく感じるあの夏の憧憬はなんなのか。
夏が、来る……!!」 - しっきーのブログ
" ぼくの " 夏ということであれば、それは幻想でも夢でもない。いや、幻想でも夢でもあるのだけれど、少なくとも指し示すことができる夏のように思う。具体的な、興醒めするほど具体的な夏だと思う。ナツという響きの内に、肌に感じる刺すような陽射しの中に、細田守映画に出てきそうなでっかい入道雲の向こうに、青すぎる青空の奥に、蝉による期間限定大合唱の裏に、あの夏が、あの夏休みが、あの夏の日が、重なりあっている。何重にもダブりながら、そこに見え隠れしている。

けっきょくぼくの夏というのは、天神の地下街を駆け抜けて駿台の夏期講習に向かっていた19歳の夏の日であり、高総文祭を横目に模擬試験を受けていた18歳の夏の日であり、芝居稽古の合間を縫って親友と海へ川へ撮影に出かけていた17歳の夏の日であり、夏祭りに行けなくて悔しかった(未だに悔恨を語れる程度には悔しかった)16歳の夏であり、その前年あの子たちと行った15歳の夏祭りであり、そして何度も戻ろうとした一度きりの14歳の夏休みなんだ。

ぼくらの知ってる夏はいつだって過去にある。ぼくの場合は23個の夏を知っているけれど、それはすべて終わっている。当たり前とはいえ、忘れていないだろうか。つまり、始まったばかりにこんなことを言うのもどうかと思うけれど、夏には終わりがつきまとう。終わりの気配がつきまとう。過去はいつだって気づいたら過去になっていて、夏はいつだって過去形で語られる。幾度時をかけようと、何万回夏休みを繰り返そうと、どれだけ世界線を移動しようとも、ぼくらの心に刺さっているのはあの「夏の終わり」だけである。なーつのおーわーりー。

たとえば14歳の夏、もうあちこちで語ったことなので深くは書かないけれど、四人の友だちとあるイベントに向けて準備をしていて、確か九月の頭がその本戦だった。ぼくらは一回戦で負け、同じ日にそのイベントも終了した。ぼくの好きだった女の子は「来年も出ようね」と約束してくれて、もうひとりのほわほわした女の子は最後までほわほわしていて、ぼくは「勝ちはなかったけど価値はあった」とかよくわからないことをぼそぼそ言った。大会は予定より長引いて、終わったころにはとっぷりと日が暮れていた。ぼくらはまだ中学生で、夜には家に帰らねばならなくて、真っ暗な空に急かされるように解散した。終わりを惜しむ暇もなく、挨拶もそこそこに。

けっきょく、それきりだった。あれきりだった。あの女の子の約束も果たされることはなく(諦めきれなかったぼくは来年まったく別のメンバを揃えて同じ大会に出ることになるのだけれどそれはまた別のお話で)、それ以降あの五人でいっしょに遊ぶことさえなかった。中学生らしいさまざまな人間関係的なあれこれがあったりなかったり、ともかく五人で会いづらくなって、しようしようと言っていた打ち上げもついにしなかったと思う。それがあまりにあっけなくて、「いっしょにどこどこに遊びに行こ〜」とか言ってたほわほわした女の子のほうにぐちぐち電話したことがあって、その子に「会えるよ、生きてさえいれば」と慰められたのをなぜだか覚えている。こうして、14歳の夏は終わった、いや、ほんとは終わってなくて、数年間求め続けることになって、終えることも追えることもないまま、数年さまようことになる。けど、それも別のお話。とにもかくにも、ぼくが14歳の夏を思い出すとき、まっさきに思い出すのはその終わり ― 「終わらなかったけど終わった『終わり』」だ。

また別の夏の終わりには演劇の公演があって、その夜に舞台はバラされて、ひとつの世界が ― ひと夏の世界が ― 消えた。ある夏は高校最後の文化祭があっていろんなものが終わった。たまたま同じ時期に自分の街で高総文祭があって、始まりすらしなかった世界に静かに涙した。始まりもしなかったはずのそれもまた終わった。ある夏とある夏とある夏は「二次試験まであと半年…」とかいいながら時間のあったはずの夏が消えていくのを惜しんでいた。

いつからか、夏の始まりに気づくのは実家から遠く離れた地での出来事となった。それでもいつも夏には帰省して、夏の終わりはいつも地元で体験した。一年前は、同級生たちの学生"最後"の夏で、四部作となった自主制作映画もどきの"完結編"をつくった。"卒業"した高校の文化祭の"エンディング"に流す動画をつくった。先生は「さすがにお前たちに頼むのもこれが"最後"だろうと言った。そうしていつだって、夏が終わると東京へと戻ってくるのだ。

夏にはいつも終わりがつきまとう。だってほら ― 「ああ、夏だな」って思うのは、線香花火が消える瞬間じゃあないか。

ハッピィマンデイに対するささやかな反逆のように、今年の7月20日は海の日で、奇しくもその前後に梅雨(今年は本当に雨雨雨雨でしたね)が明け、文句のつけようがないほど夏の始まりらしく夏が始まった。ぼくの暮らしている街では、それからは毎日びっくりするほどの青空が広がっていて、ああやっぱり始まったんだな…と覚悟を決めた。始まってそうそう、ぼくの周辺では、さっそく色んなことが終わり始めている。そして夏そのものもまた、終わり始めている。きっとまた遠からず、「夏だった」と回想することになるはずだ。すばらしいこと、なのだろう。

夏が来ると思い出すこと。

「ああ、夏は終わるんだ」。

おわり。
はじまり。

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きのこたけのこの境界線、それがぼくだ! / 著者:ちくわ - ch15

「ほんとうにおもしろい」という本は、子供のときにはおとぎばなしであり、それから冒険物に進むのであろう。おとぎばなしだろうが、冒険物だろうが、そのときに「ほんとうにおもしろい」と思ったその感じを忘れてはいけない。勉強なら「意志」でやらなければならない学科もあろう。しかし自由時間に読む小説に「意志」や「おつき合い」を妙な工合に持ちこむと、ほんとうの感興と、おざなりの感興の区別がつかなくなり、真の意味での読書の向上が害されるおそれがあるからである。探偵小説でもよいから、ほんとうにおもしろかったら、その「感じ」をたいせつにする。そして漱石を読んだときに、その感じが出たら、自分自身のために祝杯を上げればよい。それは明白な知的向上を示すものだからである。そのほんとうの「感じ」が出るまでは、同級生が漱石を持ち歩いてるのを見ても、ロマン・ロランを称えるのを聞いても、あわてて自分もわかったふりをする必要はない。自分におもしろくないということを公言する必要はないが、ほんとうにはおもしろいと思わないものを、おもしろいなどというふりをしてはいけないのだ。他人に対しても自分に対しても。特に自己をいつわってはならない。自己の実感をいつわることは、向上の放棄にほかならないのだから。
(渡部昇一『知的生活の方法』)


ぼくは、何かや誰かに対して「良さがわからない」と言えない人間です。「あの人にがて」「あの人こわい」と言うことはありますが、「あの人は好きじゃないな」と言うことが ― というより、思うことが ― できないのです。もちろん、「好きじゃない」という言葉は元々ずいぶんきつい響きを持っているので、公の場では言わないに越したことはないのかもしれませんが、「好きじゃない」「嫌い」という極端な表現に限らず、「これはつまんない」「これは良さがわかんない」といったような評価を口に出すのが苦手なのです。たとえば、難しく書かれた本を読んで挫折したときに、「こんなの何が面白いのかさっぱりわかんねえな」とは言わないだろうと思います。

