・Kanon Standard Edition - Prologue
ふぁいとっ、だよ
— 水瀬 名雪(ぼっと) (@Nayuki_Minase) 2015, 1月 8
他人事のようにとあなたはおっしゃったけどね、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたと違うんです。*
Dans la vie il n'y a pas de solutions; il y a des forces en marche: il faut les créer et les solutions suivent.
解決というのは、人生に属していない。あるのは、ただ前に進んでいく力だけである。その力を作ることで、解決は後から付いて来るものだ。
――アントニオ・サン=テグジュペリ『夜間飛行』(Vol de nuit)より、らららぎ拙訳
幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく
(どれだけの山や河を越えて行けば、寂しさのない国へとたどり着くのだろうか。そんなものがないと知りながらも、旅を続ける毎日である)
悩んで悩んで(答えは出なくとも)悩み抜いて、もやもやを「抽って」(破って)、自分にとっての春がぱーっと展開されたとき、「草」が生えてくるでしょう。そうして完成するのが《描破》という現象です。「抽 + 草 = 描」。どれだどれだと、たくさんある道や、たくさんある選択肢や、たくさんある未来の「視えている範囲」や「視えていない範囲」のことも勘定して、大人の意見を聴き、親の希望を慮り、理想の自分を参照し、悩み、悩み抜き、それでも「はっきりとした結論」を訴求することはできず、それでも歩まねばならず、揺らぎながら、震えながら、断念しながら、挫折しながら、「私は一体どこに辿り着くんだろう」と誰も答えを知らない問いを何度も試練にかけながら、自分を審問し、世界を問い糾し、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、いつか具体的な場所に《着地する》――その具体を「描」といいます。
「言葉はね、言い方や、言い回しじゃない。内容はちゃんと伝えないとね。それが、言葉の役目だから。」
「言い方が悪いからヘソを曲げたり、傷ついた、やる気が出なくなった、と主張する人がいる。しかし、そのせいばかりじゃない。それが通れば、言い方や言い回しがよければ、何でもゆるされるような感覚になってしまう。それじゃダメでしょう。言い方や言い回しにだまされる人がいる。」
――via『詩的私的ジャック』
「ほんとうにおもしろい」という本は、子供のときにはおとぎばなしであり、それから冒険物に進むのであろう。おとぎばなしだろうが、冒険物だろうが、そのときに「ほんとうにおもしろい」と思ったその感じを忘れてはいけない。勉強なら「意志」でやらなければならない学科もあろう。しかし自由時間に読む小説に「意志」や「おつき合い」を妙な工合に持ちこむと、ほんとうの感興と、おざなりの感興の区別がつかなくなり、真の意味での読書の向上が害されるおそれがあるからである。探偵小説でもよいから、ほんとうにおもしろかったら、その「感じ」をたいせつにする。そして漱石を読んだときに、その感じが出たら、自分自身のために祝杯を上げればよい。それは明白な知的向上を示すものだからである。そのほんとうの「感じ」が出るまでは、同級生が漱石を持ち歩いてるのを見ても、ロマン・ロランを称えるのを聞いても、あわてて自分もわかったふりをする必要はない。自分におもしろくないということを公言する必要はないが、ほんとうにはおもしろいと思わないものを、おもしろいなどというふりをしてはいけないのだ。他人に対しても自分に対しても。特に自己をいつわってはならない。自己の実感をいつわることは、向上の放棄にほかならないのだから。
(渡部昇一『知的生活の方法』)
それは、元々の意味を離れ、次々と多義化していき、結局は「それが自分にとって理解のできる価値を有したものであること」をアピールするための言葉に代わったからだといえるかもしれない。つまり、本当はよく知らなくとも、「かわいい」と主張してしまえば、自分にはその価値が分かっているということになる。そういう態度をとることが「善い」とされているのだ。知っていることは善いことであり、理解していることは善いことである、そういう時代の価値観が言葉の使い方を巧みにすり替えてていく。かわいいというのは、何かへの主観的な評価ではなく、自分を善いものとして映すための宣言になったのだ。
(らららぎ「好きな人という多義的で独特な言葉に寄り添って」『あみめでぃあ』)
教師「ねえ、転入生、なぜいつもそう雰囲気が深刻なんです? まるで世界がきょうでおしまいみたいに」
衣良「きょうはあしたの前日だから……だからこわくてしかたないんですわ」
――大島弓子 『バナナブレッドのプディング』p.10
大丈夫、もう大丈夫だよ。暖かい背中。優しい手のひらが僕の頭をなでる。僕は小さな子どもになって、声をあげて泣きじゃくった。いままで抑え込んでいたすべての言葉が僕の身体からあふれだし、愛としか形容できないものが僕の身体のすみずみまでを満たしていく。もう、何の心配も後悔も、する必要は無いんだよ。あなたはあなたのままでいい。これ以上、頑張らなくてもいいんだよ。あなたが自分に罰を与えるのなら、わたしがあなたを許してあげる。あなたの過去も、あなたが抱いてきた想いも、全部。この先どんなに苦しい感情を抱いても、あなたはもう独りじゃない。独りじゃないんだよ。わたしも共にうけとめるから。いままで、よくがんばったね。
――かくのごとき夢あれかし『ぬくもり』