どうもこんばんは(執筆時間深夜0時)エアリーズでございます。
ちょっと思うところあって端について語らせてもらおうと思うております。
さて、皆さんは攻殻機動隊(*1)という作品をご存じでしょうか?
ここに来られる方は割と知ってそうですね。私にとっては思考回路の体感三分の一を形成しているのではないかと思うくらいには影響を受けた作品でした。
これのアニメ第二期でオープニングテーマに使われたOrigaさんという方の「rise」(*2)という歌がありまして。ちょっとこれの一部を載せてみたいと思います。
I'm a soldier, значит я
И ответчик и судья
Я стою на двух концах огня
Огибая виражи, обгоняя смерть и жизнь
Я бегу сразиться с тенью лжи
どうでしょう?
分かりません?そうですよね。私もロシア語はさっぱりなので読むことすら不可能です。
ということでこの訳をネットから引っ張ってきました(間違ってたらお手数ですが教えてください)(*3)
I'm a soldier つまり私は
被告人であり裁判官
火の両端に私は立つ
カーブを切り生と死を追い越し
偽りの影との戦いに走る
いやぁ中二くさそうな歌詞ですな。なんですけど、この若干理解に苦しむ歌詞にいろんなものを感じることが出来ます。特にこの部分
「火の両端に私は立つ」
火の両端ってどこなんでしょう?
ゲシュタルト心理学(*4)によれば、人間は背景である「地」の上に、ある存在との差異を見出し、その差異を「図」として切り取ることで存在を「情報」として認識することが出来るそうです。つまり、「あるものが存在する」という情報において図(あるもの)と地(あるもの以外)の間には境界が生まれるし、むしろ境界こそが情報と言えるかもしれません。
私は火を情報として認識します。「あ、そこに火がある。何か燃えてんのかな」って。
そんな私は火以外の「背景」から火と切り取っていて、火と火以外の背景との間には境界があるはずです。図である火から見たらその境界は「火の端」となるでしょう。
そんな境界を私達は情報としては認識しているはずですが「火の何が端なのか」を実体から見れば事はそうも簡単で無くなります。
火とは燃焼反応(*5)です。可燃物の内部にある炭素や水素等が空気中や同じく物質中の酸素と結合して二酸化炭素や水や光や熱を発生させています。しかし、物質である二酸化炭素も水素も酸素も(場合によっては炭素も)私達の目には見えません。熱は周囲に放射し、風などに乗って広く分布していきます。
では、仮に私が風一つ起こさず空中を自由自在に動き回れるとしたら「火の端に立」とうとしたとき、どこに立てばいいのでしょうか?
燃焼反応の始点である可燃物の横に立てば他人から見た私は火の「ど真ん中」にいるように見えるでしょう。終点である熱の放射が届かない所に行けば火の「遥か彼方」にいるように見えるでしょう。物質に着目しようものなら空気中に混ざった二酸化炭素や水蒸気はもはや「地」であって境界を持ちますまい。
光ってる端が端じゃないのかって?ご名答です。
多くの人にとって火は光ってるもので、その端を、つまり可視光線の限界を火の「端」だと見做しているように思いますよ。
でも暗闇で見える火と炎天下の火の「端」は同じですかね?急に明るくなった時や暗くなった時は?
人間には確かに可視光という見える光の波長の「端」がありますが、目のコンディションや個人による差もあるんだとか。
そもそも、見えるところの限界が端ならば、目の見えない人にとっては、火には「端が無い」=「存在しない」事になってしまいます(*6)。
なんともややこしいですね。
で、なんでこんなにややこしいかというと、火というのが一個の固定した「物体」ではなくてある「現象」だから起きる問題なんだと思うんです。
もし可燃物が光を出しながら熱共々外に出たりなんてせずにある狭い空間を対流するなり行ったり来たりしてくれればその端っこが「火の端」だったはずなんです。
それが、可燃物が光とか熱とか出しながら他の物質になるという現象、言い換えれば変化であるからどこら辺を境界に、端にしていいか分からないんです。
ふう、かなりいろいろと喋りましたが、ここからが本題です。
これって人にも言えませんかね?
人は物体だろって?いやまあそうなんですけど……
でも「あなたの思考」の端ってどこでしょう?