「良さがわからない」なんて、ポジティブなフレーズではないのだから、別にいいではないか、と言われるかもしれません。確かに、ぼくはこの「何かに対してプラスでない評価をなかなか口に出せない、心の中でさえもなかなか言えない」ことによってそれなりに穏やかな性格だと見られているでしょうし、そのおかげで不必要な争いに巻き込まれずに済んだことも多かったように思います。しかし、です。「良さがわからない」がぼやけると、「良さがわかる」― 「あっ、これいいな」という気持ち ― もぼやけてしまうのです。

ぼくたちの輪郭というものは、無数の「あっ、これいいな」から成り立っています。「良さがわからない」と「あっ、これいいな」の間に引かれた線(イメージ的には面!! ほんとは面って書きたかったんだけど、タイトルに線って書いちゃったもんね!!)をひたすらつなげることで、ぼくたちの輪郭というものは形作られるものです。そうすると、「良いと思わない」が言えない(そして本当の意味で「良いと思う」が言えない!)ぼくは、自分の輪郭というものをどんどん見失うことになります。自分の言っていることは、本当に自分らしい発言なのか、自分の趣味や美学にそった言葉なのか、どうにも自信がなくなってくるのです。本当は、自分なりの輪郭というものは何かしらあるはずなのに。ついったーで言うと縦ふぁぼ状態ですね。なんでもかんでもふぁぼふぁぼふぁぼ。あとで見返しても、そこにあるのはタイムラインの写しだけです。

そして、哀しい影響は現在だけに留まりません。自分の輪郭がぼやければ、自分の輪郭の変化もぼやけます。つまり、いつかもし「本当に良さがわかった」と思える日がやって来そうになっても、それを捕まえることができないのです。それはもうほとんど、「本当の良さがわかる」瞬間 ― 冒頭に引用した文章で渡部昇一さんはそれを知的向上と呼んでいました ― が訪れることを諦めているようなものです。世の中には、わからないものを叩いたり排斥しようとする過激な人たちも多いですが、「わからないけど、わからないと気づく前に全部『良い』のほうに放り込んでしまう」ということをしているぼくも、「未来のために保留をしない」という点においてそういう人たちと何ら変わらないわけですね。

何かを「良いと思えない」と明言するのには、責任が伴います。「○○って何が面白いのかわからんわー」って呟くと、○○ファンが両手に生卵を持って押し寄せてきても文句は言えn……いや文句は大いに言っていいんですが、ともかくそういう可能性が存在するので、そこに責任が生まれるわけですね。だから「これは良いとは思えない」ということをきちんと述べている人の言葉は重みを持ち、文章全体、発言全体が引き締まるものです。その言葉が、それなりの責任を持って発されたものであると、聞く側も感じるからでしょう。逆にぼくは、そうしたことをはっきり言わないことによって、あらゆる責任を回避しようとしているのかもしれません。評価だとか感想だとか反応だとかを全て、「私はわかっていますよ!(だから生卵投げんといて!)」ということを伝えるためだけに使ってしまっているのです。それも大事なことなのでしょうが、なんとももったいないなぁと思います。自分の輪郭を丁寧に描写するために使えたはずの「イイネ!」を、宣言的な「イイネ!」でぐしゃぐしゃと塗り替えて消してしまっているなんて……。あたしって、ほんと宣言的!(©らららぎさん、最後の注釈参照)


さて、そんなチキンなぼくなのですが、「きのこの山」と「たけのこの里」、どちらが良いですかと訊かれれば「たけのこの里に決まってるでしょ起きて」と即答します。そう、ぼくは「たけのこの里」を愛しています。サクッ、とチョコ部分とクッキー部分を一緒にかじることのできるあの幸せは、きのこには到底つくりだせないものです。なぜ「きのこの山」派が一定数存在するのか、そもそもなぜ「きのこの山」などと言うものが生産され続けているのか、理解に苦しみながら二十数年を生きてきたといっても過言ではありません(過言です)。

こうして、ようやくたどり着くわけです。「きのこたけのこ戦争の理想的な終わり方」……。ふむ。理想的なのは、終わらないことだと思いますね。
「きのこたけのこ戦争は、このまま続くべきである!」
これがぼくの答えです。

きのこたけのこ戦争は、「これは良いと思う」「これの良さがわからない」と主張するための勇気を、ぼくたちに与えてくれます。勇気を与えるというのがおおげさであれば、格好の練習場になります。わからない、と言って自分の輪郭を探す練習。わからない、と言って責任を持つ練習。わからない、と言って未来の自分のために保留する練習。「なんできのこの山なんて存在してるんだ!」と叫ぶことが、そうしたトレーニングに使えるのではないでしょうか。だって、これは間違いなくぼくの考えだと、自信を持って言えるのですから。


ところで、終わらせないのが理想だとは書きましたが、ぼくは「んで、終わることはあるのか、ないのか」については特に触れていません。しかし……、このきあずまはぼくで3人目ですが、未だ「理想的な終わり方」を真っ向から提示する方が現れないあたり、やはり「きのこたけのこ戦争」は永久に不滅なんじゃないか!? とぼくは思いますね! ……なんて煽りもしつつ、ここは次の方にバトンをぶん投げて ― 結論を委ねて ― 終わろうと思います。いつも心に、たけのこの里。ちくわでした。



▽注釈▽
宣言的な…というのはらららぎさんが文芸誌に書いていた言葉遣いを使わせてもらったものです。らららぎさんは(「宣言的な『好き』」という説明の導入として)「かわいい」を宣言的になってしまった言葉のひとつに挙げていて、今の文脈にもあてはまるので、というかほぼ同じ話なので、少しだけ引用しておきます。
それは、元々の意味を離れ、次々と多義化していき、結局は「それが自分にとって理解のできる価値を有したものであること」をアピールするための言葉に代わったからだといえるかもしれない。つまり、本当はよく知らなくとも、「かわいい」と主張してしまえば、自分にはその価値が分かっているということになる。そういう態度をとることが「善い」とされているのだ。知っていることは善いことであり、理解していることは善いことである、そういう時代の価値観が言葉の使い方を巧みにすり替えてていく。かわいいというのは、何かへの主観的な評価ではなく、自分を善いものとして映すための宣言になったのだ。
(らららぎ「好きな人という多義的で独特な言葉に寄り添って」『あみめでぃあ』)

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紙はなんでも欠けている / 著者:ちくわ - ch25

ぼくと紙について。
ぼくと紙の、関わりについて。

紙に関わるとはどういうことでしょう。それは、紙を紙にすること、ではないでしょうか。ぼくが紙に寄り添ったとき、初めて紙が紙となる。そんなはたらきかけを、関わると呼ぶのではないでしょうか。

何かに「関わる」というのは、欠けている部分にこちらが手を加えて、完成させることなのです。

ラブやで~には、人の声が欠けています。(*) だからラブやで~に関わるとき、ぼくたちはそれを声に出します。声に乗って「ラブやで~」が発されたとき、初めて「ラブやで~」は「ラブやで~」になるのです。
漫画には、時間が欠けています。(**) だから漫画に関わるとき、ぼくたちはそこに時間を重ねて読みます。そこに読者なりの時間が流れ始めたとき、初めて漫画は漫画になるのです。
劇には、視点が欠けています。だから劇に関わるとき、ぼくたちは"観"客としてその劇に参加します。「この席から、この距離で、この角度で、この音の届き具合で、見たお芝居」という見方が生まれたとき、初めて劇は劇になるのです。

ぼくたちが何かに入り込むことができるのは、そこになにか足りないものがあるからです。それをぼくたちが補うことで、ぼくたちはそれに「関わる」ことができるのです。


紙というのは、そんなふうにぼくたちが入り込めそうな「ポジティブな物足りなさ」にあふれていて、それゆえに、関わり方も無数にあります。

たとえば、紙には「位置」が欠けています。
だから、ぼくはそれをどこにでも置くことができます。

紙を触るのが好きでした。紙は、ひっくり返すことも、斜めに置くことも、ぶらさげることも、やわらかく曲げて固定することだってできます。パソコンや携帯に表示された文字は、いつだって画面に収まっていてそこから動くことはありませんが、紙は位置も、形も、自分が決めることができるのです。そのせいで紙の山の中に埋もれ、どこにやったかわからなくなるわけですが……。

