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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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『打破』の仕方 / 著者:西洋中世史たん - ch22


 人は何かしらの問題を抱えていることと思います。その大きさは何であれ、それが解決されてもまた次の問題が持ち上がるでしょう。問題は一度に何個もおこるかもしれません。

 問題を抱えているということは、逆に言えば生きているということであるように思います。

 さて、『打破』する方法はいろいろあります。ひたすら頑張ること、頭を使うこと、そして何もしないこと。

 問題を解決するのには時間がかかることもかからないこともあるでしょう。問題の難易度もいろいろあるでしょう。

 問題を『打破』するためにはタイミングも重要かと思います。何度やってもダメなときもあるでしょうし、何をやってもダメなときもあるかもしれません。

 でも、時間を置けば新しい考えが生まれるかもしれません。問題を整理できるかもしれません。自然解決できてしまうかもしれません。

 文字通り「時間が解決する」というやつですね。

 私が「時間が解決する」っていうのもなかなか重要だと思うのですね。

 問題にぶつかったとき、それがどんな種類のものであれ、じっくり時間を置いておく、しかもその間その問題については考えない。そんな時間を作るというのも一つの『打破』の仕方だと思うのです。






(編集責任:らららぎ)

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ケーキはおいしい / 著者:西洋中世史たん - ch15

タケノコかキノコかで迷うなら、ケーキを食べればいいじゃない。


けーきですよみなさん。ケーキです。


ちょこれーとけーきにするのです。

ケーキがおいしいのでう。

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西欧のつもりだったのは内緒の話 / 著者:西洋中世史たん - ch3

今回はアカウントのゆらいだそうで・・・


アカウント名はそのままですね。はい。


ではなんでこのアカウントを始めたのでしょうか。

なんででしょう・・・


まあでも、西洋中世史というややニッチな学問分野をもう少し世の中に知らしめようと思ったのかもしれません。(そんな壮大な思いなんてなかったかもしれません)

すくなくとも、ただたんに知識だけを発信するものではないことを意図していたんですよ?
最近ではちょっとあれだけどね|:3ミ


ところで、このアカウント、最初は西ヨーロッパだけを想定していたんですよ。もう気づいてる方も多いかもしれないですけど、さらにそのなかのイギリスフランス独逸を中心に考えていたんですね。


でもよくみたら「西洋」中世史になってるじゃないですか。。。。フエェ


Askとかリプでみょうに東欧とか、北欧の話がくるなぁ。。。って思ってたらそういうことだったんですね。。。


頑張って勉強します(フヘヘ

これからはもう少し史学の意義とか、考え方とか、そういったことも含めてツイートできたらいいなあと思いまうす。

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しちてんばっとう / 著者:西洋中世史たん - ch2

断念したことってなんでしょうね。


多分色々なものを断念してきました。理系に進まなかったり、スポーツ選手にならなかったり。

(なれなかったとか、い、いっちゃ、やなんだからね///)


生きるということは、可能性を捨てることだ...と、私は言います。


生きていく中で、みんな大なり小なり「可能性」を持っています。みんな、だれもが、多分、なんでもできる「可能性」はあるのです。


そこの「運」とか「性格」とか「環境」とか、様々な要素が加わって、いろんな可能性を捨てながら生きてるのです。


努力でどうにもならないこともしばしばですね。


生まれる場所はヨーロッパが良かったといっても、そこは断念するしかありません。

そう考えると人間は無限の可能性を秘めつつも、所与の条件によってほとんどのものに制約をかけられるのですね。


私は、いま、人類学も勉強したいし、フランスとイギリスにも住んでみたいし、ちょっと変わったカフェも経営したいし(これはちょっと本気で考えてるんですよ)、獣医さんにもなってみたいし、オーストラリアで牧場を持ってみたいです。


でも、如何せん、私の時間は限られてます。能力も限られてます。努力ではどうにもならない部分も多々あります。


こうして私はこれからも、色々なものを捨てながら、でももしかしたら、運良く復活させながら、そして思っても見なかったものを手に入れながら、生きていくんだと思います。


人生、どうころんでも、なるようになるのですね。

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there's nothing good, because nothing lasts / 著者:西洋中世史たん - ch1

始めまして、西洋中世史たんです。
ここではツイッターではあまり描かないの事を書いて見たいと思ってます。


さて、いきなりですが本題に参りましょう。


我々が住んでいるこの宇宙には様々な法則がありますね。

地球はほぼ同じ速さで時点したり、時間は一方向のしか進まなかったり、物体は引力を持っていたり、1+1=2だったり、、、、


長い年月をかけて人々が発見してきたこういった法則たちは、人々が、生物が、そして多分、この地球が生まれる前から、こういった法則は法則として認識されることがなくても、そうあり続けていたのかもしれません。


我々をとりまく法則たちの中で、私が気に入ってるのはthere's nothing lastsです。あらゆるものに終わりは来る。という事です。もう少し射程を広く言うと、時間は流れる。という事です。


雨降って地固まるということわざがあるように、ケンカしていても時間が解決してくれるかもしれません。人は忘れることもできます。失恋は悲しいですか?それでもいつかは忘れることができるでしょう。忘れるというのは記憶の終わりでもあるのです。


止まない雨はない。そうですね。逆に照り続ける太陽もない(かもしれない)ですね。そういったたくさんの終わりを経験しながら我々は生きているのです。


もちろん一個体としての生物の終わりもあります。我々は、我々自身の終わりをしっています。遠すぎる未来でしょうか?わかりません。それは明日かもしれないし、数十年先かもしれない。


終わりの特徴は、いつ来るかはわからない、ことでもあるかもしれませんね。


もう少し長いスパンで見ると、恐竜の時代の終わりがあったように、人間の時代の終わりもいつかくるでしょう。

そして地球の終わりもいつかは来るでしょう。


こうして終わりを思うと、それまであった時間の流れや、その中にあった出来事を善く思うようになれると、私は思います。そして終わりに向かうこれからのことも。


さて、最後に西洋中世史たんっぽい話をして終わりたいと思います。


キリスト教は、イエスから始まったと記憶している人もいるかもしれませんが、これは明確に違います。実はイエスの思想を厳格に適用するなら、キリスト教というものはできる余地がないのです。

イエスの教えは、かなりラディカルな終末論でした。神の国は近づいた、すぐにでもこの世は終わる。だからみな、神の国へ入る準備をせよ。

簡単にいうと、神の国はすぐそこで、この世はすぐに終わる。というものです。まさにすぐに終わるのだからキリスト教が生まれる余地はなく、ただ、神の国へ入るための準備(俗念をすてたり、財産をもたなかったり)をすればよいかったのです。

しかし、イエスが死んだ後も、なかなか神の国(この世の終わり)は来ません。ここでのちのキリスト者、イエスに従っていた人々は、なにを考えたのかというと、「終わりの始まりが始まった」と考えたのです。つまり、「終わり」は時間的な点ではなく、一定の幅があるのだという理論です。

だからこそ、終わりの終わりを見据えて、イエスの教えを実践するための共同体として、キリスト教文化や教会が生まれる余地が出来上がったのです。ちなみに現代は「終わりの始まり」が始まってから2014年たってしまった、ってところですね。

日本ではキリスト者は少数派ですが、このように、「終わりの終わり」を考えることは、これからの時間を善く生きることにもなるように思います。

皆さんも、身の回りの「終わり」をちょっと意識してみると、世界を見る目がかわるかもしれませんね。

Think the end that can not be avoided, and we know how the life gose on.

thx.

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