勿論目に見えないので指し示す様なものではなくって。
さっき私はゲシュタルト心理学の話に少し触れましたが、地だの図だの言ったのは私ではなくて心理学者(*7)さんたちです。
ではこれを考えている私は私ではなく心理学者さんでしょうか?
いえいえ私ですよ。
恐らくこれをご覧になってる方も、いろんな話を聞いてこれを読んでらっしゃると思うので、いろいろと「他人の考え」をあなたの意識領域の中に取り込んでいるはずです。
その中で何か主張するとき、どこまでが「自分の思考」でどこからか「他人の思考」かの端ってなかなか見えないのではないですか?
といって例えば会話で私があなたと喋っていて、あなたが私の意見を受け入れ難いと思えば、その時あなたは「私の意見」というものを認識していて、あなたの意見との間に差異、そして境界、端を感じているはずです。
人の「思考」なるものがどのように出来ているのか、これ自体はかなり深い問題で科学的に解明するのはかなり厳しいと聞いていますが、恐らく思考とはそれぞれの人間の中にある現象なのでしょう。そしてそれは言語化された他者の思考を受けて経験や環境などを混ぜていくなかで自分の意見を構築していく変化の過程であるからこそ、どこから「自分の思考」であるのか読みにくいのです。
攻殻の歌詞からまあよくもここまで、と思うほど話が飛びましたが、分かりにくいとはいえ火であれ思考であれ現象にも私達は端を認定します。
だからなんだという話なんですけど、別に端があろうがなかろうが困りゃしません。困りゃしませんが、今私がそうしたように、そうした「端」を探して、それが自分にとって端なのかどうか見てみる。っていうのは中々悪くない感覚です。
火でもいいんですけど、ちょっと近寄り過ぎると熱いので。
まあ自分の思考辺りが手頃でしょうから「両端に立」ってみるのはいかがでしょうか?
私の方は今丁度一時を回ったので(*8)、そんなことをしてるといい感じに眠くなれるんじゃないかなぁって思ってます。はい..
*1:士郎正宗原作の近未来SF漫画、後に映画・アニメなどのメディアミックスがなされた。
*2:アニメ版第二期「攻殻機動隊Stand Alone Complex 2ndGIG」のオープニングテーマ曲(地上波除く)なお、歌っていたアーティストのOriga氏は2015年1月に肺がんのため死去。今回これを書こうと思ったきっかけも、久々に曲を聞いたからであった。
*3:参考にしたのはCMSB(http://cmsb.web.fc2.com/)、他のページでは概ね同じ訳であったがいかんせん筆者がロシア語もキリル文字も皆目理解できないため正しいか確認する方法を持たない。
*4:心理学の一派。ドイツで生まれ心の構造性や全体性を対象とした。「ゲシュタルト崩壊」のゲシュタルトである。筆者も齧っただけでこれ以上は良く知らないので興味があれば個々人で調べて頂けると幸い。
*5:正しくは上記に挙げた以外の化学反応もあるし、そもそも化学反応でない火も存在するが、ここでは特に単純なものを挙げた。ろうそくが燃えているような様子を想像してもらいたい。
*6:もちろんここで「火を見ることの出来ない人にとって火は存在しない」と考えるのも十分ありえる。しかしながら能動的に火を認識しないにせよ、見ることのできる他人から「そこに火があるよ」と言われれば「火がある」という情報から受動的に火を認識しなければならず、結果的に火の「端」を(恐らくは熱などから)画定することになるであろう。
*7:余談だがこれを私に教えたのは法哲学の先生であり、恐らくこの先生も心理学の本なり学者なりから聞いた後に彼の思考という現象を通しているはずなので、ここでは心理学者ではなくこの先生なのかもしれない。
*8:既にお気づきの読者も多いであろうが、この文章はいわゆる「深夜テンション」にて執筆されている。ここの文章に限らずある程度まとまった量の文章を書くにあたってこの深夜テンションはもはや必要条件と化しつつある筆者である。しんがりでは「書き切る」事も大切ゆえこのようになっているが、「riseの歌詞なんかよりお前の文章の方がよっぽど中二臭いわ」などと言わず同じ深夜テンションで読んで頂けると筆者冥利に尽きるというものである。