たとえば、紙には「立体感」が欠けています。
だから、ぼくはそれに高さを織り込んで(折り込んで)やることができます。

紙を折るのも好きでした。一歳だか二歳だかのころ、ぼくは一日に何百機も紙飛行機を折っていたのだと、聞かされたことがあります。折り紙も好きです。小学生の頃に折り紙の本を読んで、いつか悪魔や竜を折ってやろうと思っていました。けっきょく今でもまだ蛙しか折れないので、蛙しか折りませんが、一匹折れば満足するので、それでよいのかもしれません。箸袋で蛙を折ると、蛙は箸置きにもなりますね。箸を守っていた紙と、ぼくの<折る>という関わり方が組み合わさって、箸袋は箸置きになるのです。

たとえば、紙には「広さ」が欠けています。
だから、ぼくはそれに広さを与えてやることができます。

紙に描くのも好きでした。小中学生のころ、弟だけに読んでもらうマンガを、ひたすら描いていました。続けて練習したことがないので、人に見せられるようなものは描きませんが、自分で描くぶんには、紙と鉛筆さえあれば何だって描けるというのは素晴らしいことですよね。限られた紙の中に、海だって山だって、地球だって宇宙だって、無限に近い広さを押しこめることができます。描き終えることのできる小さなスペースだけを有する紙、そしてぼくの<描ききれないはずのものを描く>という関わり方が組み合わさって、キャンバスは絵になるのです。

たとえば、紙には「言葉」が欠けています。
だから、ぼくはそれを言葉で埋めることができます。

紙の上に文字を書くのは大好きでした。高校生になったばかりのころ、一冊のノート(***)を数人の友人で回しながら、お題を決めて1ページずつ掌編小説を書いていました。左に小説、右にみんなの感想……あずき色のリングノート。今でもぼくの部屋(のこのうずたかく積もった紙の山の中のどこか)にあるはずです。

頭で考えるのでもない、携帯で打つのでもない、パソコンのキーをタイプするのでもない、言葉を紙に書くというのは不思議なものです。紙には摩擦があって、画数の多い字を書くには相応の時間がかかりますね。要するに、現実世界で鉛筆を動かすための物理的なルールにぼくは抗えないわけで、なんだか「ぼくが書いている」というより、「ぼくと紙が書いている」と言うほうがしっくりきます。そういえばある先輩は、紙に言葉に書くことで、情報処理速度を落ち着かせて思考のオーバーヒートを止めると言っていました。じっさい、紙の上につらつらと文字を書くことは、何かのリズムを作っているように感じられるときがあります。思いついた言葉をリズムまで含めて書きとめたり、難解そうな文章や数式を書き写してそのリズムを掴んだり。そういったときに紙と鉛筆はぴったりだと思います。現実にでーんとある紙の存在に、ぼくの<言葉を書く>という関わり方が組み合わさって、紙はぼくの世界になるのです。


そういうわけで紙というのは、真っ白で、薄っぺらくて、面白味もなさそうな形でぼけーっとしていて、ポジティブな物足りなさにあふれています。抜けていると感じたものをそっと足してあげれば、どんな関わり方だって許してくれる、そんなほんわかした空気を紙は持ち合わせているのです

色が欠けていると思うなら、色を塗りましょう。
物語が欠けていると思うなら、物語を綴りましょう。
運動性が欠けていると思うなら、キムワイプ卓球をしましょう。

さて、今日は、紙のどこを埋めようか。

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<註>

*
隙間だらけだから、人の気持ちや体温が入り込みやすくて、馴染みやすいのがラブのいいところです。わかりやすくきらきらしているわけでもなく、また隙間が多いから変形しやすいので見失いがちになるのが困っちゃうところですが、それこそ「ラブやで~」の一言で、「あ、そうだった、ラブだった!」とラブに立ち返ることができます
「ラブやで~」の連鎖 / 著者:菖蒲 - ch1



**

***
春先に、このノートの話をらららぎさんとしていました。何それ面白そう、ブログでやろうよ、みたいな話になったのか、どうなのか、はっきりとは覚えていませんが、そんなこともあって生まれたのがこの ― みんなでしんがり思索隊 でした。ここは紙ではないけれど、ぼくにとっては紙のずっと先にあった場所だったりするのです。たくさんの方が参加して下さって、そしてたくさんの方が訪れて下さっていることを、本当に本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。ちくわでした。

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なにそれこわい宝くじ / 著者:ちくわ - ch13

ぼくは「宝くじが怖い」
そして、それゆえに、(そうでないと思いたいけれどやはり)自分はお金というものに価値をおきながら生きているのだなぁ、と気づかされてしまう
……ざっくり言うと、こんなお話を今日は書いていきます。ちくわです。

まず、ぼくは宝くじを買ったことがない。まぁ、宝くじを買わないことは社会的にも別に問題のあることではないので、こんなお題にでもならない限り普段は忘れているようなことだよね。もちろん、買わなくても、宝くじを買う自分を想像してみることはときどきある。そうするとたいてい、はっきりした感覚ではないのだけれど、なんだか怖い、という感覚にもわっと包まれる。何が怖いのか。お金をつぎこむこと、宝くじが外れること、それは別に良い。宝くじに当たってしまうことが怖いのである。

何を言ってるんだこいつは、な話ではある。だいたい、宝くじなんてまず当たらない。それはそう。確率の話は誰かが書いてくれるかもしれない(丸投げ)。で、まぁ、それはそうなんだけれども、それはそうとして、一億円とか三億円とか当たったときのことを想像してみると、とても怖いのだ。おそろしい。ぽんっとそんなお金が手に入ってしまったらぼくが直面している問題の半分くらいは解消されるだろう。それが怖い。今までちょこまかちょこまかとやってきたことが全て吹っ飛んでしまう……ような気がしないだろうか。ぼくが悩んでいたことはなんだったのか、来週の食費とか綿密に計算しながら生きていたりしたぼくはどうなるんだ、金銭的な理由から見切りをつけようとしていたあれこれはどうすればいいのか、すべて考え直しというか、考えることが馬鹿らしくなる次元に飛ばされてしまいそうである。不謹慎な喩えで申し訳ないけれど、大災害が起きてふだんあった生活そのものが消えてしまう事態に近いものをぼくはそこに感じるのだ。

加えて、ここからは自分でもきちんと説明できない話になるのだけれど、ぼくは「暴力的な甘やかし」というものに恐怖を感じるのである、昔から。これは何故と言われても、ほとんど反射的に、としか言えなくて、もし近い感覚をお持ちの方がいればぜひ言語化してほしいし、逆に意味わかんねぇよって人は無視してもらっても構わないかなーみたいなそういうやつ。暴力的な甘やかし、例えば、頭の中で「さぁあなたはここでなにしてもいいわよーなにたべてもいいわよーめんどうなことはなにもしなくていいのよーうふふ」みたいな状況におかれることを考えると、理屈で考える前に気持ち悪いと思ってしまうのである。(理屈で考える段階になると、そういう状況うらやま!!素晴らしい!!とか言うと思うけれど) なんなのだろう、これは。宝くじにあたった状況というのは必ずしもこういうものと同じ状況ではないと思うけれど、まぁ、このよくわからない感覚も宝くじへのもやもやを増幅させているのは確かである。

ところで、宝くじが当たることが怖いというのは、一見、お金にこだわりがない人の発言のように見えるかもしれないけれど、ぼくは逆だと思う。むしろこれは、ぼくが金銭という価値基準にこだわっている証拠なのだ。多少語弊はありそうだけれど、ぼくがぞわぞわしているのは、価値観を変えることを余儀なくされる異常事態に対してだ ― とまぁ言って良いだろう。そして、「3億円が当たったことによって変えなければならない価値観」というのは、当然、金銭に関するものだけなのである。ということは、これまで「自分の行動を決める重要な基準として、金銭という要素を使う」ことを繰り返してこなかった人であれば、その部分にどんな大変化がおきたところで、今まで通りに暮らしていけるだろう。ところがたぶん、今のぼくは、そうではない。いやだいやだと言いながら、貨幣に価値をおきながら生きている。貨幣にしばられているのだ。つらい。どうしようもないけれど、自覚くらいはしておきたい。

そんなわけで、宝くじが怖い。怖いということは、ぼくはお金に価値をおいて生きている。その価値が転覆するのが怖い。資本主義から逃げられない。いや、本当は多少逃げる方法があるということも様々な例で知っているのだけれど、逃げていない。たぶんこの価値観によって何かしらの恩恵も受けていて、そのぬるま湯に浸かる方を結局は選んでここにいるのだと思う。宝くじに当たってのんびり暮らしたいですかと聞かれれば、まったくその通り、ぜひとも当たりくじを買ってぼくにプレゼントしてくれよぉと答えるけれど、同時になんだか心がざわっとしてしまう。その心のざわっこそが、ぼくが「気にしてないっすよ~www」と笑っていることを本当はめっちゃ気にしてるということの裏返しなんだと思う。みたいな話。

……まぁ、でも、何億も当たったらとりあえず最高だろうなぁ。
おわり。ちくわでした。

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そんな昔のことは忘れたね / 著者:ちくわ - ch3

こんにちは、ちくわです。「もういちいち名前書かなくていいよ、タイトルにもあるんだからさぁ!」ひぃぃ、申し訳ない、そうだよね、でも今回ばかりはそうもいかないのだ。何しろ今回の「きあずま」は「アカウント名の由来と自分について語る」というものだからである。というわけで、ちくわが、私のハンドル。ちくわんとか、ちーくんとか、ちくたんとか、いろいろな派生したニックネームがあって、そのどれもなかなか気に入っている。さて、ちくわにまつわる話は、大きく分けて二つの時代に分かれることになると思う。同時に「私についても語る」ことになる関係上、あまり愉快な話にはならないだろうけれど、お暇な方は、おつきあいくださいませ。


「何で名前がちくわなの?」という質問は、それなりによく訊ねられる問いだったりする。少なくとも、好きな数学の公理を訊かれる頻度よりは高いだろう(ちなみにぼくの好きな公理は「空集合は存在する」である)。ところがこの”Why are you Chikuwa?”に対して、相手が期待しているような答えを返すことがぼくはできない。できないのだ。引っ張る話でもないので結論をいうと、要するに、なぜちくわという名を思いついたのかぼくも覚えていないのである。

SAPARi(さぱり)というアバターチャットをご存じの方がいるだろうか。いたら今ごろ画面のむこうでニヤニヤしておられるんじゃないかと思う。ソニーが運営していたもので、確か当時のVAIOには、そのチャットに参加できるブラウザがあらかじめインストールされていたのじゃなかったかと思う。今では似たようなサービスがたくさん存在しているのでどんなものか想像がつくと思うけれど、人間や動物なんかのキャラクターを操作して、仮想空間を動き回ったり、ほかの利用者とチャットで会話したりできるというもので、ともかく、小学生のぼくはその空間がとても好きだった。世はまさにブロバン黎明期、ウェブなどをぼくがようやく動き回り始めた頃ともほぼ同時期だったはずなので、まだ新鮮な「インターネットとの出会い」という部分でも鮮烈だったのかもしれない。とはいえ、そんなにずっとそればかりやっていた記憶もないので、「ハマっていた」のはそれほど長い期間ではなかったのだろうと思う。そのときぼくは「ちくわ」ではなく別のハンドルを使っていたように思うけれど、なんにせよチャット好きなマセた小学生だった。しかし、楽しい時間は長くは続かないもので、大人の事情でサービスが終了してしまい、涙することになる。

初めて「ちくわ」が使われたのは、それからしばらく経って、ドラえもんのファンサイトのチャットに入り浸るようになったときだった。どうしてドラえもんのファンサイトに入り浸っていたのかは今となっては定かではないけれど、あの頃はドラえもんファンサイトというのがちょっとしたクラスタをつくっていたのだ。ドラえもん一味。ちょっと違う。ともかくそこで、どこかのタイミングで、ぼくは「ちくわ」を名乗るようになった。どんなきっかけだったのかが、残念ながら思い出せない。ただ、いつも「こんちくわ~」とか挨拶していた(そういえば、定番の挨拶で「こん」とかあったけど、今でもどこかで使われているのだろうか・・・)との証言があるので、そのあたりが由来なのかもね。子供の考えることはよーわからん。ともかく、干支がひと回りしてしまうほど昔の話である。

その頃からずっと「ちくわ」を使い続けているのかと言えば、そんなこともない。しばらくは、ドラえもん以外にもコナンのファンサイトなどでまれに使っていた記憶がある(ウェブリンクだの、キリ番おめ!だの、バナーは直リン禁止!だのあった時代)けれど、ランドセルも窮屈になり始めたころ、あるときからぱったりとコテハン(固定ハンドル)を使わなくなった。めっきり、ぱったり。その頃はマジックとミステリィにはまっていて、奇術関係、推理小説関係のサイトを巡っていたように思う。

中学に入り、ネットは少しずつ学校の友達とのコミュニケーションにも使われるようになる。携帯は持っていなかったので、パソコンで、誰かが用意したチャットルームを使ってくだらないことをしゃべっていたり、今となっては黒歴史なのか何なのかもよくわからない学校裏サイトと呼ばれたようなあれ(裏という表現は完全に一方向から見た言い分でしかなくぼくたちにとってはあれが表だったわけなのだけれど)を覗いたり。そこでは本名あるいは本名をもじったようなハンドルを使っていたので、ちくわが出てくることはなかった。それ以外では、せいぜい掲示板に匿名の投稿をするくらいで、狭義のネット社会で自分を表現するということはしばらくなかった。あ、いやそんなこともないか、あれがあったな、完全に黒歴史だけれど、キャスフィとかいう学生ポータルサイトで、恋愛相談してたりした(大爆笑)。どんなハンドルつかってたか忘れたけど、ちくわではなかった。あとはあれか、相手自由のドリーム小説を探して相手のところに自分の名前を入れt・・・もうやめよう、これはぼくの黒歴史を出し尽くすための記事じゃない、やめよう、やめよう。はい。ぼくは、すごく普通の中学生だった。はい。ほかはニコニコ見てたりとか。うーん、すごく普通の中学生である。あ、でも、ニコニコ γ 世代なんだぜ(ときどきしたくなる自慢)。中高一貫の学校に通っていたので、どこから高校だったかよく思い出せないけれど、まぁともかく、高校に入ってもしばらくは、変わらないネット生活を送っていた。「ちくわ」再登場には、あと数年お待ちいただくことになる。


ぼくのネット生活の転機となったのは、高校三年生の五月頃である。その頃のことを思い出そうとすると、どうにも複雑な気持ちになる。というのも、その直接の出来事が、それほど明るい話題ではないからだ。2010年の春から夏にかけて、南九州の某県で流行した口蹄疫という伝染病のことを、覚えているだろうか。伝染病といっても、人間のものではない。牛、豚、水牛などの、家畜の伝染病である。防疫措置として多くの家畜が殺処分され、7月の終息確認時点で、その数は29万頭近くにおよんだ。ぼくと同世代か、あるいはそれ以上の年齢の方であれば、九州から離れた土地の方もテレビの報道などで記憶に残っているのではないだろうか。

ぼくはあの口蹄疫流行当時、まさにその南九州の某県 ― 宮崎県にいたのである。といっても、ぼくが住んでいたのは宮崎市内の、市街地の近くであったので、直接家畜の様子を見たわけでもなければ、家庭の生活の深い部分が直接の影響を受けたというようなこともなかった。けれど、あれはぼくにとっては単なる新聞記事上の出来事ではなかった。

ともかく、まずは話が逸れすぎる前に、当時のぼくのネットへの関わりについて淡々と記しておこう。ぼくが口蹄疫についてきちんと知ったのは ― なんて、本当に馬鹿げた表現である、「きちんと知る」なんてことが有り得ないと身に染みてわかったのが、あの出来事だったのだから ― ぼくが口蹄疫について「世間に流れている程度の事情を把握」したのは、ゴールデンウィークが終わるか終わらないかのころ。どうやら、宮崎が大変なことになっているらしい、ということ。そして、県外のマスコミはそれを大きく報道していない、という噂もネット上でまことしやかに流れていた。今にして思えば、それが正しかったのかどうか、もう確かめる気力もないけれど、そのときのぼくはとにかく情報が集めたかった。そして、得た情報を一個人として伝える術が欲しかった。そこで始めたのがTwitterだった……と、簡単にまとめるとこういうことである。当時はちょうどTwitterが世間に知られ始めた時期で、個人が発信する「リアルタイムに近い情報」を載せる場所としてそれなりに使われ始めていたのである。口蹄疫のことを調べ出してから、一週間後か、十日後か、そのあたりだったように思う。そこでハンドルとして選んだのが、「ちくわ」であった。7年だか8年だかの時を経て再びこの名前を使おうと思ったのは、少しでも情報を拡散したいがためであった。上にも書いたように、ぼくは小学生のころに「ちくわ」というハンドルでドラえもんのファンサイトなどで他人と交流しており、この名前で活動していれば当時の知り合いと再び交流できるかもしれないと思ったのである。そうすれば、「世間の人が知らない口蹄疫の情報」を伝える場所がひとつでも増える、と。Twitterのアイコンがブタである理由もときどき訊かれるが、これも同様である。このときに次々に殺処分されていった、あの豚なのだ。

総じて、苦い記憶である。口蹄疫そのものも痛ましい出来事であるけれど、さらにそれを取り巻いていた状況は今となっても、今になればこそなおさら、曖昧なままである。結局、何が正しかったのか、誰が悪かったのか、いや、そのような白黒思考の悪者探しこそが問題であったのか。ぼくはその年に受験を控えていて、終息後はどうしてもこの話題を常に調べ続けるということができなかったということもあり、今もぼくの頭の中には整理されないまま情報が散乱している。こんなに後味の悪い話は無い。

しかし、もっとも苦々しく感じているのは、そういったことよりもむしろ、自分自身の行動そのものである。18歳というのは、言い訳に使えるほど幼い年齢でもないだろう。そんな18歳のぼくのとった行動のひとつひとつが、とても苦々しく思い出されるのである。ネットの情報に踊らされ、毎日「情報収集」「情報拡散」と称して正しいのかどうかも分からないデータをバケツリレーする。学校に行けば自分の「情報」を他人と共有し、昼休みに弁当を食べながら熱心に「議論」する。政府からの援助が足りないと思い込めば、支援を求める署名を集める。作業場でバスタオルが足りなくなり、全国中から集められたバスタオルを整理する仕事が必要だと聞けば、友達を引き連れてその整理のためのボランティアに向かう。まったく、本当に……ばかみたいだった。

あれだけやっていれば、いくつかは、正しい行動だって含まれていたかもしれないけれど、しかし、それでも、本当に何もかもが幼かった。あんな大惨事が起きていながら、ぼくはどこか得意になっていた。自分は世間の知らない正しい情報を得ていて、それを使って行動ができるんだと信じていた。ネットがついに世界を変えると思った。自分が何かを変えられると思っていた。本当は何が起こっているのかなんて、きっと見ていなかった。今にして思えば、どうだったのかわからないことだらけだ。何が正しかったのかなんて、わからない。ぼくは当時の知事のやっていることを疑っていなかったけれど、振り返ってみれば問題のある行動だってあったように思う。ネットの情報は感情論に流れるきらいがあっただろうし、政治的に見れば明らかに右に傾いてた(さらにいえば、事実として、宮崎県は保守的な県であった)。そもそも、何かを白か黒かで割り切ることなどできないし、世の中の床屋政談は子供が思っているほど聡明なものではなかった。そしてきっと、現実に農家の人々が直面していたものは、ぼくの思い描いていたような世界ではなかったはずだった(ぼくと同世代でも、ぼくよりもそこに近い位置にいた人たちとその後会うことがあり、ようやくぼくはそんな単純なことに気付かされ、ようやく足場を崩した)。

ぼくが未だに政治的な ― 時事的な話題から距離をおいているのはそのためもある。もともと時事問題に対する心理的抵抗というのは中学生くらいからあったように思うけれど、あの出来事は直接のダメージであった。自分で何が正しいのかを見極めるなんてことが、果たして自分に可能なのか、また何かに踊らされるだけじゃないのか、そんな諦めというか、逃げがある。2010年の口蹄疫流行は、関係者にとっては直接のさまざまな傷を残す”事件”だっただけに、外野とも内野ともつかない位置で自分が浅はかな行動をしていたという事実が、どうしようもなくぼくを自己嫌悪に陥らせるのである。


ともあれ、そのときからちくわをずっと使い続けていることになる。Twitterを今のように、他人とのコミュニケーションの1ツールとして使うようになるとは(そしてこんな共同ブログまでその名義で立ち上げることになるとは)、当時は考えてもみなかったけれど、連続的にそのような使い方に変わっていったために、ちくわというありふれたハンドルも使い続けることになった。事実として、ちくわという名前でTwitterを始めたことによって、本当に様々な人と出会うことになった。災い転じて福となしたわけでもなく、不幸中のなんたらでもジンカンバンジなんとやらでもないし、こんなことを最後に書くのは(そのきっかけを考えてみれば)どこか冒涜的であるとは思っているのだけれど、書かないわけにもいかないのでこれは書いておくことにする。とにもかくにも、「ちくわ」が存在しなかった場合の今の生活というものが、想像がつかない。きっとそのあたりの話はいずれ書くことがあるだろうから、今回は何も具体的には書かないが、その意味でも「ちくわ」の再登場は大きな、あまりにも大きな転換点であった。


今回も長くなってしまったけれど、そういうわけで、ぼくがなぜちくわという名前を思いついたのかは、思い出せない。そして、ぼくが何故ちくわという名前をいま使っているのか ― なぜ再び使い始めたのか ― に関しては、思い出して楽しい記憶ではない。とはいえ、いつまでも目を逸らし続けていていい記憶でもないだろう。何度も思い出して、いつかそのブロックを壊せる日が来ると良い。様々な事情によってこの名前を使い続けることになったけれど、案外、この記憶をときどき思い返せるようにと世界の意志がそうしたのかもしれない、いやそんなことはないと思うけれど、ともかく、心に留めておくようにしたい。「そんな昔のことは忘れたね」では済まないのである。

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自信を持つこと ― how to maintain yourself / 著者:ちくわ - ch5

こんにちは。前回の記事のラストでも名乗りましたが、長すぎてそこまで読んでねぇよって方が多いと思いますので、きちんと挨拶しますね。初めまして、ちくわと申します。今回はお題の性質上、気をつけなければ上からものを言うような失礼な論調になってしまうのではと心配になりまして、ですます調で書いていこうと思います。おつきあいください。


さっそくですが、みなさん、maintain myself という表現をご存知でしょうか。英語で「自活する」という意味なのですけれど、今回は「一人暮らし」をこの言葉に読み換えて書いていこうと思います。(そうです、これは5番目のchiasmaですね)

さて、あなたがやっていることをあなたが自分で支える(maintain yourself)ために肝心なこと、それは ― 自信を持つことです。まーたこいつは今回も平凡なことを言ってるな、と思われるかもしれませんけれど、この自信というやつ、なかなか一筋縄ではいきませんよ。自信というのは、これをやるんだここまでやるんだと自分で決めることです。より厳しく言えば、何をいつどんな手段でどこまでやれば私はそれを良しとするのか、それを《無根拠に》選ぶことなのです。これは、とてもとても難しいことです。ぼくたちは、誰かに選んでもらったことには全力で従うことができるけれど、自分で選んだこととなると途端にそれができなくなるからです。


少し回り道かもしれないですけれど、こんな話から始めさせてください。いつだったか、ぼくが書いた脚本をもとに、友達と映画を撮ったときのお話です。その脚本の中に、ぼくは小道具としてインスタントのお汁粉を登場させました。劇中でAとBがお湯を沸かして、それをカップに注ぎながら会話する、そして食べながらまた会話する、そんなシーンです。さて、撮影日になり、小道具を買い揃えるためにスーパーや薬局などを回ったぼくたちは、意外とカップのお汁粉が売っていないことに気付きました。ふーむ困った。困りましたね。どこなら売ってるかなぁ、××にあるかなぁ、などと友人は「どうやってお汁粉を手に入れるか」を考えてくれています。うーん。うーん。

ここで言っておきたいのですけれど、ぼくはべつに特別な必要に駆られて小道具に「お汁粉」を選んだわけではありません。「ちょっとココ会話長すぎんよ~手持無沙汰だし何か食べさせたいな~でも撮影のときにも簡単に作れるやつがいいな~冬だしお汁粉かな~前たべておいしかったしな~」ぐらいなんです。そういうわけですから、ぼくは二軒回ってお汁粉が見つからなかったあたりで、「まぁお汁粉ないならお汁粉じゃなくてよくね」とか考えてたわけですね。ですので結局、ぼくが妥協点を一段階下げ、スープ春雨を使うということで、とくに問題なく話は進みました。(シナリオは書き換えなかったために、役者A=ぼく本人がスープ春雨を手に持ちながら「お汁粉食べよう」と声をかけるという何とも虚しいNGをやらかした件はこの際ですから忘れましょう)

これは小さなことです、しかし似たようなことはどんな物語でも起こっていることです。なぜそのキャラクタはどら焼きが好きなのか、なぜ妹はメロンパンが好きなのか、なぜシャナもメロンパンが好きなのか。セリフに使われている言葉遣いだったり、もっと根本的な、ストーリィやプロットについてにも言えるでしょう。これらは、始めの段階では、きっとどれでもよかったのです。お互いに絡み合っているとはいえ、究極的には無根拠な選択の積み重ねによって、シナリオというものは、物語というものはできあがっています。いかに複雑に結びついた物語と言えど、それがなぜそれであったのか、ということに関してはとても恣意的なのですね。どれでもよかった、でもそれにした。小説でも、演劇でも、音楽でも、翻訳でも、何かのメディアミックス作業でも、雑誌の企画でも、ブログを書くときでも、この恣意性&いずれかを選択しなきゃいけない事態というのと出くわすと思います。多くの方から「あるある!」って頷いて頂けるのではないでしょうか。そんな皆さんのために「あるあるボタン」を用意いたしました、押してちょ。

……まぁ何も起こらないんですけれどね。ごめんね。たまには手も動かさないと眠くなるかなとかね……。で、はい、もうひとつ大事なことがあります。ぼくが「あーもうお汁粉じゃなくていいや」って思い始めたそのとき、優しきわが友人たちは、ひたすら『どこなら買えるのかなぁ』と悩んでくれていた、と書きました。つまり、彼らはあくまでもお汁粉が必要という前提を疑わずにその先だけを考えていたのです。それを見たぼくは、ようやく自分と彼らの立場の違いに思い至りました。おわかりですね、ぼくはシナリオを書く予定の白い紙がスタート地点ですが、彼らは完成された脚本がスタート地点なのです。それゆえ、脚本の内容は彼らには絶対で、それを何が何でも尊重してくれるのです。ぼくにとってはそれは変えてもいい部分なのにも関わらず、です。

ここまでの要点をまとめますと、「どれでもいいんだけれど、どれかを選ばなきゃいけないときがある」そして「他人はその私の選択を踏み台にして思考を次のステージへ飛ばす、しかし自分はそう簡単にはいかない」ということですね。


ようやく一人暮らしの話に移ります、そうですね、部屋の掃除あたりを例にとって進めましょうか。ぼくは親もとを離れて今年で四年目です。しかし……最近でこそ多少はやるようになったものの、どうにも片付けや掃除をやり始めない人間なのです。ここまではよくある話。さぁ、ここでふと考えます。ぼくは、アルバイトの職場先である中学校・高校で使った教室の掃除をするときには、なんと生き生きとした顔で掃いたり拭いたりをやっているのです。なぜでしょう。これは、その時間分も給料が出ているからというのもあるけれど、それ以前にそれが他人のためだからです。基準が他人なのです。そのときに掃除をすることも指示を受けたからですし、理由は「ここで次に勉強する生徒が快適に集中することができるようにするため」なのでどこまでやれば良いかも自ずから決まります。一人暮らしだと、こうはいきません。めがねさんが早々と書いて下さったように、一人暮らしの最大の敵は「めんどくさい」なのです。指示するのも自分、動くのも自分ですから、「掃除しといてー」「なんでー?」「しらーん」「それやったらせんでええやん」となったり、「掃除しといてー」「どうやってー?」「しらーん」「それやったらせんでええやん」となったり、「掃除しといてー」「どんくらいー?」「しr(以下略  となったりします。あと重要な問いかけは「いつー?」とかもありますね、各自いろいろ考えてみてください。

じゃあどうすりゃいいんだと言われても、どうにかして自信を持ってくださいとしか言えないのです。上にも書いたように、ぼくたちの世界には「どれでもいいんだけれど、どれかを選ばなきゃいけないとき」があふれていて、そして一人暮らしはそれのオンパレードです。全てがそれだと言っても過言ではありません。そして、「掃除しといてー」「いつー?」「今でしょ!」まで頑張って言えたとしても、その「今でしょ!」に自分で従うこと(=自分で自分の選択を踏み台にすること)がとてつもなく難しいのです。頑張ってください、としか言えません。あなたも色んな人から「もっと自信を持てよ!」と言われることがあるでしょう、彼らはそういう意味で言っているのです。いや多分そうじゃないと思うけれど、そういうことにしましょう。「自信を持て!」というのは「頑張って選んで!選べるわけないけど選んで!!」「選んだことを踏み台にして次のところへ行って!自分の腕で自分を持ち上げることなんて物理的に不可能だけど、成し遂げて!!」ということです。無理ゲーですね。「だが、難しいゲームを簡単に済ませようとする奴に、ハッピーエンドは来ない」とどっかの神にーさまも言ってましたからね。頑張りましょう、ぼくも頑張ります。

最後にひとつだけヒントというか、最近ぼくがもがいているひとつのやり方を記しておくので、参考に使っていただけたら嬉しいです。これは主に《「ほにゃららしといてー」「どうやってー?」「しらーん」》対策だと思ってください。傾向と対策。単純ですが、ここで「知らんわけないやろ、考えてみ」と返すことを習慣化するという試みです。ぼくはやらなきゃいけないときにいつもこれで「じゃあやめよ」を繰り返すタイプのクズ人間なので、これでどうにかしようと思うのです。面倒だと思っていることでも、案外次に何をするかは考えればわかるものです、そりゃ人間のやることですからね。例えばこんな感じです。

「トイレが詰まったの直しといてー」→「どうやってー?」→「しらーん」→「知らんわけないやろ、考えてみ」→「ほんまにわからへんもん」→「じゃあどうしたらいい?」→「えーと、調べたらいい」→「そうそう、はい調べてー」→「どうやってー?」→「しらーん」→「知らんわけないやろ、考えてみ」→「ぐぐればええんや!」→「そう」→「きゅっぽんがあればいいみたい」→「きゅっぽんを買ってきてー」→「どこで?」→(中略「ggrks」的なあれこれ)→「100均で売ってるみたい」→「買ってきてそこに書いてあることをやってー」→「了解っす!」→「あとは、手順通りに」→実行→解決

どっかで見たことある人もいるかもしれませんね、菖蒲さんという方がこの間ブログに綴っていた内容をもとに作ってみました。このエピソードを読んだとき、ああこれはぼくにはできない(ときもある)ことだな、と思って、心に残しておこうと思ったのです。トイレのきゅっぽんなんて、くだらない話だ、誰でもできることじゃねーかと思うかもしれませんが、一人暮らしは本当に誰でもできるはずのことの連続です。初めてのことだらけなので、それが大変なのです。ではほかの点も細かく見ていきますけれど、とくに大事なのは赤字にした部分ですかね。まずは「じゃあどうしたらいい?」で自分の逃げ道をふさいで頑張って自分と戦いましょう。そしてどうにかこうにか手順を用意できたら、最後には「あとは、手順通りに」と自分を安心させてあげましょう。手順通りにやるのなら、バイト先の掃除と同じですね。終わったあとには「そうか、私は手順通りにやればこれができるのか」になるでしょうし、それが積み重なれば「そうか、私は手順通りにやれば大抵のことができるんだ、そしてひとつ終われば次のことに取り組めるんだ」になるかもしれません。ぼくはまだまだその域には達していないので、このやり方でなんとか少しでも maintain myself できるようになろうと思っているところです。一緒にがんばりましょう。こんなんで参考になったでしょうか。ほかのパターンでも、こういうの考えてみたら面白いかもね。


ここからしばらくは、今回の「きあずま」とは直接の関係がない話かもしれません。しかしまぁなんです、道は交差したあともどこまでも伸びてゆくものですし、すべての道はローマに通ずるんですからね、何かピンと来ることもあるかもしれません、お暇な方はどうぞ。

自分を支えることより一段階難しい課題として、他人を支えるってのがあります。もちろん、じっくり時間をかけて自分を支えることがある程度できるようにできるようになって、それから次の段階へ……とゲームのようにいけばそれがベストなのですけれど、「自分を支え」ることもままならない状態なのに「他人を支え」なければならない場合もあるでしょう。現実的に想像しやすい言い方をすれば、たとえば集団の真ん中に立つという状況がそれです。芝居の演出、映画の監督、楽団の指揮者、同人誌の編集者、サークルの長、飲み会の幹事、友達と街に出て「えー食えればどこでもいいよ、お前が決めてw」なんて丸投げされた人、なんでもいいですけれど、代表して集団としての決断=選択をしなければいけない立場にあなたがなったときです。

「他人を支える」というのは、上に書いた「他人のために掃除をやる」といったものとは似て非なるものです。他人を支えるというのは、自分を支えて、他人に踏んづけてもらうということにほかなりません。最初のお汁粉の例よろしく、集団のほかのメンバはあなたの決定を確定事項として踏み台にします。そりゃもう、ばんばん踏みつけていきます。《それじゃなくてもよかったかもしれないけれど、エイヤッ!とあなたが決めたその選択肢》をですよ。とても不安になりますね。心もとなくなります。しかし、ここであなたがその不安に負けて、「ふええ、ほ、ほんとはね、これじゃなくてもよかったんだ、ほんとは、ほんとは……どどど、どれにしよう……」とかもにょもにょ言い出して、自分で決めたラインから退行してごにょごにょやりだすと、さあ大変です。みんなはそれを踏み台にして進もうとしてるので、そんなことをすれば足場を失って総倒れです。ソーダ・オレ。なんか愛のスコールの味がしそうですね。

もちろん、選択肢をほかのものに替えたところで、この不安は解消されません(上の例のスープ春雨のように、「修正」が功を奏すことはあります)。じゃあどうすればいいのか。信じるしかありません。「自信を持ってください」。自分の選択をあなた自身が踏み台に使う勇気を持ってください。あなたがそれをしなければ、誰も次へ進めません。責任はとても重いでしょう、誰もその決断が正しいかどうかを判断できないのですからね。誰かから文句を言われるかもしれない、誰かを傷つけて泣かせてしまうかもしれない、あいつ暴走してると皮肉られるかもしれない、少し経ってから私はいま何でこんなことやってるんだろうって思うかもしれない、それでも、あなたは自信を持ってください。自信をもつというのは、「これで絶対大丈夫だ」と思うことではありません。大丈夫かどうか確信なんて永遠に持てるわけがないから、私はこれを踏み台にすることに決めて先へ進む、ほかの誰かも同じように不安なのだから(私のことくらい)私が犠牲になって=責任をとって、決めてやる、という決断をすること。それが自信ですし、集団の中心に立つ責任を果たすということです。

これはとてもとてもすごいことです。今のぼくにはとてもできません。だから集団をまとめようと奮闘している人はとてもとても強い人なのだなぁと思うし、尊敬のまなざしで見ています。だから、だからというわけではないのですけれど、本当に、自信を持ってください。志を持つことは本当に難しい、自分を貫くことは本当に難しい、それでも、だからこそ、自信を持ってください。選択肢はたくさんあるかもしれないけれど、選択をすること、決断をすることができるのは中央にいるあなただけなのです。大丈夫だよ、頑張って。


ここまで読んでくれた奇特な方々、本当にありがとうございます、さすがにそろそろ終わりましょうか。ひとり暮らしにおいて肝心だとぼくが思うこと、それは「自信をもつこと」です自信というのは、「これなら必ず大丈夫」なんていう魔法ではなく、んなモン永久にわからないんだから私が決めるしかないんだと決断すること、そしてそれをどうにか固定して自分で踏み台に、ジャンプ台に使うこと。きっとこれは、死ぬほど難しい。でも、それでも、ぼくもこのブログを自分の踏み台に使って、少しでも実践していこうと思います。読んで下さった方の中に、これから私も少しずつ maintain myself していきたい!!という方がいらっしゃいましたら、ぜひ、一緒に頑張っていきませんか。大丈夫、できるよ、ぼくたちなら。

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「知れば知るほど、知らないことが増えてゆく」 / 著者:ちくわ - ch1

あれは小学生時代か中学生時代か、ともかく小説が大好きで小説ばっかり読んでいた時期のことだけれど、図書館に行っていつもの小説の棚に直行しているとき、ふと一抹の不安をおぼえたことがあった。「こんなに図書館は広くて、いろんな棚があって、いろんな分野の本があって、それなのにぼくはそれらに特に興味を感じていないのか、これは残念なことなのじゃあないだろうか、ずっとこのままなのだろうか……」結論から言えば、すべては取り越し苦労だったようだ。今のぼくなら、図書館のどの棚にポイされたとしても、何時間でも居座れる。ごめん嘘、まだ楽しみ方を知らない棚もたくさんある。けれど、あのときに比べれば、びっくりするほど知りたいことが増えている。ここまで知りたいことが増えたのは、知らないことが増えたからで、それは何かを知ったからなのである。ごにょごにょと、そんな話を書いていく。


どこから話せば良いものか、今から二年ほど前、20歳になるかならないかのころ、ぼくは大学生になった。ありていに言って、一年目にしてあれもこれもつまずいた。なし崩し的に拘束時間の長い団体に入ってしまったり、それによって時間の使い方の制御を失ったり、ミスによって奨学金の申請ができなかったり、アルバイトを始めようと思いながらぐだぐだ一年がすぎてしまったり、世間のクズ大学生のご多分に漏れずだんだん授業に行かなくなったり、他人の信頼を裏切るようなことを繰り返したり、うんたらかんたら、それはもう煮崩れしたじゃがいものようにぐちゃぐちゃだった。19歳までの生活がとても充実していたものだっただけに、大学入学後の自分の崩れようは悪循環に次ぐ悪循環を呼び、口を開けば過去の話ばかりなんて状態の時期もあった。

そんな状況で、周りを見渡せばみんな何かに打ち込んでいるというのに、ぼくはどこに軸足を置けばいいのかもわからないままで、どこに軸足を置いても失敗するし、不安定で、何をしたって自分を信じることはとてもできそうになく、ぼくの芯はなんだっけ、自分が一番大事にしなきゃいけないものって何だったのだっけなんてことを、自然に考え始めていた。考えに考えに考えた。


もがいているうちに、少しずつ光が見えてくることもあった。秋頃、大好きな女性に会いに行く予定だった朝、飛行機に乗り遅れるという史上最強のポカをやらかしたぼくは、大荷物を転がしながらとぼとぼと自分の部屋へと戻っていた。その帰りの電車に読んでいたとある本の中に「どんな人でも学んでいる自分は好きでいられるはずなので、「学ぶ」ことによって自分を愛することができます」という一節があり、何かを思い出しかけたのだ。もちろん、それを読む前から漠然と浮かんでいた思いがそれによって固まり始めたというのが正しいのだろうけれど、ともかく、ぼくに必要なのはこれだったんじゃあないかということを少しだけ思い出したのだ。

そこからすっかり意識の高い学生にでもなれば話としては面白いのだけれど、そうも行かず、冬になっても春になっても相変わらずのクズ生活を送りながら、ぼくは自分のやってることを説明できないんだという悩みはさらに膨らんでいくばかりであった。ぼくがその大学を進学先に選んだのは、入学してから専攻を選ぶことができるというその一点によるものだった。いろんなことに興味があるのです、というセリフを免罪符に、当時のぼくはのらりくらりと現在や未来の話を避けていた。しかし、いろんなことに興味があるという言葉は、この歳になればもはや、何にも興味を持っていないという言葉と等価であることにも、うすうす気づき始めていた。


そして去年の今ごろ、女の子たちがだんだんと薄着になっていく初夏のころには、ぼくは自分がどうして大学に通っているのかと疑問に思い始め、それ以外の無数の選択肢について検討した。どれもこれも子どもっぽい、非現実的な妄想のようなif世界ばかりだったけれど、もしかすると人生で初めて未来のことについて考えた年だったかもしれない。当然、再びそしてより切実に、「自分が一番大事にしなきゃいけないものって何だったのだっけ」という問いが現れるようになった。


さて、読んでいる人の9割が「お前だれだよ」などと思っているであろうこの状況で、ここまでぐだぐだと自分語りをしておいて、こんなありふれた結論しか出てこないのかよとぶんなぐられる覚悟で書くけれど、どうやらぼくに必要なのは ― 「新しいことをとにかく知ろうとしてみること」だったのである。あ、いや、ぶんなぐらないで!そう、まぁ、気づいてしまえばアホみたいな結論で、でもぼくはそれを思い出したおかげで、迷走を食い止めることができた……たぶん。秋に読んだあの文もどこかで影響していたのだろうし、いくつか直接的なきっかけもあったけれど、ともかく、自分に大切なのはそういうことだったのだ、という考えが固まり始めた。それにつれて、ぼくは少しずつ「興味があるふりをしてたやつら」について知っていくことにした。言語学とか、歴史とか、哲学とか、ほんのちょっとずつで、世の中の学生に比べれば何もやってないに等しいようなちょこちょことした勉強(笑)だったけれど、どうしてだか、心が軽くなった。

一旦落ち着いて説明すると、こういうことだ。知りたい知りたいと言っていても、実際に動き出さなければ、知らないことすら ― 知りたいことすら ― わからないぼくは多くの分野に関してそういう状態にいたのだなということに気づいた。そりゃあ、自分のことを説明できないはずである。

いつだったか「ストックの教養もいいけれど、案外フローの教養も大切だ」と言った友人がいて、彼の言いたかった文脈とは違えど、まったくその通りだなとじわじわ感じる。何かを知ろうとして、学ぶ姿勢を見せると、それがたった1週間や1ヶ月のことでも、不思議なほど生活が「学ぶ」ということを中心に回り始め、そんな雰囲気が滲み出るものなのである。ともかく、そうかぼくはこれさえできればこんなに楽しく過ごせるんだ、穏やかに勉強ができる環境を整えることに専念しよう、そのためなら多少は犠牲になるものもあっていい、と考えて、具体的に何をやったかは省略するけれど、だんだんと生活を動かし始めた。勉強も同時並行して、少しずつ知っていることが増えた。


少しずつ知っていることが増え、そして ― 少しずつ、知らないことが増えていった。たとえば、世の中にはどんな学問があって、かつて学生だった人々はどうやってそれらの学問に触れていたのか、なんてことを少しずつ具体的に言えるようになった。ぼくの知らない学問分野がそこにはたくさんあった。たとえば、数学のこの分野を理解すると、次にどんな話を組み立てることができるのか、なんてことが少しだけ見えてきた。ぼくの知らない数学ワールドが広がっていた。たとえば、僕が漠然と触れたかったアレ(高校時代に心惹かれていた、国語の教科書や模擬試験の問題などに出される評論文に漂っていたアレ)が「現代思想」とか呼ばれるものだということもようやく知った。少しずつその世界に足を踏み入れていくにつれ、「読んでいない本」が百冊単位で積み上がった(脳内に)。何かを学ぼうとすることで、自分の知らなかったことが何だったのかがわか(るような気にな)り、知る方法も少しだけわか(るような気がす)る、そして少しだけまた進むことができる。そんな行きつ戻りつが、とても心地よかった。

昔に興味があったことを、少しずつ「そんなのあったな」って思い出すようになった。高校生の頃は政治や経済にも興味があったじゃないか、文学だって、物理学だって……と、少しずつ思い出してくる。絵も描きたいし見たいし、芝居も演りたいし観たいし、映画も撮りたいし観たいし、ゲームも作りたいしやりたい、本も書きたいし読みたい、本当はファッションの知識も欲しかったし、本当は音楽的な素養も欲しかった。そんなことを思い出し、新しい世界を覗くたび、知らないことリストがどんどんと長くなってゆく。

本の目次を意識して眺めるようになった。本物の目次も見たけれど、ジュンク堂で本棚の間を歩きながら目に入ってくる本の背表紙も、図書館で埃をかぶっている本たちも、ついったーで誰かによって呟かれているなにやら難しいことも、大学で開講されている講義の一覧も、高校の友人が集まったときに「いまこんなことやってんだよー」と聞かされた近況報告も、ぼくにはすべてが本の目次だった。読めば読むほど、知らない世界へのインデックスが増えてゆく。

昨日、この共同ブログの立ち上げ人でもあるらららぎさんから、「前にバーでサッカー観戦をして、外国の人と友達になったぽよ!今年もギリシャ戦のときはどっかで観戦してギリシャ人と仲良くなるぽよ!」みたいなことを聞いた。なるほど、ぼくはそんな場所があることを初めて知った。もちろん、実際にぼくがそこに行ったわけではないので、こういうのが本の目次の状態というわけである。どんなことが起こるんだろう、どんな人が集っているのだろう、どんな空間なのだろう、そこにいたらどんな言葉を(自分は/そこに居る人は)しゃべるのだろう、こうやって知らないことは膨らんでゆく。こうやってぼくは、今日も元気に過ごしている。


「知れば知るほど、知らないことが増えてゆく」


ぼくの最も大好きな法則、いや、どころか、ぼくはこれのおかげで生きている。一生かかっても知り尽くせないものが世の中にはある、なんて素敵なことなのだろうか。
……初回の記事で人生の柱について吐き出してしまったら、次から書くことなくなるのではって今ごろになって慌てているけれど、もう手遅れだよね。どうしよう。滝汗なう。
そんなわけで、ちくわと申します、よろしくお願いしますね。

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